ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

歌える!J-POP黄金のベストアルバム(7/31)5

2022-08-10 19:15:00 | メディア
甲斐さんが「加藤和彦さん」に食いつかれたからか?(笑)
渡辺美里さんと大黒摩季さんのプロフィールは、ライブ映像が流れている間に
画面下に表示されていたのが、加藤さんのプロフは、このタイミングで表示されていて

そこには…「加藤和彦 1947-2009年 ザ・フォーク・クルセダーズや
サディスティック・ミカ・バンドのメンバーとして活躍
1960~1970年代の日本の音楽シーンをリードし多くのアーティストに多大な影響を与えた
作曲家・プロデューサーの他、映画・舞台・歌舞伎など幅広く活動」…と記されてましたが

そのフォークルで、加藤さんの盟友でいらした、きたやまおさむさんは…
「『帰って来たヨッパライ』がヒットした当時は
団塊の世代が思春期から青年期に入り、人生の『旅立ちの時』を迎えた
若者のエネルギーの発露だった音楽が、再び大人に管理され、大資本と結びつくことで
ビジネスとして成功する過渡期でもあった」と指摘なさって

更に…「60年代は、行き先が判らず、若者の将来の不確実さへの不安を表現する
どこか拠り所のない歌詞が多いのに対し、70年代は明るく、夢があり
特定の場所を目指す曲が増えた」…と作詞を担当なさっていた方らしい視点で分析されてます

ちなみに…フォークル解散の1ヶ月前に作られた「風」は
はしだのりひこさんが、あたためていらした曲に、きたやまさんが歌詞をつけられたそうだけど
お二人は共に、学生時代に親友を自死で亡くされていたらしく
「どんなに辛くても、空しくても、人生はただ歩き続けるしかない」との思いを共有されていた一方で

きたやまさんが「ただ風が吹いているだけ」という歌詞で
「死」を感じさせる余韻を残して終わらせようとなさると
はしださんは「前向きな終わり方にしたい」と反対され
「振り返らずただ一人 一歩ずつ 振り返らず泣かないで歩くんだ」
という歌詞を加えることになったんだとか…

当時を振り返られて、きたやまさんが…
「スポットライトと歓声を浴びる華やかなステージを一歩降りると死があり
お金も必要とされる『不確かな日常』との落差に苦しんでいた
顔の見えない聴衆との『マスコミュニケーション』にも、不安や恐怖を感じた
絶望した僕と、希望を求めるはしだとの、せめぎ合いがあった」…と話されているのを拝見して
「フォークは希望を、ロックは今を歌う」という言葉を思い出しました

きたやまさんは、フォークル解散後、ある楽曲を巡る意見の対立から
40年ほど、はしださんと絶縁状態でいらしたものの
加藤さんの自死をきっかけに再会されたそうで
「はしだとまた会えたことは本当に良かった
今、人生を振り返っても、そこにはやっぱり風が吹いているだけなんです」と明かされてます

我が家では、甲斐さんが「とびうめ国文祭」で
氷川きよしさんがお歌いになる曲を作られることになり
きたやまさんに作詞を依頼なさった際に、歌い手が氷川さんだからといっても
いわゆる「演歌」ではない曲にしたい…というコンセプトで合意なさったはずが

その「人生号」という曲に登場する「旅人さん」というフレーズの読み方を
お訊ねになった甲斐さんに「たびにんさん」だとお答えになった(笑)…という話を聴いて
「思いっきり『股旅』じゃん!(笑)きたやまさん、自由過ぎる~!(笑)」
…と笑ってしまったんですが(笑)、歌い手・氷川きよし
作曲者・甲斐よしひろというプロジェクトに対する
きたやまさんなりの落としどころでいらしたのかなあと…?(笑)

それはさておき…廣瀬智美アナウンサーの「さあ、それではお聴き頂きましょう
松山千春さんの『長い夜』は、1982年札幌真駒内屋外競技場で行われたコンサートからです
さあ、そして、甲斐さんご注目の『あの素晴らしい愛をもう一度』は
2009年つま恋で行われました、南こうせつさんのライブイベント『サマーピクニック』から
加藤和彦さん始め、坂崎幸之助さんや南こうせつさん、ムッシュかまやつさんなど
そうそうたるメンバーが参加している、こちらも貴重な映像です。2曲続けてどうぞ!」とのQ出しで

まずは、まだ(失礼!)おぐしがフサフサの松山さんが、ギターではなく
ハンドマイクを手に歌われている映像が流れ始め
画面下には「松山千春 1955年 北海道出身 1977年『旅立ち/初恋』でデビュー
『季節の中で』『恋』『長い夜』『大空と大地の中で』など数々の名曲を発表
今年10月から恒例の秋の全国コンサートツアーを開催」とのクレジットが出てましたが

当時の奥さんは「ギター1本での弾き語り」にこだわっていらした松山さんが
この映像のようにマイクを手にステージを動き回られる姿に
「違和感ありまくり(笑)」だったらしく
その後、年上の方や先輩ミュージシャンの方々を呼び捨てになさるなどの「俺様」発言や
「政治家に転身?」の噂を耳にして、松山さんのコンサートには行かなくなったみたいです(苦笑)

続く「サマーピクニック」の映像では、加藤さんの両隣に、こうせつさんと坂崎さん
こうせつさん(ステージ下手)側に、かまやつさん、杉田二郎さん、山本潤子さん
小原礼さん、尾崎亜美さん、BEGINのお三方
坂崎さん(ステージ上手)側に、伊勢正三さん、スキンヘッドの松山さん
森山良子さん、イルカさん、元ちとせさん等、豪華メンバーが勢揃いされてたけど

加藤さんが「あのすば」をメインで歌われたのは、1コーラスだけで
2コーラス目が始まる直前には「潤子ちゃん!亜美ちゃん!」というご指名の声が上がり
最後は、観客の皆さんも含め、全員で熱唱…って
まあ、そういうシーンにピッタリな曲ですが…(笑)
甲斐さんも「フォーク村」でお歌いになったみたいですし…?(笑)

ただ、このライブイベントが行われた、その同じ年に
加藤さんがお亡くなりになったのかと思うと複雑な気分になりますねぇ…

しかも、このライブ映像が終わったあと
三たび、お三方がテーブルの前に立っておられる映像が映ると
いきなり、廣瀬アナが「♪いのーちかけてと誓った日から~ステキな…♪」と
「あのすば」を歌い始められたかと思ったら(笑)
チラチラと甲斐さんの方をご覧になりながら「♪…思い出 残して来たのに~♪」と続けられ
甲斐さんは、真っ直ぐ正面を向かれたまま苦笑い(笑)

そのお二人の間に挟まれたDJ KOOさんは、頭を抱えていらしたんだけど(笑)
やがて、甲斐さんが「イヤイヤ!これはもう、ずっと…
ずっと行って貰いましょう(笑)」とおっしゃったトコで
画面下には「何事にも動じることなくゾーンに入っている廣瀬アナ(笑)」との表示が出て(笑)
まさにその通りに「♪あの素晴らしい愛を…♪」と歌い上げられる廣瀬アナをご覧になって
「放置しときたい(笑)」と甲斐さん(笑)

でも、KOOさんは「ちょっと待って下さいよ!あの…あの…
ずっと甲斐さんが『自分の神様だ』って、おっしゃってたトコなんですけど…」とカットイン(笑)
甲斐さんが「失礼な!(笑)」と返されると
「来てくれるかな?ハモってくれるかな?と、ちょっと期待してたんですけど…」と廣瀬アナ

ボクが「イヤイヤ!いくら『大人』になられたと言っても、さすがにそれは…(笑)」と言うと
奥さんは「その前に『あまのじゃく』なんだから
そんなミエミエの淡い期待に応える訳ないでしょ(笑)」とクスクス(笑)
まあ、甲斐さんご自身は、DJ KOOさんの
「ただ(廣瀬アナの)メンタルは最強なんですけどね」という一言に大笑いなさったあと(笑)

「あの映像もね、ホントにそのまんま、あの加藤さんが最後まで歌ってくれるのかな?
(…と思ったら)そうはいかなかったですね(笑)」と、そこは少しご不満そうでしたが
そもそも、南こうせつさんのライブですし(笑)
NHKのライブラリーには、あの映像しかなかったのかも知れませんね?

ともあれ…最後は、廣瀬アナが「ホント、ナンかね、少年のようにお二人がね
ナンか、ご覧になってるのが印象的でした」と結ばれ
KOOさんが「さあ、甲斐よしひろさんと一緒にお送りして来ましたが
甲斐さん、今日はいかがでしたか?」とお訊ねになり

甲斐さんが「イヤ、そうですね、やっぱり野外のああいう映像観ると
やっぱり、やりたくなる(笑)また歌いたくなりますよね、ナンか…
(『そうですね、まだまだこれからがピークですから』とKOOさん)
ハイ、そうですね」とお答えになったトコで

KOOさんが「では、甲斐さん、今日ご紹介した曲…『歌える!』でよろしいでしょうか?」
…とお約束のフレーズを口になさると「う、歌える!」と拳付きで返され(笑)
廣瀬アナは「カッコいい~!」と、KOOさんは「イエ~イ!ありがとうございます!
『歌える!』頂きました!」と反応なさって

〆は、廣瀬アナが「『歌える!J-POP黄金のベストアルバム30M』次回もお楽しみに~!
甲斐さん、ご一緒に!あの…」と振られ
甲斐さんが「素晴らしい」とお応えになったそばで「イエイ!イエイ!」とDJ KOOさん(笑)
甲斐さんの「あっ、僕もそっちの方がいいな、『イエイ!』の方がいいな」との一言に
渾身の「イエ~イ!」(笑)廣瀬アナの「そっち!?(笑)」で番組終了…(笑)

まあ「The Covers」ほどではなかったものの
それなりに楽しそうな甲斐さんが拝見できて良かったです(笑)
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歌える!J-POP黄金のベストアルバム30M(7/31)4

2022-08-09 20:35:00 | メディア
「えー、ここからはですね、数々の伝説の野外ライブを開催して来た甲斐さんに
色々とお話を伺いたいと思います!」とDJ KOOさん
甲斐さんは「結局、僕らのウリが、あの…誰もやったことがない場所で
(ライブを)やるっていうのがウリだったんで
一番最初は、やっぱ2万人ちょっとですかね、集まって…うん」とお応えになってましたが

甲斐さんのおっしゃる「ウリ」というのは
当時のミュージシャンにとっての聖地だった武道館でライブを行うことは
ある種のステータスを意味する大きな出来事であるにも関わらず
メディアには、2~3行の記事としてしか取り上げられなかったことで
何かしらのニュースバリューをプラスしなければ…とお考えになった結果なんですよね?

そして…画面に「甲斐バンド初の野外コンサート
1980年8月 箱根・芦ノ湖畔で開催」とのクレジットが出て
「で、そこからまあ、翌年は花園ラグビー場っていう…(『ああー!』と拍手なさるKOOさん)
ここも結局、誰もやってないんですよね…(『そうですよね』)
まさか、貸してくれると、僕も思わなかったんで…」と話されたトコで

廣瀬智美アナウンサーが「あっ、そうですか?…こちらですね」とおっしゃると
「1981年9月 大阪・花園ラグビー場」というクレジットと共に、そのライブ映像が流れ始め
「あの…イヤ、実はその…『破れたハートを売り物に』っていう曲を
リリースした直後だったんですよ」と甲斐さん

「それを1曲目にぶつけたために…まっ、アフリカンパーカッションの…
こう…連打から始まるんですけど、そのために2万5千人が、どんどん前にやって来て…
(ワイプの中では、腕を広げ手前に招くようなゼスチャーをなさる甲斐さん(笑))
こんなに太い鉄のパイプが曲がるっていうくらい…(と両手で電柱ほどの太さを示され(笑))」

…と説明なさってましたが、例によって奥さんは「イヤイヤ!(暴動が始まったのは)
『破れた…』の時じゃなくて、2曲目の『翼あるもの』の時だから…
アレは『翼』の手拍子のリズムだって、映像観たら判るよね?」とブツブツ(苦笑)
当日、人波に流されて「神席」からかけ離れた場所に追いやられた恨みは根強いみたいです(笑)

ともあれ…「イヤ、とにかく5曲目で、僕(ライブを)止めて…で、20分くらい説得して…
(この辺りで、ビニールシートが飛び交う中、観客がステージに向かっている映像が終了)
やっぱり、前に来たものを後ろに下げるって
なかなか大変なんですよ…(『そうですよね』とKOOさん)…だからもう…うん
なだめ、励まし、脅し、すかし…みたいな(笑)
(『色んな手段を使って…(笑)』と廣瀬アナ)
色んな手口を全部やって…」と振り返っておられましたが

甲斐バンドが、花園ラグビー場をライブ会場として使用するのが初めてだっただけでなく
その後、他のミュージシャンが、使用することがなかったのは
この暴動騒ぎで、ラグビー場の芝が踏み荒らされたために
使用許可が降りなくなったせいなんですよね?(笑)

それはともかく…
廣瀬アナが「さあ!そして1983年の8月ですね、舞台は新宿副都心」と振られると
甲斐さんが「とにかく、その…東京のド真ん中で(ライブを)やろうというのがあったんで…
まっ、都庁が建ってる所が、ずっとさら地だったんですよ
で、僕、ずーっと、そこ、目つけてて…」とおっしゃった辺りで

「THE BIG GIG」のオープニング映像が流れ始め
画面には「1983年8月 東京・新宿都庁建設予定地」と「甲斐バンド ブライトン・ロック」の文字
ワイプの中で、DJ KOOさんが「うわ~!イエ~イ!ここですよ!スゲェ~!」とアガられ(笑)
廣瀬アナも「えーっ!?ホントに高層ビルの間!」とビックリ!(笑)

「ビートルズの『GET BACK』の逆版ですね!」というKOOさんの言葉に
甲斐さんは、笑ってKOOさんを指差しながら「逆版!逆版!(笑)」と頷かれてましたが
会場全体を俯瞰でとらえた映像に、お二人が「うわ~!」と声を挙げられたトコで
画面はスタジオに戻り、お二人の拍手が収まると

「アレ、夜になると全部…あの…こう…高層ビルに全部、照明当ててるんで…
(『ああっ!そっか!』とKOOさん)
だから、やっぱ素晴らしいロケーションですよね
僕、20世紀最大の、あのー、発明って何かと思ったら、建築(物)だと思ってたんで
建築の…高層ビルの中でやるっていうのが、その時ずっと考えてた狙いだったんで…」

…と説明なさってましたが、当時のインタビューや、ご自身のラジオ番組でも
「アメリカのハードボイルド作家、ロバート・B・パーカー氏曰く
『近代建築は20世紀で一番スゴイものだ』…っていうのがあるんだけど
ナンかこう…『BIG GIG』もね、高層ビル街の中で、2万人集まる空間っていうのがあった訳でしょ?

そこには2万人の人間の熱が吹き出す空間なんだっていう意味合いも含めてね
そんな『THE BIG GIG』っていうものが、俺の目から見て『近代建築イコールBIG GIG』
それは、この時代の中で、最大の風景であり、最大の照明であった…とね、そんな気がしたんだ
この時代の、この社会の中で、ひとつの『明かり』となるパワーがね
あったんだというように考えてるんだよね」と話されてました

ただ、花園ラグビー場でライブを行うにあたり
近隣住民の皆さんへの説明会を開かれた際には
「破れたハートを売り物に」を聴いて頂き「こんな感じの曲を演奏します」との説明に
「『河内音頭』みたいなもんやな」と、すんなりOKが出た(笑)のに対し

甲斐バンドの皆さんがニューヨークでレコーディング作業をなさっている間
「都有5号地」の使用許可を得るために、某イベンターの方が
区役所、警察署、消防署をたらい回しにされ、中止勧告を受けながらも
毎日毎日、足を運ばれるという苦労をなさったそうですし(汗)
奥さんは、その「最大の風景」「最大の照明」を味わった者の1人として
今もこのライブに携わられたスタッフの皆さんに感謝しているみたいです

そして再び、お三方がテーブルの前に立たれた映像になり
廣瀬アナが、先ほどと同様に「歌える!」と拳を握られ
DJ KOOさんも…と思いきや「甲斐よしひろさんは…」と甲斐さんを指し示され
「大人になられた(笑)」甲斐さんは「ソロ35周年!」と応えていらっしゃいました(笑)

その「ジングル」が終わると、またテーブルに着かれたお三方が映り
廣瀬アナが「…ということで、今日のテーマは『野外で聴きたい曲』
続いてはですね、松山千春さんの『長い夜』
そして、もう1曲はですね、加藤和彦さんの…
(と、ここで急に『おおっ!』と声を上げられる甲斐さん(笑))
『あの素晴らしい愛をもう一度』です」と紹介なさると

甲斐さんは「映像あるんですか!?映像!?…加藤和彦さんは僕の10代の神ですよ!」と食いつかれ
「…と言いますと?」という廣瀬アナの質問に
「もう、大好きでした!もう…もちろん『フォークル』から全部(レコード)持ってますけど
ソロの時代は、ホントにものすごい革新的なこと、やってたんで…」とお答えになり

「ハイ、サディスティック・ミカ・バンドもやってますからね」というKOOさんの言葉に
「そうなんですよ!ありがとうございます!(…と、KOOさんの方へ身を乗り出され(笑))
それ、僕、抜け落ちてましたね(笑)僕、ミカバンドなんですよ!
(『あっ!そうなんですか?』とKOOさん)

僕、はっぴいえんどとミカバンドが一番好きだったんですよ、日本のバンドで…ええ
その次に、四人囃子が来るんですけど…
(『へえー!先ほどお話されてた(はっぴいえんど)…』と廣瀬アナ)
ホントに、ミカバンドは異常でしたね…(『異常です』とKOOさん)…サウンド
(『カッコよかった!』)…あのグルーヴないですよね?」とコーフン気味に語られてました(笑)
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歌える!J-POP黄金のベストアルバム30M(7/31)3

2022-08-08 15:21:00 | メディア
そして、ここで廣瀬智美アナウンサーが「さあ!『裏切りの街角』から始まりました!
今日のテーマはザン!『野外で聴きたい曲』!」と発表
DJ KOOさんが「ああ!イイですね!もう夏と言えば、夏フェスとかね
色んな…ビーチで楽しんだり、音楽がまたね、楽しく聴ける時期ですからね」と振られると
「そうですね」と甲斐さん

甲斐さんが、あの…お客さんとして、観客として行った野外ライブとか
どんなライブだったんですか?」というDJ KOOさんの質問に
「僕ね、あのー、じゅう…19歳、ホント10代の最後だったんですけど
福岡で、能古島って…あの…まっ、船で10分くらい、渡らなきゃいけない島があって…

そこで、オールナイト・ロックフェスがあって
夜明けと共に、あの…音がバーッと聞こえて…
朝日を背景に、小坂忠とフォー・ジョー・ハーフ…
まっ、実は忠さん、この間亡くなられたんですけど…」
…と「甲斐よしひろの忘れられない野外ライブ」について話し始められたトコで

画面下には…「ノコの島民芸博覧会 福岡県の能古島にて
1972年8月5~6日に行われたオールナイトイベント
出演:小坂忠とフォー・ジョー・ハーフ、はっぴいえんど、高田渡、井上陽水など」との表示

「僕、それが、もうホント、ビックリして、キレイで素晴らしかったんですけど…
その2つあとくらいが、はっぴいえんど…(『ええーっ!?』と驚かれるDJ KOOさん)
で、また、独特のグルーヴ感で…みんなね
そんなに合ってないんですよ、アンサンブル、実は、はっぴいえんどって…

だから『ん?』と思ったんだけど、よく聴くと
みんな、ものすごいグルーヴがあるんですよ
だから、ちょっと、日本人のあの当時の考え方じゃないんですよね
だからもうスゴかったのは覚えてます…(『リアル生はっぴいえんどは貴重ですよね』)
そうですね、あの頃、ホントに…」と、おっしゃってましたが

この番組の収録前に放送された「セイヤング」では
その「野外ライブ」に関する事前アンケートにお答えになるため?
この能古島でのライブへ、ご一緒に行かれたメンバーの中に
松藤さんがいらっしゃったか?とお訊ねになったり
朝一番に小坂忠さんが登場されたのをご覧になったというのは
「夢じゃないですよね?」と確認なさったくらい、忘れておられたんですよね?(笑)

それはさておき…いきなり、ナビゲーターのお二人と甲斐さんが
テーブルの前に並んで立たれた映像が映ったかと思ったら
廣瀬アナ→DJ KOOさん→甲斐さんの順に「歌える!」とおっしゃいながら拳を握られる
…という、いわば「ジングル」代わりのようなカットが差し込まれ
「甲斐さんも大人になったねぇ(笑)」と奥さん
…って、来年「古稀」でいらっしゃいますし(笑)

そして再び、お三方がテーブルに着かれた映像に戻り
廣瀬アナが「さあ、続いての『野外で聴きたい曲』は
渡辺美里さんの『サマータイム・ブルース』
(『イヤー!もう美里さんと言えば西武球場ですよね
えー、86年から2005年まで開催されてた…』とDJ KOOさん)
さあ、そして、もう1曲は、大黒摩季さんの『夏が来る』
(『ハイ!イヤー、摩季姉ぇもアゲアゲですからね、やっぱりね、ハイ』)

さあ、それでは、1990年のヒット曲、渡辺美里さんで『サマータイム・ブルース』
今回は、兵庫県の西宮球場でのライブです
そして、今年デビュー30周年ですね。現在、全国ツアー中の大黒摩季さん
1994年の夏を飾った大ヒット曲『夏が来る』
これは、東京有明での、それぞれ野外ライブの映像、ご覧下さい」と紹介されたんですが

甲斐さんは、美里さんの「My Revolution」がお好きで、当時ご自身のラジオ番組でよく流され
「向こうも結構、僕のことを慕ってくれてる」とおっしゃっていたという方ですし
大黒さんは「『HERO』をまるで自分の曲のように(笑)」カバーなさった方で
30周年の武道館ライブでは、ゲストとして、甲斐さんと「HERO」を披露…って
この時は、大黒さんのキーで演奏されたため
甲斐さんから「俺は歌えないから、お前たち歌えよ!」とのご命令が下ったんですよね?(笑)

その当時、甲斐さんの大好きな(笑)土屋公平さんが、大黒さんのツアーに参加なさっていたり
甲斐バンドツアーのベーシスト・坂井紀雄さんと大黒さんが、いとこ同士でいらっしゃったり
また、甲斐さんが、カバーアルバム「10 STORIES」のツアーで
大黒さんの「別れましょう私から消えましょうあなたから」を歌われたあとに
「この曲が上手く歌えた時が、一番気持ちいい」と話されたり…と
甲斐さんとは旧知の仲のお二人の曲が選ばれたことに、不思議なご縁を感じました(笑)

まず、美里さんの「サマータイム・ブルース」のライブ映像が流れ
画面下には…「渡辺美里 1985年デビュー。翌年『My Revolution』が大ヒット
1986年から20年連続で西武スタジアムライブを開催
2022年10月より全国ツアーを予定」との表示

続いて、大黒さんの「夏が来る」が始まったんだけど
先日の「明石家紅白!」に、大黒さんが出演なさった際に
この「夏が来る」をお書きになった当時は、皇太子殿下と雅子様のご成婚に沸いていて
「ブライダル一色」の雰囲気だったため、親類縁者の皆さんから
「アンタはどうなんだ?結婚は?」と騒がれたものの

ご自身は「やっと売れて(ミュージシャンとして)これからだっていう時に
それどこじゃないよ!」と「ウザくてウザくて(笑)」
「逆ギレ」なさって書いた曲(笑)だと明かされていたのを拝見して以来
この曲の歌詞を聴くと、クスクス笑ってしまいます(笑)

ちなみに…結婚相手(や恋人)と巡り会った時には
いわゆる「春が来た」という言い方をしますが
「道産子」でいらっしゃる大黒さんにとって「春は雪解けで汚い」イメージなのに対し
「夏はキラキラして、一番輝いて見える」ということで「夏が来る」になさったそうです(笑)

ともあれ…その「夏が来る」のライブ映像の中で
2コーラス目の「♪こんな私を可愛いヤツだと抱きしめてくれるのは♪」という歌詞を
「♪何が足りない?どこが良くない?♪」と間違って歌われ
ペロッと舌を出して笑っておられた大黒さん、可愛いかったです(笑)

映像が流れている間にクレジットされた大黒さんのプロフには…
「大黒摩季 北海道出身 1992年デビュー
『DA・KA・RA』『チョット』『ら・ら・ら』などミリオンヒットを連発
今年デビュー30周年を迎え、47都道府県ツアーを敢行中。今秋に記念アルバムもリリース」

…と記されてましたが、前述の「明石家紅白!」で
バラエティー番組に出演なさる理由を訊かれて
「ツアーばかりやって(テレビなどメディアに出ずに)潜ってると
『あいつは終わった』って思われるから」とお答えになっていたのが
「3~4ヶ月に1枚シングルをリリースしないと存在証明が出来ない」という
かつての甲斐さんの言葉と重なりました

ちなみに…その「背に腹(はかえられぬ)」(笑)のバラエティー出演のおかげで
大黒さんに興味をお持ちになった若い世代の方々が
「歌ってるところを見てみたい」とライブに足を運んで下さってるらしく
甲斐さんのバラエティー進出(笑)も、ご本人がお好きだというだけじゃないのかなあと…?(笑)

それはともかく…奥さんが「ap-bank」ライブに参加した際に
「やっぱり、野外ライブは声量が命だねぇ」と、しみじみ言っていたんですが
甲斐さんはもちろん、美里さんも大黒さんも、その歌声がスコーン!と突き抜けていて
会場の隅々にまで響き渡る様子が見て取れるのが心地いいなあと思っていたら

お二人のライブ映像が終わって、画面がスタジオに切り替わり、拍手なさるお三方が映るや
いきなり、甲斐さんが「この2人、ナンか悔しいですね
僕も、あの…ハードなナンバーあるんで、お願いします(笑)」とおっしゃって
我が家も、ナビゲーターのお二人もクスクス(笑)

廣瀬アナは「今日はね『裏切りの街角』をね
ご紹介頂きましたけども…(笑)」とフォローなさってましたけど
奥さんは「甲斐さん、負けず嫌いだから、もう…(笑)」と言いつつ(笑)
美里さんと大黒さんのライブ映像に映っていた観客の皆さんが
当たり前のように総立ちになっていらしたのは
「甲斐さんのおかげなんだからね(笑)」と、画面の中の甲斐さんに声をかけておりました(笑)
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歌える!J-POP黄金のベストアルバム30M(7/31)2

2022-08-07 15:20:00 | メディア
甲斐バンドの薬師寺ライブ「裏切りの街角」の映像について、甲斐さんがコメントされたあと
廣瀬智美アナウンサーが「…ということで、この『裏切りの街角』へメッセージ
たくさん届いてますので、ご紹介させて頂きたいと思います
50代の女性、兵庫県のいっしゃんさんです」とおっしゃった途端
我が家では、飲んでいたコーヒーを吹いた者が約1名…(笑)

前回の放送…というか「歌える!J-POP黄金のヒットパレード決定版」では
ある甲斐友さんが「奥さんが書いたのか?」とカン違いしたくらい(笑)
ドンピシャな内容のメッセージが読まれたんだけど
今回は、この放送を観た奥さんの弟くんから
「アレは姉なのか?」という問合せが来たらしく(笑)
返事をするついでに、先月の「LEGENDS」で
弟くんが、時任三郎さんにエレベーターの扉を開けて貰った話が読まれたと報告したそうです(笑)

奥さんとしては、その前回の投稿みたいに「ゲストへのメッセージ」を送ろうと
甲斐さんのデビュー当時からのファンであることを告げ
甲斐さんご自身も「ふとした拍子に耳にした曲が、まるで『タイムマシン』のように
一瞬にして、その曲を聴いていた当時に引き戻すことがある」とおっしゃっていた通り
あらゆる記憶が甲斐さんの曲と結びついていると言っても過言ではないことや

まさかこんなに長く甲斐さんのファンでいることになるとは、夢にも思っていなかったものの
甲斐さんが、今も現役で活動を続けていらっしゃることに感謝し
これからも、甲斐さんがステージに立たれる限り、会場に馳せ参じる所存であること等々を
簡単に下書きして、番組の投稿フォームを開き
「ニックネーム」や「性別」「年代」「今回放送予定の楽曲で好きな楽曲は?」
「お住まいの都道府県」などの質問に答え…って

最近いつも甲斐さんのラジオ番組に投稿する際に使っているラジオネームではなく
1つ前のラジオネーム…それも、ローマ字表記にしていたために
甲斐さんには「イッシャァァン!」と「キャシャーン」みたいに発音されていた(笑)名前を
本来の(笑)学生時代の呼び名で出していたので
「甲斐さんはピンと来てなくて良かった(笑)」反面「弟にはバレるよねぇ…」と苦笑い(笑)

ともあれ…いざ「下書き」を貼りつけようとしたら
「出演のナビゲーター、トークゲストへのメッセージ、番組へのご意見ご要望はこちらへ」
…という欄の前に「選んで頂いた好きな楽曲にまつわるエピソードを教えて下さい」という
「必須」マークの付いた欄があり…って、下書きしたメッセージを貼ろうとした欄は
「必須」じゃなかったんだとか…(笑)

今からエピソードを考えながら書いていると「LEGENDS」の「投稿フォーム」みたいに
途中で閉じてしまうかも知れないと思いつつ
かといって、下書きしてからアクセスし直して
また再び「ニックネーム」から答えて行くのも面倒だなあと
結局、大急ぎで書き込んだものが採用されたので、思わずムセて吹いた次第…(笑)

そういえば、由紀さおりさんと山口智充さん司会の番組に参加した際にも
「裏切りの街角」に因んで「裏切った又は裏切られた」エピソードを訊ねられ
予め考えて来た話を記すには、あまりにも用紙が小さかった(笑)上に
日も落ち切った、街灯もまばらな歩道にしゃがみ込んで書かなくてはならず

苦労したのにボツになり…って、採用された皆さんなんて
結局、オンエアーでは、そのコーナー自体が丸ごとカットされていて(苦笑)
もっと残念な思いをなさったことと思われますが
いかんせん、甲斐さんが編集に立ち合われたとあっては、致し方ないんじゃないかと…?(汗)

それはさておき…奥さんは、廣瀬アナが自分の投稿を読み上げていらっしゃる間
画面下に、その内容が表示されることと、甲斐さんの表情を気にしまくりだったんだけど(笑)
「『裏切りの街角』がリリースされた時は、歌謡曲全盛期で…(『うん』と頷かれる甲斐さん)
(小学校の)同じクラスに、甲斐バンドを知っている人は1人もおらず
『何それ?変な名前!』などと言って来る男子もおりました…(笑って頷く甲斐さん)

が、その後『HERO』が大ヒットすると、その男子が
『実はオレ、デビュー当時から甲斐バンドには注目してたんだよね』と言い始め
(甲斐さんは『うん、うん』頷かれ、DJ KOOさんにウケてました(笑))
『どの口でそれを言う?』と呆れかえったことも、今では懐かしい思い出です」と
とりあえず、誤字脱字がなく、言わんとすることは伝わったと、ホッとした様子…(笑)

あっ!ちなみに、奥さんが小中高と12年通った学校は、全て同一道路沿いにあり
高校までずっと同級生となった生徒が多かったらしく
件の「男子」も、そんな同級生の1人みたいで
小学生の時に「変な名前!」と言ったことなどなかったものとして
他の中学からやって来ていた、高校の同級生に
ドヤ顔で「注目してた」発言をブチ上げていたそうです(笑)

ともあれ…メッセージを読み終えられた廣瀬アナが
「やはり、そういう時代のちょっと交錯する…」と言いかけられると
甲斐さんは「まあ、そうですね、ロックは市民権がまだない時なんで…
(『あっ、そうですね』とDJ KOOさん)
だから、どれだけ…あのー、ナンての?シングルヒットというか、その、あの…
曲をチャートに送り込めるか?っていうのが勝負だって思ってました、やってましたよね」

…と話されてましたが、去年の「歌える!J-POP黄金のヒットパレード決定版」でも
DJ KOOさんが「(甲斐バンドは)ロックなんですけれども
コマーシャリズム…という言い方が(適切かどうか)…」と言いよどまれた時に
「イヤ、そうですね。あのー、チャートはもう
いつも意識しながら作ってたんで…
僕、あの…ビートルズとかストーンズって、小学校3~4年なんですけど
いつも、ちゃんとチャートイン…(『そうなんですよね!』とDJ KOOさん)

うん、そうやんないと、あの…やっぱり面白くないなというか、つまらないなと…
自分が小っちゃい時に、そういうのを目の当たりにしてるんで…
で、僕らの前のロックは、ナンか、チャートインとか、あんまり考えてない感じだったんですよ
ただ、良いアルバムとか、いっぱいあるんですけど…
だから、あの…ミカバンドとかはっぴいえんどとかね、僕、高校の時、影響されたんですけど…」
…と「チャートに入るロック」を目指されたことや

「僕らはまあ、一番良い形で表現して送り出すんです…リリースするんですけど
もう…売れたりとか、そっから先はもう、僕らの…僕のものじゃないですからね
だから、色んな人たちが、色んな思いに浸れるような曲を
どれだけ沢山作れるかっていうところが、まあ、勝負だったんでしょうけどね」
…と「いったん作品をリリースしたら、それをどう受け取るかは聴き手の自由だから」という
プロの作り手としての覚悟にも触れていらっしゃいましたが

それは、あくまでも「その時代を取り巻いてる色んな感覚を吸収してさ
最大公約数の無意識っていうもんをね、てめえの血と肉を使って表現」した作品で勝負する
…という意味であって、単に「売れ線」を狙うとか
ヒットさせることを優先したという意味ではないだけに
当時の歌謡界の「常識」だった、シングルは3~4カ月に1枚リリースするというペースで
いわゆる「職業作家」の先生方と、しのぎを削らなければならなかった状況を想像すると
あえて、ご自身を追い込むようにして作品を紡ぎ出されていた若者の姿に
ちょっと胸が痛んでしまいますねぇ…(汗)
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歌える!J-POP黄金のベストアルバム30M(7/31)1

2022-08-06 15:21:00 | メディア
この番組は、去年の5月8日…ちょうどビルボードツアーの最中に
甲斐バンドで出演され「安奈」と「HERO」を披露なさった
「歌える!J-POP黄金のヒットパレード決定版」の通常版と言いますか

「黄金のヒットパレード」が「数々の名曲を生んだ豪華アーティストが
世代を超えて家族で歌える鉄板級の名曲を披露する特別番組」だったのに対し
「黄金のベストアルバム30M」は、その番組紹介によりますと…
「音楽はタイムマシン!!誰もが歌えるJ-POPの名曲を紹介し
番組オリジナルのベストアルバムを作ります!」…というコンセプトの番組です

25回目となる「今回のテーマは『野外で聴きたい曲』
渡辺美里・大黒摩季・松山千春の野外ライブ
加藤和彦&豪華メンバーによる『あのすば』
甲斐バンド伝説の野外ライブを大放出!!」とのことで
ナビゲーターは「ヒットパレード」と同じく…って、キンタロー。さんはおられないけど
DJ KOOさんと廣瀬智美アナウンサー、甲斐さんは「トークゲスト」としてのご出演らしく

番組サイトには、スタジオのテーブルを前に、画面左側から
廣瀬アナ、DJ KOOさん、甲斐さんの順に並んで座られた写真…って
お三方の頭上に「吹き出し」が出ていて(苦笑)…廣瀬アナは「もう暑いのは堪えますか」
DJ KOOさんは「野外ならではの良さがDO HOT」…と思っていらっしゃる体なんですが
甲斐さんの頭上に記された「暑さなんて なんのその!花園」の文字は
ホントにご本人が口にされそうなフレーズだなあと…(笑)
…や、テーブルの前方に立たれたお三方の写真がアップされ

DJ KOOさんのツイッターにも、KOOさんと甲斐さんの2ショット写真と共に
「今夜7/31(日)NHKBSP22:45~23:14『歌える!J-POP黄金のベストアルバム30M』
テーマは『野外で聴きたい曲』甲斐よしひろさんをゲストに迎え
アガる超貴重映像満載 DO DANCE 超お楽しみに」というツイートがありましたし
当日放送予定の楽曲も全て発表になっていて
奥さんは「テーマが『野外で聴きたい曲』なのに『裏切りの街角』って、どーゆーこと!?」とブツブツ(苦笑)

もっとも「黄金のヒットパレード決定版」を拝見した際に
渡辺真知子さんが「唇よ、熱く君を語れ」と「迷い道」を披露されると知って
「ナンで『カモメが翔んだ日』じゃないんだろ?」と不思議に思っていたら
以前にこの番組で、お歌いになったことがあると判り
「じゃあ、もしまた甲斐バンドにオファーがあるとしたら
『裏切りの街角で…』とリクエストされるのかなあ?」と申しておりました(笑)

それはともかく…放送が始まると、サディスティック・ミカ・バンドの
「タイムマシンにおねがい(1974年)」をバックに、渡辺美里さん、大黒摩季さん
甲斐バンド、甲斐さん(「トークゲスト」とのクレジット)、松山千春さん
そして、加藤和彦さんの映像がメドレーのように映ったあと、カメラはスタジオに切り替わり

「歌はタイムマシーン!」と、DJ KOOさん
続いて廣瀬アナが「今日の1曲目はこちらです!」とQ出しなさって
早速「2012年8月30日放送」の「甲斐バンド LIVE in 薬師寺」の映像が登場♪
画面左下には「裏切りの街角」のEP盤のジャケット写真と
「詞・曲 甲斐よしひろ」とのクレジットが映り

佐藤英二さんのイントロか~ら~の、汗だくで「裏切りの街角」を歌われる甲斐さんの姿に
ボクは「もう10年前なんだねぇ…えっ!?ってことは、ブログ始めて10年ってこと!?」とビックリ!
記事の途中にナンなんですけど…読んで下さった皆さま
本当にありがとうございます!m(__)m…(笑)

まあ、奥さんは、この薬師寺ライブ当日、ステージ下手側前方の席で
ほぼほぼ真横を向いて(笑)開演を待っていたところ
ステージフロントにマイクスタンドが4本並び
「おおっ!オープニングは『破れたハートを売り物に』なんだ!」と大いに高まったのに
いざ曲が始まると、英二さん、松藤さん、イチローさんのお姿は見えるものの
甲斐さんは、その歌声でしか確認できなくて、愕然としたことを思い出したらしい(笑)

ともあれ…薬師寺ライブの「裏切りの街角」が終わり
観客の拍手に、甲斐さんが「サンキュー!」とお応えになったトコで
画面には、やはり拍手なさっているDJ KOOさんと廣瀬アナが映り
「こんばんは!DJ KOOです!」「廣瀬智美です!」というご挨拶のあと

廣瀬アナが「『歌える!J-POP黄金のベストアルバム30M』
1975年リリースの甲斐バンドの名曲『裏切りの街角』…荘厳な雰囲気の中でのロック!」
興奮気味におっしゃるや、DJ KOOさんも「イヤ~!カッコいいですね~!
めっちゃめちゃグルーヴももう、ギンギン来ますよね!ハイ」と返され

「…ということですが、もう今日は、テーマを発表する前にゲストをお迎えしましょう!(笑)
この方です!甲斐よしひろさん、ご本人登場です!」との廣瀬アナのコールに
DJ KOOさんが「イエ~イ!」と応じられ、お二人で立ち上がって拍手でお出迎え
画面右手から、拍手しながら甲斐さんが登場されると「お願い致します!」と廣瀬アナ
DJ KOOさんも「よろしくお願いします!」と頭を下げられ
廣瀬アナの「おかけ下さい、どうぞ…」との言葉に、笑いながら着席なさる甲斐さん(笑)

「いやあ、改めて(ライブ映像を)ご覧になって…?」という廣瀬アナの質問に
「イヤ、そうですね、あのー、2011年の震災の翌年(のライブ)だったんで
やっぱり、ナンかこう…感慨深いものがあって
1曲1曲、こう…大事に歌った記憶がね、あります、ハイ」とお答えになってましたが

この日から、ベースの岡沢茂さんが、ツアーメンバーに復帰されたり
(英二さんは、現在ちょっと離脱なさってますけど)
「震災のあと、歌詞の意味が変わった」と話されていた「安奈」を
「安奈2012」という形でリリースなさる直前に、この薬師寺ライブで歌われたり
このブログが始まったり(笑)…と、今思えば、ひとつの大きな節目となったライブでしたね?

あっ!申し遅れましたけど、甲斐さんが登場なさった際に
「トークゲスト 甲斐よしひろ」というクレジットが出て
着席なさってからは、画面下に…「甲斐よしひろ 1953年 福岡出身
1974年『甲斐バンド』を結成し、シングル『バス通り』でデビュー
『HERO(ヒーローになる時、それは今)』『安奈』など数々のヒット作を発表

今年、ソロデビュー35周年を迎え、ベストアルバムを発表
10月には東名阪のライブツアーを開催
今でもロックシーンの第一線を走り続ける」
…といったプロフィールが映し出されてました
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