ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

1970年女/昭和45年女 Vol.8(7月29日発売号)1

2022-08-11 19:30:00 | メディア
こちらは、以前にご紹介した「昭和40年男」の女性版というか姉妹誌みたいです
「昭和40年男」では、甲斐バンドが取り上げられたり、甲斐さんが表紙を飾られたり
また、本編に掲載されていない号でも、甲斐バンド愛あふれる(笑)北村明広編集長が
編集後記やブログなどで、たびたび甲斐バンドに触れておられるんですが

この「昭和45年女」では、先月末に甲斐さんが出演なさった
「歌える!J-POP黄金のベストアルバム30M」の番組プロデューサーでいらっしゃる
長尾賢治さんの連載ページ「語ろう!J-POP」の第5回に甲斐さんがご登場ということで

その長尾さんのツイッターのプロフィールを拝見すると…「40年以上の音楽番組制作
拓郎さんや浜田(省吾)さん、ラルク、ゆず、MISIA…etc
色んなアーティストのNHK初の番組を手掛けましたが、定年退職しました
今はフリーで番組を企画して制作しています
『歌える!J-POP』の3シリーズ ぜひ応援お願いします!」と記されていて
甲斐さんのビルボードツアー横浜公演にお見えになっていたことも呟かれてました

更に「語ろう!J-POP」のプロフィール欄にも…
「昭和31年生まれ。NHKエンタープライズプロデューサー
『ポップジャム』(1993~2003年)や『新・真夜中の王国』(98~03年)など
NHKの音楽番組を数多く手がける」…と紹介されているんだけど

何よりも、この連載ページのトップ「futuring甲斐よしひろ」との文字の隣に記された
「39年前の伝説の野外ライブも目撃、甲斐よしひろさんを長年リスペクトしている長尾P
対談では、長尾Pの切り込みに甲斐さんが苦笑する場面もありつつ
信頼し合う2人だからこそのエピソードが飛び出しました」という一文に
北村編集長に勝るとも劣らない「熱」を感じながら(笑)読み始めると…

「1974年に甲斐バンドとしてデビュー
今年、ソロワーク35周年を迎える甲斐よしひろさん
『歌える!J-POP』収録後の対談は、長尾Pのストレートな物言いに甲斐さんが苦笑する場面も
それも、長いつき合いと信頼関係あってこそ!
番組でもVTRが流れる『甲斐バンド伝説』に迫る」という書き出しに続く

長尾さんの「僕がまだ大分の高校生だった頃、甲斐バンドの『バス通り』を聴いて
すごいシンプルな曲で、すげぇバンドだなって思った」との言葉に
甲斐さんが「長尾さんとは仕事を通しての知り合いですけど
アカデミックな仕事じゃないと、やっていて楽しくないし

そうじゃない仕事のつき合いだと段々フェードアウトしていくわけ
そんな中で、今もつき合いが続いているっていうのは
お互いにいい仕事をしているってことだから」と返されると
「お世話になった甲斐バンドをもっとみんなに知ってほしいと思ってるんですよ」と長尾さん

「甲斐さんがすごいなって思うのは、たとえば、28歳の頃からずっとジムに行ってるでしょ
僕は甲斐さんを見てて、ミュージシャンってそれが当たり前だと思っていたし
それをやっていなかった人たちは辞めていっちゃうのかも…
そういうことを番組を通して伝えたい、とかね」とおっしゃってますが

確かに、ライブ本数を数多くこなされているミュージシャンの方々は
皆さん、そのための体力作りをなさってるようですし
年齢を重ねられれば、尚更その必要に迫られると思うんだけど
甲斐さんの場合は、まだまだ「若さ」と「勢い」で乗り切る方が多かったであろう(笑)
20代から、もうすでに身体づくりをなさっていたことがスゴイなあと…

まあ、奥さんは「甲斐さんを見てて当たり前だと思っていたこと」が
当たり前じゃないと思い知ったライブを何本か経験しているらしく
「あの時はガッカリしたなあ…」と遠い目をしておりましたが…(笑)

もっとも、当の甲斐さんは「音楽のジャンルによっても違ってきますよ
僕は肉体を使って歌わなきゃいけない方向にいるから、自ずとそういうモチベーションでやるし
オーディエンスに対してもそういうアピールをしている
基本的に、僕の頭の中では作品にそなえて役者が身体を鍛えてるイメージなんです
そういうことを浮かべながらやってきている」

…とお応えになってましたけど、ステージのためというのはもちろん
「夕方に美味しいビールを飲むため(笑)」という「ご褒美」的な要素も含めながら(笑)
「健康のためなら死ねる(笑)」とおっしゃるくらい(笑)
食生活にも気を遣っていらっしゃるんですよね?

それはともかく…長尾さんが「今日の番組収録で、甲斐さんがおっしゃっていたけど
常にヒットチャートを意識しているっていうのが、カッコいいと思うんだよね
なかには『どうしてこんな曲出すの?』って思っちゃう人もいるから」とブッ込まれ(笑)
「誰かの名前を出して、僕を巻き込まないでよ(笑)」と甲斐さん(笑)

でも「チャートを考えた上で受け入れられない曲はやらない
結果、それが、ファンもそうじゃない人たちも
甲斐バンドを受け入れたと思うんだよね」という長尾さんの言葉には
「小学、中学、高校とか、10代ってチャートにいないと判らないもんね、自分もそうだったから
ビッグヒットはなくても、少なくともチャートにインしてるかどうかは
とても大事なことだと思ってるんです」と返され

更に、長尾さんが「甲斐さんって、ビジネス感覚も優れているんですよ
商法を考えてはみても、なかなか結果にならない人もいるでしょ
(『やめなさいって(笑)』と甲斐さん(笑))
そういう意味では、ロックをやって、ライブが出来て
歌声も衰えない最高齢は、甲斐よしひろだと思うんですよ」とおっしゃると

「まだ、ロックに市民権がないところからやってきたから
市民権を獲得するためにチャートに送り込んでいくという考えが、最初からあったんですよね
どれだけ浸透していけば、どれだけマーケットを動かせるか?ということなんだけど…
だから、色んな切り口を見せながら、バンドをビッグにしていくという思いは
最初から持ってました」と話されてましたが

歌謡曲全盛だった当時…つまり「歌番組」が華やかなりし頃に
早々とテレビ出演から撤退なさって、ライブ中心の活動に切り替えられた上で
なおかつチャートインを目指されるというのは、並々ならぬ覚悟が必要というか
ご自身が「歌いたい」と思われる内容で、しかもチャートインがかなう曲をお書きになることは元より

「職業作家」の方々がお書きになった「売れ線」の曲を「いかにヒットさせるか?」と
プロダクションやレコード会社の皆さんが戦略を立てられ
チャートを賑わせていらっしゃる中に、食い込むために
ラジオ局や有線放送所を回られたり、レコード店でキャンペーンを打たれたり
いわゆる「草の根」的な活動によって「甲斐バンド」の名前と
その「楽曲」を世に知らしめて行かれた訳で
有線放送大賞新人賞を受賞なさったというのは
まさに甲斐バンドらしいと言えるんじゃないかと…?

ちなみに、1996年の甲斐バンド再結成時には…
「今、最大公約数と最小公倍数と、どちらも携えて球を放つ人は、そんなに多くないと思うんですよ
やっぱり、表現というのは、いつも最大公約数と最小公倍数を頭に入れて
どれだけバックスウィングを大きく取って投げ下ろすか?な訳だから

僕の中では、最大公約数というのは『時代の流行り』と捉えていて
最小公倍数は、僕が本来持っている自分のサムシングエルスというか…
甲斐バンドっていうのは、流行りものの中で
どう立ち向かうか?ということも大事なんだけど
それ以上に大事なのは、それが時代の中で全くそぐわないというなら
単なるマスターベーションだからダメなんだけど

甲斐バンドの表現というのは、非常に普遍的なところがあると思う
普遍的なものを、ここに来てもう一度ぶつけても全然問題ないというか
びくともしないという感じがする」…と、おっしゃっていて
やはり、単にヒットを狙うだけでなく、その後もずっと聴き手の中に残る曲を
お書きになって来たからこそのお言葉なんだなあと…
コメント
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