ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

帰って来たシビレる言葉3

2018-09-14 18:22:00 | 日記
続いては、文芸評論家の福嶋亮太さんの言葉…
「私は優等生的なコメンテーターであるよりは
不器用な演奏家でありたいと強く願っている」
…って、別に甲斐さんが「バイキング」の準レギュラーになられたことを
イジッてる訳じゃないですよ~!(笑)

以前に甲斐さんは「どんなバラエティにも出てるんじゃなくて
音楽が感じられる番組を選んで出てるんだ」とおっしゃってたし

「ロックとお笑いは『今を切り取る』という点がよく似ている」とか
「ロックって、やっぱり『NEWS PAPER』みたいな要素がないとマズイよね」
…といったご発言からも、ロック・ミュージシャンとして
時代の空気や社会状況を掴んでおくことは当然と考えておられることが窺えます

ちなみに…福嶋さんの言葉は「聡明な聴衆、冷徹な批評家であるよりも
共に歌い、踊り、時に崖っぷちでも喘ぎつつ考えること
自らは濡れずに見ることの出来る場所はあり得ない」という
「現場主義」「現役宣言」みたいな意味じゃないかと…?

一方で…例えば、リオ五輪のカヌー銅メダリスト・羽根田卓也さんは…
「リオから2年経った今でも、一般の方が会場に来てくれるなんて
以前では考えられないことで、とても嬉しい」と
ご自身への関心を、もっと競技の知名度や普及に繋げるために
積極的に写真撮影やサインの申し出に応えていらっしゃるそうだけど

甲斐さんにとって、この月イチのテレビ出演は
もちろん音楽活動のプロモーションの一部なんでしょうし
「色んな人から声をかけられるようになった」と話されていたし
いわゆる「固定客」ではない「テレビきっかけ」の観客に繋がる可能性も…?

ただ、現在アメリカでジャズ・ミュージシャンになられた大江千里さんは
かつての日本での音楽活動について…
「ヒットして最大公約数のファンを得ることは、本当に好きな人を減らすんだな」
…と、当時は「本当に音楽を届けたい相手」を見失っておられたようです(汗)

で、甲斐さんは?というと…「色んな人の心に残る流行り歌ね
それはやっぱり、その時の時代のタイミングと
リアリティのある・なしで決まるんだろうね
信じさせたり、信じ込ませたりするリアリティなんだよね

ただ、そういう歌を作ってる本人は、半端じゃなくキツイよね
その時代を取り巻いてる色んな感覚を吸収してさ
最大公約数の無意識っていうもんをね
てめえの血と肉を使って表現する訳だからね」と話され

また、甲斐バンド再結成時には
「今、最大公約数と最小公倍数と、どちらも携えて球を放つ人は
そんなに多くないと思うんですよ
やっぱり、表現というのは、いつも最大公約数と最小公倍数を頭に入れて
どれだけバックスウィングを大きく取って投げ下ろすか?な訳だから
そういう意味では、気持ち良く投げれるようにしたいと思ってる

僕の中では、最大公約数というのは『時代の流行り』と捉えていて
最小公倍数は、僕が本来持っている自分のサムシングエルスというか…
甲斐バンドっていうのは、流行りものの中で
どう立ち向かうか?ということも大事なんだけど

それ以上に大事なのは、メンバーが10年ぶりに集まってやるというのがひとつ
もうひとつは、それが時代の中で全くそぐわないというなら
単なるマスターベーションだからダメなんだけど

10年ぶりにやるということ以上に
甲斐バンドの表現というのは、非常に普遍的なところがあると思う
普遍的なものを、ここに来てもう一度ぶつけても、全然問題ないというか
びくともしないという感じがする

それが、どれだけ迎え入れられるか?というようなことは
次の展開で、次の心配な訳だから…
今回の『甲斐バンド』も『甲斐よしひろプレゼンツ』の一環ですから
結局、落ち着く先というのは、それが成功しようと転ぼうと
全部、僕に跳ね返って来る訳です」とおっしゃっていて

デビュー当時から「ヒットチャートに入るロック」を目指される一方で
「シングルは売れるために切るけど、売るためには作らない
魂なしに売れ線だと思ってコケたら、自分がダメになるよ」との思いは
変わっていらっしゃらないみたいですね?

ともあれ、ライターのトミヤマユキコさんも
ホテルや宴会場での「バイキング(笑)」について…
「何でも食べられるという利点が
エサみたいなビジュアルのガッカリ飯を生み出す
あれもこれもと欲張っている内に
『素人感丸出しのゴチャゴチャプレート』になって行く

綺麗に盛りつけるには、それなりのセンスと訓練が要る
学びも『浅く広く』より『チャーミング』に偏って行くことから始めよ」…と記されていて
「雑学王」のような博識の方には申し訳ないんだけど
我が家の住人みたいに偏りまくった思考…イヤ、嗜好の者には
この上なく心強い言葉らしい(笑)

もっとも、ナンシー関さんは…
昼の公開生放送番組や宝くじの抽選会、ドッグショーやボクシングの会場などの
「日常社会の価値基準とはズレた所」「自己抑制のタガが外れる場所」を訪ねられた際に
「全員が同じスキを持っているという安心感が、彼らを無防備にさせる」と
「その無邪気なまでの『異常さ』」を愛しみつつも怯まれたんだとか…(苦笑)

確かに、そうしたいわば「信仰の場」に無神論者の方が立ち会われたら
その「熱さ」に、ある種の羨ましさを覚えながらも
不気味に思われ、引いてしまわれるかも知れません(苦笑)

漫画家の永田カビさんによれば…「人が幸せな気分でいるのは
『その幸せなことだけしか考えてない状態』…
つまり『幸せに水を差す事実は認識してない状態』」で
「『幸せ』な時とは、情報が取捨選択され
視野がすごく狭まっている」みたいだし…(苦笑)

イーグルスの【ホテル・カリフォルニア】の中の
「チェックアウトはいつでも出来るが
ここを去ることはついに出来ない」という歌詞は
「1960年代のカウンターカルチャーの高揚を虚しく懐かしむだけの
この場所からは誰も抜け出せない」…といった意味だそうですが

近年では「一度入ったら出られなくなる現象」を
「ホテル・カリフォルニア化」と呼ぶらしく
それなら、我が家にもカリフォルニア化した住人が…(笑)

ただ、詩人で人類学者のミシェル・レリスは…
「僕は、憑かれた人々を研究するより、憑かれたい」とおっしゃってるし
「どれだけ好きになれるかも才能」なら
それはそれで「幸せ」なんじゃないかと…?(笑)
コメント
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