という訳で、いきなり共同生活が始まり
「エッコはどこをほっつき歩いとるんや
夏休みも終わるっちゅうに…」と心配する松重父ちゃんと
「一人っ子やけねぇ、一人に慣れとるんよ
昔からダイナマイトみたいな子やったけど
どっかで火が点いたかね」と我が子の性格を
どこか冷静に把握しているお母さんのもとに
「心配しないで。毎日楽しく、自信満々で生きてますから」という
エッコちゃんからのハガキが届き
傍らで眺めていたシゲちゃんが「男かいな?」と言ったことで
いてもたってもいられなくなった父ちゃんは、春吉のアパートを訪れ…
ちょうどその時、部屋の中では
マコちゃんのギター演奏をカセットテープに録音しようとしているところで
奥さんは、エッコちゃんが録音ボタンを押す際に口にした
「さんのーがハイ」という合図に食いつき(笑)
「甲斐さん達もデモテープを録る時に
『さんのーがハイ』って言ってたのかなあ?」と…(笑)
ともあれ…ドアを叩く音に、エッコちゃんが玄関へ向かおうとするのを押し留め
マコちゃんがドアを開けると、鬼の形相の松重父ちゃんが…(汗)
「どちらさんですか?」と訊ねるマコちゃんの後ろから
「お父さん!?」とエッコちゃんが飛び出して来て
父ちゃんを部屋の外へ押し出し、自分もドアを背に立ち
マコちゃんだけが玄関に取り残され…
「なんしようか!家でも好きにやりよったろうが?帰るぞ!」
…と有無を言わさぬ感じの父ちゃんに
エッコちゃんは「ここにおったら、生きとるっち感じるんよ!
やっと私だけの場所見つけたんよ!」と一歩も引かず…
父ちゃんは「勝手にせえ!」と言い捨てて帰って来たものの
「ものすごい目でワシを睨んだ…
あげなエッコ、初めて見た…」とショックを受けた様子…(苦笑)
話を聞いたお母さんも、アパートを訪ね
「お父さん、寂しそうやったよ」と伝えながらも
マコちゃんには「昔から言い出したらきかない子で…誰に似たんかねぇ」
…などと話しかけたり、料理を振る舞ったり
エッコちゃんには「良さそうな人やないの」と囁いたり…(笑)
一応、黙認?という形で2人の生活は続き
エッコちゃんは、サンハウスのメンバーの溜まり場兼練習場である
「ぱわぁはうす」に出入りするようになり
…って、これまた「地下にあるライブハウスだ!」と騒ぐ我が家の住人…(笑)
そこでマコちゃん達が「福岡のブルース・ロックを発信して行きたい」と
企画した「ブルース講座」を手伝うことに…
冊子の準備やレコード集め、音源の選曲・制作など
全て自分たちで行って開かれた講座には
当時はレコード店自体が少なかったことも手伝って
ブルース・ロックのレコードが聴けるならと多くの若者たちが集まったらしい
マコちゃんが「ストーンズ、キンクス
デイヴ・クラーク・ファイブを聴いていく内に、アニマルズに出会った」ことや
「ロバート・ジョンソンやマディ・ウォーターズが本物のブルースで
ストーンズやジョン・メイオールが偽物だっちことはない」と語るシーンでは
「甲斐さんがファンクラブに入ってたバンドだ♪」やら
「ブルーアイズド・ソウルってことね」やら、イチイチ反応する奥さん(苦笑)
店の入口で、冊子を配るエッコちゃんを見た男性客達が
「女がロックげな」「女に判るとかいな」と聞こえよがしに話すシーンでは
甲斐さんが「LEGENDS」の「マイムービー」で触れられた
ランナウェイズを思い出したのか?
「アメリカでさえ、最初はそう言われてたんだもんねぇ…」と
当時の女性ロッカーの扱われ方にしみじみしていると
その冊子の原稿を書いたのがエッコちゃんだと気づいた男性客達が
思わず、エッコちゃんを二度見する様子にニンマリ(笑)
ある意味、ドラマを観るより面白かったけど…(笑)
それはともかく…福岡が「日本のリバプール」と呼ばれるようになり
当時、人気も実力も群を抜いていたサンハウスのライブにも
東京の音楽関係者が姿を見せ、昭和50年にレコードデビュー
アルバム「有頂天」を発売し、ゴダイゴやChar氏とツアーを行うも
「ゆくゆくは東京を拠点にってこと考えて欲しい」との言葉に
「俺たちは、東京やら行く気はない」と柴山俊之さん
「もったいないと思わない?
音楽やってる連中は、みんな東京を目指すのに…」と言われると
今度はマコちゃんが「リバプールにはビートルズやら
みんなそれぞれの街に拠点があろうもん
おい達もおい達の街でやってく」と返し
「東京で一攫千金っていう…」と食い下がられても
「おい達は、音楽さえ出来れば、それでいいっちゃけん」とキッパリ
噂を聞きつけたファンから「東京行くってホントか?」
「福岡のロックやなかとか?」と訊ねられた時にも
「俺たちは福岡から離れん!」
「おい達は福岡のサンハウスたい!」と宣言
この辺りは、照和の出演者の皆さんが
「いずれデビューするものと思って」ステージに立たれたり
ラジオに出られたり、ライブを行っていらしたのと対照的ですね?
まあ、某T田さんも、チューリップが上京した後
「俺たちは東京へは行かん」とおっしゃっていたそうですが…(笑)
そんなある日、エッコ母さんから
「お父さんも若い時、博多のダンスホールで人気者やったよねぇ
お父さんとマコちゃんて、気が合うんやないかね?
一度ちゃんと話してみたらどうやろ」と言われ
…って、父ちゃんがダンスホール!?(笑)
あ、イヤ、本物の副田さんがどうのという訳じゃなくて
松重さんがダンスされてる場面を想像してしまって(失礼!)
でも、エッコちゃんの血が騒いでたのは、このDNAのためかとナットク(笑)…
サンハウスのライブを見に行った父ちゃんが
終演後、マコちゃんに「飯は食いよるんか?食うて行けるんか?
音楽で、バンドで食わして行けるんか?大変やぞ?」と詰め寄ると
「はい」と頷くマコちゃん
更に父ちゃんが「口で言うのは簡単や」と言い募ろうとしたら
「マコちゃんは口だけの男やないよ」とエッコちゃん登場
「真剣に音楽に生きとるんよ
それに、パパになるんやけ」と衝撃告白(笑)
父ちゃんはもちろん、マコちゃんも「えっ!?」と絶句するバックで
ギャイーン!と鳴ったギターが印象的でした(笑)
「エッコはどこをほっつき歩いとるんや
夏休みも終わるっちゅうに…」と心配する松重父ちゃんと
「一人っ子やけねぇ、一人に慣れとるんよ
昔からダイナマイトみたいな子やったけど
どっかで火が点いたかね」と我が子の性格を
どこか冷静に把握しているお母さんのもとに
「心配しないで。毎日楽しく、自信満々で生きてますから」という
エッコちゃんからのハガキが届き
傍らで眺めていたシゲちゃんが「男かいな?」と言ったことで
いてもたってもいられなくなった父ちゃんは、春吉のアパートを訪れ…
ちょうどその時、部屋の中では
マコちゃんのギター演奏をカセットテープに録音しようとしているところで
奥さんは、エッコちゃんが録音ボタンを押す際に口にした
「さんのーがハイ」という合図に食いつき(笑)
「甲斐さん達もデモテープを録る時に
『さんのーがハイ』って言ってたのかなあ?」と…(笑)
ともあれ…ドアを叩く音に、エッコちゃんが玄関へ向かおうとするのを押し留め
マコちゃんがドアを開けると、鬼の形相の松重父ちゃんが…(汗)
「どちらさんですか?」と訊ねるマコちゃんの後ろから
「お父さん!?」とエッコちゃんが飛び出して来て
父ちゃんを部屋の外へ押し出し、自分もドアを背に立ち
マコちゃんだけが玄関に取り残され…
「なんしようか!家でも好きにやりよったろうが?帰るぞ!」
…と有無を言わさぬ感じの父ちゃんに
エッコちゃんは「ここにおったら、生きとるっち感じるんよ!
やっと私だけの場所見つけたんよ!」と一歩も引かず…
父ちゃんは「勝手にせえ!」と言い捨てて帰って来たものの
「ものすごい目でワシを睨んだ…
あげなエッコ、初めて見た…」とショックを受けた様子…(苦笑)
話を聞いたお母さんも、アパートを訪ね
「お父さん、寂しそうやったよ」と伝えながらも
マコちゃんには「昔から言い出したらきかない子で…誰に似たんかねぇ」
…などと話しかけたり、料理を振る舞ったり
エッコちゃんには「良さそうな人やないの」と囁いたり…(笑)
一応、黙認?という形で2人の生活は続き
エッコちゃんは、サンハウスのメンバーの溜まり場兼練習場である
「ぱわぁはうす」に出入りするようになり
…って、これまた「地下にあるライブハウスだ!」と騒ぐ我が家の住人…(笑)
そこでマコちゃん達が「福岡のブルース・ロックを発信して行きたい」と
企画した「ブルース講座」を手伝うことに…
冊子の準備やレコード集め、音源の選曲・制作など
全て自分たちで行って開かれた講座には
当時はレコード店自体が少なかったことも手伝って
ブルース・ロックのレコードが聴けるならと多くの若者たちが集まったらしい
マコちゃんが「ストーンズ、キンクス
デイヴ・クラーク・ファイブを聴いていく内に、アニマルズに出会った」ことや
「ロバート・ジョンソンやマディ・ウォーターズが本物のブルースで
ストーンズやジョン・メイオールが偽物だっちことはない」と語るシーンでは
「甲斐さんがファンクラブに入ってたバンドだ♪」やら
「ブルーアイズド・ソウルってことね」やら、イチイチ反応する奥さん(苦笑)
店の入口で、冊子を配るエッコちゃんを見た男性客達が
「女がロックげな」「女に判るとかいな」と聞こえよがしに話すシーンでは
甲斐さんが「LEGENDS」の「マイムービー」で触れられた
ランナウェイズを思い出したのか?
「アメリカでさえ、最初はそう言われてたんだもんねぇ…」と
当時の女性ロッカーの扱われ方にしみじみしていると
その冊子の原稿を書いたのがエッコちゃんだと気づいた男性客達が
思わず、エッコちゃんを二度見する様子にニンマリ(笑)
ある意味、ドラマを観るより面白かったけど…(笑)
それはともかく…福岡が「日本のリバプール」と呼ばれるようになり
当時、人気も実力も群を抜いていたサンハウスのライブにも
東京の音楽関係者が姿を見せ、昭和50年にレコードデビュー
アルバム「有頂天」を発売し、ゴダイゴやChar氏とツアーを行うも
「ゆくゆくは東京を拠点にってこと考えて欲しい」との言葉に
「俺たちは、東京やら行く気はない」と柴山俊之さん
「もったいないと思わない?
音楽やってる連中は、みんな東京を目指すのに…」と言われると
今度はマコちゃんが「リバプールにはビートルズやら
みんなそれぞれの街に拠点があろうもん
おい達もおい達の街でやってく」と返し
「東京で一攫千金っていう…」と食い下がられても
「おい達は、音楽さえ出来れば、それでいいっちゃけん」とキッパリ
噂を聞きつけたファンから「東京行くってホントか?」
「福岡のロックやなかとか?」と訊ねられた時にも
「俺たちは福岡から離れん!」
「おい達は福岡のサンハウスたい!」と宣言
この辺りは、照和の出演者の皆さんが
「いずれデビューするものと思って」ステージに立たれたり
ラジオに出られたり、ライブを行っていらしたのと対照的ですね?
まあ、某T田さんも、チューリップが上京した後
「俺たちは東京へは行かん」とおっしゃっていたそうですが…(笑)
そんなある日、エッコ母さんから
「お父さんも若い時、博多のダンスホールで人気者やったよねぇ
お父さんとマコちゃんて、気が合うんやないかね?
一度ちゃんと話してみたらどうやろ」と言われ
…って、父ちゃんがダンスホール!?(笑)
あ、イヤ、本物の副田さんがどうのという訳じゃなくて
松重さんがダンスされてる場面を想像してしまって(失礼!)
でも、エッコちゃんの血が騒いでたのは、このDNAのためかとナットク(笑)…
サンハウスのライブを見に行った父ちゃんが
終演後、マコちゃんに「飯は食いよるんか?食うて行けるんか?
音楽で、バンドで食わして行けるんか?大変やぞ?」と詰め寄ると
「はい」と頷くマコちゃん
更に父ちゃんが「口で言うのは簡単や」と言い募ろうとしたら
「マコちゃんは口だけの男やないよ」とエッコちゃん登場
「真剣に音楽に生きとるんよ
それに、パパになるんやけ」と衝撃告白(笑)
父ちゃんはもちろん、マコちゃんも「えっ!?」と絶句するバックで
ギャイーン!と鳴ったギターが印象的でした(笑)