ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(12/4)3

2020-12-09 15:14:00 | メディア
続いては「街角ピアノ」に上綱克彦さんが出演なさっていたとの投稿…
甲斐さんは「まっ『街角ピアノ』とか『空港ピアノ』とか色々あって…
『駅ピアノ』もあるんですけど、僕、すごい好きな番組なんですけど…

まあ(「街角ピアノ」in)広島なんですけど
柳ジョージ&レイニーウッドのリーダー上綱克彦がそこに…
(『現れたんですか?』と鈴木健太さん)…ハイ
『青い瞳のステラ』弾き語り…僕、実はこれ観てるんですよ
僕、これ、2回くらい観ました!僕、ヒマな時…深夜とか再放送やってるんで
イヤ、こう…酒を飲みながら、結構観る

『えっ!?』って言って『上ちゃん出て来た!』って…『ナンで?』みたいな…(笑)
フツーは、その日(演奏の)あと…弾いた人のインタビューとかあるんですけど
上ちゃんだけ(インタビューが)ないんですよ(笑)
だから、これは絶対NHKから頼まれて、絶対やったんだなっていう感じなんで…

もう、あの…ちょっと、別に僕…僕ら、業界にいるから
ナンとなく空気は判るじゃないですか?ね?だから…
やっぱり…やっぱりビックリするよ!やっぱり、知らずに観てて、出て来たら…
『おお!上ちゃん!それもステラ歌うんだ!?』みたいな…」と話されてましたが

甲斐さんが、その「青い瞳のステラ」をセトリに入れられた「MEETS RETURNS」ツアーの最中に
上綱さんが、押尾コータローさんのラジオ番組にゲスト出演され
押尾さんのギターと一緒に、この曲を弾き語りなさっていたような気が…?(笑)

次は、武田鉄矢さんが「ワイドナショー」で
「年下に呼び捨てにされたい」とおっしゃっていたのは本心でしょうか?という投稿(笑)
甲斐さんは「ハイ、あの…毎回毎回ですね
ヤツは…彼は、その場のノリで言うんで、若い時から…こんなの信用しちゃダメです!
信用してホントに呼び捨てすると、絶対食い下がられますから…

実は、その…こないだですね、テレ東の『カラオケバトル』っていうところから…
武田さんが…武田鉄矢が出てるらしいんですよ、審査員かナンかで…
その時に、博多のライブハウスの話をしてて
えー、チューリップとか陽水とか、あと海援隊が出てる時に
『甲斐くんが、えー、フロアで、えー、飲み物を配りながら働いてた』と…っていう話をして
その時にその話が出てるんで『写真を下さい』と…で、誰が出すか!って話で…」

…と明かされてましたが、じゃあ「ごごナマ」で
武田さんが「照和」について同じように話された際に
シルバーに飲み物を乗せた甲斐さんのイラストが映ったのも
「誰が出すか!って話」だったんでしょうか?(笑)

ともあれ…「で、その同じ番組で、どぶロックがまた、その…甲斐バンドかナンかの話をしてて…まあ、どぶロック、佐賀の人なんで…うん
そこに関してはね、アーティスト写真出しますけど
こんなの、デマな話…イヤ、だってさ、えっと…
チューリップが、あの…照和のライブハウスに出てた時は、僕、高校生だったんですよ
で、高校生で、僕、出演してたんですよ
だから、チューリップが(東京へ)出て行った時は、僕は違うんで…

おまけに、井上陽水は、えーと…レギュラーじゃなくて
たまに頼まれて…博多に来た時、ナンかこう…頼まれて、たまに出るとか…
で、僕が高校生の時は、まあ歌ってて、1回辞めて…
それで、もう1回戻って来て歌い始めるくらいの時には、もう海援隊も出てなかったんですよ
あの…プロになる・ならないギリギリで…まあ、たまあに、たまあに出るという感じで…

だから、陽水が歌って、チューリップが歌って、海援隊がいるところで
俺はそんなもの…働いてない!飲み物配ってない!みたいな…
ええ加減にせい!みたいな…」と説明なさってましたが

以前に甲斐報で、門田一郎さんの「1970年物語」を紹介されたのも
「照和伝説」を始めとする「照和」に関する書籍や記事は
外部の方が書かれたもの故に、正確な実態を捉えていないので
実際に照和のステージに立たれ、後にマネージャーになられた門田さんの言葉で
本当の「照和」を知って欲しいと説明なさってましたよね?

「だから、あの…陣内…役者の、俳優の陣内くんが(トーク番組に)出た時に
いっつも武田さんの悪口言うのは、色んなこと言われてるからですよ
みんな(言われてるの)よ!で、俺たちは放っといたんだけど、もう…
陣内はガマン出来ないから『あの人はね』って言って…絶対言うんですけど
まあ、気持ちは、そう判らないでもない」と話されてましたが

元々、武田さんは、須崎公園を拠点に活動されていて
照和の出演者たちが、料金を取って演奏していることを非難なさっていたり
チューリップに対して、かなり対抗心を燃やしておられたトコへ
財津和夫さんが、プロデビューなさるにあたって
海援隊のメンバーでいらした上田さんを引き抜かれたことによって
バンドとしての海援隊は解散に追いやられたという経緯もあり

ナンというか、ご本人がおっしゃってるみたいな
「和気あいあいとした仲間」って感じじゃなかったようです(苦笑)
もっとも、財津さんは「二言目には『博多!博多!』と言う(武田さんに)
何もいちいち口にしなくても…」とコメントなさっただけでしたが…(笑)

ただ、甲斐さんは、当時の海援隊のことを、ジャックスのコピーは上手かったけど
態度が尊大で好きになれなかったとおっしゃっていたし
「『ウチに来い!ウチに来い!』って、あまりにしつこく誘われたんで行ったら
お茶漬け一杯出されただけなのに、そのあとずっと『メシ食わせてやった』って言われる
もう、一生言われ続けるんじゃないか(笑)」と話されていたしで

奥さんは、嘉穂劇場でのライブで、甲斐さんがまさかの「贈る言葉」をカバーなさった時には
「いったい何がどうしちゃったの!?」と衝撃を受けたんだとか…(笑)
まあ、鈴木さんは「イヤ、でも…それにしても
その時代の博多ってスゴイっすね(笑)
トンでもないですね(笑)」と笑っていらしたけど…(笑)

甲斐さんは「そうねぇ…もう…まあねぇ、でも、みんながみんな…
まあ、僕らのあともプロになった人、結構いるんですけど
でも、みんながみんな…それであのー、成功してる訳じゃないから…
でも…基本的には、でも(プロへの道が)身近な感じはするんですよね
高校の時に、俺も一緒にやってて…

俺、あの…18くらいの時に、俺たちがライブやって、終わって、ステージ下がって来た時に
次が偶然、チューリップがたまあにやるっていう日で…
だから、すれ違いながら、ボーカルの姫野達也が
『君、声イイね、いくつ?』って言われたのよ、俺…
で、やっぱ、そういうの覚えてるもんね、うん

だから、やっぱり考えたら、頑張ればイケるんじゃないか?っていう錯覚に陥りますよね
(『錯覚ではなかった訳ですけど…(笑)』と鈴木さん(笑))
イヤイヤ、イヤイヤ、錯覚に陥ってる(笑)
あの…陣内くんも言ってましたもん『俺もすぐ売れるんじゃないか?』って…
『イヤー!大変やった~!』みたいな…(笑)
ナンかねぇ、そんなの色々ありますけど…」と話され

「ハイ、ということで、えー、もう1曲聴いて貰いましょう
ビルボードライブ『EAST to WEST』から『オクトーバームーン』」
…で、曲明けには「やっぱり、あの…ドラムがいないんで誰が刻むか?っていう…ね?
ある時は、ベースが刻むし、この曲の場合は、もう健太がカッティングで刻むという…
まあ、いわゆるリズムセクション代わりってことですよね
その…その工夫が大変なんだよね」と甲斐さん

鈴木さんが「誰がドコやって(『そうなのよ!』)そのパズルの少ないピースで…」と返されると
「誰が刻み側に行って、まあ誰がロングトーンを出すか?って…役目か?っていうね
(『刻む時も同じリズムで刻まないように…』と鈴木さん)

そう!そう!そう!だから、今みたいに生ギターだから
カッティングがバッチリ上手くないと、この…これも大変じゃないですか?
ものすごいちゃんとカッティングしてるから…」と説明なさって

「結構スリリングですね」という鈴木さんの言葉に
「そうですね、だから、あと例えば『刻む』ってことで言うと、あとバンジョーも…
バンジョーも結局、ベースと噛み合わせると、ある種ビートを刻む…なるんで
まあ、色々、工夫してっていうことなんですけどね、ハイ」とおっしゃってましたが

そのバンジョーは、ビルボードツアー第1弾が終わったあとに
ライブ映像をご覧になった鈴木さんが「何か思うところがあったみたいで」
翌年のビルボードツアーまでの間に、新たな武器として携えて来られたんですよね?
そういう鈴木さんの音楽に対する姿勢も、大いに買っておられるんじゃないかと…?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする