ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

2020年の秋ドラ8

2020-12-26 14:26:00 | 日記
さて、再び「麒麟がくる」に戻りまして…
足利義昭を上洛させ、その新たな将軍の御座所となる二条城をわずか2ヶ月で完成させた信長は
兵力、財力共に勝る越前の朝倉義景を如何に倒すか思案中…というのは

「極主夫道」の撮影が一段落したのか?久々の登場となった(笑)帰蝶さまは
甥にあたる斎藤龍興が、朝倉と手を組んで美濃を取り返そうと企み
国境で小競り合いが続いていることを指摘
松永久秀は、信長を憎んでいる義景が話し合いに応ずる訳がないと断言
が、光秀は、出来れば戦を避けたいと思っており

同じ奉公衆の三淵藤英は、将軍の就任前に世話になった朝倉を討つには
「大義名分」が必要として、信長の参戦要請に応じず
その幕府の政所頭人・摂津晴門は、信長を成り上がり者と嫌い
古くからの大名である朝倉や、越後の上杉輝虎(後の謙信)に肩入れしており
共に戦ってくれる大名が集まらなかったためだったんだけど

光秀が、御所の崩れていた塀が修復されていた話をすると
信長は、かつて信長の父・信秀がしたように、自分が修理させたことを明かす内に
ふと、帝が朝倉との戦を天下平定のための戦と認めてくれれば、大義名分が立ち
大名たちも納得して兵を出すだろうという考えが浮かび
叶うかどうか判らない拝謁に命運を賭けることに…

本来なら、昇殿を許される身分ではなかった信長が、正親町帝に拝謁を許されたのは
帝と旧知の間柄だった(笑)東庵先生の口添えがあったから…となっていたんですが
この東庵先生といい、後の秀吉や家康だけでなく、将軍ともイイ感じの(笑)駒ちゃんといい
光秀を御所に案内した伊呂波太夫といい、架空の人物の活躍ぶりが半端ない!(笑)
まあ、話をスムーズに進めるために必要なんでしょうね(苦笑)

ともあれ…その拝謁の場で、帝は信長を当代一の武将であると褒め称え
天下静謐のため一層励むようにとの言葉を与え「信長カンゲキ!(笑)」
信長の承認欲求の強さは相変わらずながら(苦笑)
都と畿内を平定するための戦はやむなしという勅命を賜った訳で
永禄13年4月、信長は、呼びかけに応じた諸国の兵を従え越前へ…

越前と若狭の国境・佐柿の国吉城に入った織田方のもとには、若狭の土豪たちが次々と馳せ参じ
3万に膨れ上がった軍勢で、手筒山を1日で攻め落とすと
翌日にはその背後にある金ヶ崎城を攻撃
たった2日で敦賀郡全域を占領し、勝利の美酒を酌み交わす武将たち

酒が苦手な光秀が、その宴席を脱け出すと、家康もやはり庭に佇んでおり
ここで、奥さん期待のあのシーン(笑)
かつて織田の人質だった家康(当時は竹千代)が
母恋しさのあまり、城を逃げ出そうとしていた時
薬草売りに扮した光秀に、時が立てば状況も変わると諭され、干し柿を貰った件…が流れ
「やっぱ、竹千代かわいいわあ~♪」と萌え~(笑)
イヤ、そこじゃなくて(笑)家康は、あの時の薬草売りが光秀だと気づいてたんだなあと…

それはさておき…光秀も家康も、そして松永久秀も
手筒山攻めでは、織田方も千人を超える兵を失うほど、激しく立ち向かって来た朝倉方が
金ヶ崎城での攻防は「まるで自ら城を明け渡すかのような」戦いぶりで
何か腑に落ちないと、妙な胸騒ぎを覚えていたみたいだけど

光秀が偵察に出していた、いとこの左馬助の報告によれば
織田方の背後を守っていたはずの近江の浅井長政が
9千の兵を率いて敦賀に向かっていると判明
浅井は、朝倉と長年よしみを通じて来たとはいえ
信長の妹・お市の方を正室に迎えている現在、この進軍は正に青天の霹靂(汗)

いかに織田方が大軍だろうと、朝倉と浅井の挟み撃ちに遭えば勝ち目はなく
退却を進言する光秀に、信長は、帝の勅命第一だと断固拒否
でも、光秀が、信長の命は、もはや信長1人のものではない
決して死んではならぬのだと説得すると「ワシは逃げる!」と手のひら返し(笑)
まあ、決断も行動も速いってトコが信長らしいのかも?(笑)

一方、光秀は、信長の護衛を松永に託し、本軍の采配は柴田勝家に任せ
僅かな手勢で敵を食い止め、本軍を守る「しんがり」は自分が務めようとしていたところへ
織田家の家臣たちに、まだ武将として認めて貰えていないと嘆く木下藤吉郎が「しんがり」を志願
その必死な思いを汲み取り、2人は最後尾で命懸けの奮闘

が、光秀が京に戻ると…藤吉郎が光秀よりも一足早く帰り着いたせいで
織田家の家臣たちは「お前ごときにしんがりが務まる訳がない
どうせどこかに身を隠し、頃合いを見て逃げ帰ったのであろう
明智は帰らぬ、お前は生きてここにおる、それが嘘の証じゃ」などと言い
全く信じようとしなかったらしく、藤吉郎が悔し涙を流すのを見て

光秀は、柴田勝家らに「木下殿は立派にしんがりを務められた!
敵を欺くため二手に分かれ、京に入る折りには別々になったが、戦場での働き、実に見事であった!
誰のおかげで、その酒が飲めるとお思いか!」と激おこプンプン丸(汗)

更に、事実上の敗北にショックを受けたのか?
信長は、誰とも会わずに引きこもり状態(苦笑)
帰蝶からの文に「返事を書かねばならん…何と書けばよい?負けたと書くのか…?」やら
「御所にも行かねばならぬ…帝に何と申し上げたものか…」やらと思い悩んでいて…(汗)
これもやはり、承認欲求の強さゆえなのかなあと…?

でも、光秀が「こたびの戦、負けとは思うておりませぬ。信長様が生きておいでです!
生きておいでなら次がある!次がある限り、やがて大きな国が作れましょう
大きな国が出来れば平穏が訪れ、きっとそこに麒麟がくる…」と慰め
しかも、その麒麟が「信長には次がある」と言った声を聴いたと話すと信りん大笑い(笑)

更に、将軍には「浅井の思わぬ裏切りに遭うても、3万という大軍をほぼ無傷で退いてみせた
その結束の強さは、信長様以外、誰も真似できぬもの」と言ってやれ!とアドバイス(笑)
…って、信りんの扱いが上手いっすねぇ(笑)

もっとも、奥さんは、このシーンを観て
かつて、甲斐さんが「裏切りの街角」のヒットのあと
同じ路線の新曲を…と期待されたにも関わらず
全くテイストの違う「かりそめのスウィング」をお書きになり
思っていらしたような結果が出なかった(失礼!)ため
「HERO」がヒットしたあとには、同じ路線の「感触」を書かれたのに
予想よりもチャートが伸びなかったことを不満に思われた際に

某国営放送のMディレクターから「HERO」と同じように1位を取れないことを嘆くのではなく
数多ある楽曲の中での、この順位だと考えればいいと言われ
すぐに納得なさって、気持ちを切り替えられた…
というエピソードを思い出したんだとか…(笑)
じゃあ、甲斐さんは信長タイプ?…まあ、せっかちでいらっしゃるのは間違いなさそうだけど…(笑)

ともあれ…その退却から、わずか2ヶ月後、信長は家康軍と共に近江に出撃し
朝倉・浅井両軍と戦い、見事リベンジを果たす…が
四国に潜伏していた三好一族が、朝倉・浅井に呼応するように摂津へ押し寄せ
しかも、摂津にある一向宗の総本山・大坂本願寺の数万の門徒たちが
三好方につくという不測の事態が勃発、またもや挟み撃ちとなり、いったん兵を引く羽目に…(汗)

その後、信長は、近江・宇佐山城に本拠を置き
朝倉・浅井軍は比叡山に陣を敷き、山の上下で睨み合いが続く中
西からは、三好一族と大坂本願寺の軍勢が迫り
南では、朝倉方に呼応した近江の六角承禎と、伊勢長島の一向宗が蜂起
背後を突かれる前に、一気に山へ攻め上ろうと言う信長と
山の戦は、高みから攻める方が有利である上に
比叡山の増兵たちには地の利があると及び腰の家臣たち

八方塞がりで、にっちもさっちも行かなくなっていた時、光秀が朝倉方に使いに出していた左馬助が
朝倉家家老の山崎吉家が光秀に会いたがっているとの知らせを持って帰って来て
和睦できる見込みがあると比叡山に向かった光秀が
朝倉義景に対して「越前はそろそろ雪が降る
雪が積もれば、朝倉勢の帰還が困難になる
かといって、2万余りの兵を春まで山中で養うのは相当な負担であろうし
この戦は潮時ではないか?」と訴えると

義景は、比叡山の主である天台座主・覚恕に援軍を頼んだ際に
信長を都から追い払うまで戦いを続けるよう命じられたことを明かし
光秀は、覚恕が信長を嫌っているのは、比叡山が何百年もかけて手に入れた
都での領地や寺社や商いを信長が次々に奪ったためと知り、覚恕に直談判することに…

その覚恕(春風亭小朝さん)は、酒と女色に溺れる俗物…(苦笑)
そもそもは、容姿が美しく賢明な兄・正親町帝(板東玉三郎さん)に対する強い劣等感から
金と力を手に入れれば、誰もが頭を垂れると思い込んだ結果らしいんだけど
確かに、生まれた時から玉三郎さんのような兄ちゃんと比較され続けたら
心がねじけてしまうのも、むべなるかなあと…(苦笑)
コメント
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