ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

そうだったんだ…9

2015-09-13 15:03:29 | 日記
【ライド・オン・タイム】のヒットで新たなファンの方が増えて
『固有のスタイルを持たない』とおっしゃる山下さんのライブは

シュガー・ベイブ、ソロ、ファンクなど
様々なイメージを抱いた観客が入り交じられたそうで
『それぞれ全然違うのね(苦笑)大変でしたよ』

『当時の事務所は弱小で、機材をそんなに持っていけなかった(苦笑)
で、僕が自分で解決できることといったら歌しかないから
そこで初めて「歌う」ってことに目覚めた

それまでは歌なんてただの素材で、歌う意味なんて全然判ってなかった
でも、そういう状況に立たされて
言葉一つ一つをどう歌うか、表現をどうしようかって
本来のところに目覚めたんです(笑)』

ベース・伊藤広規さん、ドラム・青山純さんと出会われ
『理想のリズムセクションを持てた』と山下さん
『彼らと一緒だと曲が湯水のように湧いた』と話されてますが

佐藤強一さんは、青山さんのアシスタントとして
山下さんのツアーに参加されていたんですよね

その後、山下さんに『空白の3年』と呼ばれる時期があったのは
アルバム制作やツアーを支えて来られたお二人を
長期間押さえることが難しくなってしまったかららしい(汗)

そういえば、甲斐バンド解散後の甲斐さんのソロツアーにも
お二人の名前があったし
KAIFIVEが活動休止した後にも青山さんとツアーに出られてました(笑)

山下さんが『半年間は飲んだくれていた』とか
『一時は引退も考えた』とおっしゃった
『空白』のもう一つの原因は『デジタル化』だったようで

YMOを始めとする『テクノ全盛期』前には
シンセサイザーを多用なさっていたものの
『一時の流行りだろうと思っていたし、社会現象に取り込まれるのがイヤで
意識的に避けていたんだけど、完璧に読みがハズレて
マニュアル・プレイの限界を感じたんです』と話されてます

『ただ、デジタルを導入してイメチェンしました
…なんて絶対イヤだったし(笑)
僕の声を「ドドッチ、ドドッチ」って
デジタルビートに乗せても合う訳がない』

『かと言って、生が一番!声に勝るものはないとクダまいても
そんなの年寄りのたわごとでしかない
聴く人の耳も完全にそのサウンドに慣れちゃってるしね』

『だから、サンプリングやって
でも今までの僕の音楽と同じ色彩感、ビート感を作ろうと思った』
…が、思わぬ障害があったらしく(汗)

楽器のパートごとに録音した音源を後から重ねて編集しようとしても
狙ったサウンドが得られなかったという

『自分の耳が衰えたのか?』『編曲?いや、演奏が悪いのか?』と
試行錯誤の末に辿り着いた結論は『デジタル』だったそうだ(苦笑)
『アナログだとレベルを下げると音が遠ざかるように小さくなるのが
デジタルはその場で小さくなり、奥行きをつけ難い』んだとか…

甲斐さんは『日本にはエコールームがない!と頭に来て(笑)』
ニューヨークに渡られた訳ですが
その当時のレコーディングだけでなく

デジタル・リマスタリング作業をなさる度に
昔は大変だったことが、今は簡単に出来るとおっしゃって
デジタル化大歓迎みたいでしたよね(笑)

『昔の音源を聴いたら、松藤がチャンとドラムを叩いてたことが判った』とか(笑)
ビデオ映像の甲斐さんの口の動きと実際の声が出るタイミングが
コンマ何秒ズレてるのを修整するのに苦労なさった話をされてたことが…(笑)

ともあれ『空白の3年』は、一からノウハウを積み直すことに費やされ
その後も機材の進歩や変遷に翻弄されたと山下さん(苦笑)

『今も理想とするサウンドが出来ているかは疑問』だそうですが
かつて『夏だ海だ達郎だ(笑)』と夏に重用された時には
『少しばかり陰気な歌詞を、明るい音にムリヤリ乗っけてただけ』
と、おっしゃっていたけど(笑)

今や『冬の代表曲』となった【クリスマス・イブ】は
『色褪せない曲作り』をモットーとされてる山下さんに相応しく

『発売から6年がかりでチャート1位を獲得』とか
『去年まで29年連続チャート100位内をキープ』という
珍しい記録を樹立しているらしい

『ミドル・オブ・ザ・ロード(MOR)』は、ポピュラー音楽の総称ですが
山下さんには『入口の多い音楽』であり
『そういう曲を作るのが一番難しい』
『昔の曲は良かった』ではなく
何十年もに渡って『ふるい』にかけられ
残った曲が『良い曲』なんだとか…

ご自身のラジオで流されるのも
『試練に耐えて生き残った曲だけ』らしく
音質の劣化した音源は、ご自身で整えられているそうだ

ただ現在は、動画サイトや配信サービスが普及して
CD受難の時代になり、かつてアルバムのためだったツアーが
逆にミュージシャンの『生命線』になっていると山下さん

『スタジオで作り込んだ複雑な曲より
ステージでそのまま演奏することを意識した曲が求められている
それは僕にとっては、70~80年代のやり方への回帰です』
…まあ、ライブのアレンジを一発録りなさった方もいらっしゃったし…(笑)

ともあれ『62歳でライブをやるなんて
昔は夢にも思わなかった(笑)』そうですが
『以前に70歳を過ぎた三波春夫さんの公演を見て
声がとてもよく出ていたのを覚えてる
僕もあれぐらいまでやれたら(笑)』と話されてます
…って、健康管理の方も万全なんでしょうか?(笑)
コメント
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