ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

そうだったんだ…4

2015-09-06 14:35:01 | 日記
『知らないのはボクだけかも知れない(笑)』前回の続き…
もう1曲は【サボテンの花】です♪

【心の旅】のヒットによって、メンバー5人での共同生活が終わり
一人暮らしを始められた財津さんが
それまで書くことを嫌っておられた
『実生活』を描かれた曲らしい

甲斐さんは、歌詞を書かれることについて
『全てが実際にあったことではないけど、フィクションでは書けない』
『フィクションとノンフィクションが、ごちゃ混ぜになってるのが本当だと思うのね』と

ご自身でも『ある程度無意識で本能的に』書かれてるそうですが
歌詞の中に滲み出るものがあるのは
その『本能までは逆らうこともカモフラージュすることも出来ないから』…と話されてます

長年つきあっていらした彼女のことを
葛藤の末に曲にしようと決められた時から
ご自身をさらけ出す歌詞を書かれて来たんですよね

それはさておき…チューリップの皆さんが
それまで住んでいらした南青山の家は
ヘビやネズミが出るようなオンボロアパートで(苦笑)
捕まえたムカデを焼酎に入れて、来客にふるまったりしておられたそうだ(笑)

軽やかな歌のイメージとは裏腹な(笑)生活の中で
新しい音楽を生み出そうと曲作りに励んでいらした頃

『もっと俗っぽい、下世話な曲を書け』と言われたと財津さん
『俗っぽさ』とはどういうことか
それが判らず、一番難しかったとおっしゃってます

でも、一人暮らしの部屋で洗濯をなさっていた時に
『例えば男と女がケンカして、彼女が部屋を飛び出して行ったら
きっと家事の最中で、シャボンは揺れたままなんだろうな』と想像されたという

そんな風に『自分というものを見る時間が増えた』ことと
当時『大きな失恋をした』その気持ちを書き留めたことが
この曲の出発点だったと話されてますが

初めて曲を聴かれた上田雅利さんいわく…
何でこんな曲を作っちゃったの?って思いましたよ(笑)
それまで私小説的な歌詞に反発して来た訳ですからね

でも、普通の失恋の歌は『どうだ、悲しいだろう?』
というところがありますけど、この歌にはそれがない
そこがやっぱり彼らしくて、僕は好きですね

レコーディング・ミキサーの伊藤猛さんも
それまで、Aメロ・Bメロの他にAメロ候補・Bメロ候補など色々なパターンを立てて
最後に一つに辿り着くのが普通のやり方だったのに

『完全に出来上がっていて直すところはない』ほどに
『財津が丁寧に歌詞シートを書いて来るのは本当に珍しかった』んだとか…

哀しい歌詞に明るいメロディをつけ
最後はサビの繰り返しではなく『ラララ』で終わる
当時はまだほとんどなかったエンディングについて…

『涙がこぼれた』は思い切って言葉にしたけど
それ以上は言いたくないんじゃないでしょうか?
『ラララ』で泣いてるんじゃないですか?と伊藤さん

言葉にならない気持ちを『ラララ』で歌うことで
聴く人それぞれのイメージを頭に思い浮かべることが出来るし
歌詞以上に世界が広がっていく良いやり方だと話されてます

財津さんによると…『ラララ』は風なんです
ああ、サァーッて風が吹いて来た『忘れちゃえ』というか
『そんなこともあったよね』という思い出に変わってしまう瞬間…らしい

タイトルになっている『サボテンの花』は、福岡のご実家で
お母様が『アロエを育てるついでに置いていた(笑)』サボテンの一つに
赤い小さな花が咲いているのをご覧になって

『刺々しいサボテンにも花が咲く』ことに感動され
『別れた後の主人公の希望にも思えた』とおっしゃってます

1975年に12万枚を売り上げ、93年にドラマの主題歌として
リバイバル・ヒットを記録した訳ですが
これまでの録音回数は7回に及び、アレンジも変化しているらしく

上田さんいわく…昔はチャンと歌詞を聴いて演奏してなくて
無責任に叩いてましたけど(笑)
今はメンバーの皆もおそらく解釈の仕方が
変わって来たんじゃないかと思うんです

ドラムをやってる人が聴くと簡単だと思われるでしょうけど
実は僕にとってステージで演奏するのに最も難しい曲なんです

財津さんがこれほどこの曲にこだわって来られたのは
失恋の実体験を描いた曲が、時を経て希望の歌になったことで
『いつの時代でも聴いて歌って貰えるのかな』という気がするからなんだとか…

余談ですが…甲斐さんご自身が『来た来た』っていう
『歌を歌う自分』を感じられた曲
『物凄くシビアにならざるを得ない時
最高のボルテージなんだっていう感じで作った』とおっしゃる【漂泊者】について…

【HERO】を書いた時に次は絶対に【漂泊者】しかないと思ったもん…と甲斐さん

いつ出来るかは自分には判らなかったから
その間に誰かに気づかれたらヤだなと思ってたし(笑)
取材を受けてても、そのことだけは口に出さないように
物凄く気をつけてた(笑)と話されてます

実際には、皆さまご存知の状況で誕生した訳ですが
アルバム『嵐の明日』を作られる際に
『1回書いたものは書かない』というご自身のルールはありつつも

『20代半ばに書いた【漂泊者】を、30代後半の等身大の今の形で
オマージュするという気がありました』とおっしゃってます

この時の曲もやはり、ご自身の日常や環境が
色濃く反映されていたんですよね
コメント
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