ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

そうだったんだ…3

2015-09-05 14:48:27 | 日記
今回は、もしかしたら『知らなかったの!?』と驚かれるくらい
有名な話かも知れないんだけど(苦笑)
チューリップのあの2曲についてです♪

まずは、3枚目のシングルにして
チューリップ最大のヒット曲となった【心の旅】から…

デビュー曲の【魔法の黄色い靴】は、当時のフォークの2大潮流…
岡林信康さんの【山谷ブルース】などを代表とする『社会派』にも

かぐや姫の【神田川】や井上陽水さんの【傘がない】などの
哀愁を帯びたメロディや情感漂う歌詞を持つ『叙情派』
…にも属さない『斬新なサウンド』と評価されたものの
続く【一人の部屋】も売れ行きは芳しいとは言えず(汗)

『花が咲かないチューリップ(苦笑)』に
シンコー・ミュージックの草野昌一さんは
『次も売れなかったら九州に帰すぞ』宣告…

甲斐バンドも草野さんに【バス通り】の65位は
『成功の内に入らない』と言われて(苦笑)

甲斐さんが時間をかけて書き上げられた【裏切りの街角】も
一度聴いただけで『これは売れないな』と切って捨てられたことが…(汗)

でも、この一言でメンバーとマネージャーの『魂のゴングが鳴った』訳だし(笑)

財津和夫さんも『崖っぷち』に立たされ
『東京で歌い続けることが最優先
そのためには、どんなことでもやる覚悟が出来た』そうだし

突き放すような言葉で、草野さん流に
ハッパをかけておられたのかも知れませんね?

ともあれ、東芝EMIのプロデューサー・新田和長さんは
初めてこの曲を聴かれた際に『本当はしまっておきたかった
取っておきの「私小説」を書いてきたな』と感じられたそうだ

財津さんによると…学生時代に片想いなさっていた女性へ
気持ちを伝えるために北九州市まで通っていらしたけど
『おつきあい出来ません』と断られ(泣)

その後、やっと思いが伝わった時には上京が決まっていて
福岡を出る決意をお伝えになったという

その思い出と、かつて浪人中にビートルズの来日公演をご覧になるため
夜行列車で上京された際に実感された博多との距離感が
押し出されるように浮かんで来られたんだとか…

度々ご紹介しております通り
当時の博多~東京間は今よりずっと遠く
甲斐さんは博多での実績を話されても
『全然信用して貰えなかった』し

森山達也さんも映画『照和』の中で
博多には外タレがやって来ないとか
東京で流行ってる音楽情報も届かないと話されていたし

共通の恩人でいらした岸川さんも
『東京までプロペラ機か、夜行で17時間もかかる
そんな地方の局の一介のプロデューサーが

東京でプロになりたいという若者たちに
してやれることなんて、たかが知れてる』とおっしゃってました(苦笑)

ちなみに、上京された当時の甲斐さんは
『田舎もんだとバレないように振る舞ってるのが
かえって田舎もんだと知らせてる感じだった(笑)』そうだけど

財津さんも『東京は海外みたいなもんでしたよ(笑)
言葉のギャップから無口になりましたね』と話されてました(笑)

それはさておき…新田さんは
『誰が見ても財津君のバンド』だったチューリップを

『ビートルズみたいに他のメンバーが歌うことで幅を出したかった』と
姫野達也さんをメインボーカルに指名

発声練習を済ませて、万全の態勢で臨んでいらした財津さんと
『申し訳ない気持ちでいっぱいでした』という姫野さん

レコーディング当日に突然の変更で
その場の空気は想像にかたくないですが(汗)

新田さんは『メルヘンぽい歌詞を姫野君が甘い声で歌うことで
財津君の心の叫びでもあるサビの言葉が生きる』と確信されていたという

更にその後、草野さんから電話で
『歌い出しは「ああだから今夜だけは」のサビにしたら?』との提案が…

現場の外から、専務が、録音当日に曲の構成に口出しするなんて
通常『有り得ない』らしいんですが

新田さんは『作詞家・漣健児』としての草野さんのアイデアだということと
ビートルズの【シー・ラブズ・ユー】などもそうだと気づかれたことで
この提案を受け入れられたんだとか…

新田さんいわく…財津君というアーティストに出会い
新田というプロデューサーが発掘された
そして草野さんという信頼する者同士が
ちょっとずつ相手の領域に踏み込んで形にした曲だった

…って、財津さんにとっては
『ちょっと』どころじゃなかったんじゃないかと…(苦笑)

ただ、背水の陣で挑むことになった第3弾には
他のスタッフの方々からも『もっとこうすれば…』とか
『これじゃちょっと…』という横槍やダメ出しがあったらしく

それまで『自分が作った曲』を『自分がリーダーのバンド』で
『ヒットさせないといけない』というプレッシャーから来ていた
『自分の気持ちをがむしゃらに出す感じ』が
消えて来たとの意見もあったんだとか…

余談ですが…この記事の参考にさせて頂いた資料の筆者の方は
【心の旅】の約1年後にリリースされた【青春の影】は
【心の旅】のアンサーソングではないのか?と
財津さんに質問なさったそうですが

財津さんは『二つの曲はそんな風にもとれますね』と
お答えになったらしい(笑)
コメント
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