つれづれ

思いつくままに

非科学的ということ(科学の限界について)

2013-03-28 15:54:28 | Weblog
科学の進歩というものは、新しい手段が古い手段にとって代る、という形でなされる。
古い手段に慣れ親しんだ者にとっては、耐えかねるような損失の上になされてきた、という場合もあったであろう。
科学の進歩は、必ずしも、つねに人間に幸福をもたらしてきたと言い切れない。


卑近な例で、手紙。
年配者でもメール交換する時代に、手紙は、たしかに古い手段となってしまった。
しかし、新しい手段であるメールが、その進歩によって すたらせた古い手段の手紙の機能を、すべて果たしているわけではない。
メールという言葉すら知らない離島や過疎山村の老人にも、80円で手紙は届くのだ。
そして その手紙は、その発送主の心情をひしひしと、それを受け取った老人に伝えているかもしれない。

もうひとつ、例をあげよう。
カーナビ。
カーナビの恩恵は、もともと方向音痴のわたしにとって、計り知れないものがある。
しかし、その恩恵によって失われたものも多い。
広域エリアにおける目的地点が占める位置的意味は、大きな地図を広げて はじめて判るものだ。
車を止めて地の人に道を訪ねて得る人のぬくもりは、スイスイ行けるカーナビ運転では決して味わえない。

たとえを、もう一つだけ。
原子核工学部は、ある時期 花形学科であった。
この花形学科の卒業生の結実のひとつ 原発は、他の発電手段の群を抜く誇らしい先端科学技術であった。
が、誇らしいはずの科学技術の凝縮果実 原発は、実はとんでもない危険を孕んでいた。


科学的であることが、人間の幸せにとって必要不可欠なことなのか。
一体、科学的とはどういうことなのだろう。
死を、概念ではなく、もうすぐそこのこととして考えるとき、科学は人間にどれほどの幸せをもたらすのか。
iPS細胞が、静かに死に向かおうとする老人たちに、いったい何ができるというのだろう。

科学には限界があり、その扱いうる対象はきわめて限定されている。
しかも 人間にとって、とくに死を身近に感じる人間にとって大きい関心事については、科学は まったく明確に答えることができない。
そう思えてきた。

長年 科学的であることを生きがいのようにして生きてきたのに、ここにきて 何がなんだかわからなくなってきた。
非科学的と称されるものに いま、すごく温もりを感じている自分がいる。
非科学的なものを軽蔑して生きてきたいままでは、いったいなんだったのか。


科学それ自体に、善悪があるわけではない。
科学を善にも悪にもするのは、科学を用いて ことをなす人間の問題である。
とりわけ人間を対象とする科学の代表、医学は、それを扱う人間がよほど慎重にならないと、その災禍は原爆の比ではないかもしれない。

普遍性を追求する科学は、普遍性からはみ出る個性を無視せざるを得ない。
人間は本来 個性的なものであり、したがって科学は、少なくとも本来個性的である人間を扱おうとする場合、その一部を普遍化できたにしても、人間の本質を解き明かすことは、永遠にできないのではないか。

わたしは人間である。
だから科学は、わたしの本質を、わたしが納得いくようには、解き明かしてはくれないであろう。
人間であるわたしを わたしが納得いくように解き明かしてくれることを、それではいったい 何に求めればいいのか。

非科学的なもの。
それを宗教とは呼びたくない。
もちろん 倫理や道徳でもない。
言葉の限界を超えているが、あえて表現すれば、摂理。
そうかもしれない。
宮沢賢治の世界とも、ちょっと違うような・・・。


摂理という言葉を知ったのは、下村湖人著『次郎物語』を読み終えた中学1年のときだった。
あのとき わたしは、自分が北極星の廻りをぐるぐる回る万物のひとかけら、という意識を素直に持てた。
あのときの湧きあがるような悦びは、感覚では失っていても、記憶として体のどこかに残っていた。

あの感覚を呼び覚ましたのは、平成5年4月7日付けの天声人語に載っていた 金子みすゞの「大漁」という詩だった。
理屈に合わないことが、なんでこんなに暖かいのだろう。
相違ということ、無用ということ、無名ということ・・・そんな理屈に合わないことを、ふわーっとやさしく包み込んでくれる。
こんなやさしい、こんな強い世界があったんだ、と、悦びで気分が舞いあがった。

それを、みすゞ教と呼ぶなら 呼べばいい。
それを、非科学的と言うなら 言うがいい。

ラジオ深夜便の佐野剛平さんは、「見えない道しるべ」と題して、こう言ってくれている。
  みすゞさんを好きな人 大好きです
  「万物の喜びと悲しみ」わかる人だから
  「ちっぽけな私」と思える人だから
  優しかった友が ゴーマンな人に なってしまう この時代
  分かれ道で みすゞさんが そっと 問いかけてくれます
  「どっちに行くの?」と
  みすゞさん!!と決めた人 大好きです
 

わたしは、決めました。
科学を目的にするのは、もう止そう。
科学は、人間が幸せになるために、利用するものだ。
非科学的と言われようが、構わない。
わたしは、みすゞさんが「神」と呼ぶものと、ともに生きよう。
その「神」とは、つぎの詩『蜂と神さま』で、金子みすゞが指し示してくれている。

   蜂はお花のなかに、
   お花はお庭のなかに、
   お庭は土塀のなかに、
   土塀は町のなかに、
   町は日本のなかに、
   日本は世界のなかに、
   世界は神さまのなかに。

   そうして、そうして、神さまは、
   小さな蜂のなかに。
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NHK特集ドラマ「ラジオ」

2013-03-27 14:46:13 | Weblog
昨夜(3月26日夜10時)放映の、NHK特集ドラマ「ラジオ」。
舞台となった女川さいがいFMへ、ツィートがひっきりなしに寄せられています。
どのツィートも、同感同感同感、、、
いや、ドラマ「ラジオ」を食い入るように観ていても 気づかなかった某ちゃんの気持ちを、補足し増長してくれるツィートばかり。

1年前の「がんばっぺラジオ」(2012年1月10日NHK総合で放映)を見ていなかったら、また震災ドラマかいな と流し去っていたでしょう。
そう思う自分自身がいやなのですが、3月11日前後の震災追悼一色の報道に、正直 食傷気味だったのです。
流し去らなくて良かった。

ドラマ「ラジオ」をみてられる前提でしゃべります。


その前に。

被災者(そう呼ぶこと自体 某ちゃんは嫌うのですが)と被災から遠かった者とのあいだには、どうしても埋められない‘深い河’があります。
それは、いたしかたないと思います。
ひとくくりに被災者といっても、ひとりひとり事情が違うでしょう。
被災から遠かった者にも、いろんな事情があるのです。
その多くは、なにかしてあげたい気持ちはあっても、どうしようもできないのだと思います。
その大きな障碍に、放射能があります。
放射能がなかったら、深い河を少しは浅くして繋がれたかも知れない。
だから、放射能が憎いのです。


前置きが長くなりました。

某ちゃんは、実在する「女川さいがいFM」で活躍した女子高校生メンバーのひとりです。
この春、都内の大学へ進学します。

いまなら、某ちゃんが「昨日までの宝物。今日は汚染物と罵られる」とブログで叫んだ気持ちが、少しわかります。
「月命日11日は、被災地と被災地外の温度差を感じる日」とつぶやくのも、少しわかります。
「復興ってなんだべか」と 心の奥底をぶつけるように書き始めた某ちゃんのブログには、年齢や性別や 生まれや環境をこえて、震えがくるくらい 共鳴できます。

某ちゃんがうちに帰ってきて、冷たい雪の降る家の前にお母さんが待っていてくれて、仮設の玄関開けたら ヨーグルトを冷蔵庫から出して食べようとしているお父さんがいて、ただそれだけなんだけど、某ちゃんが堰を切ったように泣き崩れるシーン。
あたりまえに慣れきっている 被災から遠い者のひとりであるわたしにも、某ちゃんの泣き崩れる訳がわかります。

ラストシーン。
迷って悩んで、少しずつ「心の脚」で立ち上った某ちゃんが決意しての 都内大学への進学。
女川をあとに 石巻市駅行きのミヤコーバスが石巻橋にさしかかるころ、車内でイヤホーンして聞いていた 女川さいがいFMから流れるジャパニーズロックが突如、雑音に消されてゆく。

ミヤコーバスには 石巻橋を渡る路線は 実際にはないらしいのですが、このあたりで女川さいがいFMの電波が届かなくなるのは ほんとう とのことです。
ドラマの中だけでも 某ちゃんに添えたわたしには、女川さいがいFMの電波が届かなくなるあの橋が、被災地と被災地外とを隔てる深い河のように思えました。


このドラマを見るきっかけは、カメレオンさんの日記(http://d.hatena.ne.jp/kamereon2012)に促されて という部分もあり、現在の心境の代弁に その記事の最後の一文を無断でお借りします。
  あの時からずっと傷ついている人たちが沢山います。皆さんのこと、忘れないと言っても信じられないかな・・・ごめんねと心の中で謝ることしかできないです。

某ちゃんの本名は、明かされません。
女川さいがいFMへ寄せられたツィートにも述べられているように、某ちゃんはどこにでもいるのです。
だから、某ちゃんでいいのです。

あしたの わたしかもしれない。
だからこそ、このドラマ感動した!で終わってはならないのだと。
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太陽光発電の素朴な疑問

2013-03-25 14:00:51 | Weblog
太陽光発電設備の工事が完了しました。
あとは、関電が管理する柱上低圧変圧器への繋ぎこみを待つばかりです。

当社の場合、関電からの受電配線は高圧電線(6600V)からの引き込み線のみですから、おそらく低圧(100V,200V)用の送電線配線が必要になるのでしょう。
もちろん工事費は有料です。


素朴な疑問が浮かびました。
関電の管理する配電線は‘送電’が目的の配線だろうから、受電専用の配電線があるわけではない。
ならば 当社で太陽光発電した電気は、どのようにして関電の「どこか大きな施設」へ送られるのだろうか。

社長が調べてくれたのですが、当社で太陽光発電した電気は「どこか大きな施設」などへは送られません。
現状の電力配電システムでは、どんなに当社の太陽光発電が頑張って たくさんの電気を発電したとしても、当社の近辺の電力需要者にしか送電できないのです。

つまり、こういうことです。
水の流れが高いところから低いところへしか流れないように、電気も電位の高いところから低いところへしか送れません。
だから、送電を目的に配線された電線を通して 電気を逆に流すためには、送電されてくる電気の電位(電圧)より 送る側の電位を高くしなければなりません。

たとえば100V送電線で電気を売電するために、当社内に設備された「パワーコンディショナー」で 発電した電気の電圧を107Vに調節しているのです。
100V仕様の電気製品は、110Vくらいまでなら 支障なく使用できるように設計されていますから、107Vなら問題なし ということなのでしょう。
しかし、これくらいの電位差で送れる範囲は限られています。
送電先は、当社と繋いだ関電の柱上変圧器から配電されている電力需要者に限られるのです。

もしこのエリアの電力需要者が どんどん売電用太陽光発電設備を導入していったなら、当然このエリアの電圧は107Vに近づくことになり、ついには“電圧上昇抑制機能が働きました”というアラームが鳴って、当社の買電はストップしてしまいます。

わたしの素朴な疑問は、太陽光発電を促進する上で やはりこのような障碍を孕んでいたのです。
社内に大容量蓄電池を設置するとか 電気自動車への充電とか、対応策はいろいろ提案されていますが、みな小手先の対処です。
送配電システムの根幹を変革しない限り、自然エネルギー発電の促進を阻害する このような障碍は解決しないでしょう。


独りよがりの気負いが 少々削がれた感が否めませんが、一部の大企業が営利目的で実施しているメガソーラー発電とは違い、狭くてもその地域の まさかの時の電力需要のわずかでも賄える助けになれるのだと考えれば、今回の設備導入の名分がたつというものです。

自然エネルギーで、そして地域地域で、わたしたちの必要最小限の電力が賄える日が、一日も早く来ればいいですね。
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あぽやん

2013-03-22 14:41:39 | Weblog
テレビドラマを中毒的にみている同年輩の友人が、極端にすくないんです。
だから、話題にテレビドラマなんかひっぱりだすと、会話が白けてしまいそうで・・・
ついつい、このブログでそのはけ口を となり、申し訳ないと思ってますが、お付き合いください。


常視聴している1~3月期の連ドラで 放映が残っているのは、今夜の『夜行観覧車』と日曜の『dinner(ロッカビアンカ)』、火曜の『ラストホープ』ぐらいかな・・・
月九の『ビブリア古書堂の事件手帖』は、ファンとして少々腹立たしいのですが、剛力彩芽がミスキャストです。

ところで きのう最終回だった『あぽやん』、この期の連ドラで わたしはトップの採点をつけます。
なんてたって、元気が出る。
それに、キャスティングがバツグンでした。

まず、主人公・遠藤慶太役の伊藤淳史と その上司・今泉利夫役の柳葉敏郎の、温もりある丁々発止のやりとり。
本来カタいはずの職場を、こんな同僚と上司のいるところなら いてみたいなぁと思わせる雰囲気にしていましたね。

ちょっとコワい契約社員先輩・馬場英恵役の貫地谷しほり、この女優さんは なにやらせてもサマになります。
わたしは、『竜馬伝』での千葉佐那役を演じたときの貫地谷しほりが、いちばんかわいいと思いました。

ジャルパック契約社員・森尾晴子役の桐谷美玲は、ファッションモデルだけあってスタイル満点、それに愛嬌なフェースに好感が持てます。
もし自分がファッション系かコスメ系の大手会社広報責任者だったら、イメージキャラクターに桐谷美玲を採用したいなぁ。


トーンがコロっと変わるのですが、歴史学者・アーノルド・J・トインビーは こう言っています。

  いかなる職業であれ、新たに知的職業に就く者はすべて、自分の専門的な知識や技能を、人間同胞の搾取に向けるのではなく、彼らへの奉仕に用いる旨を誓うべきである。
  そして自らが負った奉仕の義務を、自分や家族の生計という付随的な必要性よりも優先させるべきである。
  最大限の利益ではなく、最大限のサービスこそ、知的職業人が目的とし、身を尽くしていくべきものなのだ。

『あぽやん』をみていて、このトインビーの言葉が浮かんだのです。

『あぽやん』は、むかし流行った‘ど根性もの’ではありません。
でも、一所懸命をチャカしていません。
それどころか、しんどいけれど 一所懸命の先にある‘仕事の喜び’を賛歌しています。

一部の若者にみられる 斜めから仕事を眺める態度を、わたしは強く嫌います。
仕事をナメとんのか と、張り倒したくなります。
『あぽやん』は、わたしのこんなダサい憤りではなく、とてもスマートに、わたしの気持ちを代弁してくれました。


エアポートというところは、夢がありますね。
このあいだも、夕暮れ時の中部国際空港に寄り道してきました。
海が世界と繋がっているように、空ももっと広い宇宙と繋がっている、そう想像するだけでも エアポートは楽しいところです。

『あぽやん』の舞台は、成田国際空港でしたね。
新米経営者だったわたしの夢は、かって あの成田空港から飛び立ちました。
わたしの娘も ある時期、成田空港を本拠地みたいにして 世界を飛び回っていました。
そんな成田空港を 隅々まで映し出してくれただけでも、わたしにとって『あぽやん』は値打ちもんでした。
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「ごん」の結末は なぜ悲しいの?

2013-03-16 18:47:56 | Weblog
「ごん」というのは、新美南吉の童話『ごんぎつね』にでてくる いたずらキツネのことです。
わたしが11歳のとき(昭和31年)に、『ごんぎつね』は小学4年生の国語の教科書に載ったことになっています。
だから、まっさきに‘こくご教科書’で読んでいるはずなのですが、覚えていません。
このお話に出会い 大きく心が動いたのは、幼かった息子や娘が買ってもらっていた 箕田源二郎イラストの絵本(ポプラ社)でした。
40年近く前になります。


「ごん」の結末は なぜ悲しいの?
この問いは、2月3日の朝日新聞「天声人語」に記されていた言葉です。
ポプラ社の絵本に触れたときから、この問いかけが、はっきりした形ではありませんが、わたしの心に重しみたいに残っていました。
人間が生きていくうえで どうしても抱えなければならない悲しみ、それをどう処理したらいいのか、当時のわたしには 見当もつきませんでした。

「ごん」の結末は なぜ悲しいの?
子供たちのこの問いに、知多半島の半田市にある新美南吉記念館の遠山光嗣学芸員は、わかり合えないことやすれ違いがどうしようもなくあることを、南吉は言いたかったのでは、と答えることにしていると、「天声人語」には書かれています。

この答えに接しても、わたしは なにか釈然としませんでした。
半田市の新美南吉記念館を訪ねてみたい。
そこへ行けば、なにか腑に落ちる答えが見つかるかもしれない。
今年は、新美南吉生誕百年であり、没後70年でもある。
この機会を逃したら、「ごん、おまいだったのか。いつも栗をくれていたのは。」で終わってしまいそうで・・・


東大阪市の司馬遼太郎記念館を訪れたときにも また長野県安曇野の碌山美術館を訪ねたときにも感じたことですが、土地の人たちが、その土地の出身者である司馬遼太郎を また荻原守衛を敬愛して止まない、その心が訪問者ひとりひとりに、ひしひしと伝わってきます。
ここ半田市の人たちも、きっと新美南吉を深く敬愛しているに違いありません。
新美南吉記念館をとりまく さざんかの森や童話の森には、日よけ帽を被った大勢の婦人が掃除をされていました。
なだらかな小山の芝を刈ったり、せせらぎの小径の流れの底浚いをしたり、小道の脇に植えられた木々の剪定をしたり・・・
そして、きょうは暖かで良かったですね、どちらから来られました?などと、にこやかに話しかけてくれるのです。

わたしは、館内のパネルをひとつひとつ熟読してまわりました。
南吉の29年の短い生涯を、何ひとつ見落としてはならない気持ちで、まわりました。
そして、最後のパネル、28歳の日記の一文の前で、佇んでしまいました。

  よのつねの喜びかなしみのかなたに、
  ひとしれぬ美しいもののあることを知っているかなしみ。
  その悲しみを生涯うたいつづけたい。

南吉は、悲哀は愛に変わることを、短い生涯で会得していたのです。
南吉は、幼いころから孤独に苦しみ、おのれのエゴイズムにさいなまれていました。
悲しみのはて、それでも人は悲しみがあるからこそ愛を求め、他人の悲しみに気づくこともできるのです。


「ごん」の結末は なぜ悲しいの?
この問いに、具体的な答えは見つかりませんでした。
しかし、気づきはありました。
悲哀は愛に変わる、これがあるからこそ、人間は人間らしく生きられるということを。
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