つれづれ

思いつくままに

硝子戸の中

2013-06-28 09:52:53 | Weblog
予備校講師・林修さんは、やっぱりすごい先生みたいですネ。
あの「今でしょ先生」です。

たまたま続けて、彼が出演している番組をみました。
6月21日(金)の『ぴったんこカン・カン』と、6月24日(月)の『笑っていいとも!』です。
前者で 彼の人柄を、後者で 彼の学識を、垣間見た気がします。

笑っていいともの中で、夏目漱石の‘講義’をしていました。
漱石の作品で いちばん多く扱われるテーマは?という設問で 今でしょ先生は、人間関係、それも三角関係だと答えていました。
漱石は、死ぬまで生きて、醜くも素敵な人の生きざまを、読者に示し続けた作家だった、そういうニュアンスの感想を述べていました。
どうも 今でしょ先生も、漱石ファンみたいです。
今でしょ先生の講義を、受けてみたくなりました。


遅読のわたしは、本はツンドクの方で、本棚にある書物の二割程度しか 完読できていません。
そのなかで、岩波書店版の漱石全集だけは 読み切ったことを、ちょっと誇りに思っています。
同時に、漱石ドタファンを自認しています。

漱石の晩年の作品に、『硝子戸の中』という薄い随想集があります。
漱石の孫である 漫画評論家の夏目房之介氏が、漱石の作品でいちばん好きな作品だそうです。

胃潰瘍に苦しみながら、終日書斎にこもって療養している漱石が、書斎の硝子戸から眺める仕切られた小さな光景から、静かに人生と社会を語る、という内容です。
仕切られた小さな光景から、‘菫ほど小さき人’は、深い深い人生哲学をひも解いて行くのです。

この短編に出会ったとき わたしは、気に入りの言葉「日暮れて道遠し」を思い浮かべました。
あぁもうだめか、いや まだやれる、まだ諦めるのは早い、その揺れる感情が ひしひしと伝わってくるのです。

恋に傷ついた「その女」に対して、漱石は こう話しかけます。
「そんなら死なずに生きていらっしゃい」と。
これは、漱石が漱石自身に話しかけている言葉のようです。


今でしょ先生が表現していた「死ぬまで生きた」作家という意味が、『硝子戸の中』を読んでいたわたしには、よく理解できました。
『硝子戸の中』を、再読しました。
世の中がどんなに変わろうとも、漱石の描く‘生きること’は、いつまでも‘今’であり、いつまでも新鮮であり続けるでしょう。
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手の記憶

2013-06-14 17:54:53 | Weblog
朝、門(かど)を掃くとき使っている竹ぼうきで、思うことがある。

いま使っているのは、最上質とまではいかないが、そこそこの値の まぁ使いやすい箒だ。
一概に、品物の欠点ばかりを、咎めるべきではない。
分母に値段を置いて判断しないと、フェアではない。
使うひとの背の高さやどこを掃くか など、使う側に問題がある場合も多いと思う。
だが やはり、いいものは値が張る。

以前、ホームセンターで、単価350円程度の竹ぼうきを買ったことがある。
10本まとめて買わなければならなかったから、‘単価’という表現をとった。
毎朝掃いていると けっこう竹先が早く減るので、10本あってもいいか 程度の、安易な気持ちだった。

竹繊維がしっかり束ねられておらず ポロポロ抜け落ちたり、柄の節のささくれでトゲが刺さったり、竹繊維の束が柄にしっかりと固定されておらず 柄がズボ抜けしたり・・・

二本使って、あとは全部捨ててしまった。
こういうのは粗悪品であって、値段に釣られて それを買う方が悪い。

粗悪品とまではいかなくても、けっこういい値の竹ぼうきでも、満足できないものがある。
柄の太さがどうも手にしっくりこなかったり、竹ぼうきの重心が微妙にずれていて重く感じたり あるいは頼りなさすぎたり、竹繊維の束ね方が強過ぎて撓りが足りなかったり 逆に束ね方が弱過ぎて掃く力が足りなかったり・・・

‘いいもの’は、勢いのある神社や 庭で有名な寺の近くの、荒物屋さんみたいなところで手に入ることが多い。
たとえば、北野さんや伏見のお稲荷さんや妙心寺北門の近く。
多少 値は高くても 買い手がある場所、ということか。
良い商品が置いてある店の環境には、良いものを見分ける目、良いものを選んで使う文化が、育っている証拠であろう。

‘いいもの’とそうでないものは どこがどう違うのか、細かく言えばいくらでも挙げられそうだが、かっこよく言えば「作り手の使い手への思いやり」の深さだと思う。

竹ぼうきのような いまの世にあまり必要とされなくなった道具は、思いやるべき使い手そのものに 良いものを見分ける‘手の記憶’が、きわめて希薄なのだ。
そんな環境で、いい作り手が 多く育つはずがない。
その良さを見分けて使う文化が健在な限られた環境で、細々と生き続けるしかない。
だから こういう道具は、いいものは 値が張って当然なのである。


地下鉄などでよく見かける光景、親指一本でメールを打つ若者たち。
いま その光景に、ちょとした変化がみられる。
ケイタイからスマホへ移って、親指の動きが変わっただけでなく、人差し指が頻繁に使われ出した。

‘いいスマホ’の条件も 多種多様なのだろうが、指の操作性は その大きな要因であろう。
彼らは、この一種‘手の記憶’で、求むべき商品を判断するにちがいない。
むかし 巷の荒物屋さんで、竹ぼうきを手にとって 実際にその辺を掃いてみて、‘手の記憶’で その良しあしを判断したのと同じように。


手の記憶、これも技である。
頭で疑問を持たない、理屈抜きの人の技である。

手の記憶は、なにも職人の専売品ではない。
見た目も大事だけれど、作り手と使い手は ものを通して、最後には 手の記憶で勝負する。

時代が移り、技術が進歩しても、作り手と使い手のこの関係は、不変である。
「よいものを精一杯の力で作り世に出す」作り手と「よいものと悪いものを区別し選択する」使い手、両者を「作り手の使い手への思いやり」が繋ぐ。
作り手と使い手の、真剣勝負である。

その勝負の決め手は、‘手の記憶’であり続けるであろう。
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蟹満寺の白鳳仏

2013-06-13 16:28:14 | Weblog

蟹満寺は、奈良県境に近い南山城の小さなお寺です。
ここに、丈六の堂々たる風格をもつ白鳳金銅仏、釈迦如来坐像が安置されています。
立派な仏さまです。


この白鳳仏を初めて拝したのは、47年前の二十歳のときです。
前にも触れましたが、昭和41年の早春、教養部での学生生活最後の思い出に と、故・鈴村繁樹君と南山城ふたり旅に出かけた折でした。
その前に尋ねた京田辺の大御堂観音さまに惚れこんだ鈴村君は、移り気にも またまた、このお釈迦さまに入れ込んだのです。

正直なところ、当時わたしは この仏さまに、さほど惹かれませんでした。
同じ白鳳仏・山田寺仏頭(興福寺蔵)に憧れていて、その比較から来る感情だったのでしょう。

同じ理由で、わが国仏教美術史上最高の傑作とされる 薬師寺金堂の薬師如来坐像にも、当時あまり魅力を感じませんでした。
その薬師寺金堂の薬師金銅仏に比肩しうる秀作とされるのが、この蟹満寺の釈迦金銅仏なのです。

あれから半世紀近い歳月を経て いま、薬師寺金堂の薬師金銅仏にも そしてこの蟹満寺の釈迦金銅仏にも、山田寺仏頭と同じくらい こころ惹かれるようになりました。


わたしは、白鳳期の仏像がいちばん好きだ とは、くどいほど いくども述べてきました。
美術的な素養に乏しい わたしの好き嫌いの基準は、その仏像の前に坐したとき 心が安らぐか否か、ただそれのみです。
白鳳仏には、間違いなく安寧を与えてくれる、その確かさがあるのです。

このたび、何十年ぶりかで拝した蟹満寺釈迦仏は、一昨年春に落慶した ま新しい本堂中央に座しておられます。
蟹満寺の釈迦金銅仏と向きあっている今、鈴村君の移り気の訳が よくよく判りました。

まぁきわまで近づいて眺めることが許されているのです。
一級国宝仏に こんなことが許されるのかと、奈良や京都の大寺院と ついつい比べて、ありがたく思います。

そういう心安さもあってか、おん前に坐って拝すると、実にこころ喜ぶ心地がします。
深い憂いを内に向かって昇華した優しさは その目が山田寺仏頭に似て、決して弱音を吐かない固い意志は その口が薬師寺の薬師仏に似て、両仏の特長を兼ね備えたお姿。

このような辺鄙な場所に どうして かような秀仏がおわすのか、いまも謎だとされています。

蟹満寺のすぐ南、木津川が西から大きく北へ折れ曲がって流れてできた扇状地を、瓶原(みかのはら)といいます。
美しい地名です。
相楽郡加茂町、平成の大合併で、木津川市になりました。
古くは、恭仁京(くにのみや)が置かれた地です。
しかし、蟹満寺の釈迦金銅仏は、恭仁京造営より 少なくとも半世紀前につくられたはずです。
平城宮よりずっと南の、いまの橿原市あたりに都があった時代に、どうして南山城のこの地に かような秀でた仏像が造られたのか。
まぁ、謎はロマンですネ。

でも、謎解きの興味は、もうむかしに置いてきました。
1300余年の時を経て動かず座する白鳳金銅仏に、安寧の拝顔を果たせたことで、大満足です。

これも ひとえに、作者の偉大な能力と技倆のたまものであり、同時に、1300余年の永きにわたって、礼拝供養をささげて今日まで無魔に保存安置しきった、先人たちの功績でありましょう。


蟹満寺の白鳳金銅仏・釈迦如来坐像、ありがたい仏さまです。

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わたしの憲法感

2013-06-12 14:14:26 | Weblog
いま 日本は、憲法改正の機が熟しつつある、と一部の政治家や学者が言っています。
ほんとうに、そうでしょうか。
日本国民の何割の人々が、現行の日本国憲法を じっくり読んだことがあるのか、わたしには疑問です。

1982年春に発行され 当時ベストセラーだった小学館「日本国憲法」が、改版されてコンビニに並んでいる、とのことですが、近くのセブンイレブンにもローソンにもファミマにも、置いてありませんでした。
それほど売れていない証拠でしょう。
現行の日本国憲法を精読したこともないのに、憲法改正の機が熟しつつある なんて言えるはずがありません。

そういうわたしも、日本国憲法とまともに向きあったのは ごく最近、7年前の‘憲法施行60周年記念’として刊行された「なぞって読む日本国憲法」(白夜書房)からです。
ただたんに読むよりは なぞって書いて読んだ方が、憲法をより身近に感じるかも、と期待してのことでした。

三日坊主のわたしにしては 全文なぞって書き終えたものの、それほど頭に残っているわけではありません。
ただ、『前文』の文章が美しいのには感動しました。
これはまさに祈りだ、と感じました。

  ・・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
  ・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
  ・・・われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
  日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。


前文の理想主義は 現実的な妥当性があるのか、そう自問し迷う学者もいます。
でも わたしは、これでいいと思う。
実現が難しいのを承知で、高い理想を掲げることに、なんの迷いがありましょうや。

日本国憲法は、たといその素性が他国からの押し付けであったにせよ、どこをとっても間違ったことを言っていません。
67年前、戦争の辛酸を嘗めつくした人々の、平和への心からの願いを文章に表した唯一の公文書が、この日本国憲法ではないでしょうか。
現実的な妥当性など、超越した存在だと思います。

自民党の『前文素案』を読みました。
決して‘悪文’ではありませんが、現行の『前文』の足元にも及びません。
改める必要を、微塵も認めません。

憲法よりも今日のメシ、それが現実でしょう。
しかしもし この国の国民であり続けるのなら、この国の根幹を成す憲法を ときの政府が変えようというのであれば、国民すべてが今一度 現行の日本国憲法を精査すべきだと思います。
その精査なしで、改憲を争点にした国政選挙に臨むべきではないと思います。


天野祐吉氏は、先日亡くなった なだいなださんの言葉を引用して、自民党のスローガン「強い国」に対抗できるのは「賢い国」しかない、と言っています。

フランスとの原発技術の共同開発とか、原発の輸出や武器づくりにも協力してあたるとか、いづれも「強い国」に必要なものばかり。
まず、「強い国」になるには、最先端の武器をそろえるお金が要る。
それには、強引な経済成長が必要である。
それには原発の再稼働が欠かせない。
それに比べたら「賢い国」になるためには、とくにお金は要らない。
知恵と品性があればいい。

わたしに限らず、3.11を目の当たりにした多くの日本国民は、天野氏の言わんとするところがよく理解できるはずです。


いま、日本国憲法を読みなおしています。
改めて、どこをとってみても間違ったことを言っていない、そう確信します。
こんな憲法を持つ国に生活できることを、誇りに思います。
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