つれづれ

思いつくままに

原爆の火

2008-07-21 09:34:46 | Weblog
・・・原爆が投下されたあと、火の海と化した広島を訪れた僧侶がいた。廃墟となった寺院から火を拾い 燃やし続けた。それが、“原爆の火”。その火は、いまも 福岡県星野村で 燃え続けている。この世に二度と同じ悲劇を起こさない という願いの象徴として・・・
わたしは、映画「ゲート」を観るまで この火の存在すら 知りませんでした。
このドキュメンタリー映画「ゲート」は、その火を 破滅の輪が最初に口開いた爆心地・アメリカニューメキシコ州の“トリニティサイト”へ還し そこで消し去ることで、憎しみ・復讐の負の連鎖を断ち 永遠に眠らせたい と立ち上がった僧侶たちの、2500kmの祈りの行脚の記録です。

先日、この春にベトナムホーチミンの視察旅行でご一緒した宮本規由さんが 訪ねてきてくれました。
引っ込み思案のわたしは 行動派の彼から学ぶものが多く、その日も 延々8時間も話し込んでしまいました。
その時、彼が 広島・長崎の原爆投下について 最悪の非戦闘員無差別虐殺だと 憤りをもって 話していたのが、彼の意外な面をみたようで 印象的でした。
実は わたしも、この映画を観るまでは、あの原爆投下を「長期的に見れば より多くの人命を救う結果となったのだから。それに ソ連などと分割統治されないで済んだことを喜ぶべきだ」と肯定的に論ずるような風潮に ムラムラと怒りを覚える一人でした。
正確な情報を知ろうともせずに、わたしは ある一枚の写真を どうしても許せませんでした。広島を焦土と化した あの「リトルボーイ」の弾頭や腹に 自分らの名前を落書きし、笑いながら記念写真を撮っている将校たちの画像です。
憎しみや復讐心は、相手の正確な状況に対する判断を誤らせ 猜疑と誤解を生んで相手を貶め それは再び憎しみと復讐となって返ってくることを、仏教は「因果は巡る」と諭しているのです。

2005年7月、帆船「日本丸」でサンフランシスコ港に着いた原爆の火は、三人の僧侶の手に託されて、世界最初の原爆実験の場所であるニューメキシコのトリニティーサイト“グランドゼロ”まで、摂氏50度を超える炎天下 砂漠や山々を越え 多くの町を通り 最初はいぶかしげな 次第に好意的な 最後には心からの声援を受けつつ、23日間(それは最初の原爆実験が行われた7月16日から長崎が被爆した8月9日までの日数)の間に 2500kmの旅をします。
それは、奇跡に近い 祈りの旅でした。
三人の僧侶のひたむきな行脚の旅を通して見えてきたもの、僧侶たち自身にも また スクリーンを通して彼らとともに2500kmの旅を追い続ける観客のわたしにも 見えてきたもの、それは、原爆を投下したアメリカの国民自身も 一部には人体的に多数には心理的に 原爆の被害者ではないか、そして、平和を求める心は、日本人もアメリカ人も そして千羽鶴をトリニティサイトのゲートまで届けてくれたロシアの子供たちや あらゆる国の人々も 同じなんだ、という 確かな実感。

この60年、広島の原爆記念日が巡ってくるたびに繰り返されてきた抗議行動は、トリニティサイトの厳重なゲートを開かせることはできませんでした。
しかし、この僧侶たちの 原爆の火の因果を閉じてこの世から二度とあの被爆の惨状を出さないという ただひたすらな祈りは、ホワイトハウスをも動かす強い力となって、開かずの“ゲート”を開かしめたのです。

映画のこの場面に至って、わたしは初めて その題名「ゲート」の意味を理解しました。
いかなる抗議よりも、平和を希求するひたむきな祈り なのです。
トリニティサイトのゲートが開かれたシーン、感動しました。
ゲートを潜れる限られた人数とはいえ 人種や宗教や政治の違いにかかわらず 原爆の火を消したいと願う人々は、トリニティ実験跡地の記念碑の前で 長崎に原爆が落とされた同じ日に 福岡県星野村で60年間燃え続けた原爆の火が 僧侶たちの厳かな しかし実に簡素な儀式によって 静かに消えていくのを 見守り続けました。

核兵器解体基金というのがあるそうです(///www.GNDFund.org).
世界中の核兵器廃止に賛同する人々からの募金を基金として、世界に散らばる核兵器を買い上げ それを解体し 鋳直してブレスレットなどのアクセサリーにして 献金者に還元する、という運動です。
理性的で合理的な核兵器廃止運動の方法だと 思います。
でも、目的は同じなのですが、原爆の火を閉じようと2500kmを行脚した僧侶たちの方法とは、根本的に違うように わたしは考えます。
行動を起こさないわたしには こんなことを言う資格はないのですが、ただ、核兵器解体基金では「負の連鎖」を断ち切ることはできないのでは と思うのです。

原爆の悲惨さを 文字通り 身をもって体験したのは、日本国民だけです。
その日本国民の 核兵器廃止を訴える方法が 抗議行動や理詰めの論駁では、あまりにも哀しすぎます。
彼ら僧侶たちが 50度を超える真夏の太陽にも絶えられたのは、原爆の熱風で死んでいった親たちの世代の苦しみを 心底理解しようと努めたからでしょう。
この世に二度と同じ悲劇を起こさない という願いを叶えるには、その祈りの輪を 平和を希求する世界の人々と共有すること。そのことを、映画「ゲート」は語りかけています。

原爆の火を燃やし続けている日本は、その火を消すことができる もっとも近い存在なのです。











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祇園囃子

2008-07-14 11:58:43 | Weblog
梅雨が明けたのだろうか、真夏日の蒸し暑さが 京の街中をうだらせている。
京の夏は、祇園祭から始まる。
氏子でないわたしにも、祇園囃子の音には、体の中の何かを掻きたたせ そして すーっとそれを鎮める まじない力のようなものを感じる。ちょっとさびしげだが、とても心地よいのだ。

京には、四季折々に そして 京のあちこちで 人を惹きつける魅力的な祭りや行事があるが、長くこの地に住していても、それらの魅力を あまねく肌で感じて親しんでいる京都びとは、おそらく ごく僅かであろう。
わたしも その「その他大勢」のうちの一人だが、あえて三つを挙げるなら、大晦日の八坂神社のおけら参り、鞍馬の火祭り そして 祇園祭(17日の巡行より やはり宵山)を選ぶ。
なかでも 祇園祭には、哀愁とも郷愁とも言いがたい えも言われぬ押えがたい思いが湧いてくる。

早くに売切れてしまう 長刀鉾のちまきを求めて、きのう 街へ出たついでに地下鉄を乗り継いで 四条烏丸に上がった。
この くそ暑い日中にもかかわらず、長刀鉾の周りは 人また人。
他の祭りをよく知らなくて 断定は出来ないが、祇園祭ほど 若い男女の群れが目立つ祭りは ほかにないのではなかろうか。それも、みな美しい。若い女性の浴衣姿は、この祭りに とても相応しい。

ふっと、ずっとむかしに読んだ小説の 一場面を思い出す。
川端康成の晩年の作品「古都」のなかで、うら覚えだが、宵山で 恋人が迷子になるシーンだ。携帯電話万能の今の世では 想像もつかない、切ない迷子のシーン。
青春時代に、それも この祇園祭のさなかに、誰もが あのような哀しい恋をするはずもないのだが、祇園囃子に包まれて 人の流れに身を任せていると、あたかも自分がその主人公になったような 必死で恋人を探しているような 錯覚を抱いてしまう。

「フェスティバル」という言葉がかもし出す バカ陽気な祭りとは対極にある、なにか哀しげなこの力は、何なんだろう。
そんな 碌でもないことを考えながら、飛ぶように売れるちまきを買い求めた。
そうか、これなのか。祇園祭のかもす華やかさ、哀しさ、懐かしさは、このちまきに凝縮されているのだ。だから、争うように ちまきを買い求めるのだ。
親の その親の そのまた親、ずっとずっと親の時代から、先祖を敬い 災難を畏れ 逝った友を懐かしみ どうか厄をお除けくださいと、ちまきは それぞれの家の玄関に飾られる。

祇園祭の華やかさのうらに込められた祈り、それが 多くの京都びとを この祭りに惹きつける力なのではなかろうか。

祇園囃子の音が、地下道をずっと進んでも いつまでも 耳の奥底に響いていた。

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滅びの美

2008-07-11 11:28:21 | Weblog
中島みゆきが歌う『ボディ・トーク』の歌詞に、
「・・・言葉なんて迫力がない  言葉なんて  なんて弱いんだろう・・・」
と ある。
まったく 同じ思いだ。
かといって 「・・・僕がさし出せるのは  命だけだ  伝われ  伝われ  身体づたいに  この心・・・」と嘯けるほどの ボディのほとばしりが、湧いてこない。
ただ、“生”をかろうじて確かめるように 迫力のない言葉を連ねているに過ぎない。

滅びの美、これが このところの一大関心事なのだが、<滅びの美>と気弱そうにつぶやいても、どこか嘘っぽいし、今のわたしの心中を 正確に言い当てた言葉とも思えない。
死に関心がある、と 大言壮語できる年齢でも 成熟度もない。
もし、あの 北海道サロマ湖100kmマラソンを 完走できて、ゴールにぶっ倒れて ワーッと叫ぶことができるなら、ひょっとしたら そのクタクタの体の底から 搾り出せる言葉が、今わたしが言いたいことの 一番うまい表現なのだろうな。
ライオンに追われて 必死で逃げ惑うシマウマが、ライオンに捕われた瞬間 観念したように ピタッと抵抗を止め、粛々とライオンの餌食になる様を、以前 テレビで見た。
滅びの美。

『自死という生き方』(須原一秀著 双葉社刊)という本を 読んでいる。
書いてある内容は深遠で 一読の価値は大いにあると考えるが、自殺とはいわずに 自死と表現するところに、やはり“無理”を感じる。
若い頃から 死というものに対して親しみを抱いてきたわたしだが(それは たぶん「平家物語」の影響が大きいと思う)、自殺は 一種の「越権行為」であると信じるし、自死を 手放しで肯定できるものではない。

こと死に関しては、神は まことに平等である。
不死という とてつもなく恐ろしい罰も、神は何びとにも与えない。
ならば、老醜を憎み 病苦を恐れるが故に、最後の切り札である「おのれの死」を 最後の我儘として自由にさせて欲しい と、体と頭が まだ自分のコントロール下にあるあいだに と。
それは、60歳を過ぎた人間ならば誰しも、口に出さずとも ふっと抱く思いではあろう。

にもかかわらず、宗教や哲学を引き合いに出すまでもなく、「生を全うする」生き方が 人間としての勤めであるならば、せめて 滅びゆくものに 大げさな光明でなくとも ささやかな美を 与えてくださっても、神の依古贔屓には なりますまい。

ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ
これは 西行法師の有名な歌だが、わたしは 桜の木の下でなくとも また春でなくとも、名も知らぬ老大木 願わくば 屋久杉の根っこで、さわやかな風に包まれて 眠るように死にたいと思う。
これを 滅びの美などと表現してしまうと、もう わたしの思いから すーっと離れてしまいそうになる。でも、そう表現するほかない。

現実に戻ろう。
根本的に、死は やはり「無」である。
平たくいえば、死は「いなくなること」。
魂の不滅は、現在ただいまのところのわたしには 信じられない。
死んだら、やはり 仕舞なのである。

作家・山田風太郎が、「死ぬための生き方」(新潮文庫)のなかで このわたしの今の思いを うまく表現している。
・・・いかなる自称大人物が死んでも、地上は小石一つを沈めた大海の如し。のみならず「人は死んで三日たてば、三百年前に死んだと同然になる」・・・
そして、こう 付け加えている。
・・・それとはまったく別に私は、自分の死よりも、その愛する者たちが十何年、何十年かのちに死んでゆくことを考えるほうが怖ろしい。・・・

結局、この世は 生きている者たちの世であって、自分の死が恐ろしいのは、残される愛する者たちが 自分の死によって苦しめられること、この一点に尽きる。
とはいうものの、これとて あとに残った者たちは、無ければ無いで 何とかやってゆくに違いないのだろうが。

これまで 家内には、ことあるごとに 自分より一日でもあとで死んでくれと 言い続けてきた。
今は、これまで 千度つらい思いをさせた家内を看取ってから 死にたいと、本気で思っている。
これが、ささやかながら また 迫力に欠ける わたしなりの 滅びの美の 落とし前だと、本気で思っている。



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映画「ひめゆり」

2008-07-08 14:26:03 | Weblog
去年 この長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」が上映されたとき、またかという思いが ふっと掠めた。『ひめゆりの塔』として 戦後いくどとなく上映された映画の どうもしっくりとこない印象が、残像としてあったからだと思う。これでもかと言わんばかりの 作り手の意図が、こちらの想像力を同じ方向へ無理やり引き連れていこうとする、そういう誇張と扇動が わたしには うっとうしく感じられて、同じようなものと勝手に思い込んで この「ひめゆり」は観ず仕舞だった。
「ひめゆり」のチラシの裏に書かれた 演出家・宮本亜門の次の一文が、わたしに この映画を観るチャンスを与えてくれた。
・・・私の一生のお願いです。「ひめゆり」を観てください。出来れば世界中の人に観て欲しいのです。次の世代に伝えてほしい、現実を感じてほしい。心がここに詰っているからです。・・・

映画「ひめゆり」は、生き残った“ひめゆり学徒隊”の女学生たち、今は80歳を越える“おばぁ”たちに、ドキュメンタリー映画監督・柴田昌平が 13年の歳月をかけて 誠実に根気よく 真実を伝えたいというひたむきな思いをぶつけて、わずかな説明的記録映像のみを挿入して インタビュー形式で 丹念に淡々と綴った作品である。
“ひめゆり学徒隊”に対して抱く 悲劇のヒロインのイメージを さわやかに砕け散らせて、「殺してください」と叫んだあの時の 誰にも代弁されることのできない記憶を とつとつと搾り出すように語る“おばぁ”たちに、よくぞ語ってくださった、よくぞ生き残ってくださった と。
この思いは、彼女らが等しく「生き残ってしまってごめんなさい」と語る言葉に もう とても悲しく。
それでも、この映画を観終わったあとの このすがすがしさは、どういうことだろうか。
大きな大きな傷を負いながらも、だからこそ 生きることの 平和なことの ほんとうの素晴らしさを骨身に染みている“おばぁ”たちは、なんと魅力的なことか。

語り手のひとり 比嘉文子さんは、この映画のパンフレットに 次のようなメッセージを寄せている。
・・・私が子供の頃、親が星空をながめて、先祖から言い伝えられた話をしていました。「箒星(ほうきぼし)が出たら、また戦(いくさ)が起こるのではないか」。ほうき星とはハレー彗星のことで 70年あまりの周期で訪れます。70余年たつと、親たちも死に、戦争を体験した人たちも亡くなり、指導者たちが戦争を美化しようとします。私の親たちが言っていたことは そのことを戒めているのだと思います。
戦争の美化は絶対にさせたくないと思っています。そのためにも、若い人たちは真実を見つめ、学び、しっかり行動していって欲しいと願っています。・・・

反戦の心は、イデオロギーや政治や理屈ではない。戦争がいかに人間を鬼畜にするか それを その地獄をくぐってきた いとしい人々の叫びなのである。

映画「ひめゆり」に、わたしが 拙い言葉で言い続けてきた反戦の心の真実を、観ることができた。

「忘れたいこと」を話してくれた“ひめゆり学徒隊”のおばぁたち、生き残ってくれて ほんとうにありがとう。


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「もったいない」食品製造現場で思うこと

2008-07-02 10:05:11 | Weblog
船場吉兆の 食べ残し盥回しの問題が発覚した直後の記者会見で、吉兆トップの「もったいないと思いまして・・・」発言には 呆れて物が言えないのだが、日本人の 食に対する異常なまでの神経質に、わたしは 逆に危機感を覚える。

食品製造現場に関わる仕事をさせていただいていて思うのだが、食品製造現場の 「異物混入」に対する気の毒になるほどの神経の使いようは、「ちょっとおかしい」と感ぜざるを得ない。
髪の毛や金属破片、腐敗物、蝿などといったものの混入は もってのほかだが、いわゆる「コンタミ」という言葉で 一絡げにされてしまう異物の中には、例えば、ただ単に乾燥度がわずか異なるために 色具合の異質感を抱かせるくらいの 同じ食品の変質物混入も、含まれる。
このような 健康上も味覚上も何ら問題にならない「コンタミ」が ほんのわずか混入しただけで、その食品製造ロットの全製品が 廃棄させられている。
製造現場だけではない。
物流段階での賞味期限切れで 廃棄処分になる食品の量は、アフリカの一国の民を賄えるだけの量だと聞く。
消費者は、それは製造者や物流者の問題で、自分たちは 残飯がでないよう 始末して始末して生活している、と主張するだろう。
自分たちが食の安全を守るのに、何も文句のいわれる筋合いはない と主張するだろう。
わたしも含め、どのような製造者もどのような物流者も、一消費者である。
これらの主張に、うなずかざるを得ない。

しかし、果たして このまま「消費者は神様」で 突き進んでいっていいのだろうか。
少なくとも 食に関しては、人間は もっと謙虚にならなければならないのではなかろうか。




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