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つれづれ

思いつくままに

私本大原御幸

2018-04-22 16:56:36 | 
中谷治宇二郎(なかやじうじろう)という‘無名作家’がいた。
世界で初めて人工雪の製作に成功した物理学者・中谷宇吉郎の弟である。

治宇二郎が 石川県の小松中学五年のときに書いた小説に、『獨創者の喜び』というのがある。
平家物語に主題を取って書いた、短い小説である。
これを芥川龍之介が読んで、いたく感激して、『一人の無名作家』という短文を残している。

学生だった治宇二郎は、同窓の文学青年たちと『跫音』という名前の同人雑誌を出していた。
『獨創者の喜び』もその雑誌に載せていたのだが、この雑誌を菊池寛のところへ送っていた。
菊池がそれを芥川に見せたものらしい。
このことは、早世した弟を回顧して、中谷宇吉郎が『百日物語』の中で述べている。

この小説『獨創者の喜び』は、三回に分かれている。
一は、平家物語の作者が、大原御幸のところまできて、少しも筆が進まなくなって、そのうち、突然、インスピレーションを感じて、--甍破れては霧不断の香を焚き、枢(とぼそ)落ちては月常住の灯を挑(かか)ぐーーと、悦に入って綴るところが書いてある。
二は、平家物語の註釈者のことで、この註釈者が、今引用したーー甍破れては…のところへ来て、その語句の出所などを調べたり考えたりするけれども、どうしても解らないので、俺などはまだ学問が足りないのだ、平家物語を註釈する程に学問が出来ていないのだと言って、慨嘆して筆を擱くところが書いてある。
三は、作者(中谷治宇二郎)の時代で、中学校の国語の先生が、生徒に大原御幸の講義をしているところで、先生が、このーー霧不断の香を焚き…というような語句は、昔からその出所が解らないとされていると言うと、席の隅のほうにいた生徒が「ふん、そこが獨創者の喜びだ」と独り言のように呟くところが書いてある。

治宇二郎は、自分の身の一部のごとく、平家物語を深く深く理解していたのであろう。
物語の各所に、自分しか解しえない輝きを見つけ、‘獨創者の喜び’を味わっていたに違いない。
芥川の短文『一人の無名作家』の末尾に、「その青年の事は、折々今でも思ひ出します。才を抱いて、埋もれてゆく人は、外にも沢山ある事と思ひます。」とある。


『私本大原御幸』を著した 後藤武雄(ごとうたけお)氏も、その一人ではなかろうか。
治宇二郎と同じように、彼も平家物語をこよなく愛した人であった。

高倉帝の中宮・建礼門院が傷心の身を京都洛北大原の里に寄せられた文治元年から800年となる昭和60年、後藤氏は『私本大原御幸』を自費出版した。
大正12年生まれの後藤氏は、大原の地に生まれ育ち、大原の地を愛し、建礼門院と同じ風土を共有した人である。

京都府の職員(建築技師)だった彼は、戦後 新学制改革の実施に当たって、京一中が洛北高校として再転誕生したとき、荒廃した校舎を整備する工事の監理・設計に献身した。
わたしの母校・洛北高校と因縁浅からぬ後藤氏の著書に触れられたのは、平家物語という日本の名著の縁でもあり、なにか運命的なものを感じる。

『私本大原御幸』で後藤氏は、無辜の民を犠牲にして繰り広げられた源平争乱の空しさを説きつつ、その中で果たされた後白河法皇のお振舞いを厳しく見つめながらも、大原御幸の折、法皇ご自身の懺悔により「人みな、これ善人なり」と、何者をも包み込む温かいまなざしの筆致で結んでいる。
なによりも、筆者が心血を注いで描きたかったのは、建礼門院の波乱多いご生涯のお姿だった。
西海の波間に身を沈めながらも思い果たせず、そのすえ大原に隠棲、夫の高倉帝と子の安徳帝の二帝 それに一門の菩提を弔いながら、読経三昧の日々を送られた建礼門院のご生涯は、筆者を執筆に駆り立てた。
大原の地からしか発信しえない創意で彩りながら、そして筆者しか感じえない‘獨創者の喜び’を味わいながら…


後藤氏の著した『私本大原御幸』を読み終えて、大原の地から初めて誕生した傑作に触れて、誇らしい気持ちと同時に、ちょぴりうらやましくもある。
争乱に明け暮れた治承寿永の歴史を 新たな角度から説き起こし、先人の未踏・未解の側面を鋭く掘り下げた本書を、芥川が読んでいたなら きっと、『もう一人の無名作家』の小文を残していたのでは、と夢想している。
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マザーハウス

2018-04-01 16:08:15 | 
マザーハウスの京都で初めての店・三条寺町店が、去年8月にオープンした。
29店舗目だ。
近くに引っ越したこともあって、三条寺町近くを通るときウィンドウショッピングを楽しんだり、これはどうしても要るものと無理やり暗示して たまにリュックとかセカンドバッグとか 買い求めることもある。
マザーハウスのカバンは、デザインだけでなく、使い勝手の優れた品が多い。
このカバン好きは、死ななきゃ治らないようだ。

先日、久しぶりにマザーハウスを覗いてみた。
好みのバッグを手にしたいと、棚から取ってファスナーを開けようとして片手が買い物袋で塞がっていたので、ついうっかりバッグを床に置いてしまった。
「床が汚れていますので…」と、スタッフがそれとなく…、「商品が汚れますので…」とは言わずに…。
自分のうかつさを詫びたわたしに、そのスタッフは笑顔で「お気になさらずに…」と声に出さずに答えてくれた。
自社の商品に対するスタッフのプライドを、さわやかな形で教えられた気がした。


マザーハウスの創始者であるバッグデザイナーの山口絵理子さんを強く認識したのは、5,6年前に放映されたテレビドラマであった。
調べて思い出したのだが、そのドラマは TBSテレビドラマ特別番組『20年後の君へ』(2012年7月1日放映)という単発ドラマだった。
それ以前に放映されていたドキュメンタリー番組『夢の扉』の中で取り上げられた人物や団体をモデルとして、一度はバラバラになりかけた家族の再生を描いていた。
中井貴一演ずる一流商社エリートサラリーマンの娘を忽那汐里が演じていたが、『夢の扉』を観ていたので この娘のモデルが山口絵理子さんだと判ったのである。

25,6歳のうら若い女性が、東パキスタン(正確にはバングラデシュだが、わたしには東パキスタンのほうが判りいい)のような アジアの最貧国といわれる地で、どうしてバッグをつくろうとしたのか?
それは、10年前に放映された『情熱大陸』を観返すと、あぁそういうことなのかと頷ける。
2号店開店直前に撮影された映像だ。

山口さんがバングラデシュでヘッドハンティングした現地マネージャーのアティフ・デワン・ラジッドさんが、こう言っている。
「これまで大勢の人々が開発の名のもとにやって来て、お金や食料を援助してくれました。でも私が思うに、それには持続的な効果はありません。なぜなら、人々に無償で何かを与えるのは彼らを‘物乞い’にするのと同じだからです。
エリコさんは全く違う哲学の持ち主です。彼女は‘ビジネス’を通じてこの国を力づけようとしています。それこそが、人々を救う唯一の持続的な道と私も信じます。
それが、私が彼女と共に働く最大の理由です。」

現に映像の中で彼女は、協力工場のピーコック社の従業員が4人も増えた と言って、はじけるような笑顔で喜んでいた。
そう、山口さんの信じているのは、「ほんとは この国の人たちもできる」ということ、それが彼女を突き動かしている。
その具体的な行為は、並ぶすべてのバッグに「原産国/バングラデシュ」のタグを付けること。


今年3月11日付けの“山口絵理子の日々思うこと”『12年目』を読んで、ふと感じたことがある。

企業を引っ張っていくリーダー、ことに創業者が、つねにモティベーションを高く維持し続けることは、相当むずかしい。
山口さんは、多分それはビジネスと思っているからだ、と言う。
彼女にとって、マザーハウスはビジネスではない、人生の旅みたいなもの、だと。
宝を探して仲間を見つけ、それを届ける旅路、だと。
ゴールに向かう旅をするのではなく、プロセスをエンジョイする旅、どこへ向かうか分からないから楽しい旅、だと言うのだ。
うらやましいと思う、と同時に、何か唸りたい気持ちになる。

ひるがえって、わが社のことを思う。

小さな企業ながら、なんとかここまで続いてきた。
5年後に、無事この5年を超えられれば、創業100年を迎える。
100年続くには、4代を経ねばならない。
先代以前はどうだったのかは定かでないが、少なくともわたしの代は、‘並ぶすべてのバッグに「原産国/バングラデシュ」のタグを付けること’のような原動力を持ち得たわけではなかった。
目先のニーズをコマメにコナシて来ただけ、客先から日々届くニーズ、その多くは苦情に近いものを、誠心誠意受け止めてきただけ、のような気がする。
創業者でなかったから、かも知れない。

12年前に社長交代して 今、わたしの代よりは ゆったり経営しているように見える。
何か その日暮らしではないものを、今の社長は追及しているように見える。
うれしいことだ。
その何かが、‘並ぶすべてのバッグに「原産国/バングラデシュ」のタグを付けること’に近いことなら、これほどうれしいことはない。
が、それはちょっと違うだろう。

100年は長い。
小さくても100年続けることは、並大抵のことではない。
大それたことでなくていい。
顧客がある、そのことが続く原動力である。
わが社に社会のニーズがあること、自社製品に堂々と誇りを持ち続けつつも、社会のニーズが有り続けるように変化していくこと。
そうあって欲しい。
今のリーダーなら、いけそうな気がする。


マザーハウスの堅実な発展を目にして、持続的なモティベーションを維持できるヒントを得たように思う。
5年後に創業100年を、わが社が無事迎えられることを祈りつつ……
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