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つれづれ

思いつくままに

橋をかける

2009-09-25 10:41:15 | Weblog
戦後最大の政変といわれる政権交代が、実現した。
それも、クーデターで ではなく、選挙という 民主主義の基本によって である。
有権者の多くが、初めて一票の重みを感じ、初めて真剣に政治家の言動に関心を持って、である。
新政権への期待というよりも 先の政権与党への不満から 実現した政権交代ではあっても、国民のはっきりした意志で 実現した政権交代であることに、間違いはない。
誇らしい出来事である。

わたしは この政権交代の事実を、いろんな意味で 高く評価する。
単に 腐りきった自民党に大きなお灸を据えるといった 小手先の変革ではなく、日本人の価値観、なにが一番大切なことなのか、ひいては、次の世代の子供たちに この国をどういう国として残したいのか、といった 日本人の根っこと翼(美智子皇后のご講演「橋をかける」から引用させていただいた言葉)に関わる、大きな意識変革の現れが、今回の総選挙の結果であった。
その変革を象徴する表現には、さまざまな思いがこもっている。
たとえば・・・国民の血税を コンクリートに流し込むのではなく 命の救済に注いで欲しい、大金は得られずとも 仕事に誇りを持ち それをやりぬくことで 安定した生活が営める国であってほしい、正直者がバカをみるような世の中だけには したくない、子供たちに きれいな水と森を残し 諸外国に尊敬される国のあり方を 示したい・・・
これらの声からは、これまでの右肩上がりの成長下での枠組みとは根底から異なる、新しい国の価値観が求められている。
そのリーダーとして われわれは、鳩山由紀夫氏を選んだ。

ずっと以前、『育児の百科』で有名な育児評論家の松田道雄氏が 毎日新聞に寄稿した「貧乏と貧乏の感じ」という文章が、わたしの頭の片隅に 印象的にある。
それは、レーニンという職業革命家がロシア革命を成し遂げたエッセンスを、そのあたりの知識に乏しいわたしにも 判りやすく説いた短文であった。
横一列の貧乏は それ自体では革命の原動力にはならない、貧乏人が 比較して自分は貧乏人であると自覚できる格差社会があって はじめて“貧乏の感じ”が生まれ、窮乏のプロレタリアという意識が 革命の原動力となるのだ、というような内容だったと記憶する。
格差社会とは、かくも物騒な状態なのである。

なぜ「貧乏と貧乏の感じ」という寄稿文を思い出したか というと、先日 ある報道で<自民再生の道を探る>という番組があり、その中で 元自民党幹事長の野中広務氏が 格差社会について わたしと同じ思いを語っていたからである。
この日本は 自民党がまっとうにならなければ いい国にはならない との思いの野中氏は、誤った「保守」を声高に叫ぶ 古き自民党リーダーたちに警鐘を鳴らして、自民党は平和を守り、国民の多くが中産階級という社会を目指す党にならなければならない、と指摘した。
平和を愛し、格差社会を産まない 社会主義的民主主義を目指せ、との叱咤と 解釈できる。
戦後の日本を軍事大国にならないよう 経済優先で導いてきた自民党は、麻生政権下のアフリカ・ソマリア沖の海賊対策では、まだ法案も通っていないのに 海上自衛隊を海外へ派遣してしまうような国にしてしまった と、野中氏は嘆く。
中国の各地を歩けば 戦争の傷跡が残っているのに、そういうことを考えずに 金を出せば常任理事国になれるという錯覚を持った外交が行われてきた、とも嘆く。
自民党は、この野中氏の嘆きを 真摯に受け止めて、一日も早く まっとうな政党になって欲しい。

自民党だけではない。
東証第一部上場企業を中心に構成される経団連は、かっては 行政改革の鬼と畏れられた めざしの土光さんこと土光敏夫氏をリーダーに仰いだこともあるが、このところ 大企業の利益のみを追求する圧力団体にしか映らなくなった。
このたびの鳩山首相の大胆な発言、温室効果ガスの削減目標に対して、経団連も精一杯協力します と言うのが、日本経済をリードする立場の見識というものであろう。
どうも リーダーの粒が小さくなった。
日本経済も、大企業中心からの脱却を急がねばならない時期に来ている という、一つの示唆かもしれない。

鳩山首相の 安保理首脳会合での演説と 国連総会での演説案を、新聞で読んだ。
絵に描いた餅などと 悪評を吐く評論家もいるようだが、鳩山由紀夫氏の人柄が はっきりとした主張として理解できる すばらしい演説であったろうと、わたしは評価したい。
ことに 骨子の一つ、“友愛精神に基づき、東洋と西洋、先進国と途上国、多様な文明間で、世界の「架け橋」となりたい”との決意は、先の見えなかった日本の未来に はっきりとした高尚な目標を点した という意味で、頼もしく思う。
この「架け橋」をイメージするとき、アフガニスタンで民間支援活動を続けている ペシャワール会の中村哲医師の姿が 思い浮かぶ。
中村医師の献身的な行動は、日本の誇りである。
こんなにすばらしい先達がいることに、日本人として 誇りに感じずにはおれない。
鳩山首相の提唱する「架け橋」の、崇高なる証左である。

いま 手元に、1998年 インドのニューデリーで行われた IBBY(国際児童図書評議会)世界大会において、美智子皇后が基調講演された「橋をかける---子供時代の読書の思い出---」の収録書がある(すえもりブックス発行)。
このご講演の中で 美智子皇后は、幼かった頃にお聞きになったお話、新美南吉の「でんでん虫のかなしみ」や、戦争中の疎開生活で親しまれた児童書、神話伝説の本や「日本少国民文庫」のなかの「日本名作選」「世界名作選」から受けた大切なものについて、お話されている。
その大切なものとは、子供に安定を与える根っこと、時にどこにでも飛んでいける翼だ、と。
神話伝説の本から、個々の家族以外にも 民族の共通の祖先があることを、さまざまな悲しみが描かれた本から、自分以外の人が どれほどに深くものを感じ どれだけ多く傷ついているかを、そういう人間の根っこのようなものを、感じ取られた。
ロバート・フロストの「牧場」という詩から、生きる喜び、失意の時に生きようとする希望を取り戻させ 再び飛翔する翼を、感じ取られた。
美智子皇后は、このご講演で 次のようにお話されている。

---生まれて以来、人は自分と周囲との間に、一つ一つ橋をかけ、人とも、物ともつながりを深め、それを自分の世界として生きています。この橋がかからなかったり、かけても橋として機能を果たさなかったり、時として橋をかける意志を失った時、人は孤立し、平和を失います。この橋は外に向かうだけでなく、内にも向かい、自分と自分自身との間にも絶えずかけ続けられ、ほんとうの自分を発見し、自己の確立をうながしていくように思います。---

そして ご講演の最後に、IBBYへの感謝と期待を込めて 次のように結んでおられる。

---どうかこれからも、これまでと同じく、本が子供の大切な友となり、助けとなることを信じ、子供達と本とを結ぶIBBYの大切な仕事をお続け下さい。
子供達が、自分の中に、しっかりした根を持つために
子供達が、喜びと想像の強い翼を持つために
子供達が、痛みを伴う愛を知るために
そして、子供達が人生の複雑さに耐え、それぞれに与えられた人生を受け入れて生き、やがて一人一人、私共全てのふるさとであるこの地球で、平和の道具となっていくために。---

鳩山首相が 美智子皇后の このご講演を聞いたかどうか、それは判らない。
しかし、彼の言う 友愛精神に基づいた架け橋とは、美智子皇后のお話になった「橋をかける」ことと同じだと、わたしは思いたい。


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東寺・帝釈天像

2009-09-23 00:48:39 | Weblog
有馬稲子さん主演の「胸より胸に」という映画を見たのは、物心ついて間もない頃だったと思う。
世の中にこんなに美しい人がいるのかと、上の姉からもらった有馬稲子さんのブロマイドに見とれていた時期があった。
この映画の内容は ほとんど忘れたが、就職して初めて歌った曲が この映画の中で歌われていた労働賛歌だったことに気づいたことだけは、鮮明に覚えている。
「しあわせはおいらのねがい、しごとはとってもくるしいが、ながれるあせにねがいをこめて、あかるいしゃかいをつくること………」

そのずっとのち、有馬稲子さんが 大学のサークルで話題になったことがある。
女優としての彼女ではなく、彼女が 東寺の帝釈天像をこよなく愛していることに寄せる、同感の思いからだった。
わたしは 当時、東寺の帝釈天像を見たことがなく、仏像鑑賞として 東寺境内に入ったことすらなかった。
幼い頃から 東寺は、祖母のお湯の場であり(東寺に“お湯”がどういう風に存在したのか いまだもって理解していない)、毎月21日の“弘法さん”の市としての認識しかなかった。
そういう認識だった東寺に 有馬稲子さんの愛する仏像があるという一点で、東寺というのは 凄いところと決めてかかった嫌いがある。
まことに 非学術的、世俗的な思いようである。
が、動機がどうであれ、東寺という仏閣が、東寺に祀られてある仏像が、日本の至高の誇りであることに 変わりはない。

この夏 奈良興福寺の阿修羅像が、東京や福岡で たいへんな人気を呼んだ。
わたしは これら二都市の博物館での阿修羅像を見ていないので、その優れた展示方法での阿修羅像の魅力を知らないが、興福寺の国宝館での展示方法が拙いのか、写真でみる阿修羅像に比して 興福寺国宝館での阿修羅像は、貧弱な印象を拭えない。
写真で惚れて 実物で落胆する仏像の、典型ではなかろうか。
阿修羅と闘争をくり返した帝釈天は 貴族の出の戦争の神だが、その代表的な像が 東寺講堂に安置された21体の仏像の中のひとつ、帝釈天像である。

東寺というところは、どちらかと言うと 京都的ではない。
京都人でも、東寺の塔は 道しるべ的に知っているが 寺内に入ったことのある人は少ない、と聞く。
南の町外れというロケーションのせいもあろうが、もったいない。
わたしは 今度あらためて、この寺を訪れた。
有馬稲子さんに導かれて拝した帝釈天像の 気格ある容姿に対する感動を、もう一度味わいたくて・・・

訪れた日は、長く続いた晴天のあとの どしゃ降りの雨だった。

九条通りに面した南大門の 広い五段の石段を上がると、南大門の太い柱と柱のあいだから、雄大な金堂が迫る。
裳階(もこし)付の 本瓦葺き入母屋造りで、和様、唐様、天竺様が入り混じって、なんとも味わい深い。
この金堂の 天井高い内部は、大虹梁を架した組入り天井の豪華なものである。
高貴な古さを感じさせる広い須弥檀には 、十二神将に囲まれた台座に坐す薬師如来坐像と両脇侍の日光・月光菩薩像のみである。
この薬師三尊は 仏教美術的にはどうであれ、この神聖な 広く高い空間に置かれているだけで、もう ありがたい。
外の 激しいはずの雨の音すら、金堂内の静寂を 強調するものでしかない。
こんな 魅せられた空間が、世俗からほんのちょっと車で走らせた場所に存在することに 感謝せざるを得ない。

金堂を出て 東寺の広い寺域に立つと、侘び寂びの世界とは異質の、こせこせ感から程遠い 大きなスケールが迫ってくる。
少し 雨脚が、弱まったようだ。
北側に 講堂がある。
東側の入口から 入る。
広いはずの講堂内は、21体の大きな仏たちで埋め尽くされ、狭苦しくさえ感ずる。
羯磨曼荼羅(かつままんだら)の世界である。
まず飛び込んでくるのは、四天王立像のひとつ 持国天像。
この仏は すばらしい。
全身をひねりながらも、絶妙のバランスで すっくと立っている。
力強く、かつ 今にも須弥檀から飛び降りてくるような 躍動感に溢れている。
そのすぐ後ろに、三羽の神鳥に支えられた台座に ゆったりと坐す 梵天像。
三面、三眼、四臂の像容で、やや俯き加減の すこぶる切れ長の両眼、豊かな張りの両頬の面相は、怒り肩、鳩胸、くびれ胴とあいまって、高貴な異国の王様を髣髴とさせる。

ほんとうのところ これら細部は、なんどか 東から西へ進みまた戻って初めて気づくことであって、初めは 21体の諸仏群に圧倒されて、お堂内の南側を行きつ戻りつさせられた というのが、正直な表現である。
お目当ての帝釈天像は、西端におわした。

東端の梵天もそうだが、この帝釈天も 像高1メートルほどで、他の迫力ある仏像に比べれば 大きさ的には弱い。
しかし 仏像の完成度の高さでは、中央の仏像三群の如来部、菩薩部、明王部を圧倒している。
摩訶不思議な象に乗ったその姿、腰に置いた左手、足裏を見せた半跏の右足、像の背にどっかと掛けた左足、まるで 触れれば弾むごとくである。
胸前を飾る条帛の衣褶からは、その下に隠された逞しい肉体の鼓動が聞こえそうだ。
何よりも その面長のお顔。
深い思索に耽る切れ長の目、意志の強そうな怒り鼻、どのような誘惑にも口を割りそうにない唇、思わず触れてみたくなるような頬、どの部位も どの角度からも 非の打ちどころがない完成度だ。
仏に惚れるとは、こんな心持を言うのだろう。
有馬稲子さんが愛したわけが、改めて腑に落ちた。

わたしは ずいぶん長い間、講堂の中にいたように感じた。
なのに 講堂から出た瞬間、講堂の中にいた時間が あっという間のようでもあった。
雨はすっかり止み、眼前に五重塔がくっきりと建っていた。

東寺というところ、間違いなく 魅せられた空間である。

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ヒガンバナ

2009-09-09 09:21:29 | Weblog
ヒガンバナの花言葉は、「悲しい思い出」。

ヒガンバナにまつわる思い出を 書き記した、新聞の投書欄を見ました。
投稿者は、55歳の女性。
彼女もまた、ヒガンバナにまつわる 花言葉ぴったりの思い出を いっぱい持っていました。
そのことだけで、彼女と会って 話をしてみたくなりました。
わたしと同じような、花言葉ぴったりの思い出だったから。

ちょっと郊外へゆくと、田のあぜ、堤、墓地などに叢がり咲くヒガンバナ。
秋が近づくまで 地表には何も生えてこないのに、お彼岸頃になると 時を忘れず、真っ赤な花を咲かせ、それを見る者は、あぁもう秋 と納得します。

わたしにも、投書の彼女と同じ想い出があります。
ヒガンバナを摘んで家に持って帰ったら、「死人の花だから捨ててきなさい」と 祖母から叱られました。
いつもは優しい祖母なのに、だから大好きな祖母なのに、なんでそんな理不尽なことを言うのだろう と、そのときだけ祖母が嫌いになりました。

不吉と忌み嫌われた理由は、毒草だから だけではないようです。
土葬の死体が、土に穴を掘るモグラなどの小動物に荒らされないよう、墓地の周りにヒガンバナを植えた 有毒ゆえの慣わしに拠るのかも知れません。
花が咲くときは葉をつけず、葉のあるときには花を咲かせないヒガンバナは、その細身の反り花の妖凄な容姿から、陰気な雰囲気を漂わすからかも知れません。
それでも わたしは、踏めばたちまち摧ける この淋しげな花が好きです。

投書の彼女も、ヒガンバナにまつわる思い出の一つとして、新美南吉の『ごん狐』の中の 一場面を挙げています。
村の葬式に出くわしたごん狐が、墓地で見たヒガンバナ。
<・・・墓地には、ひがん花が、赤い布のように さきつづいていました。・・・葬列は墓地へはいって来ました。人々が通ったあとには、ひがん花が、ふみおられていました。・・・>

別名、曼珠沙華。

        曼珠沙華 抱くほどとれど 母戀し (汀女)
 
    

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京田辺の大御堂観音さま

2009-09-03 12:53:20 | Weblog
昭和43年から44年にかけて、京都新聞夕刊に「心情」という連載記事が 載ったことがある。
京都の学界や財界の著名人が、自分の好ましいと思う京都の風景や史跡を、写真と500字足らずの文章で紹介するシリーズであった。
その切抜き帳を 先日たまたま見つけ、興味をそそられて 目を通してみた。
その中に、当時 京都銀行頭取であった片岡久兵衛氏が投稿した「心情」は、京田辺の普賢寺にある 大御堂観音寺本尊の 十一面観世音菩薩立像であった。
或る想い出が、どっと蘇ってきた。

昭和41年2月、教養部での学生生活最後の思い出に と、友人の鈴村繁樹君(故人)とふたりで、南山城を1週間かけて巡ったことがある。
鈴村繁樹君は 卒業後、東洋工業(いまのマツダ)に就職し、ロータリーエンジンの開発設計チームに所属して 猛烈に働き、二人の子供と若い奥さんを残して若死にした。
もっとも親しみを込めて付き合った、もっとも思いで深い友人である。
その、南山城の旅で最初に対面したのが、大御堂観音寺の十一面観音であった。
鈴村君は、この仏像に惚れ込んだ。
その惚れ込みようは、凄かった。
わたしも、それに釣られて 惚れ込んだ。
この観音像は、惚れ込むに値する、親しみ深い すばらしい姿態をしていらっしゃる。
天平時代でも最も爛熟した立像で、木芯乾漆、像高173cmの等身大。

この想い出に誘発されて、先日 京田辺普賢寺を訪れた。
京奈和自動車道の田辺西インターを降りて、同志社の田辺キャンパスを通り、豊かな田畑を行き詰ると 普賢寺在に入り、なだらかな丘陵地帯となる。
このあたりは、第26代継体天皇の皇居、筒城宮(つづきのみや)のあった跡という。
まことにのんびりした 大らかな土地柄で、土地では普賢寺とか、あるいは観音寺とか言わず、大御堂の観音さまで通っている。
大和聖林寺の十一面観音菩薩像と、湖北高月(たかつき)にある渡岸寺の十一面さまと、この大御堂観音さまとが、日本三観音菩薩といわれている。

冒頭に紹介した「心情」で 片岡久兵衛氏は、この像を つぎのように表現している。
『聖林寺の観音さんのボリュームと、渡岸寺の観音さんの細身で貴族的でちょっと近寄りがたい感じのするのとの中間をいく、親しみ深さと適当なボリューム、ことに衣紋(えもん)の開き具合からみて、いまにも台座から降りられ、衆生済度されるかのような 流動的な姿態が、われわれにぴったりと来て、うれしい感激である。』

普賢寺は、かっては 奈良の興福寺の別院として栄えたが、いまは往時を偲ぶ何物も残ってはいない。
唯一 この十一面観音さまが、千二百余年の間 世の変遷につつがなくいまし、往時の栄華を留め置くと同時に、その間の民の信仰と祈りを その麗容に託して、こんにちまで受け継がれている。
拝観を願うと、若い僧侶が 唯一の建物である観音堂に案内してくれて、お厨子を明けてくれる。
観音さまのすぐ足元で、そのお姿を拝顔できる。
これほどの国宝を こんなに間近で拝見してもいいのだろうかと こちらが気遣うほどに、すぐそこに対峙できるのである。
それだけでも 感激である。
その上、馥郁たる等身大の この容姿。

鈴村君が強烈に惚れ込んだわけが、40年を経ていま 眼前で証された。

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