コロナ騒動で、家にいる時間が多い。
積ん読の本を このときとばかりに読み試みるのだが、2, 3ページ読むだけで うとうと居眠ってしまう。
ところが この本だけは、「寝る間も惜しんで」読み切った。
東野圭吾著『クスノキの番人』である。
映画やテレビドラマでも、「東野圭吾・原作」なら まず当たりはずれはない と、安心して観劇できる。
その完成度の高さと深い余韻には、いつも感動させられる。
殺人事件とか 救いのない運命を非情に生き抜く人間像とか、そんな路線から離れて、読者がハッピーな気持ちになれる作品を、と書かれた本作は、作者の意図通りに、読む者の心に 安らぎと希望を与えてくれる。
本書では、クスノキを巡る家族愛、そして重要な伏線として 認知症が扱われている。
クスノキの霊気は、家族が死んだ後にも永遠に残る わたしたちの記憶の象徴として描かれている。
巻末であかされる「千舟」の認知症に、なにかしら 救いのような明るさを感じ取って、読者は この本を閉じることができるのではなかろうか。
この明るさが、いま コロナ騒動で滅入る わたしたちの気持ちを、未来への希望みたいな優しさで 満たしてくれる。
タイムリーな良書である。
東尾道駅を過ぎて 山陽本線を西へ、急に視界が開ける。 右の山手に浄土寺の多宝塔が、左の車窓からは「日立造船向島工場」の横看板が 尾道水道のすぐ向こうに見えてくる。 もうすぐ 尾道駅だ。
尾道には これまで、いくたび訪ねただろう。 ちょっと数えられない。 いくど訪ねても 飽きない。 コロナ騒ぎのいま、自宅で想いを馳せるしかないが、いつかまた 必ず訪れたい。
4月10日、大林宣彦監督が亡くなった。 遺作の映画『海辺の映画館』は、上映が延期になっている。 いつ 観られるのだろうか。
彼ほど「非戦の人」の名に ふさわしい人物を知らない。 多彩な作品を通じて、一貫して平和を訴えた人だった。
戦争を知る世代の 大切な人が、また一人 この世から去った。
彼は 晩年「戦争を語り継ぐべき責任があるのに、伝えてこなかった『うかつ世代』だ」と自嘲する。 非戦の人である彼が そう言うのだ。
「戦争について、日常的に話せるようにしましょうよ」と、続ける。「『戦争の時、あんたいくつだった、何してた』『大根食べてた』でもいい。 みなさん、平和についての一行詩をお作りになったらいかがでしょう。 今日の一行、明日の一行を。 『そこのアリンコよ、一緒に生きようね』でもいい。」
大林宣彦監督は こう綴った。「若い人に伝えます。若い人に任せます。未来の平和創りを!」
若い人だけではない。 残されたものみなに 託された、重い重いメッセージである。
尾道のまちを 歩いてみたい。
千光寺へのロープウェイ下の 艮神社の大楠の幹に触れながら、大林宣彦を偲びたい。
新型コロナウィルス騒ぎで、常時では気づかなかった いろんなことが、分かってくる。
その最たるものが、人の心であろう。
この混乱のなかにあっても なお、自分のことを考えるより先に、他者の身になれる人がいる。
わたしには、天使としか思えない人。
梨木果歩のエッセイ集『やがて満ちてくる光の』のなかで、天使としか思えない人、‘天然に優しい’ 友人が描かれている。
著者が高校生のとき、通学バスの定期券を家に忘れて 登校した。
その朝たまたま 学校へ車で送ってもらったので、忘れものに気付かなかったのだ。
学校でそのことに気付いた著者は、帰りのバス代を仲の良かった友人に借りた。
いいよーと、その友人は即座に著者に バス代を貸してくれた。
その十年後、あのとき友人が自分のバス代を著者に貸し、自分自身は二時間近くかけて歩いて帰った ということを、著者は初めて知る。
なぜ そのことを教えてくれなかったの、と責める著者に、「うーん、まあいいか、と思って」と応える友人。
梨木果歩がこの著書で述懐していると同様、若いころ わたしも、「優しいことは弱いことではない」とか、「(意志の)強さに裏打ちされた優しさ」などと、歯の浮くような言葉を友人と戦わせながら、生きる指針作りに懸命だった。
しかし 人生経験の乏しい あの当時のわたしには、いづれも実体の伴わない机上の空論に過ぎず、梨木果歩の ‘天然に優しい’ 友人のような人に憧れ 追い求め続けた。
後期高齢者の仲間入りを目前にしている わたしは、これまで幾多の「優しくて強い」人たちに会ってきた。
求める わたしの心が、そのような人たちにめぐりあう機会を与えてくれたのだと、自負している。
だが しかし、このわたし自身は、いまだに その求める「優しくて強い」人には 成れていない。
そのことを、この非常時のいま、如実に悟らされている。
梨木果歩の言葉を借りるなら、彼ら彼女ら「優しくて強い」人たちは、決してそのことを求めようと努力していたのではない。
ただ、他人の抱えている事情に対するイマジネーションの力が とてつもなく強い人たちなのだ。
考え込むより先に 他人の身になってしまう、そういう瞬発力が、生まれながらに(天然に)備わっている としか思えない。
その瞬発力は あまりにも早すぎて、ときとして彼ら彼女ら自身の利害を圧倒してしまう。
まず自分の保身を第一に考える生物としては、賢い生き方ではないかも知れない。
けれど それでもなお、わたしは、そういう ‘天然に優しい’ 人たちを、無性に好ましく思う。
ないものねだり と、重々承知しながら。
このコロナ騒ぎは、人間のいろんな顔を、暴露させている。






