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つれづれ

思いつくままに

おじいさんのランプ

2009-02-05 18:01:34 | Weblog
友人の古美術「やかた」店主のブログ「日々」http://kyoto-yakata.sblo.jp/ に、新美南吉の「おじいさんのランプ」が紹介されていました。

   昨日、京都新聞に
   (新美南吉作)おじいさんのランプ、8回に分け、連載と、

   僕の大好きな本の一つです
   ネットの青空文庫にも、掲載してあります、

   物語は、昔、常滑の田舎に暮す子供が、
   荷車を押して山向こうの町へ、

   初めてランプを見て、明るさに、感動し、
   ランプ屋さんに、、、

   時が過ぎ、自分の村に電柱が立ち
   電気がくる時代に、、

   ランプ屋さんを、辞めてしまう、彼

   その、辞め方、と言うか、生き方、と言うか、
   ロマンチックで、メルヘンで、人らしく、、本当に素晴らしい

   まさに、何をしたのか、出来たのか、ではなく
   どう生きたか、、、の、、最高傑作です。

   なかなか出来ませんが、僕も近つきたいし、理想です。

   いまも、、、似たような、、時代かなー

さっそく、青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/ で「おじいさんのランプ」を読みました。
やかた店主が、“最高傑作”と言うはずです。
児童文学でありながら、“大人のための人生哲学物語”でもあるのです。

電気が村に引かれ 時代遅れと覚ったランプ屋、巳之助は、夜更けに 店にありったけのランプに 石油をつぎ、半田池まで持ち出しました。
ランプにつぎつぎと火を点し、それを池の端の木々に吊るして、あたりは昼のように明るくなりました。
「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」
池の向こう側にまわった彼は、向こう岸の木々に鈴なりに灯ったランプが 水面にも逆さまになって灯っているのを、長い間じっと眺めます。
少年のころに花のように輝いてみえたランプ、なつかしいランプ、ながの年月なじんできたランプ。
やがて 巳之助は石ころを拾い、ダイジなダイジな商売道具のランプめがけて 投げつけます。
「お前たちの時世はすぎた。世の中は進んだ」
ランプはひとつ割れ、またひとつ割れ・・・
「世の中は進んだ。電気の時世になった」
巳之助の目には、涙がうかんでいました。
こうして 巳之助は今までの商売をやめ、町に出て 新しい商売を始めます。
ランプを売るうたい文句「ランプの下なら畳の上に新聞をおいて読むことが出来るのイ」が嘘でないことを ほんとうに証明するために いっしょうけんめい勉強した読み書きの能力を生かして、彼は本屋になったのです。

新美南吉の作品に、「ごん狐」という名作があります。
小学校の教科書に載っていたのか 定かでありませんが、「ごん狐」の話は よく覚えていました。
新美南吉という作者の名前は、長男の絵本で「ごん狐」に再会したとき 知りました。

新美南吉は、よく宮沢賢治と比較されます。
地方で教師を務め若くして亡くなった 同時代人の童話作家という共通点で 比べられるのでしょうが、わたしには まったく異質な童話作家です。
正直いって、わたしには宮沢賢治の作品の良さが よくわかりません。
でも 新美南吉の語ることばは、ひとつひとつ わたしの腹に染み込んできます。
金子みすずにも似た、親近感を覚えます。

「おじいさんのランプ」の ランプを石ころで割っていく場面、だいすきです。
まだ読んでいなかった「おじいさんのランプ」を紹介してくれた友に、感謝です。


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人件費は付加価値

2009-02-04 16:19:31 | Weblog
毎日のように、大会社の社員削減リストラ計画が 発表されている。
職を失った人々の悲惨な光景が、連日 報道されている。
何とかしてあげたい、その気持ちは湧き上がってくるのだが、自分のことで精一杯。
彼らを見るに見かねて立ち上がるボランティアの人たちの活動をニュースでみて、ほんとうに頭が下がる。
もっとも弱い立場にある日系ブラジル人を、日本人が嫌がる製造業の夜間作業を担ってきた彼らを、いまの日本は、ボランティアでしか救うことができないのか。
なさけないことになったものである。

企業経営に携わるものとして、現状は 非常に苦しい。
苦しいが、まだ恵まれた方である。
そう、自分に言い聞かせている。

そんな毎日のなか、ある新聞記事が、ひと筋の光明のように思えた。
その記事の要旨は、次のようなことであった。
企業の社会的責任を正しく評価するために、株主から見た評価としては有効な 自己資本利益率や総資本利益率ではなく、賃金を含めた付加価値に着目して 総資本付加価値率を重視すべきだ、との意見であった。
平たく言えば、非正規雇用者の扱いに見られるように、本来「固定費」であるべき人件費を、委託費や外注費といった 切り詰める対象の物件費(変動費)として扱われていることに対する、憤りなのである。

いま、わたしがひと筋の光明と言ったのは、この要旨そのものではなく、「賃金を含めた付加価値」という考え方である。

いままで わたしは、決算書に表現される通り、人件費を「製造原価」として考えてきた。
この考えは間違いではないのだが、製造原価すなわちコストとみなしている限り、売上からコストを差し引いたものが「付加価値」との認識は、人件費が付加価値の一部であるとは 考えにくくしている。
経営者にとって「付加価値」という言葉は、一種の魔術であって、信奉すべきものとの思いが強い。
「付加価値を高めよう」との掛け声は、経営者なら耳にタコのごときであろう。
「付加価値」を高めるのが経営者の務めであり、その大きなウェイトを占める人件費を削減せねばならない、そう考えてしまうのだ。
経営が順調なときには そんなことは考えないのだが、切羽詰ってくると、なさけないことだが、人件費が“悪の枢軸”のように思えてくる。

「利潤や利子、地代・家賃と同様、人件費も付加価値の一部である」
こんなことは、マルクス経済学を引き合いに出すまでもなく 自明のことなのだが、わたしの頭のなかでは そうではなかったのだ。
「賃金を含めた付加価値」という考えは、実質 現状をなんら変えることではないにもかかわらず、一経営者であるわたしにとって、気持ちの上で 大きな安らぎである。
人件費の削減が、(気持ちの上で)至上命令でなくなるからである。

利潤を追求する営利企業である以上、利潤を圧迫する人件費を低く抑えようとするのは、当然のことである。
それでも、「賃金を含めた付加価値」で企業を評価してもらえるのなら、社員にむかって どうどうと「ガンバロウ」と言えるではないか。

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