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つれづれ

思いつくままに

九回裏の奇蹟

2014-07-30 11:46:29 | 
先日の朝日新聞「天声人語」で、グサリとくる川柳を見つけた。

   九回裏 別に奇蹟もなく 負ける(川上三太郎)

夏の高校野球石川大会決勝戦の 奇蹟の大逆転記事に、まくらとして紹介されていた。


身辺整理を始めた。
見事に 要らないものばかり。
要る要らないは、その時々 気分にも拠る。
思い出にふけりだすと、捨てづらくなる。

要る、と考えて残したのだろうから、当初は要るものだったに違いない。
しかし、何年も いや 何十年も仕舞いっぱなし、ということは、これから先も まず要らないはず。
と言い聞かせて、ゴミの山。

ふと考えた。
わたし自身が 要らないもの。
なければないで、世の中 知らん顔で回ってゆく。

武士社会の世では、ことに男は、おのれの死に場所を つねに考えていた、と思う。
現代 還暦過ぎても、なまじっか 一見元気そうなものだから、もう一花咲くんじゃぁ、なんて考えてしまう。
だが 実は、「九回裏 別に奇蹟もなく 負ける」であって、それが当たり前、自然な姿なのである。


身辺整理に、おそらく「お仕舞い」はないであろう。
過去の遺物を捨てたあとから、また今日の遺物が溜まってゆく。
ならば いっそのこと「店仕舞い」はよして、開店のためのエッセンス作り、と考え直そう。
開店のオーナーは、もちろん わたしではない。
未知の人かも知れない。
店を継いでくれる人なら、誰だっていい。
これらエッセンスを捨てるか残すかは、そのオーナーの判断に任せればいいこと。

こう考えると、身辺整理も けっこう面白くなってきた。
九回裏の奇蹟なんか 望まない。
無欲ほど 楽な暮らしはない。
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風合い

2014-07-22 11:32:07 | 

太極拳の師、西村加代先生から、お便りをいただいきました。
教室の皆さんの太極拳には、どんな風合いが出てきているか、楽しみです、と。

風合い、いい言葉ですね。
この言葉の裏側に、経年を感じさせます。
年を重ねる、という過程がないと、風合いという言葉は成立しません。

風合いは、ことさら感覚的で、ことさら個人的です。
大切に着込んだ結城紬、上手に使い込んだ板金ハンマー、手垢で黄ばみだしているけれど めくりやすい辞書・・・
それらには、ゆっくりだけれど 決して休まない、継続の魂が宿っています。
若さでは出し得ない、日々こつこつと年を重ねたものだけに授けられる、証しみたいなものです。

わたし自身の太極拳は、はたして どんな風合いが出てきているのか、ちょっと恥ずかしい気持ちがいたします。

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ひおうぎ

2014-07-17 11:44:00 | 
ことしも、祇園祭の夏が やってきました。
約半世紀ぶりに後祭が復活、といっても ちょっとダラけるんやないやろか。

年々 観光化してきて、むかしのような親しみが薄れてきた気がします。
鉾から投げられる粽を キャッキャ言うて奪い合った光景は、もう望めそうにありません。
新町通りにあった知人の家の中二階から、すぐそばを通る鉾の上の はやし方の友人に茶化し囃子を浴びせた思い出が、なつかしい。
わたしだけの、独りよがりの郷愁です。


ところで 祇園祭には、ヒオウギという植物が飾られるという風習があります。
祇園祭が元々は疫病を流行らせている怨霊の怒りを鎮めるために始められたことから、悪霊退散に使われたヒオウギは欠かせないものとなった、ということらしいです。
たしかに ヒオウギの葉は、檜扇を広げた姿に似ていて、邪鬼を扇ぎ払う雰囲気も ありそうな気もします。

俄か勉強ですが、ヒオウギは黒い種子を持っていることから、この種子が 古代「ぬばたま」と言われていたもののようです。
そういうと、万葉集の枕詞「ぬばたまの」として、黒や夜に関するものに多くかかっていますね。

我が家の玄関にも ヒオウギのいけばなが飾られました。
いけ方に決まりがあるらしいのですが、たぶん 決まり通りのいけ方ではないでしょう。
まぁ、涼しげであれば、なんでもいいとして・・・厄除けのお守りがわりにもなるし・・・



ことしも 後祭りの南観音山で、孫たちがロウソク当番をします。
おすそ分けで わたしも一緒に、「ろうそく一丁 献じられましょう」と唱えさせてもらうつもりです。
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