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つれづれ

思いつくままに

時代祭

2013-10-24 22:22:12 | Weblog
台風26号と27号の狭間、10月22日は、まぁまぁのお天気でした。
京都三大祭りのひとつ、時代祭の日。
この日の夜には、鞍馬の火祭も催され、京都の秋の観光ピーク と言ったところです。

ほかの三大祭り、葵祭は、高貴なお方のお祭り といった感じかな。
もう一つの祇園祭は、日本三大祭りであり、外国でも有名な世界的祭になりました。
京都人としては 誇らしくはありますが、やっぱり本質は 氏子たちのお祭り。
だれでも参加する、という訳にはいきません。

そこへいくと 時代祭は、まさしく京都人のお祭りです。
だれでも行列に参加することができるのです。
ことしの時代祭には、当社の佐々木亨君が 平安講社第八社から、維新勤皇隊列に騎馬姿で加わりました。
7年前、わたしも同じく騎乗して、へとへとになって平安神宮に到着したのを、懐かしく思い出します。


平安講社とは、明治28年にできた市民組織で、京都市の旧学区を単位とした10の講社から成り立っています。
第八社は、朱雀学区を中心とする中京区西部が担当しています。
時代祭の先頭を任されており、♪ピーヒャラピッピッピ~~~♪の鼓笛隊が 時代祭の代名詞になるくらい、名誉ある講社です。


鼓笛隊は、早い時期から 西ノ京中学校に有志の小中学生が集まり、練習に練習を重ねて 晴れの舞台に臨むのです。
そのころ 西ノ京中学校の付近を通ると、華やいだ音色が、遠くからでも聞こえてきます。
市民の祭り、そんな気分に浸れる音色です。

祭りは偉大なマンネリズム、いつまでも大切に守っていきたいものです。

先頭の名誉奉行を務める京都府知事、京都市長も、この日ばかりは満面の笑みでした。
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湖北の十一面観音さん

2013-10-10 09:06:03 | Weblog
「すっくとお立ちになっている十一面観音さまというものは、それはそれは美しく、何とも言えず優しいものでございます。十一面観音をごらんになったことが、おありでございましょうか」
「十一面観音?」
「はい。十一の仏面をお持ちの観音さまでございます。十の仏面を頭にお載せになって、本当のお顔と合せて、十一面になるのもありますし、頭に十一の仏面をお載せになっているのもあります。そうした観音さまが、この湖畔にたくさんございます」
「ほう」
「有名なものも一体か、二体ございますが、その多くが余り世間には知られておりません」

これは、井上靖の著書『星と祭』に登場する十一面観音さんの、さわりである。
主人公の架山は、先妻との間に生まれた十七歳の長女を、琵琶湖竹生島の近くで起きたボート転覆事故で亡くした。
遺骸は上がらなかった。
冒頭の会話は、転覆したボートに同乗して同じく行方不明になった男子大学生の父親 大三浦老人が、架山に話しかける場面である。


『星と祭』、この小説で 井上靖は、大切なものを自分の手の届かないところへ失ってしまった喪失感を どう納得させていくか、このテーマを、琵琶湖と観音像のある風景、ヒマラヤの素朴で悠久の自然の風景、とを対照させながら、すらりと 染みとおるように 描いている。

諦めきれずに祈り続ける殯(もがり)すなわち「祭」、ヒマラヤ山麓を皎皎と照らす月が示唆する永劫(えいごう)すなわち「星」。
悲しむこと、祀ることの果て、これらは 最終章で、月光のもと、竹生島湖上での八年目の葬儀として、融合昇華される。
湖北のたくさんの十一面観音さんに見守られて・・・

それは、大三浦老人の言葉で括られた。
「もう二人は、この湖の中にはおりません。神になりました。仏になりました。もしかしたら天に上って、星になったかも知れません」


仏像に興味を抱く者が、この『星と祭』を読んで、湖北の十一面観音たちに惹かれないほうが おかしい。
だが、わたしの`湖北の十一面観音さんめぐり’は、『星と祭』に登場する 湖北の十一面観音のうち、三体しか まだ拝していない。
いずれ四十体は と考えているが、信仰心から動いていない わたしの`巡歴’は、おそらく実現できないだろう。
正直 わたしは、渡岸寺(どうがんじ)観音堂の十一面観音像を拝して、あぁこれで十分だ と諦めている。

人は 悩みや悲しみのあるとき、観音さまに会いたくなる。
三体の観音像で満足している自分は、悩みや悲しみが さほど深くないから、と考えられなくもない。


それにしても、長浜市高月町にある渡岸寺観音堂の この十一面観音さんの後ろ姿は、なんとも美しい。

オシャレな高結い髪型の宝髻、その上に乗っている頂上化仏の それに劣らずしゃれた髪型、両後ろ肩を這う三つ編みの裾、後頭中央に配せられた暴悪大笑相の小面は 大きな髪飾りのよう。
頭上ぐるりと配する二段の小面は、まるで宝冠みたい。

肉付きのいい肩を蓋う薄衣は、その裾長い両端が、少し前目に垂らした与願印の右手と 花瓶の口部をそっとつまんで持つ左手とを 巻くように沿って、得も言われぬ美しいカーブを描きながら、蓮肉上まで垂れさがる。

ちょっと太めの上膊は、アクセントよろしく かっこいい腕釧で、きりりと。
肩の薄衣と幅狭の袈裟懸け衣だけの裸の背中は、腰までまっすぐに伸び、腰骨で止まっている衣の横線を境に、下半身をかなり大きく右にひねっている。
その艶の品の清らかなこと。

こんな美しい後ろ姿の観音像は、見たことがない。
国宝級の観音像で これだけまじまじと後ろ姿をじかに拝せる仏像は、たぶん他にないのではないか。

よくぞ今の世まで きれいなお姿で残ってくだされた。
遠く戦国時代、姉川の合戦の戦火から、観音像を必死の思いで運び出し、土中に埋めてお守りしてくれた村人達に、敬意を込めて感謝したい。


渡岸寺観音堂の十一面観音さんに限らず 湖北の観音たちは、村落の人々の手により守られ、いくつもの戦乱や天災をくぐり抜けて、今なおこの地にしっかりと息づいている。
ありがたいことである。
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やっぱり、おかしい。

2013-10-08 11:32:23 | Weblog
やっぱり、おかしい。


2007年12月、認知症の男性(当時91歳)が、愛知県大府市のJR東海道本線の線路内に入り、列車と衝突して 死亡するという事故が起きた。
JR東海は、この男性の家族らの安全対策が不十分だったとして、遺族らに 列車が遅れたことに関する損害賠償を求めた。
名古屋地裁は、今年8月9日、男性の妻(当時85歳)と長男に、請求全額にあたる 約720万円を支払うよう命じた。

名古屋地裁の裁判官は、「妻には見守りを怠った過失がある」と認定し、別居している長男についても「事実上の監督者」として「徘徊を防止する適切な措置を講じていなかった」とした。
裁判長は、「男性の介護体制は、介護者が常に目を離さないことが前提となっており、過失の責任は免れない」と述べた。
(日経新聞8月10日の記事より)

この名古屋地裁の判断は、現行の法律に基づいて正しいのだろう。
しかし、なにか 割り切れない感情が残る。
やっぱり、おかしい。


2005年4月に起きた JR宝塚線の脱線事故の裁判で、先月26日 神戸地裁は、「JR西日本の歴代社長3人は事故の危険性を具体的に予見することはできなかった」として、3人に無罪の判決を下した。
「今も多くの人が苦しむ大変な事故で、誰一人刑事責任を問わないのをおかしいと思われるのはもっともです。ただ企業の責任ではなく、社長という個人の責任を追及する場合には厳格に考えないといけないので、こうなりました」と、神戸地裁裁判長と二人の裁判官は、法廷内の遺族らに向って、約10秒間、深々と頭を下げた、という(朝日新聞9月27日の記事より)。

原則として個人を処罰対象とする今の刑法では、かれら法人トップに責任を取らせることができない、ということらしい。
責任がJR西にあるのは あきらかであるにも関わらず、にである。
法律では そうなるのかも知れないが、当事者でないわたしですら、大きな憤りを抑えられない。
やっぱり、おかしい。


宝塚線脱線事故の裁判報道に接するたびに、思い出す出来事がある。
9年前に起きた、鳥インフルエンザ事件である。

京都府丹波町の浅田農産船井農場で、大量の鳥インフルエンザ感染鶏が見つかった。
浅田農産の社長は、感染を認識していたにもかかわらず、府への報告を怠った。
そのため、感染の疑いのある鶏肉や玉子が流通したことに加え、船井農場の周りの養鶏場で二次感染が発生した。
事件発覚の10日後、社長の両親で創業者の会長夫妻が、本社のある姫路市内で首を吊って死んでいるのが発見された。

事態を隠蔽しようとしたのは 間違いなく咎められるべきことであるが、執拗なマスコミの追求に悩んでのことであろう、なんとも不憫な事件ではあった。

JR西日本の3人の元社長は自殺すべきだ、などと言うつもりは、さらさらない。
ただ わたしは、首つり自殺した浅田農産の会長夫妻が弱い人間で JR西日本の元社長たちが強い人間だ、だけで済ますことができないのだ。
道義的な責任の感じ方、その差である。


トップが責任をとらない、ただ マスコミ会見で頭を下げるでだけ。
このところの 諸々の事件に対処する当事者トップの行動を 報道でみるにつけ、感じる思いである。
どうして こんな日本になってしまったのだろう。

いや、これが、今の日本の‘常識’なのかも知れない。
いまや、東アジア的道徳概念は、過去の遺物になってしまったのだから。

大日本帝国憲法の憲法発布勅語に、「朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ・・・」とある。
朕(天皇)は、臣民の平和と安寧をその心の中心に置いている、と解釈できる。
臣民は、言葉を換えれば(天皇の)奴隷であるから、今の民主主義日本に受け容れられるものでは、もちろんない。
現憲法の日本国憲法では、主権は国民なのだから。
ただ、支配者であった朕は、東アジア的道徳概念(儒教思想や武士道精神)のもと、家来である臣民を思いやる という根本が、大日本帝国憲法下では、たてまえ上とは言え、拘束としてあった。

戦後 日本は、政治の世界にも経済界にも、数多くの尊敬に値するリーダーたちを輩出した。
彼らは 共通して、東アジア的道徳概念を持っていたように思う。
例えば 終身雇用制は、東アジア的道徳概念のあらわれではなかったか。

いま トップが責任を取らないのは、日本国憲法のほんとうを曲解した`主権在民’の一端と言えなくもない。
言い方を換えれば、トップの、悪い意味でのサラリーマン化である。


宝塚線脱線事故の裁判で わたしは、いろんなことを考えさせられた。
神戸地裁の下した判決は、寛容という リベラルの根本理念からして、仕方ないことなのか。
しかし その寛容も、人間としての責任感を前提にしての、適用でなければならないはずだ。

やっぱり、おかしい。
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