空を見あげる。
青空なら、そのかなたの方を。
小雨なら、かざした傘越しに。
強い雨なら、借りた軒先から。
背筋首筋が伸びるし、近視眼疲労の目の保養にもなるし、人の顔色から解放されもする。
なによりも、気持ちが晴ればれする。
要らん考えが、どっかへいってしまう。
若いとき、人の口元を見るようにしていた、目と目が合うのが嫌だったから。
バリバリ仕事してたころは、見落とさないようにと、近視眼を研ぎ澄ましていた。
細かいところまで気が付くねぇとの言葉に、いい気になってもいた。
年老いてからは、足元が危ないからと、下ばかり見て歩くようになった。
80歳を間近にして ようやく、ときどき空を見あげている。
雲のひょうきんな形をよろこび、その行方を追う。
この感覚を、忘れないでいよう、と思う。
幸田 文(こうだ あや)。
日本近代文学を代表する文豪・幸田露伴を父にもつ、明治37年生まれの文筆家である。
わたしの父の4歳上、母の7歳上である。
この薄っぺらいが重い本『崩れ』は、「年齢72才、体重52キロ」の幸田文が、自分でもよくわからない衝動にかられ 日本全国の「崩れ」現場を見て歩く、一種のルポルタージュである。
具体的に、時には同行の男性の背におぶってもらいながら 幸田文が訪ね歩いた「崩れ」を挙げると、安倍川支流の大谷川の「大谷崩れ」、富士山てっぺんの俗にお鉢とよばれる火口の西壁の崩壊谷「大沢崩れ」、富山県を流れる暴れ川・常願寺川の上流水源地のひとつ 鳶山(とびやま)の西方にある「鳶崩れ」、日光男体山の崩れ、長野県を「糸魚川静岡構造線」に沿って流れる暴れ川・姫川の 特別豪雪地帯の小谷村(おたりむら)中ほどの支流・浦川上流水源地「稗田山(ひだやま)崩れ」、、、
さらに鹿児島県の桜島、北海道の有珠山と 火山へも足を伸ばす。
「年齢72歳、体重52キロ」の幸田文の、このエネルギッシュな行動力に まず たじろぐのだ。
幸田文著『崩れ』の文章の魅力は、彼女独特の“その意味をこざっぱりと彷彿させる幸田あや語彙”をちりばめながら、この自然現象「崩れ」の荒々しい風景を 言葉という自分の武器を細心かつ大胆に使いこなして表現しているところ、であろう。
誰かがこの「崩れ」を見とどけ伝えなければならないという一途さに、読み人は感動するのだ。
『おとうと』や『台所のおと』や『木』や『きもの』・・・これら彼女の代表作からうかがえる 日常生活の静かなたたずまいからは、この『崩れ』の峻厳さは 想像もつかないが、わたしは、この薄っぺらい文庫本を 幸田文著のささやかな本棚の いちばん目立つところに仕舞いたい。
『崩れ』を読んでいて、明治末生まれの母のことを思った。
母も、「頑固」のひとことではかたづけられない強靭さ、かたくなまでの一途さを 身にまとっていた。
それは、生きる力でもあるが、一面 もろく、なにか悲しい。
この文庫本の巻末に掲載されている 川本三郎氏の「解説」の文末に、こう ある。
山の奥の奥に姿を隠していてめったなことでは人の目に入らない崩れとは、実は幸田文にとって生涯でもっとも愛した人、父の幸田露伴
のイメージそのものではなかったかと。
孤高で、厳しく、そしてやさしく、ときに悲しい父。
幸田文は晩年を迎えたとき、実はふと亡き父に会いたくなり、それで崩れを訪ね歩いたのではなかろうか。
とすれば、本書は幸田文の、父への最後のオマージュといえるだろう。






