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つれづれ

思いつくままに

故郷忘じがたく候

2008-10-29 11:17:31 | Weblog
人は、生まれたそのときから 望郷の悲しみを抱いて生きるように 仕込まれているようです。

誰しも 故郷を持ちます。
同じところで 一生を過ごす人は、稀れでしょう。
動けば 元居たところが、故郷。
故郷は 遠くとは限らない。
隣町でも 元居たところなら、故郷です。
生きた証しは「ふるさと」に詰り、故郷を思うとき 懐かしさと同時に えも言われぬ悲しみを抱かざるを得ません。

期限付きの「生」、“限られた時間”を与えられたに過ぎない、人間の毎日の営み。
今を生きると思い込んでいる「いま」は、そう思った瞬間に もう「過去」となっています。
いずれ「想い出」となる「過去」を せっせせっせと紡いで、“限られた時間”を過ごします。
紡いだ「過去」は、紡ぐ「いま」が貧弱になるにしたがって 膨らみ、懐かしむ対象、「想い出」と化す。
そうして、想い出は 悲しみを引き連れて、生きることと悲しむこととが 一つになり、ついには 想い出がその人を占領してしまい、『想い出に生きる人』 となってしまうのです。

孫たちの、面白くてしょうがない といわんばかりの「いま」の行動は、好奇心の塊と表現したらいいのか、未知への好奇心に満ち満ちています。
彼らは、「過去」など振り返らない。
彼ら幼子の振り返る「過去」は、無いに等しいからです。

成長して 人は、懐かしむべき「過去」を持つようになります。
しかし、あとからあとから 洪水のごとく押し寄せる「いま」を生きるのに精一杯で、懐かしむべき「過去」を「想い出」と呼ぶ暇がありません。
それでも ふと、立ち止まって 来し方を振り返ることがある。
それは、40歳前後のころでしょうか。

このホームページを担当してくれている水野里香さんに薦められて、重松清の小説を ここ数冊 続けて読んでいます。
実は、学生時代からの やり残しの宿題みたいに、トルストイの「戦争と平和」を読みかけていました。
この小説を読破することが自分の義務のように いまでも思っていますが、2、3ページ読んだだけで、眠くなってしまうのです。
重みが違いすぎますが、重松清の小説は スイスイ読めます。
文庫本のページ数にして、50枚足らずでしょうか。
短編だから 一気に読み切ってしまえます。
短編と言っても それぞれの短編が上手に繋がっているので、つぎの短編に移るのが楽しみなのです。

登場人物は、ほとんど40歳前後。
ふと 過去を振り返る年齢です。
映画にもなっている小説「その日のまえに」の中に、『潮騒』 という短編が含まれています。
・・・同級生のカオちゃんが海で溺れて死んだ。
その悲しい記憶を抱いて、カオちゃんの友達らに 30年余の歳月が流れる。
その一人、シュンは 余命三ヵ月の病を抱え、ふらふらと カオちゃんの溺れた海のある故郷を訪ねた。
因縁の友、でめきんに会ったシュンは、二人で カオちゃんの姿を最後に見た“かもめハウス”の砂浜を訪ね、「生き残ってごめん」の意味を噛みしめる。・・・
こう要約しても 何も伝わりませんが、冒頭の思いが ひしひしと迫ってくる作品です。

同じく重松清作品「送り火」も、40歳ころの夫婦が主役の短編連作で、故郷を振り返る場面が たびたび出てきます。
その中の 『よーそろ』 という短編、少しトーンが違いますが、印象に残る作品です。
・・・普通電車しか止まらない私鉄駅に勤務する原島。
この駅では 飛び込み自殺が相次いでいた。
原島は、自殺願望の人間を見極める能力を持っており、仕事上 ついつい<命の恩人>になってしまう。
見えない自殺願望者に、駅舎にたたずむお地蔵さんの前掛けや構内ポスターを借りて さりげなく伝える彼からのメッセージは、「死にたくなったら ホームページ<ムラさんの世界放浪日記>を覗いてみませんか」であった。
彼には むかし苦い経験がある。
先輩の ムラさんこと関本が、飛び込み自殺しかけのサラリーマンを助けようとして巻き添えを食い、両足切断、首の骨を折る事故を、目の前で見てしまったのだ。
その関本は いま、ホームページに新たな展開を加えようとしている。アフリカから 地中海を渡ってヨーロッパを旅するのだ。もちろん空想で。
関本の更新されたホームページには、こう記されている。
<「異常なし、このまま進め」いうんを、船乗りの言葉では、こない言うねん。よーそろ!よーそろ!。わしも、よーそろ!あんたも、よーそろ!。あんたの目の前の水平線は「終わり」のしるしとちがうでえ!>。
今日も 原島は、ひとりの少年を助けた。
以前 アフリカ難民を描いた子ども向けのルポルタージュを 落ち着きなく読んでいた、ヤバいなと感じていた小学生だった。
間一髪で正気に戻した少年の耳に、原島は こう囁く。「ムラさんの日記、今日更新されたぞ」・・・
この短編の余韻は、いつまでも残りそうです。

「カシオペアの丘」は 上下2巻、短編の多い重松作品の中では ちょっとボリュームのある作品です。
この話にも、メリーゴーランドが出てきます。
作者は、よほどメリーゴーランドに思い入れがあるのでしょう。
「過去」を振り返るのとメリーゴーランドの組み合わせ、その気持ちが なんとなくわかります。
わたしの場合は、サーカス、それも具体的に“木下サーカス”かな。
この小説を、近江八幡からの帰り 新快速の車中で読んでいました。
座れないくらい込んでいることが多いのに、その日は時間がずれたからか 乗客はまばらで、わたしは いつものように通路側の席に座りました。
後で気づいたのですが、斜め前の窓側に 利発そうな顔立ちの男子の(たぶん)高校生が座っていました。
沿線沿いの高校に通っているのか、この時間帯に乗り合わせるのも 少し不思議です。
読んでいて 熱いものがこみあげてきて、わたしの眼がしらが滲んでいたからかも知れません。
「なんという本を読んでられるんですか」と、この男の子が、少し遠慮がちに でもはっきりとたずねました。
ちょっと気恥ずかしかったのですが、書名と作者を教えてあげました。
あの子も この本を読んでくれたら、なにか とてもうれしい気持ちです。

重松作品の新作「とんび」も、ぜひ読んでみたいです。
ここ当分は「戦争と平和」を棚上げて、重松作品が続くでしょう。

先日、水野さんと 立命館大学国際平和ミュージアムへ 『世界報道写真展2008』 を観にいったときのことです。
自転車で 立命館衣笠学舎の西南を廻っていて、彼女の小学校時代をすごした家の付近を通りかかりました。
以前住んでいた家は 全く違った建物になっていたようですが、よく遊んだ そのすぐ近くの教会や 夜道はちょっと恐そうな抜け道など、彼女にとって このあたり全部が きっととても懐かしく、そして 本人しかわからない寂しさを感じているのではないかな、と思いました。
的外れな推量かも 知れません。
わたしは 10年ほど前までは、以前住んでいたあたりを通ると、きゅんと胸が痛くなりました。
唯一当時と変わらない街路樹、プラタナスの幹の古皮を、叱られて家出して幼いころにしたと同じように ペラペラ剥がしている自分がとても悲しく、当時を知る回りの人たちが ほとんどいなくなったことに思い至って、奈落に落ちるような孤独感を抱いたものです。
あのころ、家内のさりげない言葉が 実にありがたかった。
「楽しいことばや明るい想い出を これからいっぱい貯めようよ。その貯金が わたしたちの老後を支えてくれると思うよ」
今は、その場所を通りかかっても、枯れたか あるいは違う楽しい想い出に置き換わったか、悲しみはほとんど感じず、遠い昔語りの絵本を見るような 懐かしさが涌いてくるだけです。

司馬遼太郎の短編に、『故郷忘じがたく候』 という作品があります。
豊臣秀吉の朝鮮出兵時に拉致されて 鹿児島県の苗代川(いまの美山)というところに住み着いた70名余の朝鮮人男女の、400年の歴史を題材にした短編です。
100年経っても 200年経っても 400年経っても、母国語を忘れても、故郷忘じがたく、薩摩焼きに託して 古朝鮮の遺風を今に伝える人々を、その末裔、第14代 沈寿官氏との出会いを通じて、司馬遼太郎は 尊敬のまなざしで描いています。

わたしの抱く望郷の念など、400年の望郷に磨きぬかれた沈寿官氏の念から比べたら、朝顔の露ほどにもならない ちっぽけなものです。
でも、わたしにとっては かけがえのない大切な「ふるさと」、みんな それぞれが抱いている「ふるさと」に対して、“故郷忘じがたく候”なのだと思います。

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クラシックへの誘い

2008-10-28 13:55:07 | Weblog
クラシック音楽との出会いというものは、まことに運命的である。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲・ホ短調・作品64 という曲がある。
物悲しいヴァイオリンの音色に、心を掻き毟られるような曲だ。
題名は忘れてしまったが ヒッチコックか誰かのサスペンス映画で、これもウラ覚えなのだが 同朋の地下組織に秘密文書を届けるヴァイオリニストの青年に 配達依頼人は 或るクラシック曲を聞かせ、指定された鉄道駅で その曲を奏でよ と命ずる。
届ける相手の名前は、メンデルスゾーンと言った。
悲しい旋律が、忘れられない、あの曲を もう一度どうしても聴いてみたい、あれは メンデルスゾーンの作品に違いない。
小遣いを貯めて、新京極のレコード店で メンデルスゾーンのヴァイオリン曲をあれこれ聴かせてもらって買ったレコードが、ヴァイオリン協奏曲・ホ短調・作品64 であり、その第3楽章の出だしが あの悲しい旋律だった。

モーツァルトの有名な作品に、アイネ・クライネ・ナハトムジークという曲がある。
ドイツ語で Eine kleine Nachtmusik、「小夜曲」と訳されている。
学生時代、ドイツ語会話を 半年ほど習ったことがある。
ドイツ人の若い講師が、不定冠詞 ein の女性変化形 eine を説明するのに この Eine kleine Nachtmusik を引合いに出した。
そして、流暢な日本語で モーツァルトの素晴らしさを延々と語った。
肝心のドイツ語は ほとんど忘れてしまったが、その講師のモーツァルトについての講釈は 今でもうっすら覚えている。
こんな若い講師を こんなに夢中にさせるモーツァルトとは という素朴な関心から、その触りだけでも という気持ちで、たまたま 気のいい友人が持っていた このモーツァルトのセレナード 第13番 ト長調 K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のレコードを借りて、卒業する直前まで 借りっぱなしだった。
お陰で、耳が空暗記するほど この曲を聴くことができた。

中国・南京の近く、揚子江をフェリーで渡って 姜堰市というところを訪ねたことがある。
当社製品の重要な部品の素材を、当時 価格的に有利だった中国産に求めて、現地工場視察するためであった。
平成7年1月12日から16日の、5日間の急ぎ旅であった。
月日をはっきり覚えているのは、帰国翌日に あの阪神淡路大震災があったからだ。
視察を終えて 姜堰市から上海まで かなり長い距離を、タクシーで移動した。
何時間かかったか、下腹がキューっと痛くなるような荒い運転に タクシーの後部座席でじっと我慢していた。
車窓から、中国の田舎の ちょうど日本の昭和30年ころの情景を彷彿とさせるような景色を眺めることができたが、スピードとクラクションの恐ろしさに ほとんどは目を閉じていたように思う。
その耳に、場違いの曲が聞こえてきた。
運転手が、カセットテープで クラシック音楽を聴いていたのだ。
聞き覚えのある曲なのだが、思い出せない。
同行の通訳に、なんという名の曲か 運転手に尋ねてくれと頼んだ。
ブラームスのハンガリー舞曲だとの答え。
運転は無茶苦茶だが こんな趣味をもっているのかと、とても意外で ちょっとうれしかったことを思い出す。
ブラームスのハンガリー舞曲は、私の好きなクラシックになった。

私は、演奏会というものが苦手である。
まず、長い間 黙ってじっとしているのが つらい。
それに、あの拍手の作法というのが どうしたらいいのか、逃げ出したいくらいだ。
だから、クラシック音楽は 別に音響の整った音楽堂でシャチコばって聴かなくても 一向かまわない と、自分勝手に解釈している。
ベートーヴェンのハ短調シンフォニーの第1楽章を、浜松の駅前の有料トイレの中で大きい用を足しながら バックミュージックとして聴いて感激したし、チャイコフスキーの変ロ短調ピアノ協奏曲第一番第3楽章を、クリスマスイヴに ドキドキしながら彼女にプレゼントした喫茶店で流れていた 忘れがたき思い出の曲、くらいの 軽い乗りで聴いている。

素晴らしい音楽の前では 言葉は無能である というが、素晴らしい音楽とは そもそも極めて個人的なものであるから、素晴らしいと感じた本人でないと分からないことだし、当然のことに その感動を他人に伝える手段である言葉は 無能であって当たり前なのである。
音楽は 最上級に有能な表現手段なのだから、初めから 言葉など不要なのだ。

ベートーヴェンのクロイツェル・ソナタを聴いたトルストイは、異常に昂奮して、この奇怪な音楽家に徹底的に復讐しようと 小説「クロイツェル・ソナタ」を書いたということだが、この小説を 教養部の夏休みに読んだ。
男性ヴァイオリニストとの合奏に陶酔する妻を 嫉妬から殺した男の告白からなり、男は 結婚、家族、性欲を徹底的に否定し、近代音楽を罵倒する、という筋書きの小説だが、あのとき私は この小説には昂奮したが、昂奮の延長で期待いっぱいで聴いたクロイツェル・ソナタという曲そのものには がっかりだったし、いまこの曲を聞いても さほど感動はしない。

クラシック音楽に限らず、歌謡曲でもポピュラーでも、人それぞれが 特定の場所と時間において出会った音楽は、その人のものであって、他人が入る余地などありはしない。
その人にとっての素晴らしい音楽とは、そういうものではなかろうか。
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古代ロマン

2008-10-28 10:11:40 | Weblog
10月3日、奈良東大寺三月堂を訪ねた。
古い朱印帳を見ると、昭和35年11月28日参拝とあるから、実に48年ぶりである。

秋晴れの心地よい風が、奈良公園の深い木立を吹き抜ける。
東大寺南大門に近づくと、外人観光客や修学旅行の生徒たちで たいへんな賑わいだ。
大仏殿を正面に拝み、右の石畳の道を だらだらと登っていく。
ここらあたりまで来ると、あの賑わいは遠くに低く小さく響いて、枝の合間から眺める空が 静けさを増すように青い。

三月堂を訪ねたいと思ったのは、月光菩薩をじっくり拝みたかったからだが、堂に入ると 中央に立つ3m60cmの不空羂索観音像の雄渾な容姿が眼前に拡がって、他にたくさんの仏像があることに一瞬気づかないくらいである。
その両脇侍に 日光・月光菩薩のニ躯が立っているのだが、不空羂索観音像の大きさに眩んで 思いのほか小さいお姿であることに、まず驚かされた。
薄暗さに眼を凝らして、月光菩薩像に見入る。
不空羂索観音像の すべての凡夫を漏れなく救わんとする祈りの力強さに比べ、日光・月光の両菩薩像の なんと静謐な祈りのつつましさであることか。
他人をも自分をも思慮せず、内面に漲る生命を宿して 月光菩薩像は静かに祈っている。
堂内の薄暗さに慣れた眼に、しだいに仏像群が迫ってくる。
3mを超える背丈の阿吽金剛力士両像、それらの後に聳え立つ4mの梵天像・帝釈天像、内陣の四隅に立つ四天王像、それらに隠れるように立つ吉祥天・弁財天像・・・
これらを仰ぎ見るとき、私は 一瞬ではあるが 自分の存在を忘れることができた。

三月堂を出て 暗さに慣れた眼に、二月堂の高舞台が眩しかった。
二月堂の秘仏観音を格子越しに拝み、趣きある登廊を下って、大仏殿を南に臨む北側の古道を そぞろ歩いてみた。
奈良の寺院は やはりスケールが大きい。
そして 今の奈良は、ここを訪れるものたちを 天平の昔に連れて行く静けさと品格を 保っていてくれる。
奈良を また訪ねてみたいと、心底思った。

(追記)
10月24日付けの朝日新聞の一面に、《新薬師寺に巨大金堂跡》という見出しが載った。
現存の新薬師寺本堂から西に150mの位置(奈良教育大学構内)に、大仏殿並みの建物が存在したらしい というのだ。
大仏殿とは 目と鼻の先に、である。
聖武天皇が建てた大仏殿は 今の建物よりもっと大きかったと言うから、天平の時代 大仏殿とこの新薬師寺金堂に挟まれた ここらあたりの荘厳さは、いかがばかりであったろう。
考えただけでも、ゾクゾクするようなスケールだ。
天平時代という、大ロマンである。
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おばあちゃんの糸通し

2008-10-27 13:48:32 | Weblog
0.3mmのシャープペンシルが詰まった。
先端の金具をはずして、穴掃除用の針で貫通させる。
その穴から、ふと向こうの小さな文字が見えた。
ちょっと覗いてみる。
あれぇ けっこう良く見える。
老眼鏡なしで、である。
穴から逸らせて見ると、ぼやぁとして ほとんど識別できない。

それにしても、こんな小さな穴から覗くと 細かい字も読めるとは、不思議なものだ。
中学校の理科で学んだ レンズの原理なるもので説明がつきそうだけれど、何か大発見したようで、けっこう うれしい気持ちである。

そういうと、むかぁし おばあちゃんが、縫い針の小さな穴に糸を通すとき 穴の向こう側からこちらに向かって 糸を通していたのを、思い出した。
あれは、この“大発見”とおんなじ理屈なんだ。
おばあちゃんって 偉かったんだなぁ。
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裁判員制度

2008-10-27 08:58:14 | Weblog
デイゴが、また 木いっぱいに咲きました。
今年 三回目の開花です。
8月29日に植木屋さんが入って、枝の生い茂るデイゴも まだピンクの花をいっぱい咲かせていた百日紅も、お見事に丸坊主になりました。
ちょっと残しておいてくれたらいいのに かわいそうに と少々不満でしたが、新芽を力強く噴出させている百日紅や 三度目の開花を楽しませてくれているデイゴを見ると、さすがプロの仕事だと 納得しました。
植木屋さんの判断は、かわいそうの感情からは非情でも 結果的に正しかったということなのでしょう。

来年5月から 裁判員制度が始まります。
年間 5000人に一人の確率で 私も選ばれないとも限らない。
それも 扱うのは、殺人事件のような重い刑事裁判だそうです。
人ごとのように思っていましたが、ちょっと不安になってきました。

立法、司法、行政、三権分立。
たしか 中学で習いました。
濃度の差はありますが、確かに私たちは、立法や行政には 選挙という形で関わりをもってきました。
そして、司法という分野は、一般には遠い存在でした。
裁判員制度は、この関わりの薄かった司法に関与できる権利だということは、頭では理解できます。
でも、気が重いのです。
そもそも、人が人を裁くということが、私自身 未解決の いや たぶん いつまでも解決できないテーマなのです。
2、3日の裁判参加で、はたして 自分に納得のいく判断が下せるものでしょうか。
法廷では、3人の裁判官と6人の裁判員で判定を下すことになるそうですが、裁判に素人の一般人が「市民が法廷で見て聞いただけで分かる裁判」で済ますことができるものなのか。
たぶん 実際には、常識ある一般人なら、事件を克明に調査している 3人の裁判官の意見を尊重せざるを得ないでしょう。
もし 裁判員が自分の意見を表すとすれば、そこには感情的な要素が かなり入ってくるのではないか。
そんな 感情的な要素の濃い判断で、人が裁かれていいものだろうか。

そんな とり越し苦労みたいな気持ちが、植木屋さんの見事な判断を思うにつけ、自分の感情的な性格を思うにつけ、むくむくと涌いてくるのです。

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ああ!阪神タイガース

2008-10-26 17:33:52 | Weblog
10月21日、セ・リーグのクライマックスシリーズ第一ステージ第三戦。
中日と0対0の同点で逃げ切れば ジャイアンツにリベンジできるチャンスがある、その望みは、9回表2死三塁 カウント2-3という場面で、藤川の150kmの直球をとらえた 中日4番ウッズのホームランで潰えた。
試合後の岡田監督の「打たれたのがお前(藤川)でよかった」という言葉には、偽りはないであろう。
それにしても、である。
悔しい。
10月21日からの数日は、何をするのも うっとうしい気分で過ぎた。

評論家きどりになる気は さらさらないが、これだけは言わせて欲しい。
あれだけ独走態勢にあったペナントレースの我が阪神タイガースが、なにゆえ ミラクル逸優勝に泣いたのか、そのポイントは、一にも二にも 新井の北京オリンピック出場に在る。
ジャイアンツの3番 いつもガムをくちゃくちゃ噛んでいる小笠原は、ペナントレースの前半 体調不良で不振であった。
真偽のほどは知らないが、星野仙一からのオリンピック出場要請を断って 体調回復に努めたと聞く。
片や タイガース3番の新井は、ペナントレース前半のタイガース快進撃の立役者だったが、オールスター戦前からの腰痛で オリンピック直前では スターティングメンバーからも外れなければならない状態だった。
なのに、これも真偽の程は分からないが、人の好い新井は、日本代表チームの4番打者などと 星野仙一におだてられて 無理を押してオリンピックに出場し、生真面目に一所懸命やったものだから 腰の故障を悪化させてしまう。
9月のジャイアンツとタイガースの打線の差をみれば、オリンピック出欠のこの両者が いかに大きな鍵であったかが歴然である。
調子が尻上がりに戻ってきた小笠原の連夜の活躍、一方 新井を欠いた「点の取れない」貧打線。
10月に入って、岡田監督は リハビリ中の新井を無理やり復帰させ、停滞する打線のかなめに据えなおそうとしたが、新井の調子は ついに戻らず仕舞に終わった。
それでも私は、新井が大好きだ。
彼の野球センス、野球に対する情熱、真剣なまなざし・・・
10月19日のCS初日の対中日戦、8回裏の好機に一邪飛に倒れた新井は、天を仰いで 己の無力を悔やんだ。
それを見て、私は涙が止まらなかった。
仕方ない 仕方ない、そう そばで囁いてやりたかった。

今シーズン 初めて首位の座を明け渡した、10月8日の阪神・巨人戦。
2点を追うタイガースは6回の満塁機に、ピッチャー内海 対 私の最も愛する矢野。
ファウルで粘って 押し出しの四球を選んだ矢野は、ガッツポーズ。
このガッツポーズを、某評論家は プロなら苦虫面を通すべきだった などと評したが、この矢野を侮辱した論評に 私は腹煮えくり返ったものだ。
1点が喉から手が出るほど欲しかった あの場面、必死のパッチで選んだ四球を 褒めこそすれ、どうして貶せるものか。
それほど、あの頃 タイガースは苦しんでいたのだ。

まさかのペナントレース敗退となった10月11日、そして その直後の岡田監督辞任表明、それでも私は クライマックスシリーズに望みを託した。
岡田の花道を 選手全員で飾ってやってくれ!
祈るような気持ちだった。
夢は潰えた。
仕方ない、仕方ない。

ああ!阪神タイガース。
どら息子ほど かわいいというが、お前は どら息子ではない。
よくぞ最後の最後まで、ファンを思いっきり楽しませてくれた。
良くやった。
ありがとう、阪神タイガース。










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ラーメン賛歌

2008-10-07 14:55:52 | Weblog
わたしは、舌に自信がない。
味覚音痴の部類である。
だから 余計、これだけは我を通したいという食べ物に こだわるのだろう。

その一つが ラーメンだ。
ほかの食べ物は、自信がないから、味覚の確かな人が薦める店や グルメ雑誌お勧めの店を こわごわ潜ることが多いが、こと ラーメン店に関しては、持てる五感を研ぎ澄ませて 自分自身の感覚で選びたいと 常々心がけている。
正直言って、ラーメンには 確かな味覚なんぞ要らない(と思っている)から、こんな格好付けができるのです。

だいたい、いまどきのラーメン店は 気取りすぎが多くていけない。
ラーメンは 庶民の食い物であって、価格にして 500円 600円ってところでしょう。
したがって、フツウのラーメン屋で そんなご大層な店構えやサービスが できるはずがない。
ラーメン屋は うまくやれば事業的に儲かるんだということは、理解している。
でも、わたしの頭の中の理想のラーメン店は、フツウのラーメン屋だ。
フツウのラーメン屋の持っている 素朴で気取ってなくて寛大で、そういう雰囲気が好きなんです。
だから、ラーメンも いわゆる“支那そば”、どこまでが日本でどこからが中華だか曖昧な中華そばでいい。
ただ一つの条件は、アツアツであること。
ぬるいラーメンだけは いただけない。
スープには好みはないが、豚骨は苦手。しょうゆ味がいいかな。
麺は、どちらかというと しっかり茹だった細めのストレート麺がいい。
具は、ニ切れ三切れのメンマと一枚のチャーシューがあれば 十分。
くだくだしい盛り付けは、要らない。
けっこう 好みを言ってることになるが、要するに 気取ったラーメンは嫌いと言うことです。

ラーメンには、孤独が似合う。
無口も似合う。
なによりも ラーメン屋自体、独立独歩、権威や中央におもねることがない。
ひとりひとり 一国一城の主でいられる。
だから、ラーメン屋のおやじは 客にへつらう必要がない。
自分の信ずるところを 推し進めていけばいい。
客も、嫌なら ろくで食わずに出て行けばいい。
損しても 高々1000円にもならない。

ラーメンというのは、かくも潔い食い物なのです。
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