goo blog サービス終了のお知らせ 

つれづれ

思いつくままに

位と いうこと

2009-08-28 03:55:34 | Weblog
作家 石牟礼道子氏の、『馬と猫と』というエッセイを、眠れぬままに夜中 ゆっくりと読んだ。
馬と猫のうち 馬の話のほうに、引き付けられた。

石牟礼氏の父上は、「馬というものの位は、人間よりはるかに上ぞ」と 常々言ってられたそうな。
父上は十二歳の時、村の庄屋のばばさまのところへ、奉公にいった。
仕事は走り使いと、二頭の馬の世話。
競争馬ではない。
田植えの前に、麦を刈りとったあとの田んぼを鋤き返し、水を入れ、水田化する作業を頼む農耕馬である。
ときには 重そうな長い杉の木を束ねたのを、首を上下に振りながら、かっかっと蹄をあげ、重そうに曳いてゆく。
その世話というのが大へんで、朝は暗いうちから起きて 草刈りにゆかねばならない。
朝露にしとど濡れている草を束ねて背に負うと、人間は見えず、草の束が動いているように見えたという。
父上は、「馬はいやしい精神を持たぬ」と、畏敬していた。
それは あの、優しげな馬の目をみれば 判る、というのである。

わたしは 馬の世話をしたことがないから、石牟礼氏の父上のように 馬と情を通いあわす喜びは知らないが、動物の中で 馬がいちばん好きで、たまには その高い背に揺られる爽快を味わうことがある。
たしかに 馬の眸は、どの馬もどの馬も 美しい。
人間より位が上だという意味が、馬の目を見ていると なんとなく判るような気がする。

自我を表に出さず、やるべき仕事を黙々とこなしている職人を、知っている。
文句一つ言わず、夫や子供や年寄りの世話を穏やかにこなしている主婦を、知っている。
彼らの出自がどんなだか、知らない。
たぶん 経済的にさほど豊かでないことは、想像できる。
社会的地位や肩書きなど、持っていない。
そんな彼らの存在に 位なるものを感じるのは、なぜであろうか。

位ということを、優しげな馬の目で なんとなく理解できているわたしには、そのわけが 判る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒い稲妻の死

2009-08-27 12:45:19 | Weblog
また ひとつ、青春の塔が消えました。
スキー王国オーストリアの英雄、黒い稲妻こと トニー・ザイラーが、この世を去ったことを、きのうの新聞が伝えていました。

スキーは、いまや マイナーなスポーツになってしまいましたが、半世紀前は 日本でも、テニスに次ぐ 憧れのスポーツでした。
1956年、イタリアのコルティーナ・ダンペッツォで行われた冬季オリンピックで 初の3種目完全制覇を成し遂げたトニー・ザイラーは、わたしの10歳上の 当時20歳でした。
このオリンピックで、日本の猪谷千春が 回転で銀メダルを獲っています。
日本人としてはじめての、冬季五輪メダリストでした。

トニー・ザイラーのかっこよさを知ったのは、映画『黒い稲妻』でした。
トニー・ザイラーは、1960年のアメリカ・スコーバレーオリンピックを待たずに引退し、映画俳優に転身します。
その出世作が、『黒い稲妻』です。
この映画を観て、どうしてもスキーをしたくなりました。
スキー、というより トニー・ザイラーに憧れて、無理をして道具を揃え やっとこさ本格的にスキーを始めたものの、どうしてもパラレル・クリスチャニアがうまくできず、シュテム・ボーゲンの2級止まりで 終わってしまいました。
スキー歴は 他の趣味ごとと同様 そんなところでしたが、トニー・ザイラーの追っかけのほうは 年季が入っていました。

『黒い稲妻』に続いて大ヒットしたのが、『白銀は招くよ』。
その主題歌は、いまでも ソラで歌えます(同世代の方なら同じでしょうが・・・)。
日独合作映画にも 出演しています。
鰐淵晴子や笠智衆が出演した 松竹映画『銀嶺の王者』です。
そして 女子フィギュアスケートの旧西ドイツ選手イナ・バウアーと共演した『白銀に躍る』や『空から星が降ってくる』、映画の質という点では もうひとつでしたが、トニー・ザイラーの魅力がいっぱい感じられる映画でした。

トニー・ザイラーは、華やかな映画界で活躍する一方で、スキー界への貢献も忘れなかったと聞きます。
自国オーストラリアのオリンピックスキー選手を育成し、地元では 子供のためのスキー学校の校長を務めていました。
W杯の大会委員長も 務めています。
銀幕のなかの かっこよさは、ほんものだったのです。

トニー・ザイラーは、やっぱり わたしの青春のモニュメントに、相違ありません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古マッチ

2009-08-25 09:32:56 | Weblog
マッチを集める趣味が ありました。

すっかり そのことを忘れていたのですが、納屋にしまい込んだ要らないものを 処分しようと思って 古いガラクタを整理していたら、ハーシーチョコレートの箱の中に 古マッチがどっさり入っていたので、思い出したのです。

懐かしい。
『男爵』、堀川通りに面してあった 喫茶店です。
『定山渓ホテル』、高校のとき 初めて北海道を一人旅して、なけなしの小遣いをはたいて泊まった 思い出のホテル。
そんなたぐいの古マッチが、いっぱい。
擦ったら、じじっ しゅるしゅっるっと、頼りなげですが 点きました。
まだ使えそうです。
仏壇のろうそく用のマッチが切れていたので、ちょうど良かった。
毎日 想い出を反芻しながら、葬ってやれそうです。

映画『色即ぜねれいしょん』を 観ました。
昭和48年頃の京都が舞台。
原作者・みうらじゅんの母校 東山高校や黒谷さん、古川町商店街、嵐電北野白梅町駅、ニ寧坂・・・
見慣れた風景が、いたるところで映し出されます。
南禅寺北門の鹿ケ谷通り、東側が東山高校で、この鹿ケ谷通りを北へ上がって山側に入れば、ノートルダム女学院高校があります。
この南禅寺北門付近で、下校途中の東山高校一年生の主人公・乾純は、(たぶん)ノートルダム女学院高校生の足立恭子とすれ違います。
時代は この映画の一回り12年ほど前ですが、あの場所は わたしにも忘れがたい想い出が詰っています。
たぶん 思春期を京都で過ごしたものにとっては、同じような思い出を抱かす場所ではないでしょうか。
そして あの時代の貧しい若者の 頼りになる旅宿であった、ユースホステル。
そのユースホステルで触れ合った 数々の人たちや風景。
さよならだけが人生さと 嘯くにふさわしい、ホステルでの かりそめの一夜・・・。
この映画には、青春がぎっしり詰っています。

おじいさんも おばあさんも、青春時代がありました。
当たり前なことなのですが、回りのものは 彼らが若者だったことを 知らないし、知ろうともしないでしょう。
だいいち 本人の彼ら自身、自分達が若者だったことを 忘れてかけています。
でも 彼らもまた、間違いなく 甘くて苦い青春時代を 通り過ぎて来ました。
そのことを この映画『色即ぜねれいしょん』は、見るものに思い出さてくれるのです。

古マッチを擦ると、干からびかかったマッチ棒が 弱々しい炎を燃やします。
指先が厚くなるまで、しばらく その炎を見ていました。
青春の対称語の「赤秋」色は、この炎のような色を言うのでしょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

工場から工房へ

2009-08-20 23:25:45 | Weblog
先日、高台寺・和久傳で食事をする機会を得た。
高台寺・和久傳は、一度は訪ねてみたい料亭ではあったが、期待以上の満足のひとときであった。

帰りぎわ、「ご婦人のお連れ様にのみ お渡ししております。お受け取り下さいませ」と、おかみさんが家内に手渡した袋の中に、ちりめん山椒と一緒に 変形A5版の冊子『桑兪(そうゆ)』が入っていた。
黄色のしゃれた装表が 和久傳の趣味の良さを語っているようで、帰宅して数時間 これもまた気の利いた内容のエッセイに引き込まれた。
著名な10数名の書き手が 垢ぬけた文体で綴る短編の中に、歌舞伎役者・市川亀治郎の『修行僧』と題する随筆が、さっき訪ねた和久傳の表情を うまくとらえていた。

それは、焼き物を供する若い調理人を 修行僧に見立てたもので、その一部を紹介してみたい。
《「失礼します」と畳に手をつき、礼儀正しく深々とお辞儀をして焼き物の支度に取りかかる若い衆。無駄口を利かず、かといって無愛想ということでは決してなく、こちらから言葉を投げかければ、打てば響くように返ってくる。現代に於いては、もはや絶滅してしまった在りし日の日本の若者の姿が ここにある。炭の爆ぜる音が心地よく響く静寂のあいだに身を置き、初々しさと謙虚を合わせ持つ若い衆が、思わずこちらがほほ笑んでしまうくらいの緊張感を伴って焼き物に取り組む光景を眺めながら 盃を傾ける。僕にとって何ものにも代えがたい 至福のひとときである。・・・
・・・和久傳で饗される料理の数々の、そのどれもがこの世ならざる美味しさを湛えているのは、そこで働く料理人をはじめ、すべての人たちの想いが真っ直ぐで、きれいだから。どうかこの想いを人から人へと、比叡山の根本中堂に輝く、最澄以来一度も消されることがない不滅の法灯のごとく、大切に守り伝えていってほしい。百年後の人たちも 僕らと同じ感動を味わえるように。このように願う僕の目には、焼き物をする若い衆が、さながら黙々と誦経に励む修行僧に見えるのである。》

ところで 最近、<工房>という名を冠するお店が増えた。
工房と聞くと、そこには手作りの温かみがにじむ。
<工場>と対極に位置する この命名は、そのあるじの想いが込められている。
大量生産、労働者、規格品、効率、等々のイメージを醸す<工場>に対して、小ロット、注文生産、まごころ、こだわり、楽しさ、等々のイメージを湧かす<工房>は、無機質の物に溢れた現代社会において、ひとつの生きざまを表している。

イギリス産業革命以後 ものづくりは、マイスターからマニュファクチュアへと変遷し、アメリカのプラグマティズムを資本家の搾取的独善解釈で生まれた 効率第一主義へと変貌する。
一概に効率主義を悪とは言えないが、何のためのものづくりか を考えるとき、主人公であるはずの人間が不在の効率主義に、人間を“人材”と見做す冷徹さが潜んでいることに気づく。
ものづくりの場としての<工場>は、その象徴なのだろう。

バブルがはじけ マネー資本主義がその脆さを曝して、ものづくりをなりわいとするわれわれは やっと、ものづくりの原点であるマイスターに回帰する。
作り手の想い、それだけでは面白くないし なりわいにはならない。
それを使ってくださる(食してくださる)人たちがあって はじめて、作り手が作ったものは 輝くのである。生きてくるのである。
そして その結果として、なりわいが成り立つのである。
<工房>と称するものづくりの場が増えたのは、作り手が このことに気付き始めたからではなかろうか。

料理と われわれのようなものづくりを同底に置くのには 無理があるが、その本質に差異はなかろう。
高台寺・和久傳で、そのことを 深く思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大文字

2009-08-17 10:28:08 | Weblog
       風そひて 更に明るし 大文字 (常悦)

盆明けの8月16日の夜、京都東山如意ケ嶽の山腹に、薪に火を点じて書く「大」の字形の送り火。
8時点灯の「右大文字」を皮切りに、「妙・法」の文字が 下鴨本通り北端て松ヶ崎の東西の山に、大の字の反転の文字「左大文字」が 金閣寺裏山に、舟形の火が 西賀茂船山に、鳥居の姿火が 嵯峨鳥居本・曼陀羅山に、次々と点ってゆく。
高い建物や看板のせいで、これら五山の送り火を全部眺められる場所は、ごく限られてしまった。
それでも 京の人々は、おじいちゃんも おばあちゃんも 赤ちゃんまで、家族みんな連れ立って 送り火が見やすい場所を求めて、京の街にそぞろ出るのだ。

幼かったころ この時期になると、夏休みが終わりに近づくせいもあって、大文字の送り火は、夏の終わりの物悲しさを はっきりとした形をもって、脳に知らしめた。
それは、物悲しいのだけれど、常はバラバラの家族の視線が、大文字の点っている たった15分ばかりは、同じ方を見ながら 家族同士を意識しあっている、そんな安心のひととき。
それは、いまも同じ。

しだいに消えてゆく送り火に、だんだん増える もうこの世にいない 懐かしい人びとの面影を思い浮かべ、手を合せる。
来年も 送り火を拝せますように。

       大文字 今は消えゆく ばかりかな (不彩)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

衆議院議員選挙公開討論会

2009-08-12 09:59:20 | Weblog
8月11日夕、京都一区の衆議院議員選挙公開討論会を 覗いてみた。
京都青年会議所が主催する「マニフェスト志向型公開討論会」が、京都商工会議所で 同志社大学の市川喜崇教授の司会のもと 立候補予定者四名が出席して開催された。
2時間足らずの討論会で 各候補に等しく話す機会を与えながらの進行は、コーディネーターの市川氏もむずかしかっただろうし、各候補も言いたいことの半分も言えなかっただろうと思う。
公職選挙法の制約で、いたし方ないのであろう。
しかし こういう公開討論会は、印刷物やテレビ報道とは異なり、立候補予定者の一挙手一投足を この目で確かめられるという意味も含め、彼らが何を言わんとしているのか どういう価値観をもった人物なのかを、生の声で聴くことができる 絶好の機会であると、この種の会合に初めて参加して そう実感した。
われわれは 納税の義務があると同時に、今回の国政選挙のように 成人の日本国民ならば すべての人に等しく 一票の投票権が与えられている。
このことは、凄いことだと思う。
日頃は、自分のこと 家族のこと 会社のことで 頭がいっぱいで、社会参画の余力がない。
国政選挙のときぐらいは、ちょっとの時間 社会参画した気分になる程度でいいから、真剣に立候補予定者を品定めしてやろう。
そんな気持ちを起こさせる、いい討論会だった。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨やどり

2009-08-02 17:13:50 | Weblog
8月1日午前11時 京阪電車伏見稲荷駅を降りると、空は急に暗くなり 激しい雷雨となった。
毎月1日、家内と続けている お稲荷さん参りの途中である。
改札口を出たところで、雨やどりする。

雨やどりびとが いつの間にか20人くらいになり、横ぶりの雨を避けようと 庇の奥へと移動して、狭い改札口に ひとかたまりの集団ができた。
バスケのボールケースを担いだ高校生の男の子が、携帯で親しげに 傘を持ってきてくれるよう頼んでいる。

止みそうにも ありませんねぇ。
ズボンの裾を二つ折りした 参拝者らしき初老の隣びとが、少し中腰になって うわ目使いで黒い雨雲を見上げながら、不特定相手のもの言いで、わたしにこう言った。
わたしが それに相槌を打ったものだから、こんどは わたしをまともに見ながら、彼は こう続けた。
いつもは もう少し早く参詣するんですが、出かけしなに 孫から電話がかかりましてね、誕生日祝いの品物のむずかしい名前を覚えるのに 一苦労しましたゎ。
同類と見透かされてか、孫の話を 一通り聞かされた。

携帯で傘を要求した高校生の母親だろう、ひゃー!と 頓狂な声を上げながら、改札口の一団の中に飛び込んできた。
肩やら足元やらが、ずぶぬれになっている。
手には 大きい目の雨傘が握られていた。
高校生の男の子の顔に、ちょっと恥ずかしそうな でも うれしそうな表情が走る。
母親も、雨脚のおさまるのを待つ態勢になっていた。

ななめ前の 背のすらりと高い女性が、しきりに時計を気にしている。
襟足のきれいな女性だ。
雨脚がちょっと激しさを途切れさせたとき、意を決したように 隠れ切れない携帯傘に身を隠して、改札口を飛び出していった。
その直後、バリバリっと雷鳴が響いた。

雨やどりという たったひとつの共通点で 集まった人の群れ、この儚い集いを、わたしは とてもいとおしく思う。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする