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つれづれ

思いつくままに

紙へのあこがれ

2011-01-29 16:43:36 | Weblog
広島に住む白石紀明君から、冊子「近江は日本歴史の舞台裏」を送ってもらいました。
彼が、出身校・膳所高校の仲間らと研鑽を積んで成った、郷土愛誌です。

白石君とは、大学の同期ですが 研究室も違ったし、彼が広島の東洋工業へ入ってからは あの葬式で会うまで、彼については ほとんどなにも知りませんでした。
彼は、ぼくが学生時代いちばん仲の良かった鈴村繁樹君と同じ卒業同期であり 会社の同僚でもありました。
早世した鈴村君の葬儀に 献身的に立ちまわっていた白石君の姿が、忘れられません。
鈴村君の人柄が こんないい仲間を呼び寄せたんだと、あのとき ぼくは、自分のことのよう有難く感じました。

その白石君からの今年の年賀状に、「近江は日本歴史の舞台裏」を編纂した旨が 添えられていました。
近江は、ぼくにとっても ほのかなふる里です。
この郷土誌は 是非手にとってみたく、彼に無心したのです。

父の生まれ故郷である三上山の付近に、弥生時代に大きな勢力を築いた『三上氏族』がいたことを、この郷土誌から知りました。
なにか、とてもうれしい気分です。
白石君には、それだけでも 感謝しなければなりません。


白石君が編んだ「近江は日本歴史の舞台裏」ほどでなくても、最近 骨のある内容のフリーペーパーが、駅や街角に そっと置かれているのを見かけます。
旅先でも、この種のフリーペーパーを見つけると、目ざとくもらって帰ることにしています。
だから 旅からの帰りバッグは、こういう紙類で いつもパンパンになります。

これらのフリーペーパーを、仕事が一段落したときを見計らって プリット糊で製本します。
製本といっても、旅先ごとやテーマごとに、大きさや綴じ方がまちまちのフリーペーパーを、自分なりの方法で ひとまとめにするだけのことです。
だから プリット糊の消費が速く、いまでは“詰め替えできる”大型スティック糊を使っています。
こうして製本したフリーペーパーは、どこにもない、ぼくだけの大切な資料になるのです。


インターネット時代に とも思うのですが、ぼくは やはり紙文化から離れられません。
白石君が、ネット上でなく 冊子という形で、自分のふる里を編んだ気持ちが、ぼくには良くわかります。
紙に書かれた文字、紙に印刷された写真、これらは紙の匂いとともに ぼくの体内に仕舞い込まれる、そんな錯覚を覚えます。
自分のものになった、そんなちっぽけな所有欲に過ぎないのでしょうが・・・

紙への、染みついた 憧れです。
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良寛さん

2011-01-27 11:25:55 | Weblog
禅の高僧で、‘さん’付けして呼べるのは、一休さんと良寛さんでしょう。

一休さんへの思いは、以前に少し書かせてもらいました。
汲み尽くせない魅力に満ちた禅僧ですが、その凄まじさは こわいほどで、一休さんの『狂』には、逆とんぶっても 着いて行けそうにありません。
良寛さんとて 雲の上の和尚さんに違いないのですが、良寛さんの『愚』には、なんとなく近寄っていっても構わない気になれます。

一休さんについても良寛さんについても 優れた小説を残した作家・水上勉の言葉を借りれば、「結局、良寛さんを語ることは、自分を語ること」なのだと思います。
そして 良寛さんなら、くだらない自分の話にも 黙ってうなずいてくださる、そう思えるのです。

一大宗派をなした大僧正のような聖たちには あまり興味を抱かないのですが、妙好人を含めて、林下で仏教の道を極めた求道者に、強く惹かれます。
ブログ「加藤わこ三度笠書簡」で わこさんが書いてられる“アノニマス賛歌”が、ぼくの心の底にも流れているのだと思います。

良寛さんは、自分のことを『大愚』と称されました。
玉島の円通寺で 血を吐くような修行をされた良寛さんですら、自分を大バカ者だとおっしゃったのです。
ちっぽけな愚か者が、これを知って 何をもがくことがありましょう。

つぎの歌は、ぼくのいちばん好きな良寛さんのお歌です。

   善行の蛍は 招けども来たらず
   煩悩の蚊は 払えども去らず
   雑行の団扇を捨てて
   他力嬉しや 蚊帳の中
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地デジ化に言いたいこと

2011-01-25 11:50:25 | Weblog
地デジのことで、言いたいことが山ほどあります。
地デジ化に反対しているのではありません。
そのやり方に問題がある、といいたいのです。

沖縄の寒村での話です。
地デジ化の進捗度が極端に遅いので、地デジ化の認識を高めるため 試験的に放映を止めた、というのです。
これは、ほんの一例です。

特にお年寄りに多いと思うのですが、ことさら映像の鮮明なデジタル画像でテレビを見たいなどと思わない人もいるのです。
いままでのアナログ放送で、なんの不自由も感じていないのです。
また、デジタル画像で見たいと思っても、新品のデジタルテレビを買えない人も、大勢いるはずです。

地デジ化の必要性が、ぼくには いまだによく判りません。
地デジ化が電波政策上どうしても必要なんだったら、受信料をとっているNHKを手足に使ってでも、日本中一軒一軒尋ね歩いて 地デジ化の状況を調査し、地デジ化しなければならない訳を説明するくらいの覚悟が、必要なんじゃないでしょうか。

経済的なことだけでなく、デジタルテレビの操作自体が厭なお年寄りが多いのです。
アナログテレビでもデジタル放送が見られるチューナー代の、実費は致し方ないでしょう。
でも そのチューナーの取付手間と費用ぐらい、税金で負担してあげたらいいじゃないですか。

国として或る正しい方向に国民を引っ張っていくには、時にはある程度 強権的な力が必要だと、ぼくは思っています。
しかし そこに、弱者に対する優しさがなければ、まっとうなまつりごととは言えない。
いや むしろ、弱者に対する優しさが根底にない 国の施策など、やらない方が良い。

地デジ化については、あまりにも腹の立つことが多すぎます。

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元旦の雪

2011-01-24 14:57:11 | Weblog
雪国の冬の苦労を知らない ぼくは、元旦の雪に 子どものころに還ったように はしゃいでいました。
山陰に降った年越しの雪は、はしゃいでいたことが恥ずかしくなる事態を 引き起こしていたのですね。


9.11という数字には、アメリカ人だけでなく 世界のみんなが、怒りを伴った悲しい感情を思い起こさせます。
でも 同じように怒りを伴った悲しい思い出でも、1.17に ぼくたちが抱く感情とは、異質のように思います。
感情の向く相手が、人間か自然かの違いであり、そのことが、両者の感情を 決定的に違わせています。

8.15は、20世紀の日本人の 大きな大きなターニングポイントでした。
それに劣らず、20世紀末に起こった1.17は、21世紀の日本人のありようを予見する 天が授けたターニングポイントだったのではないでしょうか。

1.17、あのとき、わたしたちは、わたしたち自身の無力さを悟りました。
わたしたちの怒りは、自然に向いていたに違いないのですが、それはとりもなおさず、自然に向かう自分たち自身の無力さに対する怒りだったのです。
そして 何よりも大切なことは、無力を自覚した悲しい人間同士が、助け合うことを思いだしたことです。
助け合うことを、ごく自然な感情として認識できたことです。
9.11と1.17の悲しみの、根底からの違いです。


元旦の朝、国道9号線の大雪で立ち往生した多くのドライバーや同乗者たちに、暖かい手を差し伸べた鳥取県琴浦町の人たち。
このニュースを聞いて、元旦の雪にはしゃいでいたことも忘れて、ぼくは 真っ白な雪に劣らず清らかな気持ちになれました。
日本の片隅の、琴浦町の人たちの優しさに、心からうれしくなりました。
雪の被害に遭われた方々の苦労をそっちのけにして 罰当たりな言い方ですが、いい元旦の雪でした。

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鳩時計

2011-01-22 21:41:38 | Weblog
もう おととしのことになる、一大決心をして、納屋の整理をした。
よくやったと思う。
いまなら ものを捨てることに、 体力的にも気持的にも あんなに強くはなれないだろう。

去年の年末に亡くなった大女優・高峰秀子さんが、なにかのエッセイに こう書いていた。
自分のものは もう、箸と茶碗があればそれでよい、と。
納屋を整理するに当たって、この言葉を“心がけ”とした。

ところが実際に整理し始めると、両親や祖母の想い出が染みついた品々や、子供たちの成長の証しのようなものばかり。
心を鬼にして、両親と祖母の匂いのするものは捨てることに。
姉二人に関する品は、ぼくなりに厳選して、それぞれに送った。
子供たちのものは やはり捨てられず、息子と娘の分に分けて 大きな段ボールに詰め込んだ。
それらの取捨は、いつか彼らが判断するだろう。

さて、自分と家内のものだが・・・
家内のものは ほとんどが子供たちのもので、家内自身のものは はなから捨ててちょうだいとのことだったので、ぼくの判断で数点を残した。
ぼく自身のものは、残すのは三点だけ、と決めてかかった。
これは賢明だった。

その三点は 次のような、実にくだらない、でも ぼくにとってはどうしても捨てきれないものだ。
一つ目は、幼いころから中学の終わりまで ぼくを親身になって世話してくれた人が、高校の入学祝いを兼ねて別れの品としてぼくにくれた、ロダンの考える人の小さな石膏。
このロダンの模刻を見慣れていたお蔭で、高校のときに出たあるクイズ番組で、「ロダンの考える人」の肘のつき方を問う問題に正解して、みごとチャンピオンになった想い出がある。
二つ目は、黄金虫は金持ちだ・・・のメロディーのオルゴール箱。
これは、祖母がぼくの何歳かの誕生日に贈ってくれたもの。
このオルゴール箱の中に、幼かったぼくの宝物が詰まっていた。
三つ目は、母がなにかの折りに ぼくに欲しいものを尋ねてプレゼントしてくれた、鳩時計。
母からは 言いつくせぬ有形無形の数々をもらったが、ぼくの希望をはっきりと聞いてくれたのは、この鳩時計だけだったように思う。

この鳩時計は いま、ぼくの小さな書斎の壁に掛っている。
掛けた当初から、ポッポと まともな鳩の声ではなく、キツツキが木の幹を叩くような音がしていた。
鳩時計でなく、キツツキ時計ね、と、家内にからかわれたりした。
それが いつしか、そのキツツキの音も出なくなり、振り子のコチコチいう音が やけに耳につく。
振り子の長さを調節するのだが、時刻も なかなか正確にならない。

それでも ぼくは、毎朝欠かさず 錘を巻き戻す。
三つある錘のうち、ポッポの音用を無視して。

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遅れて届いたクリスマスプレゼント

2011-01-15 17:51:17 | Weblog
ひと月遅れのクリスマスプレゼントが、届きました。
小さな絵本で、その名は『世界で一番の贈りもの』。


古道具屋でみつけたロールトップデスク。
その秘密の引き出しから出てきた、一通の手紙。
この物語は、その手紙から紡がれてゆきます。

「私とともに埋葬のこと」とメモされたブリキ缶から出てきた手紙の書き出しには、「いとしいコニーへ」とありました。
それは、第一次世界大戦のイギリス軍とドイツ軍が対峙する戦場から送られてきた、“コニー”のいとしい人からの最後の手紙でした。

「私は今、とても幸せな気分で、この手紙を書いている。すばらしいことが起きたんだ。それを早くきみに知らせたくて、たまらない。」
こういう書き出しではじまる その手紙には、1914年のクリスマス、対峙する両軍のあいだの無人地帯で起きた、信じられない光景が記されていました。
グレーの外套たち(ドイツ軍兵士)と カーキ色の外套たち(イギリス軍兵士)が、無人地帯でクリスマスを祝いあったのです。
つかのまの平和を、作りだしたのです。
握手を交わし、持ち寄った酒やパンを分かち合い、クリスマスキャロルを競演し、名前や出身地や職業や趣味を紹介しあって・・・

圧巻なのは、両軍でサッカー試合をする場面です。
つかのまの会話で親しくなったドイツ軍将校は、こう言います。
「この戦争を終わらせる方法が解ったよ。サッカーの試合で、勝負を決めればいい。サッカーなら、だれも死なずにすむ。親を失う子もいない。夫を失う妻もいない。」

手紙は、次のような言葉で終わっていました。
「いとしいコニー。来年のクリスマスには、この戦争も、ただの遠い思い出話になっていることだろう。今日のできごとで、どちらの軍の兵士も、どんなに平和を願っていることかがよく解った。きみのもとに帰る日が、もうすぐくる。私は、そう信じている。愛をこめて、ジムより」

『世界で一番の贈りもの』(マイケル・モーパーゴ作、マイケル・フォアマン画、佐藤見果夢訳、評論社刊)は、ほんとうにあった話だそうです。
ぼくは、この絵本の存在を、落合恵子氏の 去年のクリスマスの日の新聞エッセイで知りました。
彼女のセンスのいいエッセイで 無性に読みたくなって 取り寄せていたのが、いま 届いたのです。


半分以上冗談ですが、ぼくも伊達直人の名で 日本全国のこどもたちに、この小さな絵本をプレゼントしようかしらん。
落合恵子氏がエッセイの最後に語られているように、戦争をするのが人間なら、「しない選択」ができるのも、わたしたちである、と信じて。

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失敗したもん勝ち

2011-01-13 14:19:53 | Weblog
NHK朝ドラには、今まで縁がありませんでした。
放映時間が、観れる環境になかったからです。
たぶん、これまでのほとんどの社会人は、ぼくと同じだったと思います。

でも 最近は、夜の再放送や週末のまとめ放映というサービスがあり、“その気”になれば欠かさず観ることができますね。
連続テレビ小説「てっぱん」は、“その気”になって 欠かさず観ています。


愛媛県新居浜市で暮らしていたころ、社宅の向かいにお住まいの 井上さんご夫妻に とても親切にしていただきました。
知らない土地での親切は、どれほどありがたかったことか。
40年も むかしのことです。
ご主人は早くお亡くなりになりましたが、ぼくたちが京都に帰ってきてからも 奥様とは その後も親しくさせていただいています。
90歳を超えてられると思います。
さすがに お一人住まいは難しいと、ご決心されたのでしょう。
故郷でもある ご長男のおられる広島県三原市へ、昨年の暮れ 引っ越しされました。
「てっぱん」の尾道の家族の会話を耳にすると、井上さんご夫妻のことが こみあげるように思い出されます。

ぼくと同じような思いを、先日 新聞の投書欄で目にしました。
50歳代の養護教諭をされている 広島県呉市にお住まいの女性の投書です。
ニュース以外ほとんどテレビを見ないご主人が、「てっぱん」にはまって 日に4回もご覧になっているんだそうです。
15年前に患った脳内出血の後遺症で失語症になり、1回では聞き取れないセリフがあるからなんです。
彼の“はまり”の大きな訳は、広島弁。
そして、親しみやすい大阪弁。

地元の彼がおっしゃるのだら 間違いなく、「てっぱん」の尾道家族の役者さんたちの広島弁は、感心するほどに うまい。
そして おばあちゃん、京都人のはずの富司純子の大阪弁も うまい。
ちなみに、京都弁と大阪弁は、微妙に違うんです。

方言というのは、どうしてこんなに暖かいんでしょう。
主人公あかり役・瀧本美織の、嫌みのない愛らしさと相まって、このドラマは 耳から入る優しさに満ちています。
あかりの性格、大阪弁で「いっちょかみ」、京都弁なら「かまい」が、いまぼくたちが いちばん必要としている優しさなのでしょう。


あかりが小夜子さん(川中美幸)から教わった言葉、『失敗したもん勝ち』には、このドラマの魅力が凝縮してします。
『失敗したもん勝ち』、いい言葉ですね。
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学生耕作隊

2011-01-11 17:41:38 | Weblog
以前から温めていた思いがある。
徴農制。


日本の高校生は、卒業と同時に誰もが2年間 “いなか”へ『放下(ほうげ)』し、農業に携わる。
“いなか”出身の高校生は、他府県の“いなか”へ。
その間の彼らの最低限の生活費は、国費で賄う。
財源は、廃止した子供手当。
2年の農業体験後、彼らはその“いなか”で成人式を祝ってもらう。
そうして、初めて大人として社会に認められ、選挙権を得る。

高校生活5年制、としてもいいだろう。
最後の2年間を、農業に奉仕するのだ。
これは、強制である。

以前 この話を友人に語ったところ、数名から猛反発を食らった。
文化大革命みたいなことは 民主主義社会になじまない、と。

こんな話、限りなく実現不可能に近いことは、ぼく自身 重々承知している。
しかし、いまの日本の政治が動かなくてはならない緊急の課題は、農業改革である、との思いは揺るがない。

世界人口の爆発的な増加を、日本人は感覚的に捉えていない。
この国の話題になるのは、「少子化日本」だからだ。
ところが、1950年に25億人だった世界人口は、2009年には68億人、おそらく2050年には91億人になると予想されている。
生きていくには、食わねばならない。
いつまでも日本だけが、豊かな外貨で 食を買いあされるはずがない。

都会への人口集中は、放っておけばどんどん進むだろう。
それを食い止め、若者の声が踊る“いなか”にするには、ある程度 強権的な政治の力が必要だ。
それには、“いなか”を魅力的な「食の生産地」に誘導するのだ。
TPPへ参加しようがしまいが、関係ない。
日本の若者が「食の生産」に目覚めれば、なにを恐れることがあろう。

と まぁ、こういう思いで ずーっときました。


学生耕作隊というNPOの存在を、最近知りました。
(http://www.socio.gr.jp/ennou/)
一度このホームページを開いて、その「活動理念」と「事業内容」だけでも読んでみてください。
ぼくが長い間温めてきた思いすべてが、ここに集約されていますから。

もう いまの日本の政治には期待できません。
日本を変えるのは、学生耕作隊のような民衆の英知であり、それは「市民革命」と呼んで差し支えないと思います。

学生耕作隊の前途に、幸多からんことを!
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正月の梅

2011-01-11 09:53:26 | Weblog
正月11日のきょうは、鏡餅に庖丁を入れるのが常でした。
でも、このころまで鏡餅を置いておくと 庖丁の刃が入れにくくなるので、最近では 4日に鏡餅を割ってしまいます。
しきたりより実利、というところでしょうか。

暖冬と思っていたのに この寒さ、こたえますね。
とはいうものの、幼かったころの思い出には もっともっと寒い冬の情景と感覚が残っています。
寒い寒いといいながらも、ぼくは 凍てつくようなこの寒さが好きです。
底冷えは、京の冬の無形風物詩です。

会社の南東の片隅に、ささやかな築山があります。
その築山のあるじ・紅梅が、花をつけました。
寒々しい裸の枝に 紅の花を咲かせて立つ梅の木は けなげで、古くから日本人に愛されてきたのも道理だと思います。
夜道を照らす月の明かりを尊んだ いにしえびとの心に、通ずるものでしょう。

土筆が霜柱を割って芽を現すのをいとおしむように、極寒の青空に起立する梅の花を、ぼくは限りない愛着を感じながら 寒さを忘れて眺めています。
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