金色の外箱の美術書『日本の彫刻』(美術出版社)が、ぼろぼろになってきた。
まぁよく読み込んだものだ。
ギャグ漫画家で仏像大好きタレントの みうらじゅん も、この書に大きく影響を受けたらしい。
表紙見開きに‘この写真集は私の宝です’と、つたない文字で書いてある、幼い自分のサイン。
そりゃあそうだろう、中学生の少年の小遣いでは 何か月貯めても手の届かなかった写真集だもの。
買ってくれた母に感謝である。
この書に載っている好きな仏像は だいたい実物を拝してきたが、雪蹊寺の毘沙門天像は 所在が遠い高知の地ゆえ、拝顔が伸ばし伸ばしになっていた。
高知に桜の満開宣言が出された3月19日、四国八十八か所33番札所の雪蹊寺を訪ねた。
桜の満開宣言にもかかわらず、寒い春の雨が降っていた。
岡山で特急「南風」に乗り換え、瀬戸大橋を渡り、大歩危小歩危の明媚な景色を土讃線の車窓から眺めて、高知へ。
駅前から桂浜行きのとさでん交通バスに乗って、長浜というところで下車し、そこから少し歩いて雪蹊寺に着く。
遠路はるばる なのに、毘沙門天像の拝観は予約制、たどり着くことばかり気にかけて、肝心の拝観要領の下調べを怠った。
泣きつかんばかりに 明日10時の拝観予約を取り付ける。
高知市内の旅館に宿泊して翌日20日、雨は上がったものの 曇天でまだ肌寒い。
前日の訪問でちょっとだけ交通要領を得た長浜のバス停に再度下車し、雪蹊寺の毘沙門天像の拝観が やっと実現した。
案内された霊宝殿は本堂の裏手にあり、文化財を守るため鉄筋コンクリート造り。
この霊宝殿の中、中央に晩年の運慶作と伝えられる本尊薬師三尊像、左右脇に十二神将像。
そして本尊向かって左側に、毘沙門天とその脇侍の吉祥天女・善膩師童子の三尊像。
この毘沙門天三尊像は、運慶の長男・湛慶の、数少ない真作である。
想像していたよりは小ぶりな、そして想像以上に人間味あふれる面貌の毘沙門天。
口元を引きしめてじっと一点を凝視している破邪顕正の まなざし、
鎧の胸当に包まれた幅広な胸と獅喰(しかみ)に隠された堂々たる豊かな腹の 量感、
捻った腰から両足元に流れる洗練された 感覚。
冒頭に紹介した『日本の彫刻』の本像解説欄に、金子良運氏は次のように評している。
ーーこの像の前にたたずんだとき、そこにあたかも燎火の将に消えなんとする最後の閃めきにも似た一抹の淋しさを感じ、思いなしかその強く見開くまなざしさえ、遠く来し方行末をみつめているような哀愁の漂っているように思われるーー
あぁ 美しい仏像、会えてよかった。
遠く訪ねてきた甲斐があった。
作者湛慶が実質的には日本仏工の最後を飾る名匠であったと同じく、この像もまた輝かしい伝統を誇った日本彫刻の巻尾に花をそえる名作の一つでもある。
その巻尾の名作をまじかに拝せられたよろこび、心豊かな一泊の旅であった。
まぁよく読み込んだものだ。
ギャグ漫画家で仏像大好きタレントの みうらじゅん も、この書に大きく影響を受けたらしい。
表紙見開きに‘この写真集は私の宝です’と、つたない文字で書いてある、幼い自分のサイン。
そりゃあそうだろう、中学生の少年の小遣いでは 何か月貯めても手の届かなかった写真集だもの。
買ってくれた母に感謝である。
この書に載っている好きな仏像は だいたい実物を拝してきたが、雪蹊寺の毘沙門天像は 所在が遠い高知の地ゆえ、拝顔が伸ばし伸ばしになっていた。
高知に桜の満開宣言が出された3月19日、四国八十八か所33番札所の雪蹊寺を訪ねた。
桜の満開宣言にもかかわらず、寒い春の雨が降っていた。
岡山で特急「南風」に乗り換え、瀬戸大橋を渡り、大歩危小歩危の明媚な景色を土讃線の車窓から眺めて、高知へ。
駅前から桂浜行きのとさでん交通バスに乗って、長浜というところで下車し、そこから少し歩いて雪蹊寺に着く。
遠路はるばる なのに、毘沙門天像の拝観は予約制、たどり着くことばかり気にかけて、肝心の拝観要領の下調べを怠った。
泣きつかんばかりに 明日10時の拝観予約を取り付ける。
高知市内の旅館に宿泊して翌日20日、雨は上がったものの 曇天でまだ肌寒い。
前日の訪問でちょっとだけ交通要領を得た長浜のバス停に再度下車し、雪蹊寺の毘沙門天像の拝観が やっと実現した。
案内された霊宝殿は本堂の裏手にあり、文化財を守るため鉄筋コンクリート造り。
この霊宝殿の中、中央に晩年の運慶作と伝えられる本尊薬師三尊像、左右脇に十二神将像。
そして本尊向かって左側に、毘沙門天とその脇侍の吉祥天女・善膩師童子の三尊像。
この毘沙門天三尊像は、運慶の長男・湛慶の、数少ない真作である。
想像していたよりは小ぶりな、そして想像以上に人間味あふれる面貌の毘沙門天。
口元を引きしめてじっと一点を凝視している破邪顕正の まなざし、
鎧の胸当に包まれた幅広な胸と獅喰(しかみ)に隠された堂々たる豊かな腹の 量感、
捻った腰から両足元に流れる洗練された 感覚。
冒頭に紹介した『日本の彫刻』の本像解説欄に、金子良運氏は次のように評している。
ーーこの像の前にたたずんだとき、そこにあたかも燎火の将に消えなんとする最後の閃めきにも似た一抹の淋しさを感じ、思いなしかその強く見開くまなざしさえ、遠く来し方行末をみつめているような哀愁の漂っているように思われるーー
あぁ 美しい仏像、会えてよかった。
遠く訪ねてきた甲斐があった。
作者湛慶が実質的には日本仏工の最後を飾る名匠であったと同じく、この像もまた輝かしい伝統を誇った日本彫刻の巻尾に花をそえる名作の一つでもある。
その巻尾の名作をまじかに拝せられたよろこび、心豊かな一泊の旅であった。







