goo blog サービス終了のお知らせ 

つれづれ

思いつくままに

祇園囃子

2017-07-28 16:26:10 | 

熊本城の復旧工事が 思いのほか進んでいることを、『探検バクモン』という番組で知った。
それでもまだ 完全復旧には、20年かかると言う。
復旧を心から待ち望む熊本市民の姿が、番組に滲んでいた。
熊本市民にとって熊本城は、こんなにも かけがえのないものなんだ。

爆笑問題の太田光が、3年後の東京オリンピックの会場建設に引っ掛けて、こんなことを言っていた。
熊本城の復旧を 熊本市民みんなが待ち望むのと同じように、東京都民の心は オリンピック会場の工事に向いているだろうか、と。

翻って 京都市民である自分を考えてみて、やっぱりコレだと思えるのは、祇園囃子である。
コンコンチキチンコンチキチン…が、ことしはひときわ耳に残った。
後の祭りにも この鳴り物が街を流れるから か、いや あと何回 この音を耳にすることができるだろう と考えるから か。
後の祭りが再開されて、今年で4回目になる。

母の手に引かれて 宵山にはじめて連れて行ってもらったのも、姉たちにはぐれないように くっ付いて歩き回ったのも、伝来の家宝を通りから見えるように展示する“屏風祭”を 友人数人でハシゴしたのも、後の祭りだったように記憶する。
それも、主に新町通りを行き来した。

新町通りは、豪商や武家屋敷跡が建ち並ぶ たいへん格式高い通りだった。
当時 キモノで栄えていた室町通りよりも、母も姉たちも そして私も、新町通りの方を気に入っていた。
いまも、新町通りには あの頃の風格が残っている。

北から、三条通りを少し下がったところに 八幡山、六角通りと蛸薬師通りの間に 北観音山、蛸薬師通りと錦通りの間に 南観音山、そして 3年前から復興した大船鉾は 四条通りと綾小路通りの間に。
あの頃 新町通りの四条から南は、あやふやな記憶によれば、ご神体と懸装品を飾るだけの居祭りだった。

祇園囃子は、各山鉾によって奏曲が違うと聞く。
私には、その区別はつかない。
どの山鉾の囃子も、過ぎ去った日々を思い起こさせる響きである。

京都を離れた5年間を除いて、祇園囃子の響きは、夏の京都に欠かすことはできなかった。
京都を離れていた数年においても、赴任地でこの時期になると テレビのニュースで耳にした。

ことしは、南観音山のお囃子に、長い時間 耳をすませて聴き入っていた。
こんなにも 澄んだ音色だったのか、と、たいせつに 大事に思う。

ゆくもまた帰るも祇園囃子の中(橋本多佳子)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何日君再来

2017-07-17 17:25:22 | 

野際陽子が出演した最後の映画、ということで、映画『いつまた、君と ~何日君再来~』をマークしていた。
いつしか時は経ち、気がつけば、京都市内の映画館での上映期間は過ぎていた。

浜大津のアレックスシネマならまだ上映していると ネットで情報を得て、夜7時30分からの一日一回きりの上映に間に合うよう、地下鉄東西線に乗った。
午後3時ごろから激しく降った雨はあがり、浜大津の歩道橋から眺める琵琶湖は、夕暮れ迫る薄日に さざなみをチラつかせていた。


『いつまた、君と ~何日君再来~』は、俳優・向井理の祖母の手記を、脚本・山本むつみ、監督・深川栄洋で映画化されたものである。
主人公・芦村朋子を 尾野真千子が、その夫・芦村吾郎を 向井理が演じている。
主人公の晩年を、おそらく現実に病がかなり進行していたであろう 野際陽子が演じた。

彼女のスクリーン最後の姿を見たかったから というのが、この映画をみる きっかけではあった。
が、館内が暗くなってから最後のクレジットが流れるまで、この映画にのめり込んでしまっていた。

かって テレサ・テンが唄っていた「何日君再来」が、クレジットとともに流れている。
高畑充希が、透き通るような声で歌っているのだ。

‘いとしい君’が残した反故紙のスケッチブック、その中の一枚、満開の桜の大木の下 花びらの絨毯の上で 背中合わせに坐る男女 その絵が、映画をみ終わってからも長く 脳裏に焼きついていた。


劇場を出て アレックスシネマの売店で求めたパンフレットに、こう書かれていた。
  
戦後70年を越え、想像をはるかに上回る成長を遂げてきた日本。
こうした背景には、映画にもドラマにもならなかった人々の生活があった。
『いつまた、君と ~何日君再来~』は、特別な人の稀有な逸話ではなく、ごくごく“普通の暮らし”を懸命に生きてきた人々の物語である。
だからこそ、いま、伝えておかなくてはならない、知っていてほしい大切なメッセージが詰まっている。
現代の私たちの心をも揺さぶるに違いない、すべての日本人へ捧げる、あなたの家族の物語である---。

劇場内の観客は、まばらだった。
戦争の悲惨 戦後の混乱を伝えられるのは、三代、孫くらいまで なのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘智の巨人’の入信

2017-07-10 01:28:52 | 

北九州を襲った豪雨災害のニュースに接し、なんて科学は無力なんだろう、と思いました。
科学は、‘智’の結晶ですよね。
ならば、なんて‘智’は無力なんだろう、と。
‘智’が無力ならば、祈るしかない。

‘智の巨人’と言われた人がいます。
加藤周一。
丸山真男や鶴見俊輔や井上ひさしや大江健三郎や…多くの錚々たる知識人に支持された、‘智の巨人’ です。

その‘智の巨人’が、最晩年にカトリックに入信していました。
そのことを、或る雑誌に載っていた対談記事『男の「ひとり」VS女の「ひとり」』(山折哲雄と上野千鶴子)で識りました。
かなりのショックを受けました。
上野千鶴子は、「ブルータス、お前もか」という常套句で、その驚きを表現しています。

正直言いますと、私は、加藤周一について ほとんど無知です。
日本の大いなる知識人たちと見なされている人たちが、こぞって‘智の巨人’だと言うのだから、凄い人なのだろう、その程度です。
ただ、何かの本で、加藤周一が「自分は宗教に知的関心はある。しかし宗教の説く超越と神秘、この二つはまっぴらごめんだ」というような内容のことを言っていたのは、知っています。
その彼が、最晩年、カトリックに入信していたのです。

この世には、人間の英知を以ってしても どうにもならないことが、山ほどあります。
人災とは言え 福島第一原発事故や、3年前の広島市北部の土砂災害、去年4月の熊本地震などの天災は、記憶に新しいものです。
そして、今回の北九州豪雨による流木土石流災害。

あんな不幸にみまわれても、「みなさんのお陰で助かりました」と感謝の心を失っていない 被災者の映像を見るにつけ、人間に究極的に必要なのは、感謝の言葉を発せさせる 祈りの心なのではなかろうか、そう思い至ります。
祈りの心を、宗教と簡単に呼ばないで欲しい。

人が迎える究極の時、死に対峙するとき、科学は、智は、なんの役にも立たないのではないか。
死の淵から救われた被災者の言葉を聞いて、加藤周一の最晩年の入信を知って、そんな感慨を覚えました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする