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つれづれ

思いつくままに

敗北を抱きしめて

2010-05-31 14:09:00 | Weblog
いま、世の中はグローバル社会だといわれます。
日本だけを考えていては なにごとも始まらない と、目を世界に向けることが 現代人の常識と化しています。
ことに、ここ十数年で急速に発展を遂げた隣国・中国をよくよく学ぶことが、日本の行く末を左右する 最重要課題だ、と。
そんなグローバリズムが渦巻くなか、日本人ひとりひとりは、はたして その渦にうまく乗り切れているのだろうか。


すくなくとも わたしは、いまだに、‘あちらさん’は アメリカさんです。
いまだに、日本の‘外国’として認識できる国は アメリカだし、グローバル社会といっても 考えられるその相手国はアメリカであり、アメリカとの関係が わたしにとっての‘グローバル化’なのです。

わたしたちより一世代前、つまり昭和10年前後に生まれた人たちは、筑紫哲也氏の言葉を借りれば、戦前の‘鬼畜米英’が戦後ころっと‘マッカーサーさまさま’に変節した 当時の日本の‘大人の心変わり’に、抜き差しならない幻滅を味わったのでしょう。

でも わたしは、‘マッカーサーさまさま’からの日本しか知らない。
ハリウッド映画は、欲しくて欲しくてしかたがない世界を これでもかこれでもかと映し出していました。
アメリカ!アメリカ!で歩んできた日本人のひとりなのです。


1945年、日本はアメリカに負けました。
このことを忘れて、いまなにを模索しても始まらない。

「2010年安保の年」と位置づけた今年、普天間基地問題で揺れに揺れている政界を遠目に、わたしは、自分なりのアメリカとの決着をつけるときが来たと考えています。
そうでないと、わたしの‘戦後’は終わらないと思ったのです。

そのために何をすればいいのか。
やはり、原点復帰だと考えました。
自分の歩んできた戦後日本を、わたしは、あまりにも、なにも知らな過ぎる。
時間的にも、体力的にも、そして‘お頭’的にも、大それたことはできない。
しっかりした あまり分厚くない書物から、まず無知を少しでも解消しよう。
その書物は 何よりも、なるべく公平な立場で書かれたものでなければならない。

わたしが選んだのは、10年近くも本棚の奥で眠っていた 次の本でした。
ジョン・ダワー著「敗北を抱きしめて」。

わたしは、本を読むとき、あとがきから読む癖があります。
「敗北を抱きしめて」は上下二巻になっているので、しかたなく まえがき(本書では「日本の読者へ」)から読みだしました。
よし!この本だ、そう直感したのは、まえがきに記された 次の一文でした。

・・・この本の英語版が出版されて間もないころ、森喜朗首相が、日本は世界のほかの国や文化と違って、「天皇を中心とする神の国」だという悪名高いスピーチをおこなった。私は、これに非常に腹が立った。
なぜか?
これは、私が研究者として理解している日本ではないからである。・・・

著者のジョン・ダワーは、1938年生まれのアメリカ人です。
親日家(奥様は日本人)といっても、れっきとしたアメリカ人です。
ちょっと上の世代のアメリカ人が、戦後日本の惨状から這い上がっていく姿を 普通の日本人たちを中心に据えて描いた、ピュリッツァー賞作品。
選択に間違いはないと、確信しました。


遅読のわたしにとって、800ページ近い書物の読破は、かなりの忍耐を要しました。
でも 爽快な読後感です。
「敗北」という言葉の響きに、こんなに心地よい感覚になれるとは思いませんでした。
改めて、いや、はじめの思いとは 全く逆の感動をもって、わたしは繰り返したいのです。

1945年、日本はアメリカに負けました。
このことを忘れて、いまなにを模索しても始まらない。


読み終えて、再び上巻のまえがきを再読しました。
まえがきは、次のように締めくくられています。

・・・新しい世紀において、自分たちの国は何を目標とし、何を理想として抱きしめるべきか。今日の日本の人がそう自問するとすれば、恐ろしい戦争のあと、あのめったにないほど流動的で、理想に燃えた平和の瞬間こそ、もっとも重みのある歴史の瞬間として振り返るべきものではないだろうか。私は、そう考える。2001年2月1日。・・・

このまえがきの結びが、わたしのいまの思いを 明確に代弁してくれています。

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太郎坊山

2010-05-26 16:59:33 | Weblog
‘生まれ故郷に帰りたい度’ナンバーワンは、滋賀県だと聞きました。
琵琶湖があって、里山があっちこっちに残っていて、歴史遺産も多くて、京都にも名古屋にも近いし・・・
近江、ことに東近江は たしかに、とわのすみか度の高い地だと 納得します。


八日市(平成の大合併で、無粋にも‘東近江市’になりました)に、太郎坊山という、とんがり山があります。
蒲生野に奇怪に立つ、岩ゴツゴツの、標高350mほどの霊山です。

この山、地形そのものが 神がかりで、700段以上もの石段を登り詰めると、眼前にふたつの巨岩「夫婦岩」が立ち塞がります。
人ひとり 岩すれすれに通れるだけの隙間は、神の力で巨岩が左右に開いたというのですが、ここを通らないと本殿に参れないので、こわごわ進むことになります。
「悪心があると通る時に挟まれる」と聞かされていたので余計、いまにも両側の巨岩に挟まれて押しつぶされそうな錯覚に落ちます。
童心に帰れる、神秘的な山です。

本殿に祭られているのは、天照大神の第一皇子、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)。
その名前から「まさに吾れは勝ち、負けることがない。勝つことの速いこと日が昇るごとし」と解釈されて、勝運の神として人気があります。

本殿からの眺めもいいのですが、山頂からの眺望は、350mほどの山からの眺めとは思えない、見応え満点です。
実は、この山そのものが御神体、頂上へ至るには「止め山」と書かれた紙に導かれるようにして、正面岩山の東側を迂回して登らねばなりません。

360度展望できる山頂からは、北西の方角、国道8号線と新幹線の向こうに、観音正寺のある山、観音寺山、別名 繖山(きぬがさやま)が遠望できます。
西国三十二番札所の観音正寺は、聖徳太子創建の寺として 全山を覆うほど隆盛し、湖東地方に勢威を振るっていました。
しかし 応仁の乱時、室町幕府の近江守護職に任ぜられていた佐々木六角氏が、全山を城域として大規模な山城を築いたため、寺は兵乱に巻き込まれ、往時をしのぶべくもないほど衰微してしまいました。

繖山の向こうには、安土城跡のある安土山があるはずです。

目を南の方に転じると、こんもりとした瓶割山(かめわりやま)が見えます。
この山にも、長光寺城という山城がありました。
室町末期 佐々木氏の築城と言われ、応仁の乱の際、西軍に与した観音寺城主・六角宗家重頼に対して、一族六角(佐々木)政堯は東軍に与して、長光寺城に拠ったとされています。
その後 織田氏の支配となり、六角氏との戦で、守将の柴田勝家は籠城戦を取り、水瓶を割って士気を鼓舞したことから「瓶割柴田」の異名が付けられました。
瓶割山の名前の由来は、これによると伝えられています。

瓶割山の向こうには、鏡山が見えます。
鏡山は、別名「竜王山」の名のとおり、雨乞いの山です。
万葉の世の謎多き女性・額田女王(ぬかたのひめみこ)の父は、鏡王だとされていますが、この鏡王の本拠地が この鏡山であったことは、ほぼ間違いないようです。

鏡山の そのまた向こうに、近江富士こと 三上山(みかみやま)が望まれます。

瓶割山の左手東方には、額田女王と大海人皇子の万葉相聞歌の舞台と目される 雪野山が、これぞ里山との姿で 横たわっています。
雪野山頂上には古墳があって、卑弥呼の鏡といわれる三角縁神獣鏡が出土したと聞きました。


太郎坊山から見渡せる東近江の山々は、穏やかで柔らかく、郷愁をそそる里山たちです。
古くは 神の住まう神奈備山(かんなびやま)であり、中世には 城山であり、今に至るまで 帰りたい度ナンバーワンのふる里の山であり続けています。

太郎坊山が位置する蒲生野とともに、太郎坊山は、魅力の尽きない 不思議いっぱいの山です。
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生きがいがなくても構わない

2010-05-26 09:56:46 | Weblog
ぼくは、同窓会のたぐいに出席することが どうも苦手です。
理由は、はっきりしています。
人に会うのが、億劫なのです。

そんなわがままなぼくが 唯一、なにがなんでも出たいと思う集まりがあります。
昭和20年生まれの、同じ研究室仲間だった 6人の集まりです。
仲間が話しているのが おもろいなぁと すんなり入る、自分の取りとめもない話を 聴く耳で 聞いてくれる、家族相手のおしゃべりでは得られない 話の弾みのワクワク感が、とてもうれしいのです。
同じ輝きの時代を通り抜けたもの同志にしか味わえない、愉悦です。

先週末、7年ぶりに この6人会がありました。
ひょっとしたら 6人揃って会えるのは これが最後かも、自分の衰えを 元気な仲間にも勝手に敷衍して、そんな縁起でもない思いがよぎりました。
また6人揃って会いたい、その強い思いの裏返しなのでしょう。

道はそれぞれ別れても、同じ時代の空気を吸ったものたちは、その匂いを共有しているのです。
これは、同時代人の特権です。
同時に、悲しみでもあります。
あの匂いを知る仲間を失うことに対する、一種の恐怖に似た悲しみです。

この会のお世話をしてくれた竹村君が、別れ際に 毎日新聞の記事のコピーを渡してくれました。
ぼくが朝日新聞しか読んでないことを、知っていてくれたのでしょう。
作家・勢古浩爾の、「新幸福論・生き方再発見」の文章でした。
その文章の題名が、タイトルに掲げた“生きがいがなくても構わない”です。

勢古浩爾氏は ぼくたちより3歳年下だから、まさしく団塊の世代です。
直感的に彼の文章から感じるのですが、彼が「生きがいがなくても構わない」と言う言葉の裏には、血まなこになって生きがいを追い求めた過去があったに違いない。
馬車馬のように働いて働いて、気がつけば いったい何のために働いてきたんだろう、と、腑抜けのような時期があったはずです。
「世の中は押しつけがましいところがある。セカンドライフは楽しく暮らさないと老後じゃないみたいな。」という彼のつぶやきには、そんな世の中に振り回されてきた自分に対する怒りみたいなものが読み取れます。

「金を人生の一番上には置かない生き方」に憧れながらも、いつまでたっても金に縛り付けられているぼくには、勢古氏の言うひとつひとつが腑に落ちるのです。
彼は言います。
「生きがいなんて贅沢。なくても生きていける。」
「公園でのんびりしていると、これでいいんだと思うときがある。このままこのベンチでうとうとしてそのまま死んでもむごくないな、という気になる。」
まったく同感です。
「朝から晩まで、あるいは一年間ずっと幸せということはありえない。その時々いくつか幸せが感じられたらそれでいい。」

幸せという文字に出会うとき、あの美しい主題歌とともに、決まって思い出す映画があります。
チャップリンの「ライムライト」。
老道化師・カルヴェロが、脚のマヒに悩んで 一時は自殺までしようとした若く美しい踊り子・テリーに向かって、こう言うのです。
「私くらいの年齢になると、幸せはほんのかけら。でも、その1パーセントほどの幸せを夢見て、なんとか生きていけるんだよ。」

勢古氏は、この世の中はほとんど人間が頭の中で考えたフィクションでできている、と言います。
「何のために生きるか」という問いもフィクションなら、「幸福になるため」という答えもフィクション。
フィクションなんだけれど我々はその中でしか生きられない。
結局、どういうフィクションを自分が選んで生きるか、だ、と。

老道化師・カルヴェロの1パーセントほどの幸せも、もちろんフィクションでしょう。
でも、それでいいんです。
その1パーセントほどの幸せを信じて、夢見て、生きてゆくしかないんです。

ぼくにとって、先週の6人会は その1パーセントにあたいします。
そして、竹村君が手渡してくれた 勢古浩爾氏の記事は、その1パーセントからこぼれ出た僥倖でした。

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テレビドラマ大好き

2010-05-13 18:02:11 | Weblog
テレビドラマ大好き人間のぼくにとって、このところのテレビドラマ不作で さみしい夜をすごすことが多かったのですが、ここへ来て 息を吹き返しています。


まず日曜日。
たいてい仕方なく(?)見ている NHK大河ドラマですが、「竜馬伝」は面白いです。
いままでの大河ドラマに匂っていた、NHK臭さがありません。
福山雅治のキャラも、いいですね。
続いて、毎日テレビ9時からの「新参者」、これが面白い。
やっぱり 原作(東野圭吾著)がしっかりしたドラマは、スキをみせません。
毎回一話ごとに完結していながら、ついつい次回をみたくなる、そんな魔力糸を感じます。
主題歌にも惹かれます。
♪さよならは終わりじゃない♪ではじまる、山下達郎の『街物語(まちものがたり)』。
いい曲だなぁ。

月曜日、これはドラマではなくて トーク番組ですが、NHKテレビ10時からの「こころの遺伝子」は、ゲストが誰かにかかわらず、欠かさず観たい番組です。
鶴瓶のA-Studioに少々飽きてきたところだけに、笑福亭鶴瓶の親しみや笑いとは一味違う西田敏行の、司会の魅力が大きいです。
毎回のゲストが受け継いでいる‘遺伝子’を、言葉の力として楽しんでいます。
関西テレビのキムタク月九「Moon Lovers」は、DVDに収まったまま、未知数です。

水曜日10時からの読売テレビ「MOTHER」は、“現代を生きる女性の「母性」をテーマにした社会派サスペンスドラマ”という触れ込みですが、子供の虐待という重いテーマにも 真っ向から取り組んでいます。
「東京ラブストーリー」や、いま放映中の「チェイス〜国税査察官〜」の脚本を書いた、坂元裕二の作品です。
被虐待児を誘拐し、その母親になろうとしている鈴原奈緒(松雪泰子)に、奈緒を捨てた産みの親・望月葉菜(田中裕子)が、『ほんとうにその子の母親になれるの』と問いかける場面。
望月が 自分を産みそして捨てた母親だと まだ知らない奈緒は、こう答えます。
『この子の手が日に日にちょっとずつ大きくなるのを この手に感じるようになって、自分にもこの子の母親になれる力があるんじゃないか、そう確信したんです。』
坂元裕二をすごいと思うセリフです。
女性をちゃんと理解していなければ、普通の男が書けるセリフではない。
このドラマのキャッチコピー‘母性は女性を狂わせる’は、女性でない男の独りよがり的な匂いもしますが、坂元裕二がこのドラマで伝えたい ほんとのところなのでしょう。
被虐待児の怜南(変名・継美)役の女の子(何という名前の子役さんかなぁ?)、演技が実にうまい、恐れ入ります。

坂元裕二が脚本するもう一つのドラマ「チェイス〜国税査察官〜」は、土曜日の9時、NHKテレビ。
待ち遠しい、わくわくします。
男のドラマです。
このドラマにこそ、男脚本家・坂元裕二が輝いています。

5月4日が最終回だった、NHKテレビ「八日目の蝉」について。
檀れいという女優さんは ぼくには苦手のタイプなので、このドラマの1回目は ほかにみるものもないしなぁ風に始まったのですが、最終回まで欠かさず観てしまいました。
最終回。
小豆島の草壁港で、赤ん坊の自分・薫(ほんとうは恵理菜、北乃きい)を誘拐して4歳まで育ててくれた野々宮希和子(檀れい)が、逃亡のフェリーを待っているところを逮捕されたときの、遠い記憶。
あのとき、引き裂かれた薫に向って叫んでいた、最後に聞いた希和子の声。
その声が何と言っていたのか、どうしても思い出せない。
その声の意味を、港で網を繕う漁師・篠原文治(岸谷五朗)から教えてもらった薫は、いっときに4歳児のころに戻った記憶で、泣き崩れる。
希和子に思いを寄せていた文治は、希和子が薫に最後に叫んだ言葉を、はっきりと覚えていたのです。
『もう少しだけ 時間をください。その子は、朝ごはんを、まだ、食べていないの』
涙が止まりませんでした。
家内が笑うんです。
いい年こいて、ほんとに変ですよね。
でも、このセリフには、ほんとうに参りました。
このセリフは、女性の作家しか書けません。
角田光代さんに脱帽です。
映画やテレビでみてしまった原作は いままで一度も読んだことはないのですが、小説「八日目の蝉」は買ってしまいました。
どうでもいいことですが、テレビドラマでは あのセリフを文治という島の漁師の口から言わせていますが、小説では 小豆島の海の色と香りで蘇えった薫の記憶として 描かれています。
文字と動画の表現能力の違いを熟知した演出家の、名脚色だと思います。


テレビにかじりつく日々で、ますます夜更かし人間になりそうです。

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ぼくが太極拳に惹かれるわけ

2010-05-09 10:51:10 | Weblog
5月2日のNHKハイビジョン放送で放映された「アインシュタインの眼」のテーマは、太極拳~身体の中で何が?~でした。
この番組を見て、漠然と感じていた太極拳の良さを、ある意味‘理屈っぽく’理解できた気分になれました。
うれしい気分です。
理屈が付けられると、意外と勇気が湧いてくるものですね。


太極拳と出会ったのが、25年前。
点けていたテレビが たまたま NHK教育放送の「テレビ婦人百科」で、その時に放映されていたのが たまたま トロくさい動きのラジオ体操みたいな太極拳でした。
演武していたのは、いま ぼくたちの教室で学んでいる健康太極拳の創始者、故 楊名時教授でした。

精神的にちょっと参っていた時期でしたから、楊名時先生のトロくさい動きに 何とも言えない安らぎを感じました。
当時 太極拳を教える教室は少なかったのですが、たまたま通りかかった御所の西で KBS京都の太極拳講座の張り紙を見つけました。
1年半ほど 練習に通いました。
そこまででした。
時間的なゆとりのなさを打ち負かすほど、そのときは 惹かれなかったということでしょう。

それから10年あと、鬱から逃れるためなら 藁をも縋る思いだったとき、以前に少し馴染んだ太極拳が ふっと浮かびました。
西村加代先生が指導されていた 朝日カルチャーセンターの気功太極拳教室に通いだして、“藁をも縋る思い”の藁が、徐々に安楽な椅子になっていきました。
安楽な椅子は、15年以上経ったいまも変わりなく、安楽なだけでなくて 生きている証しのような椅子になりつつあります。


太極拳は、武術のひとつです。
だから、演舞とは言わずに 演武といいます。
でも、攻撃する武術ではありません。
護身術です。
護身術ですから 自分から先に手を出すことはありませんが、やられっぱなしではありません。
攻撃してくる相手に 決定的なダメージを与えない方法で、ちゃんと反撃もします。
手の甲で相手の急所を打つ「裏拳」は、その象徴でしょう。

「先に手を出さない守りの拳」、ここが、ぼくが太極拳に惹かれる 一番目の理由です。


‘走る’という動作は、瞬間ですが 両足が地面から離れています。
重力に逆らって脚のバネ力で地面を蹴り、もう一方の脚のダンパー機能で着地する、その間の短時間の離陸中に 両者の機能を入れ替えた後方脚を前方へすばやく移動する。
そのすばやい移動の原動が、前傾姿勢による体重のアンバランスです。
倒れないように、仕方なく(?)後方の脚は前方へ移動する、これが 前傾姿勢の目的です。
つまり、(少なくともジョギングのような)走るという動作は、重力に逆らって 加速(バネ)と減速(ダンパー)を繰り返しながら、自ら体勢のアンバランスを作って 前方への分力を得ている。
そんなイメージを考えます。

ところが 太極拳の動作は、できる限り重力に逆らわない動きです。

重力によって生じる体重は、その荷重を 両足裏の接地面で分圧して支えられているのですが、その分圧の中心(圧力中心)の真上に 体重の重心があるのが、もっとも安定したバランスです。
太極拳の特徴的な動作である「ゆっくりした体重移動」は、この目には見えない圧力中心を 無意識的に常に探り続ける鍛練なのです。
太極拳の体重移動(重心移動)は、重力の作用方向に対して なるべく直角方向への動きです。
ニュートンの運動方程式を持ち出すならば、重力F=mgに逆らう力F'を作り出すための加速度(F'=maのa)が不要であり、したがって 最小限の力で移動できるのです。

さらに 太極拳の体重移動は、重心が常に圧力中心の真上にくるような、ゆっくりした動きです。
つまり、圧力中心と体重の重心のずれ(モーメントの腕)がほとんど無いから、重力による体重のモーメントが働かないのです。
だから、よろけないのです。

それらの素養がありませんから 明確ではないですが、能の脚の運びも、日舞の脚の運びも、おそらく 転びのモーメントは、きわめて少ないのではないでしょうか。
能や日舞の素養のある方の姿勢が良いのは、姿勢が良ければ 体重の重心が圧力中心に定まりやすいからです。
能や日舞を研鑽すれば、だから自然と 姿勢が良くなるのです。

太極拳も然りです。
太極拳では、「正中線」を大切にします。
正中線とは、百会(ひゃくえ、頭のてっぺんの凹んだところ)と丹田(たんでん、臍下奥部)を結ぶ線です。
子供のころ、姿勢が悪いと 背中に鯨尺を差し込まれたものです。
鯨尺は、正中線を意識する代わりをしてくれていたのです。
正中線が常に圧力中心の真上になるよう、ゆっくりと体重移動して探る鍛練、それが太極拳の学びなのです。

「ゆっくりした体重移動」、これが、ぼくが太極拳に惹かれる 二番目の理由です。


「先に手を出さない守りの拳」、「ゆっくりした体重移動」。
いずれもの反対の性癖である自分にとって、太極拳は ぼくの目指す生き方を教えてくれる、そう信じたいです。
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2010年安保

2010-05-05 10:44:45 | Weblog
60年安保から、半世紀。
70年安保からでも、40年。
普天間基地移設問題で苦渋する鳩山首相の顔を テレビや新聞で見るたびに、これは、鳩山首相ひとりを責める問題ではないという思いが募る。
毎年ごとの自動更新となった70年安保以後、基地問題を含め 日米安全保障条約について、安保闘争と呼ばれるほどの国民的感心は薄かったと気付く。

アメリカ軍のみとなった進駐軍(占領軍と呼ばなかったところに深い意味があった)は、51年安保(旧安保)で、「在日米軍」と呼び名が変わった。
その在日米軍について定めた法律が、『日米行政協定』を継承して 60年安保(新安保)の第6条で正式成立した『日米地位協定』である。
アメリカに守ってもらっているんだから、多少の屈辱的『日米地位協定』はしかたない・・・
そんな他人事のような感覚で、バブル景気に流され バブル崩壊に右往左往していた時期を通して、沖縄や軍事基地のある本土地点に住むひとびと以外の ほとんどの日本人は、日米安全保障条約に無関心であった。

“宇宙人”鳩山首相を戴く ただ今の民主党に失望は多いが、普天間問題を通して 日米安保条約に日本国民の関心を向けさせた意義は大きい。
いまの私たち日本人にとって、60年以上も前に締結された日米安全保障条約は ほんとうに必要なのか。
地球全体がひとつの有機体という認識の現代にあって、「在日米軍」が ほんとうに日米両国のためになることなのか。

70年安保闘争のような、独善的自己主張で血をながすことではない。
平和を享受しているとは言い難いが、60年以上も戦争で死者を出さずに来れた国民としての自覚をもって、とんがらず 穏やかに、安保を考えたい。
いまこそ、安保と真剣に向かうときなのだと思う。

わたしは これを、「2010年安保」と呼びたい。

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金本の教訓

2010-05-03 00:07:29 | Weblog
ここで言う金本とは、言わずもがな、プロ野球阪神タイガースの金本知憲選手のことです。

今季の阪神がほんとうに強くなったのは、金本が試合中にベンチに坐ってから・・・そんな解説をしたくなるような、いまの阪神の強さです。
城島の補強や マートン、ブラゼルの外国人選手の活躍も要因でしょうが、若手中継ぎ投手陣の勢いや ベンチを温めていた中堅選手の発奮が大きい。
中でも、金本に代わって4番を託された新井の奮起は、トラの目覚めを促す 最大の要因になっています。
この意味は きわめて重要で、かつ深い教訓を示しているように思います。

金本選手に、連続試合全イニング出場の記録を途切れさせるのは、金本自身しかない状況でした。
それを自覚して、メンバー表から外れることを申し出た金本は、さすがです。
彼がベンチに退く意味を 一番良く知っていたのは、彼自身だったのでしょう。

退却のむずかしさ。
長く頼られる存在にあった人間ほど、そのむずかしさは大きいです。

引き際をうんぬんされている 民主党の小沢一郎氏も、金本選手を見習わなければいけない。
いや、偉そうにそう言うぼく自身、ささやかな表舞台からの退却の糸口を、もつれさせているのです。

金本選手が自ら作った「代打の切り札」のような居場所は、彼のような鉄人だから与えられる椅子であって、凡人ごときはせいぜい、他人に迷惑のかからない生き方を模索するのがふさわしい。
他人に迷惑のかからない生き方、これもまた、むずかしいですね。

六甲おろしの歌をガナりながら、心のどこかに さみしい浜風が吹いています。

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