菅義偉氏が総理になったとき、ちょっと期待感があった。
けっこう まじめそう、安倍さんより マシかも、と。
ただ ちょっと硬すぎるなぁ、良質なユーモアは望めそうにないなぁ、とは感じていた。
70歳を過ぎてるんだから、もうちょっと肩の力を抜いたそぶりでも 見せればいいのに、とか思っていた。
叩ぎあげ という言葉は、自分から言う文句ではない。
本人が醸しだすオーラから 人さまが そう評価して はじめて、「たたき上げ」という言葉が生きるのだ。
叩ぎあげ発言のころから、あの期待感が 徐々に薄れてきた。
さて、学術会議問題である。
一般人には たしかに、学術会議というものが よくわからない。
その人選も含めて、オープンにするのは 悪いことではない。
「組織をより良いものにしていこう」と 政府と学術会議側が話し合うのは、たいへん結構なことだ。
菅首相が常々言っている「国民に丁寧に説明していく」という言葉が本心なら、どうして 除外された6名の人選理由を明らかにすることが「説明できることとできないことって あるじゃないですか」という菅氏の発言に つながるのか、わたしには どうしてもわからない。
いいじゃないですか、「いまの政府に不利な意見を つねづね吐いている連中だから 除外したんだ」 と言えば。
それに対して そりゃぁ、猛反対の声が上がることだろう。
いや、そりゃそうだ いまの政府は国民に負託されてるんだから その理由は正しい、という人もいるだろう。
そこからが 話し合いのはじまり、なんじゃないかなぁ。
民主主義って そういうもんでしょう、時間がかかるんです。
除外された6名の人たちが どんな意見を持っているのか、わたしは よく知らない。
ただ、加藤陽子教授の著した『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読んで、日本近現代史を より深く理解するには 優れた本だなぁとの読後感を持った。
高校生などの若い人たちにも ぜひ読んでもらいたい、そんな感想を抱いた。
菅首相は、この本を読んだことがあるのだろうか。
菅氏の(たぶん)まじめさは、悪いことではない。
ただ、もっと懐の深さを(それがあるなら)示してもらいたい。
学術会議問題で思うことである。
いま、一年で いちばん気持ちのいい時候。
風が、こんなに肌にうれしい季節はない。
2020年秋京都非公開文化財特別公開が行われている。
泉涌寺道沿いにある 戒光寺(かいこうじ)を尋ねた。
目的は、運慶・湛慶父子合作の「丈六の釈迦如来立像」。
丈六とは、1丈6尺 すなわち 約4.85m。
しかし この立像は、身の丈 5・4mもある。
台座から火焔の光背も入れると、約10mになる。
火焔光背は 上部で前へ反り立って、仏の頭上で天蓋のごとく如来像を覆っている。
大きい。
大きいだけなら、さほど驚かない。
お顔が とても穏やかである。
台座下の拝座から仰ぐと、優しい伏し目が こちらに向けられる。
宋風の色濃い造りである 長い爪、細長い目、波状形の流麗な衣文。
極彩色の跡が、ありありと残っている。
なによりも、大きい仏像にありがちな間抜け感を まったく感じさせない。
それだけ 各部位が、均斉がとれている証拠だ。
すばらしい大仏様である。
運慶・湛慶父子合作 とあるが、このお姿は 子の湛慶の作風とみた。
高知の雪蹊寺におわす 毘沙門天の雰囲気に、通ずるものを感じるからだ。
わたしの好きな湛慶の作品に、出会えた喜び。
京都では三十三間堂の千手観音坐像以外には 湛慶の仏像に出会えない、そんな思い込みを覆す ありがたい出会いであった。
心地よい風の通う泉涌寺道の帰路で、どこからともなく漂い来るキンモクセイの香りを 胸いっぱいに吸い込んだ。
東山魁夷の作品に、「緑響く」という 幻想的な絵がある。
東山の愛した信濃の、蓼科高原にひっそりとある 御射鹿池(みしゃかいけ)。
カラマツやシラカバの生い茂る青味がかった林を 右から左に横切る白馬と、それらを映す静かな湖面が、描かれている。
唐招提寺御影堂障壁画制作のため、昭和47年 東山は、鑑真和上の生涯や唐招提寺について研究し、御影堂障壁画の構想に没頭した。
画面上を駆ける白馬は、この一年間の作品にだけ 見られる。
東山は のちに、自らの「祈り」の現れであろう、と述べている。
この「緑響く」に発想を得て、キュレーターの経歴を併せ持つ作家・原田マハは、彼女の作風と一味違う とびきり上質の作品を生み出した。
『生きるぼくら』、これが その題名である。
若者の いじめ、不登校、引きこもり、親世代の 借金、離婚、病死、そして 老人の 孤独、認知症。
これら 現代社会が抱える さまざまな問題の 解決につながる有力な希望を、作家 原田マハは、この本に示してくれている。
その希望は 具体的に、八ケ岳の西麓 蓼科高原の風景と、米作りという もっとも根源的に日本的な労働作業を通して 得られるかも知れない、と。
父親の失踪から始まった 麻生人生(あそうじんせい)の「不幸な人生」は、母親の家出を契機に尋ねることになった 父の故郷の蓼科の風景と そこに暮らす人々の温もりに包まれて、「幸福な人生」の予兆と自信で 締めくくられる。
蓼科の風景 その具体的場所が、人生のばあちゃんがいちばん好きな場所、東山魁夷の「緑響く」池、御射鹿池である。
あれから、いろんなことがあった と、人生は 振り返る。
働いて、米作りして、ばあちゃんと つぼみ(血のつながらない妹)と暮らしてーーー気が付くと、がむしゃらに生きていた。
周りのあたたかい人たちに助けられて、どうにか前を向いて歩いてきた。
もしも自分ひとりだったら、ここまでくることはできなかっただろう。
人生が送るメールの件名は、「生きるぼくら」だ。
介護施設の清掃作業に出勤する前と後に欠かさず田んぼに出る、人生。
自然と、命と、自分たちと。
みんな引っくるめて、生きるぼくら。
田んぼを眺めていると、自分が、この小宇宙の輪の中にすっぽり入っているんだ という感覚になる。
稲も ミミズも カエルも、そして自分も、みんな生きている。
生きることをやめない力を持っているんだ。
生きるぼくら、このフレーズは、ふっと手を伸ばして、人生の心の表面にそっと触れたのである。
『生きるぼくら』、この本は わたしの「私の大切な15冊の本」の一つになった。
もう ずいぶん前になる。
NHKスペシャル「街道をゆく モンゴル紀行」で、坂妻の長男 田村高廣が朗読する『草原の記』に 強く心を打たれた。
田村高廣の美しく柔らかい語り声が モンゴルの大草原を走る馬の映像に乗って、まるで抒情詩を聴くごとく 誇り高く伝わってきたのだ。
もう これは『草原の記』を読むしかない、そう思った。
ところが その後 雑事に追われて 日々が過ぎ、司馬遼太郎の『草原の記』は わたしの頭から忘却された。
終活の年齢になって、あふれかえる本棚の整理に 意を向けるようになった。
処分する本と残す本との峻別を下さねばと 本棚に向かうのだが、これが なかなか難しい。
大した蔵書でもないのだが、遅読のわたしは 蔵書の一割も読破していない。
読みかけ分を引いても、約8割が 未読書である。
峻別前に 本に対する最低の儀礼として 一度は目を通さねばと 読みだすのだが、どの本も残す価値がありそうで 峻別なんぞ 至難の技なのだ。
ことし8月に亡くなった劇作家 山崎正和の本が、数冊ある。
そのうちの一冊『歴史の真実と政治の正義』という本の 巻末の方に、「風のように去った人ーー追想・司馬遼太郎」という一文があった。
この中に、「私が愛してやまない司馬さんの傑作は『草原の記』・・・」とあった。
20年以上も前に心を打たれた 田村高廣の朗読が、鮮やかに蘇った。
もう こんどこそ、『草原の記』を読まねばならない。
未読書の山から『草原の記』を引っ張り出して、二日間で読み上げた。
『草原の記』には、二人の人物が 主題的に描かれている。
二人は まったく異質の、しかし典型的なモンゴル人である。
ひとりは オゴタイ・ハーンという歴史上の英雄で、モンゴル帝国の版図をヨーロッパまで広げた猛将である。
もう一人の主人公は ツェベクマさんと呼ばれる通訳で、現代の無名の女性である。
どちらも、どこか歴史と無関係に生きているという 強烈な印象を与える。
誤解を生むことを承知で言うと、歴史を支配することについて まったく無欲なのである。
これは、モンゴル民族の伝統的な精神の特徴であり、たぶん 司馬遼太郎の好む精神である。
わたしは、この本の出だしが 大好きだ。
まるで 作者の心奥にある詩を、抑揚のあるリズムに乗って 歌い上げているのだ。
蛇足ながら、以下に それを引用する。
空想につきあっていただきたい。
モンゴル高原が、天にちかいということについてである。
そこは、空と草だけでできあがっている。 人影はまばらで、そのくらしは天に棲んでいるとしかおもえない。
すくなくとも、はるか南の低地にひろがる黄河農耕文明のひとびとからみれば、おなじヒトの仲間とはおもえなかったろう。
しかも、馬にじかに乗っている。 騎乗して風のように駈け、満月のように弓をひきしぼり、走りながら矢を放つ。
--あれは、人ではない。 と、紀元前、黄河の農民はおもった。 ・・・
「司馬さんは けっして私小説風に自分を語らない作家である」と、山崎正和は評している。
私小説とは いうまでもなく、作者が直接に経験したことがらを素材にして ほぼそのままを「露骨なる描写」によって書かれた小説である。
日本における自然主義文学は、私小説として展開された。
本来 客観描写であるべき自然主義文学は、日本では 現実を赤裸々に描くものと解釈された嫌いがある。
四度の自殺未遂や心中未遂をおこし 五度目で生涯を閉じた太宰治の小説は、その典型であろう。
司馬文学は、こういう私小説の対極にある。
わたしが司馬文学を好む理由も、ここにある。
とはいうものの『草原の記』は、司馬遼太郎の心の故郷というべき場所であるモンゴルが舞台であり、この作品はたぶん初めて、自分の魂の故郷について 思いのたけを存分に語った作品であろう。
そういう意味でも『草原の記』は、司馬文学の最高傑作ではなかろうか。
東京練馬区向山の遊園地「としまえん」は、ことし8月31日をもって 閉園した。
そのシンボルが、回転木馬「カルーセル・エルドラド」であった。
エルドラドは、113年前 ドイツで造られ ニューヨークの遊園地を経て、この地で94年間 廻りつづけた。
アールヌーボー様式の馬や馬車は すべて木で出来ていて、回転時間は 1分50秒、乗り場が三段に分かれ 回転中心に行くほど回転が速い。
各段の移行スピードが同じ、そして 景色が徐々に変わっていく「からくり」と いうことか。
10月2日放映の NHK総合テレビ「ドキュメント72時間」は、閉園一週間前から三日間のエルドラド周辺の様子を 伝えてくれた。
行ったことのない「としまえん」のエルドラドが 無性に懐かしく、この気持ちを文字に定着しておきたい衝動にかられた。
72時間に登場したインタビュイーたちの思いから、見たこともないエルドラドに ものすごく愛着を抱いたのだ。
エルドラドが醸す 日常生活と違う世界、ウキウキする空間と 幻想的で不思議な時間を、ナレーターの鈴木杏とともに辿ってみたい。
少し冗長になるが、「ドキュメント72時間~日本最古の回転木馬の前で」を追う。
撮影初日。
エルドラドに乗ろうと 一日中 長蛇の列、久しぶりの賑わい だという。
あたりが しだいに暗くなり、エルドラドが輝きを増してきた。
列には並ばずに ベンチに座り続ける、夫婦らしき二人連れがいた。
[ インタビュアー ] きょうは乗られないんですか?
[ 夫 ] きょうはね よく眺めておこうかなと思ってね。 目に焼き付けておこうかなっていう感じかな。
[ インタビュアー ] お二人でよく来られたんですか?
[ 夫 ] 来ましたね。 その時はまだ 結婚する前かな。
( ナレーター ) 来年 結婚30年という夫婦。 かって職場の同僚だった二人は デートの最後 エルドラドに乗るのがお決まりだったんだって。
[ 夫 ] 若かった頃は良かった みたいな感じかしら、キャーとか言って。
[ 妻 ] やっぱり すごく混んでましたよ、ここは。 30年前とかは すごく。
[ 夫 ] きょうは そのころと ちょっと似てますね、雰囲気がね。 昔 こういうふうに賑やかだったのでね。
( ナレーター ) 結婚後も近所に住み、時間を見つけては 揃ってここを訪れていたそう。
[ 夫 ] 寂しいですね、やっぱりね。 時代がどんどん変わっていくのでね。 だんだん自分たちも 終わっていっちゃう みたいな。 そんなのと重なるみたいな感じかしら。
( ナレーター ) 二人は しばらくの間、エルドラドを眺めつづけていた。
最後のお客さんが乗り込んだ 夜7時半。
杖を持った男性と その娘さんとおぼしき二人連れが、ベンチに腰かけていた。
[ インタビュアー ] エルドラドに並ばなかったんですか?
[ 娘 ] 行った瞬間に「営業終了しました」ってなって 乗れなかったんですよ。
[ 父 ] これから 女房と息子二人が来るんで・・・
[ 娘 ] ここで待ち合わせしようって、閉園前に どうしても一回はみんなで・・・ 家族で思い出の場所だから 来たいねって話をしてて。 それで きょう やっと来れたって感じです。
( ナレーター ) 埼玉から来た親子。 自営業で忙しいお父さんだったけど、休みができると 家族でここに来ていたという。
[ 娘 ] 小ちゃいときとかって 馬にまたがりたかったんですよ、どうしても。 それこそ お父さんと一緒に乗ってもらうとか。 覚えてる?
[ 父 ] あぁ うん、よく覚えてるよ。
( ナレーター ) きょうは 娘さんの提案でやってきた。 それには 訳があるみたい。
[ 娘 ] 5年前に脳出血しちゃって、父が。 後遺症が思ったより きつくて、倒れた直後とかは けっこう大変で・・・
( ナレーター ) 一命はとりとめたものの、お父さんは 右半身のマヒや言語障害が残ったという。 以来 家族みんなで リハビリを支えてきた。
[ 父 ] 一年ぐらい 家族に支えられて リハビリがんばりました。
[ 娘 ] がんばったから きょう来れたって感じです、大げさですけどね。
[ 父 ] アッ あそこに来てる。
娘さんに支えられて ベンチから立ち上がったお父さんは、杖を突きながら 奥さんと二人の息子さんがいる方へ。 家族五人が合流。
[ 母 ] 娘が取ったら たまたま あっという間に取れたんですね、チケットが。 なので いいご縁だったのかなって、思いが伝わったのかなって、勝手に思いました。
[ 娘 ] まぁ みんなで ゆったり来られたね。
[ 父 ] ハイ。
( ナレーター ) エルドラドには乗れなかったけれど、家族の思い出は またひとつ 増えた。
夜8時、エルドラドは消灯。
撮影二日目。
列の中で 熱心に話し込む二人がいた。
( テロップ ) 元板金職人の男性 76歳、と、その通訳介助者の女性。
[ インタビュアー ] おはようございます。
[ 介助者 ] NHKさん? (男性に向かって)NHKさんです。
[ 男性 ] わたしは視力と聴力両方に障害があるんで、彼女は通訳介助者で来てくれているんで。 わたしは もう これ(エルドラドのこと)だけを狙ってきた、一度 乗ってみたくて、無理やり頼んじゃったの。
( ナレーター ) 40歳の頃から 病気で徐々に視力が衰え、難聴にもなったという男性。 なんと 人生で初めてのメリーゴーランドなんだと。
[ 男性 ] 外国の映画みても メリーゴーランドが出てくる場面が多いんで 気にはなってたんだけど、自分が乗るのは 恥ずかしかったから。 そのころ若い時って これは男の乗るもんじゃないよ とかあるでしょう、変な意地っ張りが。
( ナレーター ) ひそかに抱いていた メリーゴーランドへの憧れ。 ずっと忘れていたけれど、閉園のニュースを聞いて 無性に挑戦してみたくなったんだって。
[ 男性 ] 馬らしいね。(木馬にまたがって 首筋をポンポンと叩きながら)かわいい。 自分に もともと頭に入っているわけでしょう、メリーゴーランドの形が。 それを思い出しながら・・・ けっこう速い感じがするね、スピード感があるからね、風があって。
( ナレーター ) 体と記憶で感じる 憧れの世界。
介助者の助けを借りて 出口ゲートを通っていく男性。
[ 男性 ] 楽しかったよ。
[ エルドラド係員 ] また お待ちしております。
エルドラドをバックに、男性は語り続ける。
[ 男性 ] わたし ジョン・ウェインの大ファンなんでね。 ジョン・ウェインになった気分で馬にまたがったんだけど、正直言って もう一度 乗ってみたいなって思います。
[ 介助者 ] じゃぁ もう一回 並びますか?
[ 男性 ] ハッハッハ
( テロップ ) エルドラドは、スペイン語で「黄金郷」を意味する。
息子家族と 20年ぶりに訪れた女性。
[ 女性 ] 子どもたちが小ちゃいときは、わたしは 家で掃除したいために、うちの夫と子どもたちと(としまえんに)一年中 行ってもらってた。 本当は もっと子育てを楽しみながらいけばよかったんだけれど、自分も若かったし 仕事も忙しかったし、時間に追われて・・・
( テロップ ) あのころは 楽しめなかった景色、きょうは 違って見えた。
[ 女性 ] こんなにきれいだったのかなって、しみじみと。 ほんとに(来て)よかった。
( テロップ ) 時代を越えて 変わらずに廻り続けた エルドラド。 その姿を通して 人は 自分の「今」を見つめる。
撮影三日目。
きょうも 朝から大賑わい。
( ナレーター ) 列に並ばず エルドラドのまわりを 行ったり来たりする男性がいた。 撮影かな?
[ インタビュアー ] すみません 突然。 熱心に撮られていたんで・・・
[ 男性 ] 昔 家族で来たことがあって、それから あまり 来たことがなかったんですけど、思い出をもう一回 振り返りたいなと思って・・・
( ナレーター ) 両親と妹との四人家族。 中学生の頃は よく遊びに来たという。(テロップ:製造業32歳)
[ 男性 ] 最近 家族がいろいろあって、あまり 一緒にいることがなくなってしまったんですけど、(両親が)離婚まではいかないんですけど、家族内で軋轢がありまして・・・
( ナレーター ) 自分の力では どうすることもできない現状。 もんもんと過ごす中、ふと思い出に触れたくなった。
[ 男性 ] ほかの家族さんとか見てて、当時 自分たちも そんな感じで 仲良く過ごしたのかなとか思うと、あのころに戻りたいなって思いはあります。 寂しいんでしょうね、今が 一人っていうのが。
( ナレーター ) 撮影するうちに 少しだけ 気持ちに変化があったみたい。
[ 男性 ] (当時)馬が 妹と二人で乗ったりして すごい懐かしい というか、妹とかに「撮りに行ったよ」っていうのを きっかけじゃないですけど (動画を)送って 反応をみたいな と。 妹にも あの頃を思い出してほしいな と・・・
( ナレーター ) 大切な思い出は、ときに 人を強くしてくれる。
( ナレーター ) 竹の籠? 竹の笊? ずいぶん個性的な服装。 (テロップ:どじょうすくい師範、女性68歳)
[ インタビュアー ] どじょうすくい?
[ 女性 ] はい。 はまってしまいまして。 あのぉ 師範になりまして。
[ インタビュアー ] 師範とか あるんですか?
[ 女性 ] 3級から あるんですけど。
( ナレーター ) この道 25年。 都内で どじょうすくい教室を開いている というけれど、すごい。 気合が入ってる。
[ 女性 ] としまえんさんは 94年じゃないですか。 その中の歴史の中に わたしも入ってますから。 わたしの集大成として としまえんで こういう恰好をしたい と。
( ナレーター ) 聞けば ここは、幼い頃の 母親との場所。 シングルマザーで 仕事も忙しかったけど、よく ここに連れて来てくれたそう。
[ 女性 ] 父がいなかったから よく 母はわたしを かわいがってくれましたね、その分ね。 「晴れてるから行こうか」って言って 一緒に出かけたりして。
( ナレーター ) でも 二十歳の時、母親が認知症に。 女性は仕事をやめ、介護を13年続けたけれど、母親は 亡くなった。
[ 女性 ] あのぉ むなしさからの出発って あるじゃないですか。 (母を亡くして)けっこう むなしかったですよね。
( ナレーター ) 気付けば 30代。 たった一人の家族を失った喪失感だけが残った。 そんな時 出会ったのが、どじょうすくい だった。
[ 女性 ] 笑いっていうのは、自分も救われるし、人を楽しませてあげられるし、今までやってきて 乗り越えられたかな という気がしますね。
( ナレーター ) むなしさ の中で見つけた 自分の生き方。 この姿を 母親に見せたい と、ここに来た。
「としまえん ありがとう」と書かれた手看板を 胸に抱えて、彼女は 回転木馬にまたがった。
[ 女性 ] 親としては、25年間 どじょうすくいをやってきた ということは まぁ「ずいぶん頑張ったね」なんて言ってるかもしれないですね。
( ナレーター ) 思い出が詰まった この場所で、女性は ずっと笑っていた。
この撮影が終わった 5日後、エルドラドは 動きを止めた。
しかし エルドラドは、この撮影のインタビュイーたちに代表されるように、忘れ得ぬ人生の1ページをエルドラドで飾る すべての人々の心に、走馬灯のように いつまでも廻り続けるであろう。
わたしの脳裏に いまだに走り続けている、奈良ドリームランドの木造ジェットコースター「ASKA」のように。






