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つれづれ

思いつくままに

図書館

2014-06-13 11:40:35 | Weblog
いま 放映されているNHK朝ドラ『花子とアン』に登場する、とても落ち着いた雰囲気の場。
教会の二階、本に囲まれた空間。
ステンドグラスから入る光が、心地よい明るさを醸し出す。
あんな空間、居心地の良い図書館のような空間が、身近に欲しい。
本好きな方なら誰もが描く、心安らぐ場だ。


京都市の市立図書館は、最近 ものすごく充実してきた。
丸太町通り御前を少し東に入った北側、アスニーにある中央図書館と、各地域の図書館を合わせて、20館ある。
巡回移動図書館もある。
火曜日と年末年始以外は閲覧できるし、中央図書館や右京図書館などは 平日は夜の8時半まで開いている。
地下鉄の駅などには 図書返却ポストが設置されているから、時間外でも返却には困らない。
ひとむかし前の図書館とは、隔世の感だ。

小学校のころ 図書館といえば、岡崎公園にある府立図書館しか 思い浮かばない。
うす暗くて、ちょっと怖そうな空間だったように、記憶している。

洛北高校生だったころ、府立大学の北側に 府立総合資料館ができた。
資料館の中に設けられた自習室は、真新しく広々としていて、まさに「無料格安快適勉強部屋」であった。
わたしにとって、この自習室の恩恵は、計り知れない。

いま もっぱら利用しているのは、地下鉄天神川駅のすぐ上にある 右京図書館だ。
交通の便はいいし、蔵書数も多いし、なにより リラックスできる雰囲気がいい。
一人10冊まで(うちCD,DVD等の視聴覚資料は2点まで)、2週間借りることができる。
貸し出し手続きも 機械化されていて、きわめて迅速だ。
日暮しここで過ごすのも、悪くはない、と思えるほど。

毎朝 新聞だけをみにくる お年よりも多い、と聞く。
図書館が、お年寄りの交流の場となりつつある。
浮世床・浮世風呂ならぬ、浮世図書館というところか。


ものすごく興味がある他府県の図書館に、武雄市図書館がある。
先日、訪ねてみた。
人口5万人の地方都市・佐賀県武雄市が、蔦屋書店に委託している図書館だ。
正確に言うと、「TSUTAYA」を運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が、当館の指定管理者ということになる。

年中無休、朝9時から夜9時まで、開いている。
館内には、TSUTAYAの本屋があり、スターバックスがあり、持ち込み飲み物可能な閲覧カウンターがあり、パソコンでネットも自由で・・・
心地よい雰囲気が、館内に漂っている。

東京の代官山蔦屋書店に入ったことはないが、かの“マガジンストリート”らしきものも、ある。
雑誌は、日々更新する人生の指南書だ。
マガジンストリートを ゆったり眺め通るうち、気になる雑誌が見つかれば、館内のスタバで ちょっと坐り読みもできる。
気に入れば、購入することもできる。
こんな図書館、欲しかった。

もとより 武雄は、由緒ある温泉地として有名だ。
ここに、日本一の図書館を作ろうと、燃えている青年市長がいた。
樋渡啓佑(ひわたしけいすけ)武雄市長だ。
温泉地と図書館。
一見 へんてこりんな取り合わせだが、良質な宿泊施設がそろっている武雄に、ネットカフェのような気軽さで利用できる、日本一の図書館が出来れば・・・
そうすれば、研修などを武雄で行う企業や自治体が出てきても、おかしくはない。
寂れつつある温泉町に 日本一の図書館ができれば、市民の誇りとやる気を 取り戻せるのではないか。
新しい‘市民価値’の創造である。

100万人都市以外の地方都市をたずねて かなしく思うのは、そのさびれた姿だ。
地方都市の商店街を歩くと、何とかならないものなのか と、ヨソモノながら 怒りのような感情が湧いてくる。
営利目的が許されない地方自治体が、瀕死の町を再生するのは、容易なことではなかろう。
だが、バブル期に造られた“ハコモノ”を、スリムな運営で、町の誇りと活動の場に、生まれ変わらせても良いではないか。


武雄図書館は、まだ試験段階なのかも知れない。
その行方を、興味深く見守りたい。
図書館とコンビニと病院と観光客に恵まれた京都市に住む一市民として、武雄市を、がんばる弟のような親しみをもって、応援したい。
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サイレント・プア

2014-05-23 11:19:44 | Weblog
火曜22時、NHKドラマ10『サイレント・プア』を、欠かさず みている。
このところ NHKらしからぬドラマが続いていたが、シリアスな問題を真正面から向き合う社会派ドラマに、久々にめぐり合えた。
事件モノをひねくり回す民放ドラマにも 飽きがきているところだったので、余計 新鮮だ。

作者は、2年前に同じドラマ10で放映された『シングルマザーズ』を脚本した 相良敦子さん。
民間団体・社会福祉協議会に在職するソーシャルコミュニティワーカー(SCW)を題材にしたもので、具体的には 大阪府豊中市のSCWをモデルにしているという。
地域社会における人間関係が薄れてきた いまの世の中で、切実な問題である サイレント・プア「見えない貧しさ」を、ひとりのSCWの心を通して綴る、全9話の物語。
現在、第7話まできた。

その‘ひとりのSCW’里見涼を、深田恭子が演じている。
このドラマの深キョンは、いい。
見直しました。
セリフの少ない演技は、深キョンに向いているのかも。
それに、超美人です。

里見涼を憧れの先輩とする同僚の三輪まなか役に、映画『最後の忠臣蔵』で清純な役柄を見せてくれた、桜庭ななみが演じている。
この役者さんも、まことに美しい女性だ。
深田恭子と桜庭ななみを見るだけでも、このドラマは値打ちがある、と個人的な感想です。


ところで、役所アレルギーというものが、つい最近まで わたしにはあった。
社会福祉協議会や民生委員は 役所の職員ではないが、いっしょくたに考えるという無知のせいで、これらの民間福祉団体も疎遠なものに、わたしには思われた。
この 無知に基づく偏見は、最近、市役所職員や民生委員の方々の日ごろの行動を、家内を通して見聞きするうちに、尊敬の念に変わってきた。
いま 家内は、民生委員の主任児童委員をしている。

京都市、特に中京区は、民間の福祉関係団体が献身的に活動されている。
そして役所も、民間の福祉団体と協力して、手厚い福祉活動をおこなっていることも、知った。
以前の自分の無知が、恥ずかしいくらいである。

わたしの住む地域にも、いままでは想像もしなかったサイレント・プアが存在することを知って、愕然とする。
経済的貧しさではなく、孤独や孤立といった、精神的貧しさなのだ。
この状況は まさしく、マザーテレサの「この世界は食べ物に対する飢餓よりも、愛や感謝に対する飢餓の方が大きいのです」という言葉そのものである。
高齢化は、この状況に拍車をかけている。


第7話で、三輪まなかが担当する一人暮らしの老人が 孤独死してしまう。
救いの手を差し伸べられなかったことを悩む まなかは、自分の無力さにとことん向き合った末、尊敬する先輩の里見涼に こう誓う。
「ひとり、ひとり、届かなくても、届かなくても、心を届けていきます」

人には、戦争をしでかすような恐ろしい心が住んでいる一方で、苦しんでいる他者を助けようと手を差し伸べる心も宿っている。
それは、だれにもある、と信じたい。
手を差し伸べるということは、とても勇気の要ることだ。
まず 家族に、そして 自分が住む地域の人々に、その勇気を向けなければ、と思う。

この国を良くしよう などと、大それたことは とてもじゃぁない。
せめて 自分たちが住む地域社会を、もっと暮らしやすい、もっと心豊かな町にしたい。
ほとんど実行に移していないわたしだが、気持ちだけは そう思っている。


深田恭子演じる里見涼自身も、心にサイレント・プアを抱えている。
それを、セリフなき演技で 深田恭子は見事に見せてくれている。
里見涼だけじゃぁない。
やがて誰もが、サイレント・プアにならないとも限らないのである。
もちろん、このわたしも。

ドラマ10『サイレント・プア』は、現代の貧困を考えさせられる、そして 再生の力を垣間見させてくれる、いい番組です。
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ニーグリップ

2014-05-20 17:32:57 | Weblog

緊張してコチコチの じいさんライダー、それを心配そうに追走する ばあさんドライバー。
エストレヤに跨っているわたしと、ポロで追いかける家内、のつもりで描きました。
笑止千万な、へたくそなイラストです。

早朝の古都を、東に 北に 西に 南に(南はまだ伏見稲荷だけ)と、走り回っています。
タンデムに誘っても、怖がって だれも立候補しません。
家内も 娘も、絶対にイヤ、だそうです。
アルバイトやとったら、と娘の発案。
30分 まぁ2万円なら、あるかもよ、と。
そこまでして、乗ってもらおうとは・・・

ひとつ、気づいたことがあります。
バイクになじみのかたには、当たり前のことなのでしょうが・・・
ニーグリップをしっかりしたら 肩の力がスーッと抜けて、自称、いい格好のライディング姿勢になります。
気功太極拳でいう、まさしく‘上虚下実’。
気功太極拳教室でしゃべる いいネタができました。

婿と、ちょっとした秘密を作りました。
婿はゴルフで アベレージスコア100を切る、わたしはバイクで 2万キロを無事故で走る。
どちらが早く達成するか、賭け事です。
ささやかな賭け事です。

当面の目標は、ばあさんの伴走なしで 国道を走ること。
そして、高速道路を走れるようになること。
しっかりとニーグリップをして・・・
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マロニエの花の咲く頃

2014-05-17 11:57:30 | Weblog
広島平和記念公園から元安橋を渡って すぐのところ、いっぱいのオレンジの実で囲まれた しゃれたカフェにいる。
カフェポンテというお店。
おかしな言い方だが、幸いにも、ここからは原爆ドームは見えない。
すぐそばの元安川桟橋から いま、宮島行きの直行航路便が出るところだ。

風が強い。
5月の午前の、さわやかな風である。
こんもりと広やかな葉の茂る木に、ピンクの花房が 幾筋も青空に向かって伸びている。
あれ、なんちゅう花やろ?
マロニエかなぁ。
マロニエって、白い花やなかったかなぁ。
たわいない、家内との会話である。

広島には、仕事で何度か訪れている。
しかし、原爆ドームも 平和記念資料館も、初めてである。
沖縄へ遊びに行く ということに対する怯みとよく似た感情が、広島平和記念公園訪問に対しても 長い間あった。

さっき平和記念資料館で求めた小冊子『あるいてみよう広島のまち』を、カフェポンテのパラソル席で読む。
この目で 原爆ドームを見て、この足で 爆心地を歩いて、そして 平和学習のしおり『あるいてみよう広島のまち』をじっくり読んで、はっきりと気づいた。
平和であるということが どんなに幸せなことであるか、平和を口にすることが どんなに大切なことか。
平和を願う心を どんと気持ちの真ん中におけば、何を迷うことがあろう。

抑止力、それは平和を願う心に そぐうことか?
集団的自衛権、それは平和を願う心に そぐうことか?
ときの首相が 靖国神社を参拝すること、それは平和を願う心に そぐうことか?
平和を願う心に誓って、これだけは はっきり言える。
核兵器は、絶対悪である。

あの たわやかなピンクの花は、マロニエに違いない。
広島の、爆心地近くで、マロニエの花を見たことに、70年近く生かされてきたわたしは、 原爆投下の年に生まれたわたしは、湧きあがるような幸福を感じる。
この幸福を、子にも、孫にも、ずっとずっと味わってもらいたい。
この日本に、この地球上に、あのような過ちが、絶対にあってはならない。

慰霊碑のまんなかの石棺に刻まれた この言葉を、絶対に絶対に、忘れてはならない。

   安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから

(マロニエの花の咲く頃 カフェポンテで思う)
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空に星があるように

2014-05-14 10:50:04 | Weblog

京大北門前に、進々堂という喫茶店がある。
昭和5年創業というだけあって、店構えから 机やカウンターなどの つくりもんも、年季が入っている。
分厚くて広いテーブルは、人間国宝・黒田辰秋氏の作という。
そんな貴重なものとは知らずに、コーヒーをこぼしたり 消しゴムの汚れをこすりつけたり・・・
半世紀前の思い出になってしまった。

教養部時代、ここを根城に 読書会がたびたび催された。
文学論から 政治や宗教にいたるまで、青臭い言葉が行き交っていた。
ノンポリだったわたしは、そういう鼻息についてゆけず、早々と脱落してしまった。
故友の鈴村繁樹君も、わたしと似たような雰囲気だったに違いない。

鈴村君とわたしの根城は、荒神橋を渡って河原町通りに出る荒神口の 北東角の喫茶店・シアンクレールだった。
たいてい 2階に居座っていた。
1階はクラシックが主流で、2階はジャズ、たまにポピュラーも流れていた。

シアンクレールは、『二十歳の原点』の著者・高野悦子さんも よく通ったようである。
彼女は立命館の学生だったから、当時の広小路学舎から歩いて すぐ。
東一条から かなり離れたこの位置を 僕たちがどうして根城としたのか、たぶん、コピー屋さんの場所と関係していたのだと思う。
当時 A2版以上のコピーは、大学生協ではとれなかった。
荒神口を少し下った東側に、A0版までコピーできる店があった。
図面用の長細い丸筒を シアンクレールに置き忘れたことがあったから、ときどき荒神口まで来る用があったのだろう。

マイルス・デイヴィスやルイ・アームストロングの曲があふれる合間に、なぜか 荒木一郎の『空に星があるように』が流れた。
わたしより先に 鈴村君が、「これ、いいねぇ」と言った。
先を越されて わたしは、「そうかなぁ」とかなんとか、あまりピッタンコ的なことは 言わなかったように記憶している。
『空に星があるように』を繰り返し聴くようになるのは、それから30年以上経ってからであった。

淡路島に 仕事で通いつめた時期があった。
線香を作るラインの仕事であった。
ブルーバードのワゴン車に乗って、須磨~岩屋間をフェリーで なんど往復したことか。
須磨のフェリー乗り場で、岩屋のフェリー乗り場で、何時間も何時間も乗船待ち。
その時間つぶしに聴いていたのが、岩崎宏美の『聖母たちのララバイ』、そして 荒木一郎の『空に星があるように』であった。


実は 先日、鈴村君のお墓におまいりした。
鈴村君の奥さま・千穂子さんからいただいた ことしの年賀状に、彼の墓を松山から移したとあった。
いつか 彼の墓におまいりしたい、そう思っていたのだが、広島を訪ねる決心ができた。
千穂子さんに無理をお願いして、鈴村君の墓参りを果たせたのである。

広島を訪ねるに先立って、千穂子さんから送っていただいた書物がある。
鈴村君の随筆が載っている『ひろしまの風』(ポプラ社刊)と、彼も所属していた‘ひろしま随筆’の最終号である。
彼の随筆「新しい時間」から、自分のことは あまり語らなかった彼の、ほんとは誰にでもある 悩ましい軋轢を垣間見た。

‘ひろしま随筆’の最終号に、千穂子さんが「ストーリーの傍らで」という‘三枚随筆’を寄稿されていた。
その中で、彼女の好きな曲を 4曲あげている。
その4曲の中に、『空に星があるように』が入っているのを知って、ちょっと驚いた。
当然かな、とも思った。
しかし、彼女にお目にかかったとき シアンクレールでの鈴村君の発言をお話ししたのだが、まったくご存知ではなかったようである。


   空に星が あるように
   浜辺に砂が あるように
   ボクの心に たった一つの
   小さな夢が ありました

   風が東に 吹くように
   川が流れて 行くように
   時の流れに たった一つの
   小さな夢は 消えました

   淋しく 淋しく 星を見つめ
   ひとりで ひとりで 涙にぬれる
   何もかも すべては
   終ってしまったけれど
   何もかも まわりは
   消えてしまったけれど

   春に小雨が 降るように
   秋に枯葉が 散るように
   それは誰にも あるような
   ただの季節の かわりめの頃

あの時、この曲の何が 鈴村君の心に響いたのか、いまなら 理解できる気がする。
須磨のフェリー乗り場で、岩屋のフェリー乗り場で、何度も何度も聴いたという時代を経て、初めて深く理解できることなのだろう。
三枚随筆に 千穂子さんも書いてられるように、それは誰にも あるような ただの季節の かわりめの頃、であったのだと思う。


鈴村君の墓は、長男・倫太郎君が通っていた高校のグランドを見下ろせる、とても見晴らしのいい高台にあった。
「あのグランドで、倫太郎はサッカーに明け暮れていました」、同行していただいた鈴村君の義弟・茂樹さんが、そう教えてくれた。
倫太郎君は、きっとこの茂樹おじさんにも かわいがられていたのだろう、茂樹さんのお話の端々から そう感じられた。
鈴村君は、こんなにすてきなところに眠っているんだ。
千穂子さんに案内していただいた鈴村君の墓に、家内と共にお参りできたことが、心底うれしかった。

広島での涼やかな半日は、心安らかな 至福の時間であった。

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菜の花に招かれて

2014-04-14 15:48:25 | Weblog


京田辺・観音寺門前の、菜の花畑。
まるで、広大な黄色いじゅうたんを敷きつめたよう。

45年前 故友の鈴村繁樹君と訪れたときも、5年前に 家内と再訪したときも、こんな光景には、めぐり合えませんでした。
この菜の花畑は、15年ほど前から、地元住民のボランティアらが毎年秋に種を蒔いて育てている、とのこと。
45年前や 最近でも季節を違えば、見られなかった訳です。

実は、菜の花のじゅうたん見たさに かこつけて、もう一度 大御堂観音さまを、拝顔したかったのです。


竿の腹に「大御堂」と大書された一対の石灯篭から始まる参道両側には、見ごろを過ぎたサクラ並木が、若い新芽を伸ばし始めています。
両脇の畑に広がる菜の花は、早い午前の陽の光に まっ黄色に輝いています。

この前 尋ねたときと同じように、大御堂手前のおうちのベルを押します。
ご高齢のあるじに用件を伝えると、それはわざわざ ようおいでなすった と、ゆったりした足取りで 大御堂へと導いてくださる。

等身大の天平仏・木心乾漆十一面観音立像は、真新しい厨子に入っておられました。
膝元すぐの四囲から見上げるように拝した 前回の記憶とは違って、このたびは真正面から仰ぐかっこうでの拝顔。

十一面観音さんで やっぱりこの観音さまが、いちばんや。
今回 あらためて、そう思いました。
ことばの表現力を超越した 美しさ、惚れ惚れします。

4月22日からの『南山城の古寺巡礼展』に出展されるんですか、とお尋ねすると、老あるじは「出しまへん。仏さんは、みすぼらしいても おみ堂で拝むのが、いちばんどすさかい」と。
まったく と、声に出さずに、わたしはうなずきました。
老あるじは、細い目をもっと細くして、にっこりなさいました。

脳裏に焼き付けておきたく、もう一度 観音さまのお顔を仰いで、大御堂を去りました。


菜の花に招かれて 果たせた、鈴村君も大好きだった 大御堂の観音さまとの、再会でありました。
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残春

2014-04-08 16:19:39 | Weblog
日曜日の夕方、シネコンの小ぶりなスクリーンには 空席が目立ちます。
『サクラサク』、いい映画のはずなんだがなぁ と、くだらない客数下馬評に 少々心が揺れます。
杞憂ではありましたが・・・

久々に 映画館のシートに坐る。
決まって 一番後ろの真ん中あたり。
この薄暗がりが なんとも心地よい。


あると うっとうしくて、ないと 魂のよりどころを見失ったような わびしさを感じるもの。
家族団欒って、そういうもののようです。
家族の中に年寄りがいる家庭は、良きにつけ悪きにつけ、家族団欒に一味違った雰囲気をかもします。

砂を噛む という表現がありますね。
幼いころの夕餉には、文字通り 砂を噛むような思い出が残っています。
両親の顔色をうかがって、なにを食べているのかさえ 覚えていない夕餉。

たまに すき焼きが出ました。
すき焼きの夕餉は、家族がみな 機嫌のよいときだった気がします。
すき焼きだから 機嫌が良かったのか、機嫌が良いから すき焼きだったのか。

雲行きの怪しい夕餉どきを なんとかとりなしてくれたのは、祖母でした。
祖母のひょうきんなひとこと、祖母のおどけたようなしぐさ、それが 頼みの綱でした。
険悪な夕餉時の、救いでした。

家族団欒を飢餓状態的に望んでいたはずのわたしが、気がつけば 自分の家庭を、幼いころの自分の家庭に似たか寄ったかの 険悪な雰囲気に追い込んでいました。
情けないことです。
あのころに、「もっとも身近なはずの家族を、しっかりと見つめられているだろうか」と問う『サクラサク』を観ていたら、もう少しまっとうな家族団欒を作れていたかも知れません。
幸せなことに、自ら蒔いた険悪な雰囲気の家族を救ってくれたのは、やはり 年寄りの、義母でした。

いま、わたし自身が、わたしが幼なかったころの祖母や 腑抜けのひょうたん状態のわたしだったころの義母の年齢に、近づいています。
祖母も 義母も、最期まで しゃんとした人で、藤竜也演じる俊太郎がときおり見せる 老人性の醜さの一切感じられない、年寄りでした。
それでいて、俊太郎のように いつもポジティブで、かわいらしかった。
なによりも、家族の縫い糸であった。

『サクラサク』は、わたしにとって たいせつな年寄りを 思い出させてくれる、そして 目指す「じいちゃん像」を描かせてくれる、ホッコリといい作品です。


この映画は、さだまさしの短編小説を映画化したものですが、“家族のロードムービー”であり、小説では味わえない映像美を堪能できました。
ことに福井県の、一乗谷朝倉氏遺跡、勝山白山神社、あわら温泉、美浜町瑞林寺など、いくどとなく訪れた場所がスクリーンに映し出されると、拍手したいような気分になりました。

エンディングに流れた さだまさしの主題歌‘残春’が、いまだに耳に残っています。
   ・・・与えられし いのち
   かなしきも またよろし
   若さを 嗤わず
   老いを 恨まず
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やなせたかしさんの『わたしが正義について語るなら』を読んで

2014-04-07 18:11:05 | Weblog
震災特番だったか、やなせたかしさんの追悼特番だったか・・・
南三陸町の若いお母さんが、アンパンマンのマーチに勇気と希望をもらいました と、目に涙を浮かべながら語っていた姿が、記憶にあります。
アンパンマンのマーチって、孫たちの幼稚園の運動会なんかで よく耳にしてはいたけれど、大人がそんなに感激するような歌だったかなぁ、と ちょっと驚きました。

書店の優先棚に並んでいた やなせたかし著『わたしが正義について語るなら』に スーッと手が行ったのは、そういう記憶があったからだと思います。


安倍さん、わしらをいったい どこへ連れて行くつもりなんや、とか。
佐村河内氏を擁護する気は起こらんけど、マスコミもマスコミやで、特にNHK、とか。
東京ばっかりに金落として どうすんねん、マッカーサー道路に いくら税金つぎ込むんや、とか。
映画のチケット、シニア料金1000円やったのに、3%消費税値上げで1100円、便乗値上げとちゃうか、とか・・・

怒りたいことは山ほどあるけれど、よく知りもしないで怒っている自分が バカらしくなってきました。
アンパンマンのマーチをYouTubeで聞きながら、『わたしが正義について語るなら』を読んでいると、肩の力が抜けて ふーっと気が楽になるのです。
   なんのために 生まれて
   なにをして 生きるのか
そう 問いかけられると、
   なにが君の しあわせ
   なにをして よろこぶ
かが、見えてくる。

   身近な人の幸せを願っていますか?
   人生の楽しみの中で最大最高のものは、やはり人を喜ばせることでしょう。
   いっぱい増悪することはあるけれど、怒るよりも笑いたい。
   人生なんて夢だけど、夢の中にも夢がある。
   悪夢よりは楽しい夢がいい・・・

あの 南三陸町の若いお母さんと同じように、目に涙を浮かべながら わたしも、アンパンマンのテーマを口ずさんでいました。
正義という言葉に込めたい思いは、この詞の中にあります、と語る やなせたかしさんの優しさが、ジンジン伝わってくるのです。

やなせたかしの辞世の句、と勝手にわたしが思い、まるごと吸い寄せられた言葉を、最後に。

   すべての人に優しくして、最後は焼き場の薄けむり。
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春はあけぼの、STAP細胞の怪

2014-04-07 10:58:13 | Weblog
春はあけぼの。

京都一しゃれた大通り・御池通りを いま独り占めして、オートバイで東へ。
目当ては、鴨川堤。
ライディングの朝練を兼ねた、桜見物である。

真正面の朝日がまぶしい。
いま まさに、東山から昇る太陽。
エストレヤのデジタルメータは、5時38分を示している。

やうやう白くなりゆく山際、ではないから、‘あけぼの’に会うには もう少し早く出発しないといけなかった。
この冷気、このすがすがしさは、まぁ、‘春はあけぼの’の雰囲気に近い、として・・・


STAP細胞の怪。

よう判らん。
夢は見せてもろうた。
でも、科学に嘘は いかんわなぁ。

よう判らんけど、小保方晴子氏ひとりワルもんで ええとはおもえん。
ちっぽけな会社でも、社員がなにか不祥事起こしたら、社長が責任とらんならん。
野依さん、若い研究者育てる気 あるんかいな。


清少納言と小保方晴子。

なんの脈絡もないんだけれど、同僚や同業者から 妬まれた?、という共通点。
あの紫式部ですら、(たぶん 面識のない先輩の)清女の人格と業績を全否定するかのごとき筆誅を加えているんだもんねぇ。

清女が正当に評価されるのに 長い年月を要したごとく、もし細かな嘘の中の大きな事実がほんとうなら、いつの日か歴史が、「STAP細胞の発見者は小保方晴子」と語ってくれるだろう。
はやる気持ちの未熟さを思い知って、それでも正しいと信じるなら、めげることはない。
歳月が正しく評価してくれるから。
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旅立ちの春

2014-03-23 15:23:11 | Weblog
「大石さんという方が見えています」
そう取り次ぎを受けたのだが、どなたなのか 見当がつかない。
「松並さんのご紹介で だいぶ前に 見えられた方だと思います」

取り次ぎの水野さんの記憶力には、いつも助けられている。
松並さん というのは、畏友の松並壯君のことである。
ようやく思い出した。

松並君の故郷の同級生の娘さんを、同級生である父親が亡くなったあと、松並君が父親がわりのように接してきた。
その娘さんのお嬢さんが、京都の大学に入学して、下宿先を探しているので、相談にのってあげて、とのことであった。
4年前のことである。

その娘さんが、お嬢さんを連れて 挨拶に見えたのである。
この春 大学を卒業して、地元の工作機械メーカーに就職が決まり、数日後に故郷に帰ります、という。
短い立ち話であったが、厚意と礼節は 充分に伝わってきた。
ちゃんと下宿先が見つかったかどうかの確認も、あれから4年経っていることも、そういうことがあったことすら、失念している自分が恥ずかしかった。

あれから4年、お嬢さんのこの4年間は きっと、充実した確かな歩みだったにちがいない。
自分のこの4年間は いったい、と考えかけて、この母娘の確実な歩みの喜びと礼節の方に、気が移った。
4年前に、ちょこっと相談にのってあげただけである。
そのわたしを、4年後わざわざ訪ねてきてくれたことが、心からうれしかった。

恩を忘れず 礼を尽くす、この 人間として いちばん大切で 当たり前なことを、わたしは忘れかけていた。
大石さん母娘の後ろ姿を見送っていて、このことに思いが至った。

彼女たちの後ろ姿を追うように、沈丁花の香りが流れてきた。
喜ばしい、旅立ちの春である。

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