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つれづれ

思いつくままに

生きている実感

2014-02-26 12:11:12 | Weblog
ソチオリンピックが終わり、テレビの番組も平常を取り戻しました。


五輪であおりを食ったのが、テレビドラマのようです。
どれも低視聴率で もがいています。
各局 ソチを理由に手抜きしていると誹られているようですが、よく健闘している、とわたしはみています。

1月スタートの連ドラは、警察もんと医療もんオンパレードの感があります。
以前 はやった「豪腕刑事」や「神の手をもつ医者」は、影を潜めました。
かわって、人間として苦悩する刑事や医者が、テーマになっているようです。

テレビドラマ大好きミーハーのわたしですが、好みもあるし、いまある録画機は裏番ひとつしか撮れないし、で、ひとりよがりの話になるのですが・・・
Dr.DMAT(TBSテレビ系)がいいですね。
災害派遣医療チームの物語です。

副題は『瓦礫の下のヒポクラテス』。
十分な医療環境の整えられない災害現場で、「命をつなぐ」ことを使命にされた Dr.DMAT たちの、人間としての苦悩。
かなり大きな確率で 身近に起こりうる状況となった映像に、現代社会の矛盾と悲しさを感じます。

ふわふわした関ジャニ∞のひとり、というイメージしか持っていなかった 大倉忠義くん、見直しました。
主人公の八雲響を、真剣にかっこよく演じています。
オリンピックのメダルと同じで、視聴率なんか気にしなくていいです。
四半期いっぱい その調子で演じきって!と、応援したい気持ちです。


視聴率の低さでは Dr.DMAT とちょぼちょぼな番組に、フジテレビ『僕のいた時間』があります。
この四半期だけでなく、これまでの名ドラマのなかでも 十指に入るドラマだ、とわたしは思うのですが・・・

筋萎縮性側索硬化症(ALS)という、筋肉が徐々に衰えて最終的には呼吸困難で人口呼吸器をつけないと死に至る病、主題は重すぎますね。
若いから重い、と言えなくもない。
老人なら、どうなのか。
篠沢教授も この病と闘ってられることを、きのうの新聞で知りました。
恐ろしい病であることは、老若男女を問わないでしょう。

ALS はさておき、不治の病と向き合う主人公・澤田拓人の生きざまに、生きる目的を漠然としか考えていない者は、はっとするのです。
優しげな拓人が絞り出す「生きるって、覚悟だ」「全力で生きてやる」、その迫力に、生きることに怠惰な凡人は、思い知るのです。
余計な言葉で自分を守ることに 汲々とした毎日を送る自分が、バカらしくなるのです。

澤田拓人を演じる三浦春馬、あの『あぐり』に子役で出ていたんですね。
気配りのできる役がうってつけの、いい役者さんです。
三浦春馬、もう忘れないでしょう。
このつぎ この名前をテロップに見つけたら、きっとそのドラマを見たくなる・・・


ドラマ『僕のいた時間』は、『遅咲きのヒマワリ~ボクの人生、リニューアル』と同じ脚本家・橋部敦子氏が手がけています。
目標を作ることが ボクの生きる目標かナと、彼女は拓人に言わせています。
それほど 一瞬一瞬を 懸命に生きている。

ほとんどの人は、日々「生きている」とか「生きる目的」を意識して生きているわけではありません。
でも きっと、あのフリー演技を終えた瞬間の浅田真央ちゃんは、「生きている」実感をひしひしと味わったに違いありません。
澤田拓人も、ALS と堂々と向き合った瞬間、「生まれてきて良かった」と気づくのです。


一日が、瞬く間に過ぎてゆきます。
輝ける瞬間なんて、これから先あるんだろうか、ふとそう思ってしまいます。
生きている実感を味わいたくて、毎日 追い続けている気もします。
甘ったれの感傷です。

瞬間の命を生きればよろしい。
すばらしい瞬間がいくらでもある。
チャップリンの言葉です。

テレビドラマ『僕のいた時間』は、生きている実感を問い直せる、上質のドラマです。
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春を告げる梅

2014-02-26 11:25:13 | Weblog
朝晩の冷え込みは まだまだ厳しいですが、昼間の日差しが なんとなく春めいてきました。
ことしは、梅の開花がひと月遅いようです。
このぶんだと、梅の花が残っている間に 桃がつぼむかもしれません。



この前の日曜日の午後、ぽっかりあいた自由な時間に なにげなく、テレビのスイッチを入れました。
NHK岐阜発ドラマ『父の花、咲く春』の再放送が、流れていました。
昨年の春、NHK-BSプレミアムで放映されたものです。
映画でも同じものを二度みることは稀なのですが、このドラマ、ついつい最後までみてしまいました。
岐阜・長良川幇間物語という副題のついた、もの悲しい物語。
梅に託して、「誰にもきっと、いつか花咲く春がある」と謳いあげたドラマでした。


わたしは、梅が好きです。
花はもちろん、背が低くて ぐにゅぐにゅした幹も、枝ぶりも、葉も、たぶん 根っこも、そして 梅干も。
寒さに耐えて咲く姿は、神々しいくらいです。

伝説の幇間・梅次の墓標である 美濃の長良川沿いに立つ梅も、もう満開でしょうか。


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真央ちゃん、感動をありがとう。

2014-02-25 10:44:06 | Weblog
浅田真央ちゃん、よかったですね。
ほんとうによかった。
あの涙と笑顔で、十分です。

渡辺和子さんのベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』に、
  「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練さえも、両手でいただくこと。
と あります。
フリー演技を終えた真央ちゃんの姿をみて、自然とこの言葉が浮かびました。
試練を両手でいただいて、はればれと両手を広げていましたね。

某スポーツ誌の「真央の商品価値」記事とか、某元首相の「大事なときに必ず転ぶ」発言とか、ぜんぜん気にしない気にしない!
アスリートとして納得のいく演技が、浅田真央にとっての なによりの金メダルです。

ソチオリンピックは終わりましたが、真央ちゃんの あの涙と笑顔は、いつまでも輝き続けるでしょう。
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エストレヤ

2014-02-13 17:49:00 | Weblog
6年前、ワーナーブラザースのヒューマンコメディ映画『最高の人生の見つけ方』が上映された。
ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが、人生の終末を間近にした二人のジジイを共演していた。
半年ほど前から、この映画のテーマが気になりだした。

余命6ヶ月を宣告された ふたりの老人、勤勉実直な自動車修理工カーター(モーガン・フリーマン)と、大金持ちの豪腕実業家エドワード(ジャック・ニコルソ)。
生い立ちのまったく違うふたりは、病院の一室で出会い、一枚の“棺おけリスト(バケットリスト)”から、ふたりで「生きること」と向き合う人生最後の盟友となる。

死ぬまでにやっておきたい“棺おけリスト”に、「見ず知らずの人に親切にする」、「泣くほど笑う」、「マスタングの運転」・・・とカーターは書く。
それに エドワードが、「スカイダイビング」、「ライオン狩り」、「世界一の美女にキスする」・・・と付け加えていく。

現実に、余命6ヶ月を言い渡されたジジイではない。
だが よくよく考えれば、余命6ヶ月の宣告なんか 特別なものじゃぁない訳で、人間だれだって、生まれたときから余命約80年。
そう考えれば、誰だって、長い短いの違いだけで、カーターやエドワードみたいなジジイなわけで・・・

年齢的にもカーターやエドワードに近づいたわたしは、まことに幸運としか言いようはないのだが、‘この世にし残したこと’だらけ、ではない。
達観して人生を生きている人間では もちろんないが、まぁこんなもんだろう と、半分以上はあきらめで、そう思っている。

あの映画に刺激されて、あえて挙げるとすれば、「バイクで北海道のまっすぐな道を突っ走る」ことだった。
この感情が、最近とみに高まってきた。
「バイクで東北の被災地をめぐってみたい」、いまは その思いのほうが勝っている。


カミナリ族という言葉がはやった時代に青春を過ごした男子生徒の多くが、不良という決め付け語で 親からオートバイを禁じられた。
彼らの多くにとって バイクへの憧れは一種の腫れ物のようなもので、社会人になるころには ライダーの夢はケロッと置き去られてしまう。
わたしも、その一人だった。

昭和40年4月に自動車免許を取ったわたしの免許証には、「大自二」が自動的に付されている。
ちょうど1年後に免許取得した家内の免許証には、これがない。
たぶん この間で、法改正されたのだろう。

いまさら大型自動二輪免許をとる努力は億劫だが、いまの免許で「ナナハン」も、その気になれば「ハーレー」だって乗れるのだ。
そう考えると、このままペーパードライバーで終えるのが癪になってきた。
映画『最高の・・・』も言っていた、人生を悔いなく楽しく生きるのに 遅すぎることなど決してない、と。
このあたりから、バイク乗り奮闘記がはじまる。


息子の知人が、バイク修理販売業をしている。
まず、そこに相談をもちかけた。
免許はあるんだが一度も乗ったことがないんです というわたしは、頭のてっぺんから足のつま先まで なめるように観察されてから、こうアドバイスを受けた。
おいくつですか。
ぎりぎりですね。
70歳を過ぎると、急激に動体視力が落ちますから。
いきなり400ccは無理でしょう。
夢を持てるように、高速道路を走れる250ccから始められたらどうです?
まず、乗る練習ですね。
気まずくなって、それ以上は聞き出せなかった。

三ヶ所の民間自動車教習所をたずねた。
四輪のペーパードライバーの教習コースはあるのだが、どの教習所にも二輪のはない。
どうしてもというのであれば「大自二」の免許をいったん廃棄して、400cc以下の二輪車が乗れる「普通自動二輪免許取得コース」を選んでください、という。
アホくさい。
結局、伏見区羽束師にある京都府交通安全協会の自動車練習場に出向いて、ここで自動二輪ペーパードライバー向けのコースを見つけた。
ただし、練習時間は平日及び第1と第3土曜の午後3時からと4時からの2コースのみ、それも原則予約制。

ちょっと情熱が冷めかけたが、息子の一言で前に進めた。
免許をもってるんだから、公道で練習すりゃいいやんか、と。
バイクを買うならカワサキ と決めていたのだが、ごく近所にカワサキ専門店がある。
バイク記事が気になっていたこともあるが、たまたま「カワサキ250ccエストレヤ」1月20日リニューアル発売の記事が目に留まった。
ご近所が一番ええでぇとの 息子のアドバイスに押されて、ごく近くのカワサキ専門店J-WORKSをたずねてみた。

ここからは‘乗った船’で話はスイスイと進み、エストレヤ Special Edition を朝晩なでまわしたり跨って発信停止を繰り返したり、という次第。
バイクに詳しい人からすれば、バカみたいな話であろうが・・・


さて、映画『最高の人生の見つけ方』のなかで、バケットリストのすべてをなし終え、したいと思っていたことが叶った エドワードとカーターは、でもそれは人生を満ち足りたものにするために必要なものじゃないんだ、と気づく。
いや、境遇も性格もまるで違うふたりがめぐり合えたこと、そのことですでに半分以上の‘し残したこと’はやり終えたんだと、彼らは気づいている。
人生の中で一番大事なのは、家族や友人や隣人との関係だ。
それが、すべて。
その関係を大切にすることができれば、すでに最高の人生を見つけているんだ。
映画『最高の人生の見つけ方』は、そう語っていたように思う。
それが、この映画のテーマだったに違いない。


いま わたしは、バイクに夢中になっている。
バイクに夢中になっている自分を、嫌いじゃぁない。
でも それ以上に、うれしいことがある。

ごく近所に親身になってバイク購入を手ほどきする隣人がいてくれたこと、おじいちゃんだいじょうぶ?と気遣ってくれる孫たち、公道デビューはもっと先にしてやと諌める妻や娘、置きもんバイクで終わってもええやんと言ってくれる実質パトロンの息子、おとうさん若いわぁと励ましてくれる嫁や婿、しょっちゅう電話でライディング上達への発破をかけてくれる友人たち・・・

最高の人生の見つけ方は 自分の残りの人生の仕上げ方だとするなら、その方向は もう見えている。
エストレヤは、そこへ向かう 愛しいひとつの手段に過ぎない。
映画『最高の・・・』も言っている、残された時間が長くても短くても 最高の人生を見つけるのは 間違いなくあなた自身なのだから、と。
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インターンシップ

2014-02-12 11:44:22 | Weblog
昭和41年夏、椿本チヱィン製作所鶴見本社工場の大東椿寮に入寮した。
学部学生の夏休みを利用した21日間の、協力事業所への派遣現場実習であった。
同志社に通う一年上の 永田さんという学生と同室であった。
いまで言う「インターンシップ」である。

鶴見工場は、移転して いまはもうない。
広大な跡地は、イオンモール鶴見緑地として ショッピングセンターになっている。

人の一生には、何回かの大きな転機がある。
大東椿寮で過ごした20日余りの日々は その大きな転機のひとつであったと、今振り返って そう思う。
学校に残って学問を続ける気持ちが、民間社会人への強い憧れに 押しつぶされた期間だったのである。


鶴見工場コンベアチヱィン製造部製造課に仮配属された20日間、来る日も来る日も チェーンリンクプレートの測定にあけくれた。
調査目的は いちおう、「リンクプレートのピッチ・孔径について、熱処理による プレス孔加工時に対する変動を調査する。併せて、焼入れ後と焼戻し後のピッチ・孔径を比較し、ひずみ量・余肉がピッチ・孔径に与える影響を検討する」というものであった。
たぶん会社には、なんの役にも立っていなかっただろう。

単調な作業が、ちっとも苦にならなかった。
機械、作業服、朝礼、昼休み・・・見るもの聞くもの触れるもの、すべてが新鮮で魅力的だった。
そして、ほんとうの大人の男の仲間入りができた、という喜びで満ちていた。

がらんとした休日の 大東椿寮の食堂のテレビに、星のフラメンコを歌う西郷輝彦が映っている。
厨房のおねえさんが、仕事の手を休めてカウンター越しに、目を輝かせてテレビを見入っている。
永田さんとわたしは、‘はえいらず’から山盛りのご飯を取り出して、それに 食卓備え付けのゴマ入り塩を振り掛ける。
開けっ放しの窓から ときおり、涼しげな風が食堂を吹きぬける。
気持ちのゆとりも時間も、存分に有り余った 遠い遠い思い出である。

現実の社会はどうあれ、社会へ飛び出す時期を目前にした学生にとって、「インターンシップ」という実地体験は、おどろきと憧れを伴った 貴重な機会に違いない。


こういう わたし個人の気持ちもはたらいて、15年ほど前から毎年、市内の工業高校からインターンシップの学生さんたちを受けいれている。



なかには 突拍子もない学生もいたが、押しなべてみな、礼儀正しくまじめな青年たちである。
3日間という短い実習期間だが、きっとなにか貴重なものを掴んでくれるだろう。
そう期待して、担当の社員も心をこめて指導している。



最終日には、自分たちが手がけた製麺機械で 実際に麺をつくり、それを土産に実習を終える。



聞くところによると、市内にある二つの市立工業高校は 生徒数の減少と校舎の老朽化を理由に、近く統合されるという。
良きにつけ悪きにつけ質の違った特徴を持つ ふたつの工業高校が統合されるというのは、さびしい。
ものづくりの好きな若者が 自由に羽ばたける学び舎を、期待したいものである。


当社を含め たくさんの協力事業所で、インターンシップ学生が巣立った。
遠いむかしにわたしが吸い込んだ憧れと希望を、彼らもきっと胸いっぱい詰め込んだ、と信じたい。




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