俳優の萩原流行さんが、バイク事故でなくなった。
車種は、900ccクラスのハーレーダビッドソン。
4月22日夕6時過ぎ、東京高円寺付近の青梅街道で転倒、後続車に轢かれたらしい。
午前中 晴れマークのこの日、この付近、事故当時、夕立があった という。
片側3車線の直線道路で、萩原さんは中央車線を走っていた。
一番左側の車線を進行していた高井戸署の護送車が、駐車車両を避けようと中央に車線変更した後、中央車線後方を走っていた萩原さんのオートバイが何らかの原因で転倒して護送車に接触?
萩原さんが護送車を避けようとして転倒したのかどうかは、不明。
護送車を運転していた警部補は、「車線変更後 ドンと何かが転倒するような音が聞こえた、バイクに当たった感覚はなかった」と話しているらしい。
右車線の2台後方を走っていたドライバーの男性は、萩原さんのバイクが、前方の走行車両を右側から追い抜こうとした際に「バイクがフラフラとふらついた」と証言。
次の瞬間、萩原さんはバイクから転がるように落ちた、という。
他人ごととは思えない。
ついこの前、わたしも転倒事故を起こしている。
事故は、起こるべくして起こる。
萩原さんの場合、起こるべき条件が重なった。
急に降りだした雨、急ハンドルの単車がスリップを起こしやすい条件だ。
後方確認を怠った車線変更、こっちの場合も相手も場合も。
たしかにドアミラーは 真横が死角になりやすく、四輪車はフェンダーミラーを義務付けるべきだと、わたしは思っている。
80キロを越えるスピード、萩原さんがそんなスピードを出していたかどうかは 別にして。
抗うつ薬の服用、うつ病に悩まされた経験のある萩原さんが、最近服用していたかどうかは もちろん判らない。
ただ、1か月以内に抗うつ薬を摂取していた場合、自動車事故の危険性が70%増加する、という報告もある。
わたしの転倒事故は、だいぶ趣きが違う。
バイク歴1年と3ケ月のシンマイで、250cc中型車種の、いたって怖がりな性格。
信号手前で右折車線へ慎重にトロトロと寄ったその前を、走行車線を走っていた4トントラックがUターンすべく 急に目の前を横切ってきて、ドスーン。
日頃の太極拳研鑽の成果かどうかは知らないが、とっさにバイクから飛びのいて、バイクのみトラックの車輪の下敷きに・・・
最初、わたしにも いくばくかの落ち度があるものとして現場検証していた警察も、すぐ後ろから付いて走ってくれていた家内の運転するポロのドライビングレコーダーを見て、まぁよく加害者側と話し合ってください、と。
その相手側は ぜんぜんコワくない良心的な運転手で、100%自分の非を認めて示談となり、一件落着となった。
どう考えても、起こるべくして起こった事故原因が わたしの側にもあるとは、いまもって思えない。
ただ、担当した警察署の交通事故捜査係の上司が、事故った直後 興奮して頭にきているわたしの状態をみて、自分の親父さんをたしなめるように諭してくれた言葉が、忘れがたい。
交通事故は、自分がどんなに注意していても起きるんだということを知って、これからもバイクを楽しんでください、と。
萩原流行さんの事故のように、バイクの運転は死亡事故と隣り合わせ、ということ。
これを、身をもって経験した。
実際に転んでしまっているのだが、転ばぬ先の何たらで、貴重な体験であった。
この事故でバイクはもうやめるだろう との周囲の思惑とは逆に、ますますバイクがおもしろくなってきた。
五感を総動員して 薫風を走り抜ける快感、この快感は、快適この上ない四輪車の車内では、決して味わえない。
身の程をわきまえつつ、これからも体力の続く限り、バイクに跨ってゆこうと思う。
ドローン(小型無人飛行機)が首相官邸屋上で見つかった事件。
バカバカしいですね、騒ぎすぎです。
一種のギャグじゃぁないですか、安倍さん 福島の原発事故を忘れていませんか、という。
菅官房長官の談話が呆れます。
(ドローンの運用ルールや法規制などについて)「公的機関の関与するルールの必要性、関係法令などを早急にやっていかなければならない」だって…
屋上にドローンが着地していたのだって、官邸職員が新人職員に施設を案内していて 見つけたんでしょ。
そんなに大事な官邸なら、地上だけでなく 常に官邸上空も見張っていなさいよ。
第一、関係法令の不備は、あなたたちの怠慢じゃぁないんですか?
腹がたつのは、何でもかんでも法令で金縛りにしようとする 魂胆です。
大事な官邸上空だけを レーザーかなんかで見張っていれば、済むことでしょう。
自由をどんどん奪って、この国をどうしようとするんですか。
同じやるなら、本腰入れて、アメリカに制空権を奪われている日本の広範囲な上空を、奪い返してください。
ちんまい日本の政治家に、ほとほと嫌気がさしています。
バカバカしいですね、騒ぎすぎです。
一種のギャグじゃぁないですか、安倍さん 福島の原発事故を忘れていませんか、という。
菅官房長官の談話が呆れます。
(ドローンの運用ルールや法規制などについて)「公的機関の関与するルールの必要性、関係法令などを早急にやっていかなければならない」だって…
屋上にドローンが着地していたのだって、官邸職員が新人職員に施設を案内していて 見つけたんでしょ。
そんなに大事な官邸なら、地上だけでなく 常に官邸上空も見張っていなさいよ。
第一、関係法令の不備は、あなたたちの怠慢じゃぁないんですか?
腹がたつのは、何でもかんでも法令で金縛りにしようとする 魂胆です。
大事な官邸上空だけを レーザーかなんかで見張っていれば、済むことでしょう。
自由をどんどん奪って、この国をどうしようとするんですか。
同じやるなら、本腰入れて、アメリカに制空権を奪われている日本の広範囲な上空を、奪い返してください。
ちんまい日本の政治家に、ほとほと嫌気がさしています。
ラーメンは、和食でしょうか?
それはどっちでもいいんですが、「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録されたのなら、ラーメンは?と気になります。
道頓堀にある I社の大繁盛店などは、7割がたが 外国人観光客だそうです。
それほど いまやラーメンは、日本を代表する‘料理’になりました。
ラーメンは、個食、すなわち本来 孤独な食べ物です。
ひとりもんや かぎっ子や 夜食、に似合います。
個食としてのラーメンは、マイナスのイメージも強いですが、いまの日本の生活ありようをよく表現した、ありがたぁーい食べ物です。
ユネスコの無形文化遺産には 似合わない、と思います。
和食を代表する‘会席料理’とは 正反対の立ち位置にある、そんな認識からです。
そのラーメンに、ラーメン大好き人間として ひとことふたこと、気づいたことを申し上げたく 紙面をお借りします。
先日、雑誌などで有名なラーメン店、S店に入りました。
店の内装は コジャレているし、店員さんの応対も まぁ普通。
カウンター越しに茹で釜を覗いて、ウヒャーっと。
底の浅い茹で釜の淵に 小ぶりなステンレスタモをいくつか引っ掛けて、一食分ずつ生麺を茹でています、時計を見ながら。
茹麺(あらかじめ茹でてあるアルファー化麺)の茹で戻しなら これでも納得ですが、生麺から茹でるのに、いくら細麺でも これじゃぁしっかり茹で上がりません。
それに、茹で釜が浅すぎます。
うどんやそばでも同じですが、たっぷりの沸騰湯で上下動させてこそ、生麺はしっかり茹で上がるのです。
硬め・柔らかめは、こうした たっぷり沸騰湯での茹で時間調整で なす技です。
‘生半可茹で’とは、訳が違います。
案の定、出されたラーメンは、消化の悪そうな 粉っぽい麺でした。
これも 口コミ誌などで有名な店、K店で気になったことです。
スープも麺も 文句なし、なのですが、出されたラーメンがぬるい。
最初に器ごとスープをすするのが わたしのラーメンの食べ方なので、器の淵を触ったとたん、こりゃイカンと思いました。
冷えた器に いくら熱々のスープを注いでも、さめるのが道理でしょう。
ちょっと硬めの麺に仕上げて、盛った器でスープの熱が程よく硬めを和らげる、そのためには 器が冷たくては話になりません。
ぬるいラーメンは、気の抜けたサイダーと同じです。
京都の春日通り花屋町を少し下がったところに、塩元帥というラーメン店があります。
大阪が本部のチェーン店です。
自家製麺なのですが、残念ながら 麺機は当社製ではありません。
ラーメンそのものもウマイし、店内に貼ってある(たぶん代表者作成の)標語もフムフムものですが、強烈に感心したことが ひとつあります。
はやっている店は、やはり それなりの理由があります。
この店の繁盛の一番の理由は、入店を待つ客のあしらい方 だと思いました。
寒い時期の長い列待ちは、かなりの忍耐が要ります。
待合場所の風除けビニールカーテンや暖房は 言わずもがなですが、一番気にかけるべきは 待ち客の気持ちです。
そのキーマンは、待ち客取次ぎ係りです。
この店の待ち客取次ぎ係りは、見事というほかないほど、実に感じよく待ち客を倦ませない。
超美人じゃぁないけれど 笑顔がとてもかわいい女の子で、カウンター席と椅子席の空き具合と待ち客の人数を チャチャッとつき合わせて案内する、その手際のよさ。
それも、順番が先の待ち客に不愉快な思いをさせない あしらいです。
こんな素敵な店員を育てることのできる店長や代表者にまで、さすがとの感心が及ぶものです。
最後に、もうひとこと。
個人的な好みで言うのも 少々口幅ったいですが、ラーメンはシンプルがいい。
なるほど 凝った具材やスープ味も、一回目はものめずらしさで食いたくなるでしょう。
しかし、ラーメン大好き人間にとって、ラーメンはリピート食です。
もう一度食いたくなるラーメン、それはやはり、シンプルなラーメンです。
ゴテゴテしたラーメンは、こりごりです。
外国人観光客に なーんだこれ と落胆させないためにも、日本のラーメンは、もっともっと進化すべきです。
それはどっちでもいいんですが、「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録されたのなら、ラーメンは?と気になります。
道頓堀にある I社の大繁盛店などは、7割がたが 外国人観光客だそうです。
それほど いまやラーメンは、日本を代表する‘料理’になりました。
ラーメンは、個食、すなわち本来 孤独な食べ物です。
ひとりもんや かぎっ子や 夜食、に似合います。
個食としてのラーメンは、マイナスのイメージも強いですが、いまの日本の生活ありようをよく表現した、ありがたぁーい食べ物です。
ユネスコの無形文化遺産には 似合わない、と思います。
和食を代表する‘会席料理’とは 正反対の立ち位置にある、そんな認識からです。
そのラーメンに、ラーメン大好き人間として ひとことふたこと、気づいたことを申し上げたく 紙面をお借りします。
先日、雑誌などで有名なラーメン店、S店に入りました。
店の内装は コジャレているし、店員さんの応対も まぁ普通。
カウンター越しに茹で釜を覗いて、ウヒャーっと。
底の浅い茹で釜の淵に 小ぶりなステンレスタモをいくつか引っ掛けて、一食分ずつ生麺を茹でています、時計を見ながら。
茹麺(あらかじめ茹でてあるアルファー化麺)の茹で戻しなら これでも納得ですが、生麺から茹でるのに、いくら細麺でも これじゃぁしっかり茹で上がりません。
それに、茹で釜が浅すぎます。
うどんやそばでも同じですが、たっぷりの沸騰湯で上下動させてこそ、生麺はしっかり茹で上がるのです。
硬め・柔らかめは、こうした たっぷり沸騰湯での茹で時間調整で なす技です。
‘生半可茹で’とは、訳が違います。
案の定、出されたラーメンは、消化の悪そうな 粉っぽい麺でした。
これも 口コミ誌などで有名な店、K店で気になったことです。
スープも麺も 文句なし、なのですが、出されたラーメンがぬるい。
最初に器ごとスープをすするのが わたしのラーメンの食べ方なので、器の淵を触ったとたん、こりゃイカンと思いました。
冷えた器に いくら熱々のスープを注いでも、さめるのが道理でしょう。
ちょっと硬めの麺に仕上げて、盛った器でスープの熱が程よく硬めを和らげる、そのためには 器が冷たくては話になりません。
ぬるいラーメンは、気の抜けたサイダーと同じです。
京都の春日通り花屋町を少し下がったところに、塩元帥というラーメン店があります。
大阪が本部のチェーン店です。
自家製麺なのですが、残念ながら 麺機は当社製ではありません。
ラーメンそのものもウマイし、店内に貼ってある(たぶん代表者作成の)標語もフムフムものですが、強烈に感心したことが ひとつあります。
はやっている店は、やはり それなりの理由があります。
この店の繁盛の一番の理由は、入店を待つ客のあしらい方 だと思いました。
寒い時期の長い列待ちは、かなりの忍耐が要ります。
待合場所の風除けビニールカーテンや暖房は 言わずもがなですが、一番気にかけるべきは 待ち客の気持ちです。
そのキーマンは、待ち客取次ぎ係りです。
この店の待ち客取次ぎ係りは、見事というほかないほど、実に感じよく待ち客を倦ませない。
超美人じゃぁないけれど 笑顔がとてもかわいい女の子で、カウンター席と椅子席の空き具合と待ち客の人数を チャチャッとつき合わせて案内する、その手際のよさ。
それも、順番が先の待ち客に不愉快な思いをさせない あしらいです。
こんな素敵な店員を育てることのできる店長や代表者にまで、さすがとの感心が及ぶものです。
最後に、もうひとこと。
個人的な好みで言うのも 少々口幅ったいですが、ラーメンはシンプルがいい。
なるほど 凝った具材やスープ味も、一回目はものめずらしさで食いたくなるでしょう。
しかし、ラーメン大好き人間にとって、ラーメンはリピート食です。
もう一度食いたくなるラーメン、それはやはり、シンプルなラーメンです。
ゴテゴテしたラーメンは、こりごりです。
外国人観光客に なーんだこれ と落胆させないためにも、日本のラーメンは、もっともっと進化すべきです。
海外に旅なれた人にとっては、ローマの街歩きなど、おのぼりさん なのでしょう。
でも 社用でアジア圏しか海外にでたことのない わたしにとっては、夢のまた夢、でした。
萩原朔太郎の詩<ふらんす>をもじって 言わせてもらえば、
ろーまへ 行きたしと 思えども
ろーまは あまりに 遠し
だったのです。
60歳代のうちに行かなきゃ 一生むりだろう、なんて友人から宣告されると、よっしゃ 行ったるでぇ という気になって・・・
と いうわけで、ローマの街歩きが実現したのです。
13時間の空の旅に、ヘトヘトになりながら・・・
ローマへの憧れは、やはり映画『ローマの休日』の影響が大きいです。
世代によっては、トレヴィの泉に降臨したアニタ・エクバーグの『甘い生活』に誘われる方も多いでしょうが、やっぱり、スペイン広場の階段に腰掛けて ジェラートをなめる、オードリー・ヘップバーンでしょう。
食べ残しのコーンをポイっと捨てるのは、見たくないシーンですが・・・
なので かどうかは知りませんが、いまのスペイン広場では、飲食は一切禁止!
ローマは、京都とは比べ物にならない古さと観光スケールですが、京都と同じように、そこに人間の生活のにおいがあります。
遺跡もさることながら、この いまのローマの人々の生活に、わたしは惹かれました。
ローマの街では、歴史は現代とまじりあって 息づいています。
有名な中世の建物が いまでも事務所として使われていたり、遺跡の壁がホテルの一部だったり・・・
まるで街中が、お芝居の舞台のようで・・・
ローマの朝は市場から ということで、カンポ・デ・フィオーリ広場へ。
みたこともない 色とりどりの野菜や果物、名前のわからない かわいい生花、何に使うのか不明の カッコいいキッチン雑貨・・・
いまでもローマ市民がもっとも好きな憩いの場所、ナヴォーナ広場には、二度もたずねました。
古代ローマの競技場だった この南北に細長い広場には、噴水が似合います。
南に「ムーア人の噴水」、中央に オベリスクがそびえる「四大河の噴水」、北に「ネプチューンの噴水」。
夏には 子供たちが、噴水に飛び込んで遊ぶとか・・・
広場を囲む建物も お店も、夢のようにオシャレです。
ムーア人の噴水のほとりで 恋人たちが、絵のような口づけをしていました。
ローマの夜は、ため息が出るほど美しい。
あかるい昼間には お世辞にもきれいな水とはいえないテヴェレ川の水面も、街の灯りを映し出して ローマの夜の煌めきを演出します。
バチカンのサン・ピエトロ大聖堂が、やわらかい照明に浮かび上がります。

なにかの雑誌に載っていた一文ですが、たった二日のローマの街歩きを終えた いまの自分の気持ちに、ぴったりと寄り添っています。
ローマは、おおらかな心で来るものを受け入れ、人生の晴れ舞台へと誘う。
そして 誰にでも、時の主人公になったかのような、優しい興奮を授けてくれる。
永遠の都、ローマの、魔法のような陶酔感。
レオナルドダヴィンチ空港からローマを離れるとき、<アリヴェデルチ・ローマ>という曲が これほど似合う情景はない、そんな感傷に浸っていました。
絶対に こんどこそほんとうに 無理な話、もう一度 ローマの街を歩いてみたい、もう一度 ナヴォーナ広場のオベリスクを仰ぎたい。
でも 社用でアジア圏しか海外にでたことのない わたしにとっては、夢のまた夢、でした。
萩原朔太郎の詩<ふらんす>をもじって 言わせてもらえば、
ろーまへ 行きたしと 思えども
ろーまは あまりに 遠し
だったのです。
60歳代のうちに行かなきゃ 一生むりだろう、なんて友人から宣告されると、よっしゃ 行ったるでぇ という気になって・・・
と いうわけで、ローマの街歩きが実現したのです。
13時間の空の旅に、ヘトヘトになりながら・・・
ローマへの憧れは、やはり映画『ローマの休日』の影響が大きいです。
世代によっては、トレヴィの泉に降臨したアニタ・エクバーグの『甘い生活』に誘われる方も多いでしょうが、やっぱり、スペイン広場の階段に腰掛けて ジェラートをなめる、オードリー・ヘップバーンでしょう。
食べ残しのコーンをポイっと捨てるのは、見たくないシーンですが・・・
なので かどうかは知りませんが、いまのスペイン広場では、飲食は一切禁止!
ローマは、京都とは比べ物にならない古さと観光スケールですが、京都と同じように、そこに人間の生活のにおいがあります。
遺跡もさることながら、この いまのローマの人々の生活に、わたしは惹かれました。
ローマの街では、歴史は現代とまじりあって 息づいています。
有名な中世の建物が いまでも事務所として使われていたり、遺跡の壁がホテルの一部だったり・・・
まるで街中が、お芝居の舞台のようで・・・
ローマの朝は市場から ということで、カンポ・デ・フィオーリ広場へ。
みたこともない 色とりどりの野菜や果物、名前のわからない かわいい生花、何に使うのか不明の カッコいいキッチン雑貨・・・
いまでもローマ市民がもっとも好きな憩いの場所、ナヴォーナ広場には、二度もたずねました。
古代ローマの競技場だった この南北に細長い広場には、噴水が似合います。
南に「ムーア人の噴水」、中央に オベリスクがそびえる「四大河の噴水」、北に「ネプチューンの噴水」。
夏には 子供たちが、噴水に飛び込んで遊ぶとか・・・
広場を囲む建物も お店も、夢のようにオシャレです。
ムーア人の噴水のほとりで 恋人たちが、絵のような口づけをしていました。
ローマの夜は、ため息が出るほど美しい。
あかるい昼間には お世辞にもきれいな水とはいえないテヴェレ川の水面も、街の灯りを映し出して ローマの夜の煌めきを演出します。
バチカンのサン・ピエトロ大聖堂が、やわらかい照明に浮かび上がります。

なにかの雑誌に載っていた一文ですが、たった二日のローマの街歩きを終えた いまの自分の気持ちに、ぴったりと寄り添っています。
ローマは、おおらかな心で来るものを受け入れ、人生の晴れ舞台へと誘う。
そして 誰にでも、時の主人公になったかのような、優しい興奮を授けてくれる。
永遠の都、ローマの、魔法のような陶酔感。
レオナルドダヴィンチ空港からローマを離れるとき、<アリヴェデルチ・ローマ>という曲が これほど似合う情景はない、そんな感傷に浸っていました。
絶対に こんどこそほんとうに 無理な話、もう一度 ローマの街を歩いてみたい、もう一度 ナヴォーナ広場のオベリスクを仰ぎたい。
イタリア映画『道』をみたのは、小学校高学年のころです。
たしか、封切りでした。
8歳年上の長姉に連れて行ってもらった記憶があります。
若い娘のひとり外出は ご法度の時代でしたから、体よいお供だったのでしょう。
ストーリーは、ほとんど覚えていません。
陰気臭い映画、という印象でした。
(ずっとのち、ビデオで『道』を観て、こんな凄い映画だったんだ と、わかるのですが…)
ただ 耳は、胸を締め付けられるような悲しげなメロディーを、その底の方に覚えていました。
ニーノ・ロータの名曲、ジェルソミーナです。
太陽がいっぱい、ロメオとジュリエット、ゴッドファーザー〈愛のテーマ〉…ニーノ・ロータの映画音楽には、ふわっとは聞き流せない 深いメッセージがあります。
ちなみに ジェルソミーナとは、イタリア語でジャスミンのことだそうです。
当時、ハリウッド映画全盛の時代でした。
洋画に魅せられたわたしは、最初は大人にねだっての映画館通いでした。
中学生になると、友人と出かけたり こっそりひとりで観にいったり、これ校則違反でした。
ほとんどがアメリカ映画で、シネマスコープの迫力あるカラースクリーンとその映画音楽に、圧倒されどうしでした。
だけど なぜか、イタリア映画音楽が心に残るのです。
それには、ちょっとした訳があります。
中学校で わたしは、運動部はバスケットボール部に所属していましたが、文化部は放送部でした。
顧問は、音楽のちょっとこわい女の先生、小林れい先生でした。
校内放送で映画音楽を流したい、そう提案したのですが、なかなか聞き入れてもらえません。
ようよう、放課後の4時から5時の間の1時間だけ という条件付きで、許可をもらえました。
エデンの東、知りすぎていた男、慕情、ジャイアンツ、戦場にかける橋、第三の男、OK牧場の決斗、ライムライト、ハイ・ヌーン、王様と私、めぐり逢い…
LPやドーナツ盤を集めたおして、片っぱしから流しました、絶対にウケると確信して。
ところが意外に 評判はイマイチで、それなら これが最後と、イタリア映画音楽特集を放送しました。
これが、ものすごくウケたんです。
ほんとうに、それが最後となってしまいましたが…
中学生になってすぐのころ、『鉄道員』というイタリア映画を観ました。
ピエトロ・ジェルミ監督・主演の、貧しい鉄道機関士家族のものがたりです。
サンドロという 幼い末っ子のいたいけなさが、切ない音楽にのって ぎゅっと伝わってきたのを、いまでもはっきり覚えています。
その音楽の旋律は、あのジェルソミーナに通底するものでした。
(作曲はニーノ・ロータではなく、あの永遠の名曲〈ブーベの恋人〉の作者、カルロ・ルスティケッリですが…)
『鉄道員』のあと ほぼ同じキャストで『わらの男』、そして『刑事』と続きます。
いずれも、舞台はローマ、それも描かれているのは、普通の市民生活。
音楽も 同じ、カルロ・ルスティケッリです。
『刑事』のラストシーン、ピエトロ・ジェルミ扮する刑事に逮捕され 警察の車で連行される容疑者の恋人を追って、悲痛な叫びをあげるクラウディア・カルディナーレ。
その姿が遠のくにつれて高まる、テーマ曲〈アモーレ・ミオ〉。
わたしは 長らく、アモーレ・ミオの ほんとうの曲名を 知りませんでした。
シノ・メ・モーロ、「死ぬほど愛して」、ウヒャー!
バイオレスタ コッテ シノ メ モーロ---わたしは あなたと 一緒でいたい、死ぬまで。
意味もわからず、口ずさんでいました。
ジェルソミーナにはじまる イタリア映画音楽への傾倒は、いや増すばかりです。
カンツォーネと入り乱れながら…
たしか、封切りでした。
8歳年上の長姉に連れて行ってもらった記憶があります。
若い娘のひとり外出は ご法度の時代でしたから、体よいお供だったのでしょう。
ストーリーは、ほとんど覚えていません。
陰気臭い映画、という印象でした。
(ずっとのち、ビデオで『道』を観て、こんな凄い映画だったんだ と、わかるのですが…)
ただ 耳は、胸を締め付けられるような悲しげなメロディーを、その底の方に覚えていました。
ニーノ・ロータの名曲、ジェルソミーナです。
太陽がいっぱい、ロメオとジュリエット、ゴッドファーザー〈愛のテーマ〉…ニーノ・ロータの映画音楽には、ふわっとは聞き流せない 深いメッセージがあります。
ちなみに ジェルソミーナとは、イタリア語でジャスミンのことだそうです。
当時、ハリウッド映画全盛の時代でした。
洋画に魅せられたわたしは、最初は大人にねだっての映画館通いでした。
中学生になると、友人と出かけたり こっそりひとりで観にいったり、これ校則違反でした。
ほとんどがアメリカ映画で、シネマスコープの迫力あるカラースクリーンとその映画音楽に、圧倒されどうしでした。
だけど なぜか、イタリア映画音楽が心に残るのです。
それには、ちょっとした訳があります。
中学校で わたしは、運動部はバスケットボール部に所属していましたが、文化部は放送部でした。
顧問は、音楽のちょっとこわい女の先生、小林れい先生でした。
校内放送で映画音楽を流したい、そう提案したのですが、なかなか聞き入れてもらえません。
ようよう、放課後の4時から5時の間の1時間だけ という条件付きで、許可をもらえました。
エデンの東、知りすぎていた男、慕情、ジャイアンツ、戦場にかける橋、第三の男、OK牧場の決斗、ライムライト、ハイ・ヌーン、王様と私、めぐり逢い…
LPやドーナツ盤を集めたおして、片っぱしから流しました、絶対にウケると確信して。
ところが意外に 評判はイマイチで、それなら これが最後と、イタリア映画音楽特集を放送しました。
これが、ものすごくウケたんです。
ほんとうに、それが最後となってしまいましたが…
中学生になってすぐのころ、『鉄道員』というイタリア映画を観ました。
ピエトロ・ジェルミ監督・主演の、貧しい鉄道機関士家族のものがたりです。
サンドロという 幼い末っ子のいたいけなさが、切ない音楽にのって ぎゅっと伝わってきたのを、いまでもはっきり覚えています。
その音楽の旋律は、あのジェルソミーナに通底するものでした。
(作曲はニーノ・ロータではなく、あの永遠の名曲〈ブーベの恋人〉の作者、カルロ・ルスティケッリですが…)
『鉄道員』のあと ほぼ同じキャストで『わらの男』、そして『刑事』と続きます。
いずれも、舞台はローマ、それも描かれているのは、普通の市民生活。
音楽も 同じ、カルロ・ルスティケッリです。
『刑事』のラストシーン、ピエトロ・ジェルミ扮する刑事に逮捕され 警察の車で連行される容疑者の恋人を追って、悲痛な叫びをあげるクラウディア・カルディナーレ。
その姿が遠のくにつれて高まる、テーマ曲〈アモーレ・ミオ〉。
わたしは 長らく、アモーレ・ミオの ほんとうの曲名を 知りませんでした。
シノ・メ・モーロ、「死ぬほど愛して」、ウヒャー!
バイオレスタ コッテ シノ メ モーロ---わたしは あなたと 一緒でいたい、死ぬまで。
意味もわからず、口ずさんでいました。
ジェルソミーナにはじまる イタリア映画音楽への傾倒は、いや増すばかりです。
カンツォーネと入り乱れながら…
私が子供の頃、親が星空をながめて、先祖から言い伝えられた話をしていました。
「箒星(ほうきぼし)が出たら、また戦(いくさ)が起こるのではないか」。
ほうき星とはハレー彗星のことで 70年あまりの周期で訪れます。
70余年たつと、親たちも死に、戦争を体験した人たちも亡くなり、指導者たちが戦争を美化しようとします。
私の親が言っていたことは そのことを戒めているのだと思います。
戦争の美化は絶対にさせたくないと思っています。
そのためにも、若い人たちは真実を見つめ、学び、しっかり行動していって欲しいと願っています。
上の文章は、このブログでも何度か紹介しました。
「ひめゆり」の語り手のひとり 比嘉文子さん(故人)が、2007年に公開されたドキュメンタリー映画 『ひめゆり』のパンフレットに、寄稿されたものです。
天皇・皇后両陛下が 戦後70年のいま、太平洋戦争の激戦地パラオを訪ねられた報道を見て、わたしは まず、比嘉さんのこの言葉が頭に浮かびました。
わたしは、決して‘尊王’ではありませんが、現在の明仁天皇、美智子皇后のおふたりに対しては、大きな尊敬の念をもっています。
この国をほんとうに憂え、悼んでおられる、そう伝わってくるからです。
太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います。
出発の日に天皇陛下が述べられた上の言葉は、代表して安倍総理が承っていましたが、彼の心に どこまで響いたか。
いまの日本の平和を 享受しているわれわれみんなが、この言葉の重みを、かみ締めなければなりません。
画家の安野光雅さんの きれいな本が、手元にあります。
ご成婚55年を迎えられた天皇・皇后両陛下の歌から133首を選び、皇居を彩る植物のスケッチと解説を添えた「皇后美智子さまのうた」という‘絵本’です。
安野氏の主観で選んだ という側面はあるにしても、この‘絵本’に記された天皇・皇后の歌には、この国をこよなく愛し憂うお気持ちが満ちています。
「琉歌」という章のなかに、こんなお歌があります。
花ゆうしゃぎゆん(花よおしやげゆん---花を捧げます)
ふぃとぅ知らぬ魂(人知らぬ魂---人知れず亡くなっていった多くの人の魂に)
戦ねいらぬゆゆ(戦ないらぬ世よ---戦争の無い世を)
ちむににがてぃ(肝に願て---こころから願って)
昭和50年の夏、皇太子だった明仁天皇は、美智子妃とともに初めて沖縄を訪問されました。
父・昭和天皇が最後まで望み果たせなかった、沖縄訪問でした。
このとき、ひめゆりの塔の前で過激派に火炎瓶を投げられ、現場は大混乱になります。
それでも予定を変えず、煙を大量に吸い込んだ服も着替えず、沖縄戦の戦跡をめぐって慰霊の祈りを捧げられました。
そのときの思いを明仁天皇は、「琉歌」とよばれる沖縄の古い歌を長い時間をかけて学ばれ、その形にのせて詠まれたのです。
象徴天皇のありようとしては、パラオご訪問を「ご本人の強い希望で」と安易に報じられることに、懸念を示す考えも承知しています。
しかし、明仁天皇ご自身も過去に述べられている通り、‘政治から離れた立場で’国民の苦しみに心を寄せられるお姿は、象徴天皇という言葉で表すのに最もふさわしいあり方だと思います。
むしろ、沖縄や福島で起きている重大な課題について、間接的な表現ながら、はっきりと遺憾の念を公式に表明されていることに、何にも替えがたい心強さを感じるのです。
国民の誰よりも、勇気あるご夫妻だと思います。
いま日本は、憲法をめぐって、真っ二つに裂かれるようで、おそろしいです。
でも、護憲だろうが改憲だろうが、上に掲げた明仁天皇の琉歌の心を解せないものはいない、そう信じたい。
平和を願う気持ち、二度と戦争を起こさないという願いは、ひとつ、そう信じたいのです。
明仁天皇の琉歌のように、天皇・皇后のパラオでのお姿のように、人知れず命を奪われた声なき人々の苦しみと悲しみに深く思いを寄せる、この気持ちがひとつなら、もがきながらでも きっと、新しいこの国の 望ましい形が探り出せることでしょう。
「箒星(ほうきぼし)が出たら、また戦(いくさ)が起こるのではないか」。
ほうき星とはハレー彗星のことで 70年あまりの周期で訪れます。
70余年たつと、親たちも死に、戦争を体験した人たちも亡くなり、指導者たちが戦争を美化しようとします。
私の親が言っていたことは そのことを戒めているのだと思います。
戦争の美化は絶対にさせたくないと思っています。
そのためにも、若い人たちは真実を見つめ、学び、しっかり行動していって欲しいと願っています。
上の文章は、このブログでも何度か紹介しました。
「ひめゆり」の語り手のひとり 比嘉文子さん(故人)が、2007年に公開されたドキュメンタリー映画 『ひめゆり』のパンフレットに、寄稿されたものです。
天皇・皇后両陛下が 戦後70年のいま、太平洋戦争の激戦地パラオを訪ねられた報道を見て、わたしは まず、比嘉さんのこの言葉が頭に浮かびました。
わたしは、決して‘尊王’ではありませんが、現在の明仁天皇、美智子皇后のおふたりに対しては、大きな尊敬の念をもっています。
この国をほんとうに憂え、悼んでおられる、そう伝わってくるからです。
太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います。
出発の日に天皇陛下が述べられた上の言葉は、代表して安倍総理が承っていましたが、彼の心に どこまで響いたか。
いまの日本の平和を 享受しているわれわれみんなが、この言葉の重みを、かみ締めなければなりません。
画家の安野光雅さんの きれいな本が、手元にあります。
ご成婚55年を迎えられた天皇・皇后両陛下の歌から133首を選び、皇居を彩る植物のスケッチと解説を添えた「皇后美智子さまのうた」という‘絵本’です。
安野氏の主観で選んだ という側面はあるにしても、この‘絵本’に記された天皇・皇后の歌には、この国をこよなく愛し憂うお気持ちが満ちています。
「琉歌」という章のなかに、こんなお歌があります。
花ゆうしゃぎゆん(花よおしやげゆん---花を捧げます)
ふぃとぅ知らぬ魂(人知らぬ魂---人知れず亡くなっていった多くの人の魂に)
戦ねいらぬゆゆ(戦ないらぬ世よ---戦争の無い世を)
ちむににがてぃ(肝に願て---こころから願って)
昭和50年の夏、皇太子だった明仁天皇は、美智子妃とともに初めて沖縄を訪問されました。
父・昭和天皇が最後まで望み果たせなかった、沖縄訪問でした。
このとき、ひめゆりの塔の前で過激派に火炎瓶を投げられ、現場は大混乱になります。
それでも予定を変えず、煙を大量に吸い込んだ服も着替えず、沖縄戦の戦跡をめぐって慰霊の祈りを捧げられました。
そのときの思いを明仁天皇は、「琉歌」とよばれる沖縄の古い歌を長い時間をかけて学ばれ、その形にのせて詠まれたのです。
象徴天皇のありようとしては、パラオご訪問を「ご本人の強い希望で」と安易に報じられることに、懸念を示す考えも承知しています。
しかし、明仁天皇ご自身も過去に述べられている通り、‘政治から離れた立場で’国民の苦しみに心を寄せられるお姿は、象徴天皇という言葉で表すのに最もふさわしいあり方だと思います。
むしろ、沖縄や福島で起きている重大な課題について、間接的な表現ながら、はっきりと遺憾の念を公式に表明されていることに、何にも替えがたい心強さを感じるのです。
国民の誰よりも、勇気あるご夫妻だと思います。
いま日本は、憲法をめぐって、真っ二つに裂かれるようで、おそろしいです。
でも、護憲だろうが改憲だろうが、上に掲げた明仁天皇の琉歌の心を解せないものはいない、そう信じたい。
平和を願う気持ち、二度と戦争を起こさないという願いは、ひとつ、そう信じたいのです。
明仁天皇の琉歌のように、天皇・皇后のパラオでのお姿のように、人知れず命を奪われた声なき人々の苦しみと悲しみに深く思いを寄せる、この気持ちがひとつなら、もがきながらでも きっと、新しいこの国の 望ましい形が探り出せることでしょう。

上の画像は、パンテーンのシャンプーとリンスです。
右がシャンプー、左がリンスです。
この試供品を 最初もらったとき、リンスのラベル 逆さまやん、と思いました。
それに、シャンプーもリンスも、ラベルが同じジャン。
でも、これでいいんですね。
蓋の位置も、リンスはこの向きにしか 置けません。
頭を洗っているとき、たいてい目を瞑っているから、ラベルは用を足しません。
頼りは、容器に触れる手の感触だけ。
上に蓋が付いているのがシャンプーで、頭がツルンとしているのがリンス。
これなら、目をシャンプーの泡でしみることなく、リンスを確実に選び取れます。
こういうのを、「フールプルーフ(fool proof)」といいます。
堅苦しく言えば、「間違った操作方法でも事故が起こらないようにする安全設計」のこと。
当社の製麺機械にも、この手法が、随所に採用されています。

上の画像は、厨房用製麺機‘広幅ミディ’のミキサー部です。
ミキサーで練りあがった麺生地を底蓋から取り出すとき、‘寸動’操作しかできないようにしています。
‘寸動’というのは、押釦を押しているときにだけ、ミキサー軸が回転する動きのことです。
この押釦は、二つあります。
上の画像で、右上の盤上面についている黒いボタンと、左の麺機本体側面についている(非常停止赤釦下の)黒いボタンの二つ。
これら二つの黒釦を同時に押さないと、ミキサー軸は回転しません。
しかも、これら二つの黒釦は、ずいぶん離れていますから、片手で同時に押すことはできません。
つまり、両手がふさがっていますから、手を底蓋から突っ込んだ状態でミキサー軸が回転することは、ありえないのです。
「fool proof」を直訳すれば、「愚か者にも耐えられる」。
その意味するところは、「よくわかっていない人が扱っても安全」だということです。
その思想の根底には、「人間はミスするもの」「人間の注意力はあてにならない」という前提があります。
この考え方は 一見、人間を信頼していない 一種の「性悪説」のようですが、わたしはそうは思いません。
人間の本来の姿を直視して、そういう姿を受け容れて、いつくしむ心から発する、思いやりだと思います。
フールプルーフと同じ設計思想に、「フェイルセーフ(fail safe)」があります。
機械は必ず故障するということを念頭において、故障が発生しても、常に安全側にその機能が作用する、という設計思想。
電気のヒューズは、その一例でしょう。
これも、人間の作る機械を信用していないことには違いないのですが、人間の作った機械を通して、人間そのものをいつくしむ、思いやり設計なのです。
わたしは、こういう設計思想が好きです。






