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つれづれ

思いつくままに

操山(みさおやま)

2017-05-23 16:09:46 | 

岡山市には、市電が走っている。
市電が足であったころを知る京都人には、路面電車は懐かしい。
ついつい 乗りたくなる。

五月晴れの或る日の午前、「日本一短い路線」の岡山市電(岡電)の長いほうの路線「東山線」に乗って(乗車時間17分)、操山(みさおやま)を目指した。

岡山のまちなかにたたずむと、とても懐かしい気分になる。
雰囲気が、時間の流れが、幼いころの京都に似ている。

碁盤の目のような通りも、そう。
街を貫く川も、そう(岡山の旭川のほうが、京都の鴨川より立派だが)。
西には 双ケ丘に比す矢坂山や京山、東には 大文字山に比す操山。
北に山、南は開けて・・・

岡電東山線終点「東山」を降りて 東山公園を抜け、かなりの石段を上って 玉井宮東照宮(たまいぐうとうしょうぐう)に出る。
ウイークデイの午前ともあって、公園の遊園地には 人影がまばらだ。
近くに幼稚園でもあるのか、小さなこども連れの若い母親が 二組、自転車を押しながら おしゃべりに忙しそう。

玉井宮東照宮に参拝したあと、裏手に廻って 日本各地にある由緒ある神社が一堂に並ぶ敷地を、ゆっくりと歩く。
この小高い森は、小ぶりの吉田山 というところか。
神社の右わき道から県道28号線へ下る。

県道脇に、「史跡 御成松」というのがあった。
  この松は、江戸時代 池田の殿様が墓参のため、円山の曹源寺まで お籠で道中された道すがら、二股の大きな松の木陰で一服され
       たことにより、旧くから「御成りの松」と呼ばれ、この地のシンボルとして親しまれてきました。
そう記した立派な碑が、ひょろひょろの松のきわに立っている。
  この老松は、昭和19年戦時の国策により、木造船の用材として切られ、二代目は松喰虫、三代目は平成6年の大雪の被害をうけた
       為、平成6年6月 岡山市のご協力により、「四代目御成松」誕生の運びとなりました。
碑は、そう続けていた。

手押し信号の横断歩道で 県道を渡ると、東の向こうに こんもりとした山が迫る。
操山だ。
後楽園の借景、標高169m の低山である。

低山とはいうものの、脚力の衰えが著しい いまのわたしには、険しい登山のようであった。
頂上までは 諦めて行かない、中腹の「三勲神社跡」というところまで。
途中、行きも帰りも、誰一人にも逢わなかった。

大文字山の上から眺める 京都のまちが、わたしは好きだ。
操山から眺める岡山のまちも、好きになった。

まちは、遠くから見下ろすとき、とてもやさしい表情に変わる。

また 大文字山に登ってみたくなった。

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快慶仏

2017-05-22 12:54:04 | 
いま、奈良国立博物館で「特別展・快慶~日本人を魅了した仏のかたち」が開かれている(6月4日まで)。

仏像は お堂のなかで拝するのがいい、これは わたしのこだわりだが、今回の「快慶展」は 快慶作と認められている仏像の八割が一堂に会している とのことで、見逃すわけにはいかない。
ということで、5月の連休中の一日を割いて 新緑の奈良を訪ねた。

この4月の末、播州・小野に在る浄土寺で、快慶作の阿弥陀三尊像を拝している。
阿弥陀立像は 高さ5m30cm、両脇侍の観音・勢至像は 高さ3m70cm、まことに大きな仏さまだ。
通常の来迎印とは違って、右手を下げて手の平を前に向け(逆手与願印)、左手は胸の高さまで上げて手の平を上に向け 親指と人差し指および中指で輪を作っておられる。
お堂の浄土堂(阿弥陀堂)は、この三尊像に合せて作られたのだろう、桁行き三間 梁間三間 単層 本瓦葺屋根宝形造りの、堂々としたものだ。

この浄土寺に在るべき、快慶作のもう一体の阿弥陀如来立像(裸形)と重源(ちょうげん)上人坐像が、見あたらない。
じつは、奈良博物館に行っている と言うことから、快慶展の催しを知った。
さすがに、5mを越える阿弥陀三尊は、持ち出せなかったとみえる。

希しくも この秋、東京で「運慶展」が開かれると聞く。
運慶と快慶、ともに鎌倉時代を代表する仏師である。

どちらかと言うと わたしは、快慶の方が性に合っている。

例えが突飛だが、ミケランジェロとラファエロみたいだ と思っている。
飛び抜けて秀れたアーティストが、運慶であり、ミケランジェロで、ある意味 偏った天才である。

抑制的な情熱と気品に満ちた作風が、快慶とラファエロには 共通している。
優雅さや抑制感という 優れた芸術の真髄を、両者とも 持ち合わせていた。
ともに、とても敬虔な信仰者ではなかったか。

仏像は、信仰の対象である。
フレスコ宗教画も、同様であるはずだ。
これらは、作者の敬虔な信仰心なくしては、なりたたない。
極端に言えば、作者なんか見えない方がいいのである。

作者の自我が見えるか没するか、それが、鎌倉時代の仏像に どうしても違和感を覚えてしまう理由であり、天平時代以前の仏像に 限りなく惹かれる理由である。
仏像を芸術作品としてみたくない という、これは わたしの独りよがりに過ぎないのだが…

運慶の作で素晴らしい仏さまだと感ずるのは、奈良・円成寺の多宝塔に安置されている「大日如来像」だが、これに対峙する快慶作の仏さまは、京都・醍醐寺三宝院の「弥勒菩薩坐像」だと考えている。
ともに、作者早期の作品で、仏像彫刻に賭ける作者の 一途な若い真摯さが感じ取れる。

以前、快慶の弥勒菩薩坐像を見たさに 三宝院を訪れたが、向こうの方におわすお姿しか拝見できず、残念な思いをした。
今回の展示会では、入場してすぐのところで まじかに拝することができて、じっくり鑑賞することができた。
漆箔のきらびやかな金色ではなく、金泥塗りの落ち着いた輝きを、目の前で感じることができた。
金泥の粉末金が乱反射して、輝きに深みを与える ということが、実感できたのである。

奈良興福寺・北円堂にある 運慶作(実際には慶派一派の共同作か)「世親・無著像 (せしん・むちゃくぞう)」は、日本の彫刻史上 もっとも優れた作品だと思うのだが、これに匹敵する作品として、快慶の「僧形八幡神坐像(そうぎょうはちまんしんざぞう)」(東大寺勧進所蔵)を挙げたい。

若いころ 正直、この像が好きになれなかった。
カタログでしか 観ていなかったということ、また 仏像でなく神像(神様の像)だという理由もあったと思う。
今回の展示会で、この像の謂れを知り、至近距離から坐像を拝見して、考えが180度 変わった。
坐像の正面からだけでなく 両横顔をじっくり拝顔、なんと凛々しいお顔なのだろう。
とびきりハンサムな神像。
大分県宇佐八幡宮から勧請してきた この像が担う、東大寺を聖域として守る という役割、大仏様と同じくらい大事なお像なのだそうな…

最前線の南大門で東大寺を守る仁王像とともに、こんな大事なお像を任された快慶という仏師を、それも こんなにハンサムな神像に創り上げた巧匠・快慶を、改めて見直した展示会であった。

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ロール製麺機械の急所

2017-05-19 15:54:24 | 
時間当たりの製造食数だけを取り上げれば、ロール製麺機械は、あまたある食品機械の中でも ズバ抜けている。
大量生産に向いた製麺方法と言うことができるが、機械の良し悪しとなると、かなり厳しい条件が付く。

ロール製麺機械から作り出される麺の品質 と言っても多種多様で、なかでも 味(旨み)となると 人それぞれで評価が分かれるから、正しい評価は なかなか難しい。
ひと昔前になるが、コシとか 喉越しとか 旨味とか 見場とか を求めて、さまざまな工夫を凝らしたロール製麺機械が、世に出た時期があった。
それら さまざまな工夫をくぐり抜けて、その時代その時代の要求に応えながら、今日のロール製麺機械がある。

現在もっとも重要視されるのは、安心と安全であろう。

具体的には、安心とは、異物混入(コンタミ)の恐れがなく、そのためには 掃除しやすい機械でなければならない。
安全とは、怪我のない機械ということで、ことに女性やアルバイトのオペレータを対象に考えることが要求される。
メンテナンスがやり易い機械ということも、‘安全’の重要なポイントとなる。

だから 良いロール製麺機械とは、安心・安全性の高い機械 ということになってしまった。
機械屋としては 少しさみしい気もするが、正直言って、麺の品質に占める機械の割合は、かなり低い。

機械屋の口から言うべきことではないのだが、麺の品質を左右する要因は、一に「粉」、二に「水」、三に「オペレータの技量」、そして 四あたりに「製麺機械」だろう。
もっと極端に言うなら、一に「粉」、二にも「粉」、三にも「粉」、となる。
つまり、粉が悪ければ どうしようもない、ということだ。

こういう前提を飲み込んだ上で、ロール製麺機械の良し悪しは どこが急所なのか、を考えてみたい。

粉と水を混ぜるミキサーについては 考え方が分かれるので、ここではミキサーには触れない。
別の機会に、ミキサーに迫ってみたい。

ロール製麺の工程から話せば、急所は、ミキサーからの麺生地を最初に連続帯状に成形するシートロール、そして麺帯から麺線にする最終工程の仕上げロールと切刃(スリッター)、であろう。
機械の部品的に言えば、「ロール」と「切刃」、ということになる。

シートロールで成形される麺帯に 穴が空いていたり耳が切れていては、後続のロール成形で いくらがんばってみても、きれいな麺帯は作れない。
この麺帯粗製において、機構的に麺帯成形を容易にする工夫が いろいろ試みられているが、急所は「シートロール」である。

製麺ロールに要求されるのは、まず 食い込みが良いこと、それから 麺の表面がきれいに成形されること(ザラつかないこと)。

異物混入の原因として ロールカスリ(ロール表面に付着する麺を剥すスケッパー)が問題箇所に挙げられて、ノンカスリロールが注目されている。
しかし、ロール表面に麺が付着しにくい ということと、食い込みが良い ということは、二律背反である。
少なくとも シートロールは、食い込みの良さを 最優先すべきだろう。

麺帯から麺線にする最終工程において、「仕上げロール」に要求される最優先性能は、麺の表面がきれいに成形されること である。
しかし 食い込みの良さを無視すると、ロール表面速度と麺帯速度のズレが大きくなって、麺肌を荒らすことになる。
両性能の兼ね合いが、重要になってくる。

麺帯から麺線にする最終工程において もう一つの急所は、「切刃」である。

余談になるが、工作機械メーカの‘オークマ’は、そのむかし 株式會社大隈鐵工所と称していた頃、製麺機械メーカであった。
製麺機の要である切刃にこだわり、専用の旋盤をつくらせ、満足な測定器のない時代に 噛み合い精度0.05mmを実現した。
そこで鍛え上げられた技術が、のちの「工作機械メーカ最大手のオークマ」へと変身する基礎となった。

その流れを汲む当社も 切刃にこだわり、切刃製作を外注する他社製麺機械メーカとは 一線を画してきた。
切刃は 奥が深いので、ミキサー同様、別の機会に詳しく述べてみたい。

さて ここからは、自社製品PRである。

当社の、表面が黒い製麺ロールを、ブラックロールと称している。
ロール表面を特殊処理しているのだが、メッキではない。
かんたんにいえば、窒化処理プラス酸化処理皮膜である。

表面硬度が高く、強靱な耐摩耗性を持ち、抜群の耐かじり(耐焼き付け性)を有する。
鉄系素地(鋳鉄やステンレススチール)自身の表面変身であるから、メッキのように剥がれる心配がない。
窒化プラス酸化処理によって、たとえれば 四三酸化鉄皮膜(いわゆる黒錆)のように、化学反応的に きわめて安定した膜である。
微細なポーラス的凹凸によって、適度な滑り難さと引っ付き難さがあり、製麺ロールには最適である。
焼き付きを起こしやすい ステンレス製ロールカスリとの相性もいい。

ところで、ロールカスリの話に戻る。

ロールカスリ裏の麺屑がコンタミ化するところから、ノンカスリロールが登場した。
ロール表面に非粘着性樹脂皮膜を施したものであるから、かなり短期間で樹脂皮膜が剥がれてしまう。
かつ、非粘着性イコール食い込み悪さであるから、しっかりした麺帯形成に向かない。

このような欠点をご了解の上、ノンカスリロールを採用していただいているユーザーも、多くなった。
‘安心’が、いかに最重要課題かを示している。

それでも 言わざるを得ないのだが、ロールにロールカスリは‘付き物’である。
いわば、ロールは夫、ロールカスリは妻のように、ロールとロールカスリは 切っても切れない間柄なのである。
ロール圧延すれば、麺帯の一部はロール表面に残るのが当然であって、ロールとロールカスリの関係は、ロール製麺機械の宿命みたいなもの。

この関係は、切刃と切刃カスリの関係にも 言えることである。

そこで 当社は、ロールカスリの存在を肯定的に捕らえて、掃除しやすいロールカスリを考案した。
それが、「ワンタッチオープン式ロールカスリ」である。
ノンカスリロールが使えないシートロールには、ワンタッチオープン式ロールカスリを採用していただくことが 多くなった。

シートロールと仕上げロール&切刃、始めと終わり。
他のラインもの機械と同様 ロール製麺機械も、始めと終わりが急所ということになる。
なにか 哲学的な話でもある。

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京都国際写真祭

2017-05-15 17:29:00 | 

第5回京都国際写真祭は、昨日で閉幕しました。

会場は、寺院や通常非公開の歴史的建造物、モダンな近現代建造物、それに解体途中の元・新風館。
会場を見るだけでも値打ちのある場所が、選ばれていました。
そのほとんどが街の中心部にあり、徒歩や自転車で会場を巡る外国人観光客も多かったです。
つまみ食いのように、短時間で目ぼしい会場を廻ってみました。

ことしのテーマは「LOVE」。
このテーマに最もふさわしいと人気の荒木経惟氏、その作品会場となった建仁寺塔頭・両足院には、長蛇の列ができていました。

写真は好きなジャンルですが、どうも いまどきの“芸術写真”は、苦手です。
全部を見て回った訳ではないので、素晴らしい作品を見逃したのかも知れません。
古い感覚なのでしょうが、フィルム代や現像代が高価だった頃の シャッター一押しに込める緊張が、連写や修正が自在にできる今のカメラから生まれる作品に、感じにくいです。

このブログを書こうと思ったのは 実は、写真のことではなく、この写真祭の一会場となった「帯匠 誉田屋(ごんだや)源兵衛・竹院の間」二階に展示されていた、十代目 山口源兵衛の作品のこと。
「日本の神髄」と題された小展覧会、そこに並べられた 九条の帯と一領の花嫁衣装。

ちょい齧りながら なんでも興味をもつのが性癖の私ですが、和服関係には 今まで興味が湧きませんでした。
違う世界の代物、という感覚でした。
ですが 、誉田屋源兵衛の二階で出会った 九条の帯と一領の花嫁衣装には、ビビビッと感動の稲妻が走りました。

この感動をどう 言葉で表現したらいいのか、一つ一つ目を凝らして鑑賞する その合間に、チラチラっと知らず知らずのうちに読んでいた 作品解説札。
そのコメント文が、会場を出て 俄かに、あの感動に言葉を添えていました。

その翌日、最終日の昨日、あのコメント文をもう一度読みたくて、その目的だけで 再度、誉田屋源兵衛・竹院の間の二階を訪ねました。

このコメントは きっと、十代目・山口源兵衛氏みずからの文章に違いありません。
もちろん このコメント文だけから、 九条の帯や一領の花嫁衣装から放たれる「ワンダフル」が伝わるべくもありません。
しかし、このコメント文があるからこそ、理解できる「ワンダフル」があるのです。

あの感動を定着させるため、そのコメント文を書きとどめておこうと思います。

【渦巻文様】
江戸末期から明治にかけて、開国によって海外の先進技術が流入して来た。
存在生命の危機感から、職人達は超絶技を駆使して生き残りに賭けた。
その作品はロンドン万博、パリ万博、ウィーン万博に於いてジャポニズムブームを起こした。
世界を驚嘆させた超絶技である。
この渦巻文様は、凹凸感を表現しての超細密織物の限界である。
本金と本赤漆のみで表現した(下地は絹)。

【破れ扇】
戦に於いて大将が負けを認めない限り、負けた事にはならないのだ。
軍扇がズタズタに引き裂かれても、戦士の誇りはゆらぐ事はない。
信じ難い豪気な心、剛毅な精神力が、野性の底力と相重なって新しい現実を創りだすのだ。
江戸後期という戦争もない時代、十一代将軍家斉所用とも伝えられる陣羽織のこの柄(柄の起源は桃山時代と思われる)は、日本の最高の意匠と云えるだろう。

【若冲八重菊】
十数年来、若冲の菊を帯にしたいと思い続けて来た。
透明感と無重力感が若冲の表現。
この二点を織物に表現するのに十年近くかかってしまった。
堂々と若冲の菊と言う為には、この二点を達成していることが条件だから。
絵画と織物では、勿論、違った表現にはなるが、美の土俵では、勝負しかない。
若冲と勝負したかったのだ。

【古箔】
箔とは、最上質の和紙に漆を引き、本銀箔を丹念に、わずかに重ね貼って作る。
本銀は年と共に酸化して焼けて行く。
この作品は、数百年以上前に作られた本銀箔が徐々に経年変化したものです。
本銀は自然に経年変化し、ときには人為的な作為には及びもつかない深く圧倒的な美しさを表出するのです。

【跳鯉】
跳鯉図は中国、元の時代の制作で、最高傑作と云える。
老子、荘子の思想から発した水墨画は「色彩は目で見て、水墨は心の眼で観る」とある。
すなわち人の目は色彩に気を取られると「ものの眞の姿をとらえることは出来ない」。
水墨はそこに無限の意味、無限の色を見ることが出来ると云う思想である。
飛跳する鯉の図、水の流れは激しく、湧き上がる立浪は荒々しく、ほとばしり飛び散る水しぶきの中から、今まさに勢いよく飛躍せんとする瞬間の漲る力感、躍動感を描いている。
厳しい人生の幾度かの節目は、誰しも避け得ないものでしょう。
その度毎に力を尽くし、乗り越えていく人の気高く健気な姿を表現している様にも思われる。
跳ね上がる鯉の気迫に満ちた眼、その眼がかすかに下を見下ろしている。
実は見下ろしている先には、少し小さな鯉が描かれており、その目を見上げている。
夫婦か、親子か、兄弟、姉妹なのか。
心を通い合わせているのだ。
まさしくこの図は、水墨画の真髄であるところの心眼を通して、魂で味わうべきものなのだろう。

【網破りの勝虫】(トンボ)
平安末期、武家の台頭とともに豊穣のシンボルから尚武の象徴へと移行した。
絶対に後ろへ引かない習性から勝虫と呼ばれ、尚武(勝負)に勝つと云う見立てで、鎧文様に尚武紋と組み合せ武家の定番となる。
人生の度重なる不遇、不幸を網に見立て、それを力強く破る勝虫と云う吉祥を帯にした。

【北斗七星】
北斗七星は古来より吉兆のシンボルとされ、皇帝、皇太子の紋章であった。
燦然と輝く北斗七星は、勝利の祈りを捧げる対象であり、戦勝を約するものとして兵士達の士気を高めた。

【世界中の子と友達になれる】
日本画家、松井冬子とのコラボレーション作品。
松井は美しい藤の花を描き、その花に群がるおびただしい蜂達も描き込んだ。
藤の花なのか、群れなす蜂なのか、その巧妙、細密な表現を、織物としては限界の太い糸を織り込んで陰影の妙味を用いた。
筆で描くことと、織りで表現すること、お互いに一歩も譲れない火花を散らすコラボレーションであった。

【華】
花は紫陽花、葉は菊の葉、木は牡丹。
家康の孫、千姫が豊臣秀頼に嫁いだ際の衣裳と伝えられる。
八歳で嫁ぐのだが、逆算すると千姫三歳頃の好みを文様に選んだと考えられる。
合成の幻の華と云う文様は他に例がなく、幼な子ならではの発想ながら、四百年前桃山バロック文化と典雅さを兼ね備えた見事な文様である。

【松竹梅三枚襲ね婚礼衣装】
明治期の富豪達は婚礼衣装の豪華さを競い合った。
三枚重ねて着るのだが、最後に羽織るのは黒地の紙布(かみのぬの)、神の御前にて着る紙の衣と云う配慮がある。
また文様は百花に先駆けて咲く花の女王「梅」、樹木の王「松」は互いに立場を譲らない。
その間を取り持つ「竹」、この三者関係が生むエネルギーが「松竹梅」の意である。
佳き事が幾重にも重なることを祈念して三枚重ねとした。

一昨日 同伴した妻に、「もし、どれか一つ 帯をあげると言われたら、どれにする?」と問うたら、【古箔】と答えました。
どうして と尋ねたら、「どの着物にも合いそうだから」とか。
とっさに そう答えられる女の人が、ちょっと羨ましい気がしました。

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