親しくさせてもらっている 骨董屋さんの友人がいます。
三条京阪から大和大路(縄手通り)をちょっと下がった新門前で、「古美術やかたhttp://www.kyoto-yakata.net」を営んでいます。
彼のブログは いつも見ていますが、この前の内容が とてもすてきなやり取りだったので、紹介したくなりました。
『ありがとう、から、小さな温もり、、、』
昨日、コメントを頂きました。
先日、二次会で友達の行きつけの
お店、カラオケスナックへ、行き
すごく酔っていましたが、、、
たまたま、同じテーブルについて頂いた
お店の女性で、アルバイトかな、、
19歳で今日が初めてお仕事だそうで、
大丈夫かな、、頑張れ、
なんて思いながらお話させて頂いておりました。
帰り、10年以上前かな、私事を思い出しました。
家の近くのカラオケスナックに一人行きました
カラオケスナックはあまり好きではないのですが、
一人で行く事も、ほんと、たまたま でした。
同席頂いたお店の女性、
身長は、ゆうに170センチ以上はあり
私は、165センチ、彼女は高いハイヒールを履いておられ
気分転換に、「踊りましょう」と 言いますと
すみっこで、ハイヒールを脱ぎ、
はだしで、踊っていただきました、
心使いが嬉しくて、曲が終わると
椅子に座って頂き
ハイヒールを履かせてあげました。
すごく女性に喜んで頂き、ビックリしたのを覚えています。
次、生まれたら、立場は逆転かも、、
人間、明日は分かりません 私はお店の人で彼女がお客様、
そう考えると、同じテーブルの仲間、
お酒を頂く時は皆が楽しく、
ましても、同じテーブル同士、
人の 小さな温もり が 行きかえば、
きょう、最後のお酒、楽しくて素晴らしいよね、
きっと、もう一度見ていただけると思うので、、、
コメントを頂いた、19歳の彼女へ、
お店の人で、信頼して相談できる人、先輩、ママさん等、
見つけて下さい。
この時代、、一人で悩むの辛いよな、、がんばれ!!
『この記事のコメント』
私なんかのコメントにお返事を下さって、ありがとうございます。
「素直な気持ちが一番の見方」、、まさにその通りですね。
私にとって素直になることは難しいことですが、自分自身に素直になれるその強さを 欲しいと思います。
その強さを身につけたいと思います。
正直、今日お返事をもらえて、その内容を読んで涙があふれました。また元気づけてもらいました。
私に宛てて書いて頂いたお返事が、心にとても響きました。無心になって泣き続けました。
そして思いました。
「私の初出勤の日に、偶然にも たちさんの席につき、励まして頂いたこと、こんな小娘のコメントにわざわざお返事を書いてくださったこと、そのお返事でまた勇気づけられたこと」その昨日、今日の一日に感謝しよう、と。
まさに一期一会、ですよね。
そんな今日の一日に「ありがとう」と思いながら、眠りにつこうと思います。
すてきなやり取りですね。
このブログを見ながら、わたしは 最近読んだ、姜尚中著『悩む力』(集英社新書)のなかの “なぜ死んではいけないのか”の一節を思い出していました。
それは、「何が生きる力になるのか」という段落で、夏目漱石の『心』を採りあげ、こう語りかけています。
ここで私は再び、『心』の先生のことを思い出します。
「自由と独立と己に充ちた現代に生まれた我々は、其の犠牲として みんな此の淋しみを味わわなくてはならないでしょう」
と先生は言いました。
先生はお金に困っているわけでもなく、厭世的ではあるけれども、ひきこもっているわけでもありません。
その点では、何不自由なく生きています。
その先生に死を考えさせてしまうのは、やはり自我の孤独なのです。
「人は一人では生きられない」とよく言います。
それは経済的、物理的に支えあわねばならないという意味だけでなく、哲学的な意味でも、やはりそうなのです。
自我を保持していくためには、やはり他者とのつながりが必要なのです。
相互承認の中でしか、人は生きられません。
相互承認によってしか、自我はありえないのです。
・・・
先生の絶対的な孤独は 救われることはありませんでした。
そして、そんな「自分の城」を守っている限りにおいて、人は誰ともつながれないのです。
しかし、先生は最後に、隠し通してきたことを「私」に洗いざらい告白しました。
守ってきた城を「私」に明け渡したのです。
その瞬間、先生と「私」との間には、「相互承認」の関係ができたのではないでしょうか。
そして、先生が「私」にそれをしたのは、先生が「私」を信じたからです。
信じたから さらけ出すことができた。
それでも先生は命を絶ちますが、その前に一瞬、自我の孤独から解放されたのではないか という気がします。
漱石は、この本で、人がみずから死を選びうる自由についても書きました。
が、それよりも、人が他者とのつながりを求める切実な気持ちについて、書きたかったのではないでしょうか。
友人のブログに感銘しながら、わたしは 姜尚中氏が語る「相互承認」という言葉を、深く深く心に染み渡らせていました。
三条京阪から大和大路(縄手通り)をちょっと下がった新門前で、「古美術やかたhttp://www.kyoto-yakata.net」を営んでいます。
彼のブログは いつも見ていますが、この前の内容が とてもすてきなやり取りだったので、紹介したくなりました。
『ありがとう、から、小さな温もり、、、』
昨日、コメントを頂きました。
先日、二次会で友達の行きつけの
お店、カラオケスナックへ、行き
すごく酔っていましたが、、、
たまたま、同じテーブルについて頂いた
お店の女性で、アルバイトかな、、
19歳で今日が初めてお仕事だそうで、
大丈夫かな、、頑張れ、
なんて思いながらお話させて頂いておりました。
帰り、10年以上前かな、私事を思い出しました。
家の近くのカラオケスナックに一人行きました
カラオケスナックはあまり好きではないのですが、
一人で行く事も、ほんと、たまたま でした。
同席頂いたお店の女性、
身長は、ゆうに170センチ以上はあり
私は、165センチ、彼女は高いハイヒールを履いておられ
気分転換に、「踊りましょう」と 言いますと
すみっこで、ハイヒールを脱ぎ、
はだしで、踊っていただきました、
心使いが嬉しくて、曲が終わると
椅子に座って頂き
ハイヒールを履かせてあげました。
すごく女性に喜んで頂き、ビックリしたのを覚えています。
次、生まれたら、立場は逆転かも、、
人間、明日は分かりません 私はお店の人で彼女がお客様、
そう考えると、同じテーブルの仲間、
お酒を頂く時は皆が楽しく、
ましても、同じテーブル同士、
人の 小さな温もり が 行きかえば、
きょう、最後のお酒、楽しくて素晴らしいよね、
きっと、もう一度見ていただけると思うので、、、
コメントを頂いた、19歳の彼女へ、
お店の人で、信頼して相談できる人、先輩、ママさん等、
見つけて下さい。
この時代、、一人で悩むの辛いよな、、がんばれ!!
『この記事のコメント』
私なんかのコメントにお返事を下さって、ありがとうございます。
「素直な気持ちが一番の見方」、、まさにその通りですね。
私にとって素直になることは難しいことですが、自分自身に素直になれるその強さを 欲しいと思います。
その強さを身につけたいと思います。
正直、今日お返事をもらえて、その内容を読んで涙があふれました。また元気づけてもらいました。
私に宛てて書いて頂いたお返事が、心にとても響きました。無心になって泣き続けました。
そして思いました。
「私の初出勤の日に、偶然にも たちさんの席につき、励まして頂いたこと、こんな小娘のコメントにわざわざお返事を書いてくださったこと、そのお返事でまた勇気づけられたこと」その昨日、今日の一日に感謝しよう、と。
まさに一期一会、ですよね。
そんな今日の一日に「ありがとう」と思いながら、眠りにつこうと思います。
すてきなやり取りですね。
このブログを見ながら、わたしは 最近読んだ、姜尚中著『悩む力』(集英社新書)のなかの “なぜ死んではいけないのか”の一節を思い出していました。
それは、「何が生きる力になるのか」という段落で、夏目漱石の『心』を採りあげ、こう語りかけています。
ここで私は再び、『心』の先生のことを思い出します。
「自由と独立と己に充ちた現代に生まれた我々は、其の犠牲として みんな此の淋しみを味わわなくてはならないでしょう」
と先生は言いました。
先生はお金に困っているわけでもなく、厭世的ではあるけれども、ひきこもっているわけでもありません。
その点では、何不自由なく生きています。
その先生に死を考えさせてしまうのは、やはり自我の孤独なのです。
「人は一人では生きられない」とよく言います。
それは経済的、物理的に支えあわねばならないという意味だけでなく、哲学的な意味でも、やはりそうなのです。
自我を保持していくためには、やはり他者とのつながりが必要なのです。
相互承認の中でしか、人は生きられません。
相互承認によってしか、自我はありえないのです。
・・・
先生の絶対的な孤独は 救われることはありませんでした。
そして、そんな「自分の城」を守っている限りにおいて、人は誰ともつながれないのです。
しかし、先生は最後に、隠し通してきたことを「私」に洗いざらい告白しました。
守ってきた城を「私」に明け渡したのです。
その瞬間、先生と「私」との間には、「相互承認」の関係ができたのではないでしょうか。
そして、先生が「私」にそれをしたのは、先生が「私」を信じたからです。
信じたから さらけ出すことができた。
それでも先生は命を絶ちますが、その前に一瞬、自我の孤独から解放されたのではないか という気がします。
漱石は、この本で、人がみずから死を選びうる自由についても書きました。
が、それよりも、人が他者とのつながりを求める切実な気持ちについて、書きたかったのではないでしょうか。
友人のブログに感銘しながら、わたしは 姜尚中氏が語る「相互承認」という言葉を、深く深く心に染み渡らせていました。






