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つれづれ

思いつくままに

ことしも咲きました

2011-04-28 09:23:50 | Weblog
ことしも咲きました。大根島の牡丹。

桜の花より、はかない開花期間です。

ひと雨降れば、散りかけるでしょう。

画像に残しておきたくて、カメラを向けました。

ほっとする ひとときです。

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技術は人を安らげるためにある

2011-04-26 01:52:30 | Weblog
このあいだ 久しぶりに電話をくれた畏友・松並壯君が、受話器の向こうでちょこっと話していた言葉を、いま反芻しています。
新居浜で働いていたころ、ぼくが彼にメモして渡したという、そしていまも持ってくれているという、つぎの言葉です。

  技術は、人を驚かすためにあるのではなく、人を安らげるためにある。

ぼくは、このたびの原発事故で 知らず知らず、科学技術に憎しみをいだいていたようです。


眠れない床から起きだして、読まずに置いてあった ここ数日の新聞を、めくっていました。
4月24日付けの朝日新聞の「声」欄に、こんな投書を見つけました。
『震災禍 科学に背いた報い』と題する、奈良県王寺町にお住まいの大学教員・野崎充彦さんの投稿です。
少し長くなりますが、全文を転記します。

---今回の大地震と原発事故について、宗教学者山折哲雄氏の本紙文化面「科学技術よ、おごるなかれ」は、一般論としてはまっとうな指摘だった。確かに、自然の猛威の前に人は無力なのだろう。
だが、私は山折氏の意見に違和感を禁じ得なかった。というのも、福島第一原発での事故を「やっぱり起きたか」と感じた人が多かったはずだからである。最悪のこの事故は不可避だったのではなく、政治家も経済人も科学者たちも「不都合な真実」から目をそむけ、原発の「安全神話」を吹聴した結果が今の惨状を招いたのではないか。とすれば今回の災厄は、科学技術のおごりではなく、真の科学精神に背を向けた報いだったというべきだろう。
現下の経済財政状況に縛られ、産学協同の立場から、その危険を知りつつ口をつぐんだ研究者もいたのではないか。理系・文系を問わず学問研究が尊重されるのは、真実を極めようとする姿勢にある。研究者がその責務を貫かず「曲学阿世」に走れば、天災という名の人災は果てしなく繰り返されるだろう。---

山折哲雄氏の「科学技術よ、おごるなかれ」という記事は「科学技術者よ、おごるなかれ」というべきであった と、ぼくも思います。
ただ、この投稿の発言には、じゃぁなんで捨て身で原発に反対してこなかったんだ という自責が伴います。

怖いのは、この原発事故で人びとの心に、科学技術を忌む気持が宿ることではないでしょうか。
そして もっと怖いのは、原発事故を招いたと目される人々への憎しみです。

天災は恐ろしい。
でも 天災は、自然を畏れる気持ちは高ぶっても、人への憎しみは生まれません。
これに対して 人災は、その怒りが人に向かいます。
戦争も同じです。
だから、人災も戦争もあってはならないのです。

避けられない天災を少しでも和らげるのは、科学技術です。
科学技術を憎んではなりません。
憎むべきは、科学技術を自由に操っているつもりの人間のおごりです。


冒頭に述べたメモは、実はぼく自身、ずぅっと忘れていたのです。
松並君が還してくれた言葉に、目が覚めた思いです。
そうだったんです。
技術は、人を驚かすためにあるのではなく、人を安らげるためにあらねばならないのです。

あのメモを いまでも持っていてくれた松並君に、感謝します。
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みすゞさんを好きな人 大好きです

2011-04-23 20:23:33 | Weblog
冷たい雨が降っています。
雨の日を ぼくは嫌いではないのですが、京都でこんなに冷たい雨なら 東北の被災地は雪なんじゃ、とか思ってしまいます。
普通に過ごせているひとつひとつに、あぁそうだったのか と、申し訳ないような気持です。

数日前の新聞に、福島県三春町の滝桜が満開、という記事が載っていました。
「激励肥やしに、滝桜見頃」だそうです。
地震に耐え、たぶん いくばくかの放射能を浴びても、季節を違わず 見事な三段滝を咲かせているエドヒガンザクラに、口数少ない東北の方々の忍耐強さを かってに重ねてしまいます。
滝桜の開花は、被災地の人たちへの なによりの激励でしょう。
そのおこぼれを、ぼくももらっています。


ついこの間まで テレビのACコマーシャルに、金子みすゞの詩「こだまでしょうか」が しきりに流れていましたね。
あの詩が、滝桜の開花と同じような作用をしてくれていたなら いいのですが・・・。
東北にも 金子みすゞを好きな人はおおぜいおいででしょうから、きっと響いていますよね。

金子みすゞ展が、没後80年のいま、全国を巡っています。
1年前、大丸大阪心斎橋店で催されたのと同じような企画が、ことしも大丸京都店でありました。
ただ 会場の広さの都合で、大阪店で見られた 中島潔氏の大作画「大漁2001---鰮のとむらい/するだろう---」は見られませんでしたが・・・

こんどは近いので、孫たちも一緒に見に行きました。
幼稚園で金子みすゞの詩になじんでいる 上の孫息子は、自分が知っている詩の 読めるひらがなを拾い読みしながら、ぼくのゆっくりした歩みに合わしてくれます。
「積もった雪」の前で立ち止まった孫息子が、ぼくをみあげました。
よんでくれ と言っているのです。
ぼくは、なんの衒いもなく、人の気配など 気にもとめず、みすゞの詩をちょっと小さめの声で よみあげました。

  上の雪 さむかろな。
  つめたい月がさしていて。
  下の雪 重かろな。
  何百人ものせていて。
  中の雪 さみしかろな。
  空も地べたもみえないで。

じぃっとぼくの拙い朗読に聞き入る孫息子を、これほどいとおしく思うことはありませんでした。
孫のかわいくない爺さんはいないでしょうが、「積もった雪」を小さな心なりに理解していてくれることが、たまらなくうれしいのです。


明代の思想家・李卓吾の書簡に、こんな言葉が残っています。
「しかし、それは孔子の言葉にすぎぬ。あなた自身の言葉ではない。」
この言葉自身も、ぼくの言葉でないんですから、なおのこと グサリときます。

でも 金子みすゞの詩は、それを読むもの自身の言葉なのではないでしょうか。
うまく言えない自分の心を、みすゞの詩は やさしいことばで表現してくれている。
借りものでなく、それは紛れもなく自分自身の言葉なのです。


いま、日本だけでなく 世界中の人々が、金子みすゞの詩のようなやさしさをもっていると感じます。
いまわしいはずの東日本大震災が、こんな人間の美しさを教えてくれるのは、神の計らいでしょうか。

みすゞを好きな人 大好きです。
きっと みんな、みすゞを好きだろうから、みんな大好きです。


(追記)
女優・田中好子さんの 死の淵からのメッセージ、心が大きく動きました。
なんと強い人なんだろう。
そして、なんてやさしい人なんだろう。
被災地への 大きな大きなはげましになるでしょう。

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「没後の門人」余録

2011-04-21 18:46:14 | Weblog

わたしは、親鸞を知りたかった。


『歎異鈔を聴く会』で 金子大栄先生の講義記録「歎異鈔は仏教の人生観である」という書物を知り、真剣に読んだ記憶がある。
親鸞聖人700回大遠忌の頃である。

その後も、‘親鸞’という字に触れる機会ごとに、理解したいという一念で 自分なりに考えた。
どだい 理解しようなどと考えること自体、ど厚かましかったのである。

なかなか「歎異鈔」の真意が判らず、親鸞という聖人も、いつしか ただ遠くからあこがれるような、そんな疎い存在になっていった。


親鸞聖人750回大遠忌に当たることし、司馬遼太郎の「勇気あることば」という 短いエッセイに出会えた。
毎日新聞1967年5月14日朝刊 日曜特集版に載った、親鸞に関する記事である。
たった原稿用紙3枚ほどの、いや たった原稿用紙3枚ほどの短さだからこそ、グサッときた。

目から鱗が落ちる、とは このことか。
司馬遼太郎に 一喝していただいたような、まことにさわやかな心境である。

親鸞の晩年、京にいるころ、かって教化した関東の門人たちが念仏してはたして往生できるかと、根本義に疑念を感じてたずねてきたところから エッセイははじまるのだが・・・
御託を並べるより、全文を紹介したい衝動にかられる。
でも それは、してはいけないこと。

身震いするようなくだりだけ、許してもらおう。

・・・宗教は理解ではない。信ずるという手きびしい傾斜からはじまらねばならない。
(中略)しかも親鸞はいう。この上はおのおの、念仏を信じようとも捨てようとも、おのおのの一存にされよ---信とはそういうものであろう。
さらに親鸞はいう。
「親鸞は弟子一人(いちにん)ももたずさふらふ」
信仰はおのれの一念の問題であり、弟子など持てようはずがない。教団も興さず、寺ももたぬ。なぜならば弥陀の本願にすがり奉って念仏申すこと、ひとえに親鸞ひとりが救われたいがためである。
右のようなことばの根源である親鸞の勇気は、かれがかれ自身を「しょせん地獄必定の極悪人」と見、自分を否定し、否定に否定をかさねてついに否定の底にへたりこんだ不動心のなかから噴き出てきたものであろう。・・・


親鸞聖人が だいぶ近くになった。
「没後の門人」の、極めつけの恩恵である。

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それでも、日本人は「原発」を選ぶのか

2011-04-19 16:28:42 | Weblog
加藤陽子東大文学部教授がお書きになった『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社刊)という本は、襟の正しい日本近代史解説書だと、ぼくは思いました。
なによりも まず、わかりやすい。
そして たぶん、嘘を言っていない。
わたしはこう思う ではなく、莫大な資料に基づいて こう判断するのが妥当だ、という文体です。
文に、歴史事実に対する真摯な態度を感じるのです。
歴史認識には、この態度がいちばん大切だと思います。

65年たった今も、先の「戦争」に対する歴史認識に 同じ日本人で大きな隔たりがあるのは事実です。
でも この65年間、日本が無難に‘戦後処理’を進めてこられたことは、戦後の日本のリーダーたちの先見の明と 日本国民の努力のたまものと思います。
ただ ひとつ、大きな間違った選択をした。
それは、原子力の平和利用に対する過信、原発です。


いま東北で起こっている事態は、あらゆる人知を尽くして 早急に食い止めねばなりません。
そして現に、多くの関係者が 献身的な働きをされています。
ほんとうに頭が下がります。
彼らの責任感の崇高さを、誇りに思います。
それでも なかなか解決に向かわない。
人工放射性同位元素の核分裂反応をコントロールするむずかしさと、コントロール不能時のおそろしさです。
全くコントロールできなくなれば、原子爆弾と同じです。

まず、いまの恐ろしい状況から抜け出ることが先決であることは、言うまでもありません。
幸いにして危機的状況を脱したとして そのあとも、これから ぼくたちは「原発」にどう立ち向かうのか、という 大きな大きな問題を抱えるのです。
この国を二分するくらいの、大きな論争となるでしょう。
それでも この問題は、避けることはできない。
いや 今こそ、この問題を徹底的に議論しなければならない。

まだ過去の歴史になっていない現実である「原発」に、歴史的検証でどうのこうの言うのは、いまは不適切です。
しかし、二つの原子爆弾を浴び 核分裂エネルギーの凄まじさを体験した日本が、どうして 原子爆弾と同じ核分裂エネルギーの‘平和利用’には鈍感でいられたのか、ここのところは 正しく歴史認識しなくてはならない。
そうでないと、これからをどうするか、が見えてこない。


ぼくは、原発に反対です。
そのわけを、お話します。
「正しい歴史認識」は、ぼくには語る資格がありません。
加藤陽子教授のような、緻密な歴史資料分析能力がないからです。
原発反対の理由は、もっぱら‘技術者のはしくれ’からの発想です。

まずもって、人工放射性同位元素の核分裂反応をコントロールするむずかしさと、コントロール不能時のおそろしさです。
先日 テレビの討論番組で、どこかの評論家が こんな発言をしていました。
・・・この原発事故で 人類の科学的進歩が足踏みしてはならない。飛行機の墜落事故で 飛行機に乗ってはならないことにはならないでしょう・・・
原発事故と飛行機墜落事故とを同列に考えるこの評論家のアホさ加減に、呆れてしまいました。
核分裂のことを少しでも勉強していれば、こんな発言は 恥ずかしくてできないはずです。

この地球は、磁場と大気のおかげで、高放射能を持った宇宙線から守られている。
もし これら遮るものがなければ、この地球上に人間は生きてゆけない。
想像できます、宇宙服を着た 一握りの人間だけが、廃墟の街をさまよう姿が。
高放射能とは、そういうものです。

原発に反対する、もう一つの大きな理由があります。
それは、核分裂をコントロールする場所、原子炉(パイル)の問題です。
これは、‘ものづくり’の問題です。

例えが唐突ですが、東大寺大仏殿と原子炉を比べてみてください。
どちらも きっと、すごい設計者たちが考えだしたのでしょう。
しかし、ものを作るという観点からは、両者に雲泥の差があります。

東大寺大仏殿は、その建設に携わるすべての人たちが、たとえ ものづくりの専門家ではなくても、大仏殿をつくることに喜びと誇りを感じていたはずです。
真心のこもったものづくりには、ヒューマンエラーという 避けがたいトラブルの忍び込む度合いが少ない。
ところが 原子炉は、その建設に もちろん手抜きはないでしょうが、建設に携わった人たちみんなが 喜びと誇りを感じていたかどうか。
原発に多少なりとも疑いをもっていたとするなら、大仏殿を作るような真摯な心で 仕事ができていたとは思えません。
そこには、ヒューマンエラーという不可避な要素が、皆無とはいえない。
ましてや、お金で動いた仕事には、設計者が及びもつかないミスが潜んでいるものです。
このことを、ものづくり屋のはしくれであるぼくは、痛いほど実感として持っています。

絶対に洩れてはならない器、原子炉に、あってはならないヒューマンエラーの可能性がゼロとは言い切れない。
ここが、問題なのです。

蛇足ながら、もしぼくが原子炉の設計者ならば、絶対に洩れてはならない器なんか 絶対に設計できない。
根本の設計基本条件の対象そのものが、人知の計り知れない‘想定外’の自然相手なのです。
そんな恐ろしい設計など、ぼくにはできません。


これが、ぼくが原発に反対する理由です。

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没後の門人

2011-04-13 00:26:08 | Weblog
没後の門人。
この言葉を、鶴見俊輔著の『かくれ佛教』で知った。


鶴見俊輔氏は 自分を、6歳下の故・河合隼雄氏の「没後の門人」だと言う。
彼には、年齢なんて関係ない。
彼は、次々に河合隼雄氏の著作を読む。
読んでいるうちに 自分が仏教のただ中にいるような気がする、と言うのだ。

例えば と、こう述べている。
・・・例えば、河合隼雄はこういうことをいうんだよ。
日本ではわりあいに離婚率が少なくて、老夫婦が共にいる。
しかもいまは寿命が長くなってきた。
このつながりというのは、仏教ではないですか。
私はそこに、河合隼雄の切り開いた仏教のとらえ方があると思った。・・・

この記述に至って ぼくは、小津安二郎監督作品の映画『東京物語』を思った。
熱海の海岸だったろうか、笠智衆と東山千栄子が並んで腰かけて、海を眺めているシーンだ。
鶴見俊輔氏が河合隼雄氏の書物からくみ取ったもの、それは あの年老いた夫婦の後ろ姿に滲み出ているものに違いない。

河合隼雄も、鶴見俊輔も、なんて素敵なんだろう。


没後の門人、これに似たような思いを、先日尋ねた「司馬遼太郎記念館」で味わった。

自分が 司馬遼太郎の没後の門人などと、そんな不遜なことが言えるわけない。
でも 不遜でも、そうなりたいと心から思う。
司馬遼太郎記念館を訪ねて、この思いが いっそう強まった。

尋ねた時期が ちょうど菜の花の季節で、記念館が菜の花で埋め尽くされていた。
司馬遼太郎が大好きだった花だ。
安藤忠雄の設計に成るこの記念館も素敵だし、それを守する人たち、たぶん みんなこの東大阪近辺のボランティアだろう。
この人たちの応対が、とても素敵なのだ。
きっと みんな、司馬遼太郎が大好きな人たちばかりなんだろう。

展示室に広がる吹き抜けの部屋の壁という壁に、ぎっしりと並んだ司馬遼太郎の蔵書。
彼の著わす一字一句は、これら膨大な書物から抽出されたんだなぁ。
すごい、ほんとうに、すごい。

フロアの一隅に、司馬遼太郎の作品が一堂に並べられている。
これらの1パーセントもまだ読んでいない。
これからだ。
ドキドキする。
地下鉄の中でも、待ち合わせの合間でも、公園のベンチに腰掛けながらでも、これからの人生、いくらでも読めそうだ。
けれど きっと、司馬遼太郎の本を読み尽くすことはできないだろう。
だから、希望がある。
楽しみがある。

没後の門人の、ひそかな楽しみである。


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若い僧侶の声明に救われた

2011-04-06 06:54:02 | Weblog
久しぶりに、松並壯君から 電話が掛かってきた。
相変わらず、張りのある声だ。
少し元気をもらった。
当社のホームページに寄宿しているぼくのブログが このところ空き家なので、ちょっと心配して 掛けてきてくれたのだろう。

何もできないくせに 被災地の心情に勝手に同調して、無力感にさいなまれる日々が続く。
文字にすれば、安っぽい慰めの言葉の羅列になってしまう。
西日本にも じわじわと押し寄せる‘不都合な’事態に忙殺されているせいにして、ブログからも 遠ざかっていた。


けさの新聞に、がれきの山に降り続く雪の中の岩手県山田町で 素足にゴム草履姿の若い僧侶が お経を唱える映像が載っていた。
あぁ やっと現れてくれた、そんな独りよがりな思いで、雪やがれきに同化したような若い僧の合掌姿を、しばらく見入っていた。

多数の土葬棺が浅い土の中に並んべられた傍らには、市の厚生課の疲れ切った表情の職員が たったひとり付き添っているだけ。
お経のひとつでもあげてあげられるお坊さんが、どうして立ち会っていないのだろう。
そんなニュースの映像を見て、事情もわからないくせに、勝手な腹立たしさに駆られていた。

この若い僧侶は、盛岡市にある禅寺の28歳のお坊さん。
宮古市に入って野営しながら南下し、被災地を彼なりに鎮魂したいとのことである。
倒壊した家屋の前で深々と一礼し、小雪が舞うがれきを縫うようにして、声明しながら去って行った。


般若心経すら諳んじることのできないぼくだが、気持ちだけは この若い僧侶に寄り添っている。
被災地を鎮魂して歩くこの若い僧侶が、何もできない自分に代わってやってくれている、厚かましくもそう思えてならない。

「がれきの残る所には、人の思いが詰まっています。被災者や復興に関わる人たち、そして多くの人を連れ去ったであろう海にも 畏怖の念を込めて合掌したい」
彼の言葉に、のほほんと生活できている自分を恥じながらも、なにか救われる思いがした。

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