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つれづれ

思いつくままに

一枚の写真

2013-08-14 15:37:17 | Weblog
終戦記念日のいまごろになると、決まって脳裏に浮かぶ、一枚の写真があります。



この写真を撮ったのは、米従軍カメラマンのジョー・オダネル氏です。
6年前の、原爆長崎投下日 8月9日に、85歳の生涯を閉じました。
彼も、原爆症患者でした。

5年前の夏、NHKスペシャル「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI」が、放映されました。
そこに わたしは、ひとりのアメリカ人の良心を、深く感じました。
思わず、身が震えました。
そして、あの写真『焼場に立つ少年』を知ったのです。

http://www.dailymotion.com/video/xzghxa_yyyyyyy-yyyyyyyyyynagasaki_news#.UYKKBxyILXp

ダラダラと記すのは、止します。
上の動画をご覧いただければ、いいことですから。

オダネル氏の言葉から、『焼場に立つ少年』にまつわる箇所だけ、紹介させてください。
先日、立命館大学国際平和ミュージアムで催された、第33回「平和のための京都の戦争展」で出会ったポスター<NO MORE HIBAKUSHA!>に添えられていた、textです。

[ 焼き場の少年 ]
1945年9月---佐世保から長崎に入った私は
小高い丘から下を眺めていました。
10歳ぐらいの歩いて来る少年が目に止まりました。
おんぶ紐をたすき掛けにし
背中に幼子をしょっています。
この焼き場にやってきた強い意思が感じられました。
しかも、少年は裸足でした。焼き場のふちに
5分から10分ほど立っていたでしょうか。
おもむろに白いマスクをした男たちが少年に近づき、
ゆっくりとおんぶ紐を解き始めました。この時、
私は背中の幼子が死んでいるのに気がつきました。
幼い肉体が火に溶け、ジューッと音がしました。
まばゆい炎が舞い上がり、直立不動の少年の
あどけない頬を夕陽のように照らしました。
炎を食い入るように見つめる少年の唇には
血がにじんでいました。
あまりにもきつく唇を噛みしめているので、
唇の血は流れず下唇を赤く染めていました。
炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、
沈黙のまま焼き場を去っていきました。
背筋が凍るような光景でした。



迷彩服を着て ニコニコ顔で戦車に乗っていた、あなた。
あなたは、『焼場に立つ少年』の写真を、知っていますか。
あなたは なぜ、平和を叫ばないのですか。
なぜ、この世から原爆をなくそうと、努力しないのですか。

戦争を知らない、あなた。
この一枚の写真『焼場に立つ少年』を、心に血がにじむまで、あなたの胸に刻み込んでほしいのです。
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終戦のエンペラー

2013-08-03 23:12:23 | Weblog
『終戦のエンペラー』
これは、ハリウッド映画です。
アメリカ人の視点で、終戦直後の日本の歴史が再現された作品です。

でも、実に公平だ。
アメリカ寄りとか、日本びいきとか、一切気にならないのです。
史実として正しいかどうか、そんなことは とりあえずは問題ではありません。
ほんとうのところは闇に包まれていても、描かれている心情は、実に公平なのです。

1945年、日本が死に、そして生まれ変わった瞬間を、見逃してはなりません。
映画の力です。
ぜひ、映画『終戦のエンペラー』をご覧になることを、お薦めします。


歴史に「もしも・・・」という言葉は、ナンセンスです。
でも あえて「もしも、終戦が1週間遅れたら・・・」と。
もし、終戦が1週間遅れていたら・・・

1945年8月20日に投下予定だった原子爆弾三発目は、京都梅小路国鉄車庫の転車台がその標的だったことは、周知の事実です。
京都は 広島や長崎と同じ運命だった・・・、身の毛がよだちます。

戦争をやらかすのは、いともたやすい。
しかし、戦争を終わらせるのは、どれほど困難なことか。
映画『終戦のエンペラー』を観て、戦争がいかに悲惨でおろかなものか、落ち着いた気分で、そう実感できました。

反戦思想とか、自衛隊の軍隊化とか、そういう次元の問題ではないでしょう、と。
落ち着いた気分で、「不戦」の願いが、平和の尊さが、心底から湧いてきました。


『終戦のエンペラー』、いい映画です。
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