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つれづれ

思いつくままに

サイレント・プア

2014-05-23 11:19:44 | Weblog
火曜22時、NHKドラマ10『サイレント・プア』を、欠かさず みている。
このところ NHKらしからぬドラマが続いていたが、シリアスな問題を真正面から向き合う社会派ドラマに、久々にめぐり合えた。
事件モノをひねくり回す民放ドラマにも 飽きがきているところだったので、余計 新鮮だ。

作者は、2年前に同じドラマ10で放映された『シングルマザーズ』を脚本した 相良敦子さん。
民間団体・社会福祉協議会に在職するソーシャルコミュニティワーカー(SCW)を題材にしたもので、具体的には 大阪府豊中市のSCWをモデルにしているという。
地域社会における人間関係が薄れてきた いまの世の中で、切実な問題である サイレント・プア「見えない貧しさ」を、ひとりのSCWの心を通して綴る、全9話の物語。
現在、第7話まできた。

その‘ひとりのSCW’里見涼を、深田恭子が演じている。
このドラマの深キョンは、いい。
見直しました。
セリフの少ない演技は、深キョンに向いているのかも。
それに、超美人です。

里見涼を憧れの先輩とする同僚の三輪まなか役に、映画『最後の忠臣蔵』で清純な役柄を見せてくれた、桜庭ななみが演じている。
この役者さんも、まことに美しい女性だ。
深田恭子と桜庭ななみを見るだけでも、このドラマは値打ちがある、と個人的な感想です。


ところで、役所アレルギーというものが、つい最近まで わたしにはあった。
社会福祉協議会や民生委員は 役所の職員ではないが、いっしょくたに考えるという無知のせいで、これらの民間福祉団体も疎遠なものに、わたしには思われた。
この 無知に基づく偏見は、最近、市役所職員や民生委員の方々の日ごろの行動を、家内を通して見聞きするうちに、尊敬の念に変わってきた。
いま 家内は、民生委員の主任児童委員をしている。

京都市、特に中京区は、民間の福祉関係団体が献身的に活動されている。
そして役所も、民間の福祉団体と協力して、手厚い福祉活動をおこなっていることも、知った。
以前の自分の無知が、恥ずかしいくらいである。

わたしの住む地域にも、いままでは想像もしなかったサイレント・プアが存在することを知って、愕然とする。
経済的貧しさではなく、孤独や孤立といった、精神的貧しさなのだ。
この状況は まさしく、マザーテレサの「この世界は食べ物に対する飢餓よりも、愛や感謝に対する飢餓の方が大きいのです」という言葉そのものである。
高齢化は、この状況に拍車をかけている。


第7話で、三輪まなかが担当する一人暮らしの老人が 孤独死してしまう。
救いの手を差し伸べられなかったことを悩む まなかは、自分の無力さにとことん向き合った末、尊敬する先輩の里見涼に こう誓う。
「ひとり、ひとり、届かなくても、届かなくても、心を届けていきます」

人には、戦争をしでかすような恐ろしい心が住んでいる一方で、苦しんでいる他者を助けようと手を差し伸べる心も宿っている。
それは、だれにもある、と信じたい。
手を差し伸べるということは、とても勇気の要ることだ。
まず 家族に、そして 自分が住む地域の人々に、その勇気を向けなければ、と思う。

この国を良くしよう などと、大それたことは とてもじゃぁない。
せめて 自分たちが住む地域社会を、もっと暮らしやすい、もっと心豊かな町にしたい。
ほとんど実行に移していないわたしだが、気持ちだけは そう思っている。


深田恭子演じる里見涼自身も、心にサイレント・プアを抱えている。
それを、セリフなき演技で 深田恭子は見事に見せてくれている。
里見涼だけじゃぁない。
やがて誰もが、サイレント・プアにならないとも限らないのである。
もちろん、このわたしも。

ドラマ10『サイレント・プア』は、現代の貧困を考えさせられる、そして 再生の力を垣間見させてくれる、いい番組です。
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ニーグリップ

2014-05-20 17:32:57 | Weblog

緊張してコチコチの じいさんライダー、それを心配そうに追走する ばあさんドライバー。
エストレヤに跨っているわたしと、ポロで追いかける家内、のつもりで描きました。
笑止千万な、へたくそなイラストです。

早朝の古都を、東に 北に 西に 南に(南はまだ伏見稲荷だけ)と、走り回っています。
タンデムに誘っても、怖がって だれも立候補しません。
家内も 娘も、絶対にイヤ、だそうです。
アルバイトやとったら、と娘の発案。
30分 まぁ2万円なら、あるかもよ、と。
そこまでして、乗ってもらおうとは・・・

ひとつ、気づいたことがあります。
バイクになじみのかたには、当たり前のことなのでしょうが・・・
ニーグリップをしっかりしたら 肩の力がスーッと抜けて、自称、いい格好のライディング姿勢になります。
気功太極拳でいう、まさしく‘上虚下実’。
気功太極拳教室でしゃべる いいネタができました。

婿と、ちょっとした秘密を作りました。
婿はゴルフで アベレージスコア100を切る、わたしはバイクで 2万キロを無事故で走る。
どちらが早く達成するか、賭け事です。
ささやかな賭け事です。

当面の目標は、ばあさんの伴走なしで 国道を走ること。
そして、高速道路を走れるようになること。
しっかりとニーグリップをして・・・
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マロニエの花の咲く頃

2014-05-17 11:57:30 | Weblog
広島平和記念公園から元安橋を渡って すぐのところ、いっぱいのオレンジの実で囲まれた しゃれたカフェにいる。
カフェポンテというお店。
おかしな言い方だが、幸いにも、ここからは原爆ドームは見えない。
すぐそばの元安川桟橋から いま、宮島行きの直行航路便が出るところだ。

風が強い。
5月の午前の、さわやかな風である。
こんもりと広やかな葉の茂る木に、ピンクの花房が 幾筋も青空に向かって伸びている。
あれ、なんちゅう花やろ?
マロニエかなぁ。
マロニエって、白い花やなかったかなぁ。
たわいない、家内との会話である。

広島には、仕事で何度か訪れている。
しかし、原爆ドームも 平和記念資料館も、初めてである。
沖縄へ遊びに行く ということに対する怯みとよく似た感情が、広島平和記念公園訪問に対しても 長い間あった。

さっき平和記念資料館で求めた小冊子『あるいてみよう広島のまち』を、カフェポンテのパラソル席で読む。
この目で 原爆ドームを見て、この足で 爆心地を歩いて、そして 平和学習のしおり『あるいてみよう広島のまち』をじっくり読んで、はっきりと気づいた。
平和であるということが どんなに幸せなことであるか、平和を口にすることが どんなに大切なことか。
平和を願う心を どんと気持ちの真ん中におけば、何を迷うことがあろう。

抑止力、それは平和を願う心に そぐうことか?
集団的自衛権、それは平和を願う心に そぐうことか?
ときの首相が 靖国神社を参拝すること、それは平和を願う心に そぐうことか?
平和を願う心に誓って、これだけは はっきり言える。
核兵器は、絶対悪である。

あの たわやかなピンクの花は、マロニエに違いない。
広島の、爆心地近くで、マロニエの花を見たことに、70年近く生かされてきたわたしは、 原爆投下の年に生まれたわたしは、湧きあがるような幸福を感じる。
この幸福を、子にも、孫にも、ずっとずっと味わってもらいたい。
この日本に、この地球上に、あのような過ちが、絶対にあってはならない。

慰霊碑のまんなかの石棺に刻まれた この言葉を、絶対に絶対に、忘れてはならない。

   安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから

(マロニエの花の咲く頃 カフェポンテで思う)
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空に星があるように

2014-05-14 10:50:04 | Weblog

京大北門前に、進々堂という喫茶店がある。
昭和5年創業というだけあって、店構えから 机やカウンターなどの つくりもんも、年季が入っている。
分厚くて広いテーブルは、人間国宝・黒田辰秋氏の作という。
そんな貴重なものとは知らずに、コーヒーをこぼしたり 消しゴムの汚れをこすりつけたり・・・
半世紀前の思い出になってしまった。

教養部時代、ここを根城に 読書会がたびたび催された。
文学論から 政治や宗教にいたるまで、青臭い言葉が行き交っていた。
ノンポリだったわたしは、そういう鼻息についてゆけず、早々と脱落してしまった。
故友の鈴村繁樹君も、わたしと似たような雰囲気だったに違いない。

鈴村君とわたしの根城は、荒神橋を渡って河原町通りに出る荒神口の 北東角の喫茶店・シアンクレールだった。
たいてい 2階に居座っていた。
1階はクラシックが主流で、2階はジャズ、たまにポピュラーも流れていた。

シアンクレールは、『二十歳の原点』の著者・高野悦子さんも よく通ったようである。
彼女は立命館の学生だったから、当時の広小路学舎から歩いて すぐ。
東一条から かなり離れたこの位置を 僕たちがどうして根城としたのか、たぶん、コピー屋さんの場所と関係していたのだと思う。
当時 A2版以上のコピーは、大学生協ではとれなかった。
荒神口を少し下った東側に、A0版までコピーできる店があった。
図面用の長細い丸筒を シアンクレールに置き忘れたことがあったから、ときどき荒神口まで来る用があったのだろう。

マイルス・デイヴィスやルイ・アームストロングの曲があふれる合間に、なぜか 荒木一郎の『空に星があるように』が流れた。
わたしより先に 鈴村君が、「これ、いいねぇ」と言った。
先を越されて わたしは、「そうかなぁ」とかなんとか、あまりピッタンコ的なことは 言わなかったように記憶している。
『空に星があるように』を繰り返し聴くようになるのは、それから30年以上経ってからであった。

淡路島に 仕事で通いつめた時期があった。
線香を作るラインの仕事であった。
ブルーバードのワゴン車に乗って、須磨~岩屋間をフェリーで なんど往復したことか。
須磨のフェリー乗り場で、岩屋のフェリー乗り場で、何時間も何時間も乗船待ち。
その時間つぶしに聴いていたのが、岩崎宏美の『聖母たちのララバイ』、そして 荒木一郎の『空に星があるように』であった。


実は 先日、鈴村君のお墓におまいりした。
鈴村君の奥さま・千穂子さんからいただいた ことしの年賀状に、彼の墓を松山から移したとあった。
いつか 彼の墓におまいりしたい、そう思っていたのだが、広島を訪ねる決心ができた。
千穂子さんに無理をお願いして、鈴村君の墓参りを果たせたのである。

広島を訪ねるに先立って、千穂子さんから送っていただいた書物がある。
鈴村君の随筆が載っている『ひろしまの風』(ポプラ社刊)と、彼も所属していた‘ひろしま随筆’の最終号である。
彼の随筆「新しい時間」から、自分のことは あまり語らなかった彼の、ほんとは誰にでもある 悩ましい軋轢を垣間見た。

‘ひろしま随筆’の最終号に、千穂子さんが「ストーリーの傍らで」という‘三枚随筆’を寄稿されていた。
その中で、彼女の好きな曲を 4曲あげている。
その4曲の中に、『空に星があるように』が入っているのを知って、ちょっと驚いた。
当然かな、とも思った。
しかし、彼女にお目にかかったとき シアンクレールでの鈴村君の発言をお話ししたのだが、まったくご存知ではなかったようである。


   空に星が あるように
   浜辺に砂が あるように
   ボクの心に たった一つの
   小さな夢が ありました

   風が東に 吹くように
   川が流れて 行くように
   時の流れに たった一つの
   小さな夢は 消えました

   淋しく 淋しく 星を見つめ
   ひとりで ひとりで 涙にぬれる
   何もかも すべては
   終ってしまったけれど
   何もかも まわりは
   消えてしまったけれど

   春に小雨が 降るように
   秋に枯葉が 散るように
   それは誰にも あるような
   ただの季節の かわりめの頃

あの時、この曲の何が 鈴村君の心に響いたのか、いまなら 理解できる気がする。
須磨のフェリー乗り場で、岩屋のフェリー乗り場で、何度も何度も聴いたという時代を経て、初めて深く理解できることなのだろう。
三枚随筆に 千穂子さんも書いてられるように、それは誰にも あるような ただの季節の かわりめの頃、であったのだと思う。


鈴村君の墓は、長男・倫太郎君が通っていた高校のグランドを見下ろせる、とても見晴らしのいい高台にあった。
「あのグランドで、倫太郎はサッカーに明け暮れていました」、同行していただいた鈴村君の義弟・茂樹さんが、そう教えてくれた。
倫太郎君は、きっとこの茂樹おじさんにも かわいがられていたのだろう、茂樹さんのお話の端々から そう感じられた。
鈴村君は、こんなにすてきなところに眠っているんだ。
千穂子さんに案内していただいた鈴村君の墓に、家内と共にお参りできたことが、心底うれしかった。

広島での涼やかな半日は、心安らかな 至福の時間であった。

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