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つれづれ

思いつくままに

サンゴの産卵

2010-04-27 08:33:59 | Weblog
同志社大学寒梅館。
寒梅館がまだ学生会館だったころ、70年安保闘争が頂点に達し、日大の‘闘士’秋田明大氏がここへ乗り込んできました。
興味半分 闘争心半分で、危険を冒して ここへ、彼の演説を聴きにきたのです。
同じ研究室の山路宏君が 頭に大けがを負ったのも、この時でした。
40年も前のことです。
いまから思えば、5年前の猛烈に暑い日、郵政解散総選挙の遊説で 京都市役所前に来た小泉純一郎氏の演説を聴いていた あの感覚と、五十歩百歩だったと、苦々しく思い返しています。

この寒梅館で先日、公開講演があり、聴講に出かけました。
しゃれた中庭をコの字形に囲んで、ガラス張りの休憩室や個室があり、華やいだ若い学生たちの声が 中庭まで聞こえてきます。
「自己批判」文字でデカデカと書きなぐられた看板が散乱していた40年前を、誰が想像できましょう。

講演演目は、「幸福の京都モデルを求めて」でした。
この演目自体には さほど興味はなかったのですが、その副題「技術は人を幸せにするのか?」に惹かれての聴講でした。
基調講演は、京都大学副学長の西村周三氏と 島津製作所会長の服部重彦氏。
両氏とも、深い洞察力をお持ちで、立派な講演内容でした。
ただ 残念ながら、ぼくが期待していた答えが得られる内容ではありませんでした。
両講師とも その視点が、“人間の幸福度”とか“技術の正当性”に偏重しているように感じられたからです。
講演の内容に、人間のエゴが匂ったからかも知れません。
ただ ぼく自身、何を期待して聴講したのか、明瞭ではなかった。
だから わざわざ、その「なにか」を求めて、聴講に出かけたのだと思います。

「技術は人を幸せにするのか?」
その答え というか、方向性みたいなものを、全く漠然とだけれど、映画『てぃだかんかん』に感じました。

この映画は、「きれいなサンゴの海を、愛する妻や子供たちに見せてあげたい」、ただそれだけの願いから、世界初の養殖サンゴの移植・産卵という奇跡を成し遂げた、実在の男の物語です。
主人公の金城健司役の お笑いタレント・岡村隆史が、輝いてみえました。

ぼくは、スクリーンを通して、金城健司や妻の由莉(松雪泰子)や彼らの子供たちや沖縄の人達や沖縄の自然を通して、サンゴの産卵に 身震いするほど感動しました。
美しかった。
こんな光景を潰してはならない、心からそう思いました。
われわれの子供たちや孫たちに、この光景は絶対残してあげたい。
ぼくも、ほんとうにそう思いました。

なにも難しいことじゃぁない。
技術は、ぼくたちが 子や孫に残してあげたいものを、大切にするための手段、そのために役立つことだけを考えればいいのだ。
原爆のきのこ雲を、誰が子や孫に残したいと思いますか。
工場廃液で厭なにおいのするどす黒い川を、誰が子や孫に残したいと思いますか。
技術の使命に対する答えは 唯一つ、人間の正常な感性で 美しいと感じるものを、子や孫に残してあげることなのです。

真っ青な海に 淡いピンク色のサンゴの卵がいっぱい漂う場面を見ながら、ぼくは すっきりした思いで そう考えていました。

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ながめを何にたとふべき

2010-04-16 14:18:02 | Weblog

京阪電車の深草・墨染(すみぞめ)駅からすぐのところに、墨染寺(ぼくせんじ)という 小さなお寺があります。
その境内に、3本のソメイヨシノの大木に寄り添われて、接ぎ木に接ぎ木を重ねた三代目の 小さな薄墨桜が植わっていると聞きました。
どんな色で咲いているのだろう、興味がわいて、先日 家内と墨染寺をたずねました。


金剛能に、「墨染桜」という演目があります。

平安京のはじめ、仁明天皇が崩御されたのを悼んで、廷臣の上野峯雄(かんつけのみねお)は出家し、天皇の陵の地、深草の里を訪れます。
そこには、天皇が寵愛された桜が咲き誇っていました。
「深草の 野辺の桜し 心あらば この春ばかり 墨染に咲け」
上野峯雄が こう詠じますと、どこからともなく女人が現れます。
そして、「この春ばかり」のところを「この春よりは」に改めてほしいと願い、桜の木陰に消えました。
翌年の春、花見に訪れた里人は、一夜にして墨染に変わる桜に驚き、読経します。
その読経に引かれ、老木の中から尼僧姿で現れた墨染桜の霊は、先帝の崩御を悲しみつつも、桜の徳を説き、草木の身ながら仏縁を得て、法体になりえた悦びを語って、報恩の舞を舞います。
舞い終わった尼僧は、はなびらが散るように 消えてゆきました。

京阪墨染駅の脇を、疎水がゆったりと流れています。
その川面いっぱいに、桜のはなびらが浮かんでいます。
まるで ピンクの敷物がゆっくり下っていくような 錯覚にとらわれながら、じっと疎水をみているうちに、「春のうららの隅田川・・・ながめを何にたとふべき」と すらすら口を突いて出ました。
すると、疎水に浮かぶ この捉えどころのない花びらが、すーっと胸に収まって、あたかも自分のものになったようでした。

中学校に、小林レイ先生という 音楽の女の先生がおられました。
家内は音楽部でたいへんお世話になったようですが、放送部に入っていたぼくは、その顧問を兼任されていた小林先生に 逆らっていました。
洋画かぶれしていたぼくは、放課後の校内放送に 映画音楽を流そうと企てたのですが、顧問の小林先生の許可がおりません。
先生は 音楽の授業で、滝廉太郎の「花」や「箱根八里」の歌詞を暗記するよう 指導されたのですが、ぼくは拒みました。
なまいきな生徒でした。
「花」と「箱根八里」の歌詞暗記を、放課後の映画音楽放送許可の交換条件に出したのです。

中学二年の三学期、5時限目の授業終了後から下校時刻まで、ぼくらの中学校に映画音楽が流れました。
そして ぼくは、「花」と「箱根八里」を、生涯の名曲とすることができたのです。


桜は、悲しい花です。
でも その悲しさの質は、それをみる人の加齢とともに変わります。
その潔さに触れて、そわそわした悲しさだったものが 、安らかな悲しさに変わります。

幼い枝に咲く墨染の桜にも、法体になり得た桜の霊を感じ取ることができ、疎水の水面を覆う花びらにも、名曲「花」を通して どんな写真も及ばない春のイメージを 心に焼きつけることができる、そんな加齢を重ねたい。
墨染駅で京阪電車を待ちながら、安寧な気持ちで そう思いました。

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メンデルスゾーン

2010-04-11 17:45:10 | Weblog
胸をキューっと締め付けられるような旋律ではじまる、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64 第一楽章。
宗次徳二氏も、この悲しい旋律がきっかけで クラシックを愛するようになったと知り、彼に無条件に親しみを覚えた。

カレーの店CoCo壱番屋創業者・宗次徳二(むねつぐとくじ)氏の、講演を聴く機会があった。
宗次徳二氏、1948年生まれ。
わたしより 3つ年下である。
生後まもなく、孤児院に預けられる。
3歳のとき、宗次姓の養父母に 養子として引き取られる。
養父のギャンブル狂が原因で 各地を転々とし、最終的に落ち着いた先の名古屋で 高校を卒業する。
喫茶店から始めた事業は、カレーの店フランチャイズシステムを軌道に乗せ、みるみるうちに東証一部上場。
54歳で早々と株式会社壱番屋の会長職を辞し、音楽家やスポーツ選手を支援するNPOイエロー・エンジェルを立ち上げ、また クラシック専用ホールを建設して その代表に就く。

この尋常でない経歴から想像される人物像から、宗次氏は程遠い。
物腰の柔らかい上品な容貌。
ただものでないことは 表情の端々にうかがえるのだが、同じ価値観を持つ 仲間のごとき気安さを感じさせてくれる。

宗次氏が高校に入ってまもなく 養父が他界し、生き別れていた養母と一緒に暮らすようになってから、彼の生活は やっと心安らぐひとときを持てるようになる。
そのころ バイトで貯めた金で求めた中古のテープレコーダに 初めて録音したのが、これも中古で買ったテレビから流れる旋律、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲だった。

このとき、メンデルスゾーンの悲しい調べが、彼のはらわたに浸みわたったことは、想像に難しくはない。

人との出会いと同様、音楽との出会いもまた、運命的である。
わたしも あのとき、あの映画をみなかったら、生涯 クラシックに興味を持たなかったかもしれない。

夢遊病者のようだったころ わたしは、気分転換になることを期待して、映画を片っぱしからみていた。
小さいころから映画好きだったからだが、むさぼるようにみた あの頃の映画を、ほとんど覚えていない。

戦時中のポーランドかどこかが、舞台だったような気がする。
ひょろっとした色白の青年が、秘密文書を仲間に届ける場面だった。
託された文書を目的の人物に手渡すべく、とある鉄道駅に降り立った青年は、ごった返す人の群れの中から、その人物を ある方法で探し出す。

その人物は、古びたヴァイオリンで、メンデルスゾーンの あの旋律を弾いている。
あらかじめ聴かされて覚えていた その旋律から、その人物が 間違いなく目的の人だと確信する。
その人物の名も また、メンデルスゾーンといった。
ユダヤ系の名であるから、多分あの映画は、ナチスドイツに追われたユダヤ人の地下組織を描いたものだったに違いない。
だが、ストーリーも 役者の名も 監督も 題名すら、覚えていない。
ただ あの悲しげな旋律だけが、耳の奥底にこびりついて 残っている。

あの旋律が、メンデルスゾーン作曲・ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64第一楽章の出だしだということは、ずっとのちになって知った。

ヴァイオリンのこの旋律をきくと、時間が止まったようなあの頃の 無為な自分が、よみがえってくる。
そして 同時に、メンデルスゾーンという名の響きに、不思議な懐かしさを覚えるのだ。

夜中に目が覚めて眠れないまま、音量を小さくして いま、繰り返し繰り返し 第一楽章を聴いている。
悲しいけれど、穏やかな気持ちで。

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一枚の新聞全面広告写真から

2010-04-10 12:07:38 | Weblog
「120年間、おつかれさまでした。そして、ありがとうございました。」
3月31日付けの新聞に載った、TOSHIBAの見開き全面広告のキャッチコピーです。

白熱電球の製造ライン群を前に、作業服姿の11人の従業員が、深々とこうべを垂れています。
その後ろ姿からは、広告用ポーズかも知れませんが、感謝の念が伝わってきます。
創業事業である白熱電球製造に対する 誇り高い強き思いが、彼らの背に にじみ出ているように感じられます。
いい写真です。

東芝は3月17日、家庭向けの電球として長く親しまれてきた一般白熱電球の製造を、中止しました。
創業者のひとり、藤岡市助氏が日本で初めて製造して以来、120年の歴史に幕を下ろしました。
同時に、裸電球の街灯に親しんできた世代にとって、一つの時代の象徴の終焉を意味します。

寒い夜中、下駄をはいてトイレに行く道しるべが、便所の軒先に灯る裸電球でした。
丹前をかぶって向かった坐り机に灯っていたのも、だいだい色の光を放つ 白熱電球でした。
あの輝きには、LEDの光では味わえない、あったかさがありました。

省エネの時代にあって、白熱電球が消えてゆくのは 致し方ありませんが、人の心まで しらじらしいLEDの光のように なってほしくありません。

TOSHIBAの見開き全面広告の11人の従業員と同じように、ぼくも 白熱電球に心から「おつかれさまでした。そして、ありがとうございました。」と言いたいです。

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霧笛

2010-04-08 10:31:02 | Weblog

また ひとつ、遠い音が消えました。

明治の昔から 霧笛を鳴らし続けた 海上保安庁の霧信号所が、3月末で廃止されたというニュースを、先日の朝日新聞「天声人語」欄で知りました。
霧笛は、灯台と並ぶ 海の安全案内人でした。
同時に、海を心に刻む 象徴でした。
その役目を終えて消えるのですから 致し方ないのですが、さびしい思いです。

街中に住んでいると、久しく遠い音を聞いていません。
子供のころ、夜中に目が覚めると、山陰線を走る機関車の汽笛が、物悲しく聞こえてきたものです。
いまは、寝静まって耳を澄ましても、遠い汽笛はもう 聞くことはできません。
いろんな遠い音をなくしましたが、遠い汽笛は、失くした大切な音のひとつです。

機音(はたおと)も、過去のいとおしい音になってしまいました。
あの音には、幼い記憶が詰まっています。

霧笛は、旅の宿で聞いた経験しか持ちませんが、海辺に暮らす人たちにとっては、ぼくが汽笛や機音に持つ感情以上に、身近かな いとおしい音だったに違いありません。

むせび泣くという言葉がぴったりの、霧笛。
また ひとつ、遠い いとおしい音が消えました。

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リハビリテーション病院

2010-04-06 15:45:02 | Weblog
五十肩をちゃんと直したくて、リハビリテーション病院に通っています。

暖かくなれば ほっといても治るよ と助言してくれる友人の言葉に 半分望みをかけて、もう半分は、やっぱり ちゃんとした治療をしたい気持ちで、週3日の通院が はや3ヵ月になりました。
ちょっとずつ良くはなっていますが、すかっとは いきません。
五十肩というのは、体の老朽化の黄信号みたいなものなのでしょうね。

リハビリは初めてなのですが、ぼくなんか 療養士さんに申し訳ないくらい 軽い症状の患者です。
ここでは、普通に生活している分には 当たり前のことが、とても高い目標なんです。
歩くこと、座ったり立ったりすること、寝起きすること、床に落ちたものを拾うこと・・・
何気なく振舞っていたことが すごいことなんだと、療養士さんたちと患者さんたちとの‘格闘’を、見ない振りして見ながら、痛感します。

リハビリテーション病院で、もうひとつ、ずしんときたことがあります。
当たり前のことなんですが、ぼくには 新鮮な驚きでした。
これまで、病気や怪我は、お医者さんが直してくれるものと 思っていました。
病気や怪我は、自分が直すものなんだと、鮮明に意識できたのです。
バカみたいですが、ぼくには 大きな‘悟り’です。

お医者さんに診てもらうとき、お医者さんと話するのは、せいぜい 5分くらいでしょう。
でも、療養士さんは、毎回20分以上かけて 看てくれるので、自然に親しく話ができます。
いま通っている病院では、ずーっと同じ療養士さんが看てくれるので、気心が通えるのです。
ここの療養士さんたちは、みんな若い。
そして、親切です。
三分の一くらいが、男性の療養士さん。
療養士さんたちは、いやな顔ひとつせず 患者さんたちの話に付き合ってくれています。
リハビリそのものが もちろん第一ですが、患者さんたちは、こういう他愛ない会話に ささやかなよろこびを見つけているに違いありません。

桜が散りだしましたね、と、担当の療養士さんに話しかけます。
どこかお花見にいかれましたか、と、療養士さん・・・
20分が、あっという間に過ぎていきます。

完全にもとには戻らないでしょうが、自分の体なんだから、最善を尽くすのは 当たり前です。
それが、いっしょうけんめい看てくれている療養士さんに対する 最高の礼儀にもなる、いま そんな気持ちです。

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トイレの神様

2010-04-02 12:36:57 | Weblog
おぞましいニュースが多い昨今、あぁ世も末かと思わざるを得ないのは、幼児虐待の事件です。
母が自分の子を殺す、なんとかならなかったのか、だれか気をつけてやれなかったのか、子も母親も あわれ過ぎます。
大家族なら、きっとおばあちゃんが 間に立ってくれたでしょうに。

いま、「トイレの神様」という曲が注目されています。
歌っているのは、植村花菜さん。
家内の知人のお嬢さんです。

「トイレをピカピカにすると、トイレの女神がべっぴんにしてくれる」と教えてくれた おばあちゃんとの日々を、関西弁まるだしで 素直に謳いあげています。
五目並べをしたり、二人で鴨なんばを食べに出かけたり・・・
そんなおばあちゃんっ子の彼女は、少し大人になって、おばあちゃんとぶつかります。

  どうしてだろう?
  人は人を傷付け、大切なものをなくしてく・・・
  
久しぶりに会ったおばあちゃんは、痩せて小さくなって、病院のベッドに横たわっていました。
そして、次の朝、おばあちゃんは・・・

  ちゃんと育ててくれたのに
  恩返しもしてないのに
  いい孫じゃなかったのに
  こんな私を
  待っててくれたんやね・・・

このフレーズにくると、涙腺が緩みっぱなしになるんです。

ぼくも、おばあちゃん子でした。
悪さをして、お仕置きで納屋に放り込まれて、薄暗くなって心細くなるころ、そぉっと かんぬきをあけてくれるのは、きまっておばあちゃんでした。

お母さんは、子育てに明け暮れて、そりゃぁ かっとなることだってあります。
叱り役と、なだめ役と、やんちゃな子には、両方要るんです。
お父さんもいいですが、やっぱり なだめ役は、おばあちゃんが適任です。
近すぎる親との軋轢に苦しむ子には、おばあちゃんのやさしさが、心のオアシスなんです。
母親も、一番親身になって 話し相手になってくれるのが、おばあちゃんなんです。

では、おじいちゃんは どうなんだろう?
おいしいご飯も作れないし、幼稚園のスモックも縫ってやれないし・・・
やっぱり、おじいちゃんより おばあちゃんですね。

世のおばあちゃんたち、うざいと言われようが かまいばあさんになってください。
お願いします。
きっと いつか、花菜さんのように感謝をこめて 懐かしんでくれますから・・・

「トイレの神様」を聴きながら、涙もろくなった自分に ちょっとびっくりして、遠い遠い祖母の記憶を 追い求めて、植村花菜さんのおばあちゃんのように 慕われる老人になれたらいいなぁと・・・
倒木更新を、自分でもびっくりするほど 真剣に思っています。

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