ラーメンブームといわれて 久しい。
が、いまだ廃れる兆候はない。
仕事柄を抜きにしても、わたしも ラーメンには目がない。
あそこのラーメン 旨いで、の ひと言で、すぐにでも行ってみたくなる。
たいていの場合、行って がっかりすることが多い。
ラーメンの好みほど 百人百様はない、と諦める。
それでも めげず、自分の好みを満たしてくれる店を 恋しがっている。
正直言うと、たぶん いま評判のラーメン店は わたしを満足させないだろう との予感が いつもある。
実を言うと、わたしの欲しいのは、‘中華そば’なのだ。
支那そば、と言ったほうが 正確かもしれない。
昔、チャルメラを鳴らして引いていた屋台で食べた あの味なのだ。
ちゃんとした中華料理店で出す中華そばも、嫌いではない。
中華料理風の出汁は、懲りすぎの今風ラーメンだしより ずっといい。
だが、わたしの欲するのは、中華料理店風の中華そばでもないのだ。
たまに、いわゆる 麺類店で、ぴったりの中華そばに 当たることがある。
そんなとき、大げさだが 涙がでるくらい 嬉しい。
厨房を覗き込んで、店の主に わざわざ「旨かったでーぇ」と 声をかけたこともある。
ちょっと、専門家づらして もの言うと、これは 一にも二にも 出汁のとり方である。
かといって、どうしたらあの味がでる 出汁のとり方ができるのか、そこまでの懲りはない。
ただ、あの味に会いたいだけ。
ところが、あの味よ もういちど、と 件の麺類店を再訪すると、がっくり来ることが ほとんど。
あの味は まぐれか といいたくなるのだが、実のところ たぶん まぐれなのだ。
隠さずに言うと、昔 味しめた‘中華そば’のほんとうのところは、それほど 旨いものでなかったのではないか ということも、うすうす感づいている。
だって、あの時代 食は旨いよりも量だったのだから・・・
そして、いまの時代だって 旨いまずいは、そのときのこちらの体調によるところが きわめて大きいことも 悟っている。
あの店のラーメンは 噂ほどでもない、あのうどん屋が出す中華そばは 格別や、・・・
そんな 無責任な‘批評家’でいられることが 一番 いい状態であることを、本人が一番よく知っているのである。
が、いまだ廃れる兆候はない。
仕事柄を抜きにしても、わたしも ラーメンには目がない。
あそこのラーメン 旨いで、の ひと言で、すぐにでも行ってみたくなる。
たいていの場合、行って がっかりすることが多い。
ラーメンの好みほど 百人百様はない、と諦める。
それでも めげず、自分の好みを満たしてくれる店を 恋しがっている。
正直言うと、たぶん いま評判のラーメン店は わたしを満足させないだろう との予感が いつもある。
実を言うと、わたしの欲しいのは、‘中華そば’なのだ。
支那そば、と言ったほうが 正確かもしれない。
昔、チャルメラを鳴らして引いていた屋台で食べた あの味なのだ。
ちゃんとした中華料理店で出す中華そばも、嫌いではない。
中華料理風の出汁は、懲りすぎの今風ラーメンだしより ずっといい。
だが、わたしの欲するのは、中華料理店風の中華そばでもないのだ。
たまに、いわゆる 麺類店で、ぴったりの中華そばに 当たることがある。
そんなとき、大げさだが 涙がでるくらい 嬉しい。
厨房を覗き込んで、店の主に わざわざ「旨かったでーぇ」と 声をかけたこともある。
ちょっと、専門家づらして もの言うと、これは 一にも二にも 出汁のとり方である。
かといって、どうしたらあの味がでる 出汁のとり方ができるのか、そこまでの懲りはない。
ただ、あの味に会いたいだけ。
ところが、あの味よ もういちど、と 件の麺類店を再訪すると、がっくり来ることが ほとんど。
あの味は まぐれか といいたくなるのだが、実のところ たぶん まぐれなのだ。
隠さずに言うと、昔 味しめた‘中華そば’のほんとうのところは、それほど 旨いものでなかったのではないか ということも、うすうす感づいている。
だって、あの時代 食は旨いよりも量だったのだから・・・
そして、いまの時代だって 旨いまずいは、そのときのこちらの体調によるところが きわめて大きいことも 悟っている。
あの店のラーメンは 噂ほどでもない、あのうどん屋が出す中華そばは 格別や、・・・
そんな 無責任な‘批評家’でいられることが 一番 いい状態であることを、本人が一番よく知っているのである。






