goo blog サービス終了のお知らせ 

つれづれ

思いつくままに

骸骨ビルの庭

2016-09-08 18:35:42 | 
一気読み という言葉があるのかどうか、あっても良さそうな気がする。
その「一気読み」の ワクワクする感覚、早く先が読みたいという ページをめくる手が浮き立つ昂揚を、久しぶりに味わった。
宮本輝著『骸骨ビルの庭』、上下二巻。


戦争孤児という、いまは忘れ去られたような言葉がある。
戦災孤児とも言うが、これは 第二次世界大戦の本土空襲で両親と死別した子どもを指すことが多い。
あの大戦のせいで孤児となった子どもたちは、原爆や空襲だけが 原因ではない。
中国残留孤児も、戦争による貧困で親に棄てられた捨て子(棄迷児)も、母親はいても 進駐軍あいての売春あるいは米兵の強姦で生まれた父無し子(混血児)も、戦争孤児なのだ。

わたしは、昭和20年5月に生まれた。
幸いにして、ほんとに幸いに、戦争孤児ではない。
だが、心の片隅に つねに、ひとつ間違えば 中国残留孤児だった、という思いがある。


小説『骸骨ビルの庭』は、大阪の十三(じゅうそう)淀川沿いに 空爆から奇跡的に残った「骸骨ビル」を塒にした戦争孤児たちを、彼らの昔語りを通して描いている。
聞き役は、骸骨ビルから彼らを立ち退かせるために、土地仲介業者から送り込まれた〈わたし〉八木沢。
孤児たちを育てた パパちゃん(阿部轍正)と茂木のおじちゃんの生きザマが、〈わたし〉を揺り動かす。
パパちゃんと茂木のおじちゃんと 骸骨ビルで育った浮浪児たちとの心の通い、「雄弁で彩りに満ちた沈黙」に、〈わたし〉は圧倒される。

もちろんフィクションで、ドキュメンタリーではない。
しかし、巻末で読後感を解説した芥川賞作家・中村文則氏が述べている つぎの文に、大きく頷くのである。

戦後というものを、現在三十四歳の僕は直接知らない。
日本の敗戦後の混乱、そこで生きた人々がいなければ、当然のことながら現在の日本はない。
その時代を知ろうと思い色々なものに触れた時、
自分が最も動かされたのは歴史書よりも残された映像よりも、小説だった。
確かな作家の力によって再現され、言葉によって身体を与えられたものだった。
その失われたものを浮かび上がらせていく想いは、本当に美しい。


著者の宮本輝は昭和22年生まれだから、戦後のドサクサに漂う 逃げたくなるような臭いを、出身地の神戸で嗅いでいるかも知れない。
だとしても、これほどの筆致で あの行き場のない雰囲気を描ける筆者に、妬けるような憧れを覚える。
こんな小説があったことに、何かほっとする。

幼い記憶というものは、反芻して反芻して そのうちに確固たる事実であったように思えてくるものだ。
幼心に焼き付いた光景、京都駅周辺に屯する浮浪児たちの体から発する えずくような臭い、近所のガキ仲間の中にいた混血児の イジメられる時に見せる恐ろしい目、これら はっきりしないモヤモヤ。

おこがましいのもいいとこ なのだが、このモヤモヤを なんらかの形で残すのが、自分の義務みたいに思い込んでいた。
それを、宮本輝のフィクション力が「あれほどに雄弁で彩りに満ちた沈黙」に昇華してくれた。
自分の「役割」というものを ちゃんと果たすこと、「役割」を担うという覚悟を持つこと、それさえ弁えていれば 、私にだって「享年八十五」という茂木のおじちゃんの堂々たる人生を全うできるかも、と。


この小説の題名が『骸骨ビル』ではなく 『骸骨ビルの庭』であることも、戦争孤児という深刻な題材を ある種の救いに導いている。
「骸骨ビル」が痩せこけた孤児たちの象徴なら、「庭」は生きていくための食べ物を産む 温もりある知恵を意味しているのかも知れない。

〈わたし〉八木沢は、大手電気メーカーを早期退職して 60歳からの自分の人生を模索中の〈モラトリアム人間〉だと、中村文則氏は指摘する。
同時に、八木沢の目で骸骨ビルの住人たちを眺めるという〈小説〉を読むこと自体、立ち止まって体験することであり、考えることであり、長い人生の中での貴重な〈モラトリアム的行為〉だと、指摘する。

確かに「一気読み」した この二日間は、私にとって 極めて貴重な〈モラトリアム時間〉であった。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡山から、美人画 二点。

2016-09-02 10:19:06 | 

原田直次郎という画家がいます。
森鴎外著『うたかたの記』の主人公モデル というほうが、通りがいいかもしれません。
1863年生まれ、日本近代洋画の礎を築いた先駆者のひとり。
36歳の若さで夭逝した、鴎外の親友でした。

わたしが 原田直次郎を意識し出したのは、中学3年の美術史副読本「美術・日本編」(京都美大美術教育研究会編 秀学社刊)に 小さく載っていた『靴屋のおやじ』という作品です。
正直言うと、小さくて白黒の画像なんか 記憶にとどまっていません、ただ 作者の名前が わたしの父の名前と一字違いで よく似ていた、そういう たわいもない理由からでした。

青年期のわたしは、レンブラントに傾倒していました。
レンブラントの描く自画像から、油絵という自己表現手段に 限りない興味を覚えました。
その流れの先にたどり着いた日本の西洋画が、『靴屋のおやじ』だったのです。
日本にも レンブラントに勝るとも劣らない西洋画家がいたんだ 、誇らしい うれしい発見でした。
しかし 原田直次郎の作品は 画集などで見るだけで、実物を見る機会は 長い間ありませんでした。


岡山市を訪ねる機会が、最近 いく度かできました。
100年ぶりの『原田直次郎展』が、岡山県立美術館で開かれていました。
全国4ヶ所の美術館を巡回展示していた、その岡山での たまたまの出会いでした。

ゆったりした会場に掲げられた『靴屋のおやじ』の前で、時間を忘れていました。
それに加えて もう一点、その前から離れられなくなったのが、『騎龍観音』です。

『騎龍観音』は 縦272cm 横181cmの大作、独特の卍字紋がちりばめられた金縁額装を含めると 縦3m 横2mは優にある作品です。
画面には、右奥から左手前に向かって 深緑色の巨龍が横たわり、そのもたげた首元に 白衣の観音が騎って スックと立っています。
その観音の聖なる美しさ、まるで生きている女神のようです。

原田直次郎と同い年の岡倉天心がベタ誉めした 狩野芳崖の『悲母観音』が、西洋の遠近空間表現を取り入れた和洋折衷であるのに対し、原田直次郎の『騎龍観音』は、東洋的な画題である観音を西洋の油彩で あくまで正統な遠近空間表現にて描かれた仏画です。
世渡り上手な役人肌の評論家・岡倉天心に対する、職人気質の画家・原田直次郎の対抗心が窺い知れます。

そんなミーハーな世俗背景はさておき、この『騎龍観音』には 原田直次郎の公私にわたる〈祈り〉が込められている、といいます。

〈公の祈り〉とは、絵の片隅に「皇紀二五五〇年」と銘記した意図にあります。
龍に騎る開花した観音は 明治国家の守護神であり、青龍は 東方を守護する、つまり 近代日本国家の出立を女神に祈る、という意味を込めたという解釈です。

〈私の祈り〉とは、ままならぬ世に生きる人々の悲しみをわが身に引き受け 人々とともに悲しむ観音こそが、理想的に生きる女性 永遠に生きる女性である、という思い。
早くに亡くした実母を憧憬する直次郎の、これが ほんとうの祈りなのかも知れません。

『騎龍観音』、心に残る美人画が、また一枚 増えました。


岡山後楽園の北側に、夢二郷土美術館があります。
岡山市を訪ねた機会に、竹久夢二の作品を改めて実感したい と思いました。
想像していたよりもずっと小振りな かわいい美術館、夢二にふさわしい美術館です。

実を言うと、夢二の絵が放つ退廃的な匂いを、ある時期から ちょっと避けたくなっていました。
そんなとき、長野の小さな児童書美術館に立ち寄る機会があり、そこで夢二の絵本を見つけたのです。
その絵本には、子どもに向かう夢二の優しさが、溢れていました。
いつか もう一度、夢二の絵に ちゃんと向き合いたい、そんな思いでいました。

『立田姫』という竹久夢二の作品と、夢二郷土美術館で出会えました。

富士山を背景にして、緩やかなS字の曲線が帯の結び目で交叉し、長い袂と大きく長く引いた裾の 真っ赤な衣を纏った立田姫。
不自然に後ろを向いた首長の姫は、〈夢二式美人〉のどんぐり目とは異なり、切れ長の眠るような細目です。
夢二自身、自分一生涯に於ける総くくりの女、ミス・ニッポン、と言わせた 美人です。

やっぱり、夢二の絵はいい。
古くて新しい、無性に懐かしい、日本画なのに日本画っぽくない、日本が好きと叫びたくなる…
夢二が創り出す叙情の世界は、見るものの身に ピッタリと寄り添います。
夢二の絵は、西洋画とか日本画とか そんな棲み分けは、どうでもよい世界です。

22歳まで過ごした ふるさと、岡山県東南部の 邑久(おく)郡本庄村(現在 瀬戸内市邑久町本庄)で身に染み付いた感性が、夢二の絵に、魂 の根幹に触れるような懐かしさを感じさせるのでしょう。

「日本画に就いての概念」という、ドイツ バウハウスでの 竹久夢二の講義テキストが、残されています。
ちゃんとした師について学んだことのない夢二が、自分の感性で紡ぎ出した理屈です。

西洋画に於ては、光の中に物を見る。物を表現するために、まず面を求める。
面を描くためには必然に陰影を作る。陰影を描くことによって、塊と奥行が生まれる。
光の中に見らるる物の存在状態を描くことにより、画面は完成されたと言はれる。
(中略)
日本画に於ては、心の中に物を見る。
物を表現するに、物の発生状態を辿ることを始めるゆえに経過は面とならずして、線として現れる。
この線が動的・求心的・時間的なるがため、内的生活の端的表現に適する所以である。
線は塊の完全なる象徴となることにより、内的衝動を明かに表現し、ここに画面が生まれる。

この「理屈」を 抵抗なく受け容れるだけの魅力が、『立田姫』にはあります。
『立田姫』、岡山で出会えた、もうひとつの美人画です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする