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つれづれ

思いつくままに

国会中継から

2009-01-30 08:48:31 | Weblog
1月30日付け朝日新聞朝刊の社説「代表質問 民主党の顔はどうした」に、もの申したい。
社説の趣旨は、年頭の通常国会代表質問という大切な場に、なぜ民主党の党首である小沢代表が質問に立たなかったのか、という非難である。

わたしは、いままで国会中継なるものを真剣にみたことがなかった。
予め示し合わせた質疑応答の、空疎な儀礼的行事にすぎないと、考えてきたからだ。
はなから、あの場で 真摯な討論が行われることは、期待していない。
しかし 今回は、中継の最初から最後まで じっくり「観戦」した。
あえて「観戦」という言葉を使ったのは、テレビという最強のメディアを通して 全国放映される国会中継は、国民が いまの国会議員の一挙手一投足のふるまいを監視できる、唯一の機会、言い方は悪いが、いわば「見世物」だからである。

1月29日の国会代表質問は、間違いなく 民主党の勝ちである。
まず、質問者の役者が違う。
次に、ひな壇に並ぶ大臣たちの 自信のなさ。
そして、野党的野次に成り下がった一般議員席の与党議員たち。

鳩山由紀夫民主党幹事長の代表質問は、的を得た どうどうたるものであったと、わたしは評価する。
民主党二番手の田中真紀子氏の代表質問には、大多数の「観衆」が 喝采を送ったのではあるまいか。
問題は、自民党代表質問者の細田博之幹事長である。
こんな言葉を使いたくないが、あれは「アホ丸出し」の醜態だ。
細田氏は、いまは 内閣の人間ではない。
あの場での彼の役割は、三権分立に基づく国会議員としての 内閣政府に対する代表質問であるはずだ。
まるで 自分が総理大臣であるかのごとき、また このときこそ宿敵民主党に日頃の鬱憤を晴らす場とのごとき、品位も知性も感じられない、なさけないとしか言いようがない「代表質問」であった。
自民党議員で 森元総理と一ニを争う国民的不人気議員を 質問者に立てた 自民党は、最初から勝負を投げ出していたのでは、と思いたくなる。
失礼な言い方だが、あんな人格的欠陥人間を自民党幹事長に任命した 麻生総理の気が知れない。
いや、細田博之という議員を国会に送り出したのは われわれ国民なのだから、一番反省すべきなのは 有権者のわたしたちなのかもしれない。

朝日新聞社説は、あの場で どうして民主党の「顔」である小沢代表が出てこないのか、という論点だが、どうせ碌な論戦になることなど考えられない「代表質問」に 民主党として最も効果的な「顔」を立てた ということは、わたしは間違っていなかったと思う。
小沢一郎という男は、わたくし的にはあまり好感を持っていないが、今回の彼の作戦は図星であったと 評価してあげてもいいのではないか。
あのタイミングの社説なら むしろ、国会の品位を汚した 細田自民党幹事長の言動を非難すべきだった。

朝日新聞は左寄りとの非難を、よく耳にする。
もし この社説が、この非難をかわす一種のカモフラージュならば、朝日新聞らしからぬ作為である。
そうでないことを願うと同時に、社説こそ 新聞の「顔」であることを、改めて認識していただきたい。
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Dr.コトーがいた!

2009-01-29 16:57:49 | Weblog

これまで 端くれでも技術屋を自認してきた自分が こんなことを言うと、いままでの矜持はいったい何だったや ということになるのですが、技術の進歩、もっと広く 科学の進歩は、もうこの辺で十分なのではないか、最近とみに そう思うようになりました。
医学の分野でも 同じことが言えるのではないか、少なくとも老人医療では、そんな気がします。

以前 テレビの或るドキュメンタリー番組をみて おぼろげに覚えているのですが、寒村の地域医療に携わるお医者さんが こう言っていました(言い方は違ったかも知れません)。
「地域のほとんどのお年寄りは、地元の生まれ育った家で死にたいと思っています。ただ、いざというとき 近くに親しい医者がいて欲しい。それは 患者さんもだが、患者さんのご家族が安心して世話ができる状態でいたいからです。彼らは、そんなに高度な医療を望んでなんかいません。親身になってくれる医者が そばにいて欲しいだけなんです。少なくとも 地域医療では、いまの医学技術で十分です。」

先日、NHKの人気テレビ番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」をみました。
茂木健一郎がパーソナリティーを務める、ほんもののプロ人間のドキュメンタリーです。
その番組は、地域医療一筋の熱血医師、中村伸一さん、45歳のはなしでした。
いまの日本に こんな熱血漢がいるのかと、みていて 心底ジンときました。
まさに、現代の赤ひげ、現実のDr.コトーです。

「その車が通ると、町の人たちは そっと手を合わせる」
これは、そのドキュメンタリーの出だしのナレーションですが、最初 なにごとかと思いました。
新興宗教の教祖を乗せた車なのか、ふっと そんな勘違いも湧くほどでした。
福井県おおい町名田庄地区、人口3000人の寒村、その3割が 65歳以上の高齢者です。
車は 往診車で、乗っているのは 名田庄診療所の所長、中村伸一医師。
地区のお年寄りの顔が次々と映し出されて、にこやかに話す 彼らの言葉が続きます。
「先生 ありがたいな」
「先生好き 私ね 先生大好き」
「いつも拝んどるんや いつもね」
この番組のサブタイトルは、『“いい人生やった”その一言のために・・・』です。
中村医師の、この寒村に自分の一生をささげる 支えとなるタイトルなのでしょう。

この番組をみていて わたしは、「医療の原点」みたいなものが 判ってきた気がします。
そして、“ほんもののお医者さん”の凄さ、大変さ、神聖さが、よく理解できました。
命を背負うことの責任感、患者の心と真剣に向き合うことのむずかしさと大切さ。
中村医師の言葉として 流れるテロップ、
「“神の手”だけが、名医じゃない」
「病でなく、人を診る」
「その人らしい人生を支える」
これらは、命を背負う重圧と日々向き合う 真摯な医者でしか発し得ない、尊い言葉です。

気持ちを明るくすることから 治療は始まる、と考えている中村医師は、冗談を飛ばしては、患者を笑わせます。
中村先生の診療室は、いつも なごやか。
腰の持病を持った患者さんには、
「顔も頭も性格もいいから、腰ぐらい悪くてもしょうがないナ」
脚を患って通院してくるおばあさんとの会話のひとこま、
「顔も性格もいいんだから、足も良くして」
「先生、それ言うてくれるとうれしい」
そして 中村医師のカルテには、病状だけでなく、生活状況や性格、趣味までも書き込んであります。

中村先生は、患者たちと 人と人として繋がっているのです。
そこに、医療の原点をみました。
「その車が通ると、町の人たちは そっと手を合わせる」
それは、ほんものの医療が根付いた地域の、ごく自然な情景だったのです。

Dr.コトーが、ほんとにいた、そう 昂奮しながら思いました。

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立木観音

2009-01-28 14:05:59 | Weblog

毎年 節分までに、大津南郷の立木観音にお参りしています。
ことしは、年始早々体調を崩したり 仕事の都合もあったりで、今日やっと 家内と参詣してきました。

瀬田川の渓谷から吹き上がる 早い午前の風は冷たく、それでも 右側を下山する参詣人が あとからあとから「おのぼりやす」と声をかけてくれます。
つい このあいだ登ったという感覚の石段を、手摺に縋りながら 一段一段。
去年と同じ台詞「急に脚が弱ってきたなぁ」と、おんなじように手摺に縋りながら すぐあとから登ってくる家内に話しかけている自分を、自分でおかしさ半分、なさけなさ半分。

立木観音は、だれもが知る 厄除け観音さまです。

諸国行脚修行中の弘法大師は、42歳のとき この地を訪れました。
瀬田川のほとりにさしかかると、この山に 光を放つ霊木が見えます。
奇異に思っていると 白い雄鹿が現れ、大師を背に乗せて 瀬田川を飛び渡りました。
立木山麓の渓谷を「ししとび」と呼ぶのは、それに由来しています。
大師を乗せた雄鹿は、霊木の前に大師を導き 観世音に変げして失せた、と伝えられています。
「わが42歳の大厄をお救い給いし、ありがたき奇瑞かな。おもえば人の世には、なにびとも まぬがれがたき厄難あり。中でも男42歳、女33歳は 危難の年なり。どうか 自分の災厄のみならず、未来永劫の人々の厄難厄病を救いたまえ」
そう 心願を込めて、根のある立木のままの霊木に 大師の背丈にあわせて 聖観音の尊像を刻まれた、というのです。

なんども参詣してきましたが、本堂で手を合せ ロウソクや線香を上げ 家族全員分のご祈祷祈願はしても、観音像のお姿を拝んだことはありません。
そういうと、そのことは いままで 気になりませんでした。
長く急な石段を登りきることで、お参りできました ありがとうございました、それで十分な気分になるからです。
弘法大師と等身大の、生木に彫られた聖観音像。
それが実在するか、そんなことを考えたこともありませんでした。
立木観音は、信仰心の薄いわたしにとっても、信仰の地なのです。

      こころドロドロ人間、立木山石段を登る
      重い脚、ふらつく頭、険しい目
      ゆき交う詣でびとの、あったかい声、すがすがしい顔
      一段一段、この脚この頭この目が、バカくさい
      ゆるしたまえ、ゆるしたまえ
      一段一段、悔恨の泥が落ちていくみたい、だが
      それは、甘い
      ただただ、登りきったら、静かなこころになりたいです
      それだけで、十分です
      ことしも、ふたりで、詣でることができました
      それだけで、十分です


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総理!総理!麻生総理!

2009-01-26 22:34:51 | Weblog
総理!総理!麻生総理!
こんな題をつけることすら、いまは空しいです。

25日に、国立京都国際会議場で 日本青年会議所の恒例新年式典「京都会議」が開かれた。
第27代会頭であり、日本青年会議所の大親分である麻生首相も列席した。
今年度の会頭は、沖縄選出の安里繁信氏である。
彼は、強いものだけが生き残るという アングロサクソン的な行き過ぎたグローバリズムを嘆き、沖縄からのメッセージでもある「地方の活性」を強く推し進めようとする 青年経済人だと、理解している。
その彼が、麻生首相も列席する式典のあいさつで、「今の政治は思想と哲学が伝わってこない」、と指摘したという。
拍手喝采したい。
彼の脳裏には、アメリカのオバマ新大統領就任演説の感動があって、今の日本の政治の体たらくさを際立たせていたのでは、と勝手に推測している。

麻生総理!
どの新聞でもいい、投書欄をいちど読んでみてほしい。
総理宛てのメールに、目を通したことがあるのだろうか。
年金で細々と暮らしている夕張市のおばあさんに、定額給付金をどう思いますかと尋ねたら、「わたしはまだ屋根の下で寝られます。それよりか 寒空で野宿している人たちを助けてあげてほしい」と答えている報道番組を、ビデオにとって送ってあげたい。

麻生総理!
何を迷っているのですか?
ブレるのは男の恥だとでも、思っているのですか?
定額給付金よりも もっと有効な施策があるはずだと、国民の半数以上が思っている。
これは、間違いない事実です。
総理になるほどの人物であれば、それに気付かないはずはない。
ブレてもいいじゃないですか。
間違いを素直に正す方が、ずっとずっと男らしい。

筑紫哲也が生きていたら、麻生総理にどのようなインタビューをしただろうか。
たぶん、いまの麻生氏の耳には、筑紫さんの尊い言葉すら 素通りしてしまうことだろう。
こうなったら、恐山の巫女さんに 吉田茂をこの世に呼び戻してもらって、喝を入れさせるしか 手はないようだ。
「おい、太郎!耳の垢をきれいに掃除して、民の声を よーく聴きなさい。」

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心のともしび

2009-01-17 14:37:36 | Weblog
「暗いと不平を言うよりも すすんであかりをつけましょう」

受験勉強でボロボロになりかけていた 50年近く前、早朝のラジオから流れたこの言葉を、乱れがちな生活リズムを少しでも整える 一つの道具みたいにして、聞いていました。
「心のともしび」運動のジェームス・ハヤット神父が、この言葉に続いて 短いお話をされる という、カトリック布教活動の一環です。
イントロの音楽も、普段着のような懐かしさを覚えます。

15日の新聞で、ハヤット神父の訃報を知りました。
わたしは、クリスチャンではありません。
でも、ハヤット神父のお話は、聞き流していたにもかかわらず、多感な時期の揺れる心に 一筋の光を与えてもらった、いま振り返って そう思います。
青春の大切な部分をなくしたような悲しさを、おぼえます。

わたしの存じ上げる 日本のカトリック信者は どの方々も、人間として ほんとうに尊敬できる人ばかりです。
そして、どの方も お強い。
よくはわかりませんが、すべての行動 すべてのなりわいを 或る厳然としたお方に照らして生きてられる、だから ブレがない。
わたしには、とても、真似にも、できません。

ただ、ハヤット神父のお話を 子守唄のように、懐かしむことはできます。
「暗いと不平を言うよりも すすんであかりをつけましょう」
それで十分です。

ハヤット神父に、心から 合掌もうしあげます。
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村井雅清さんのこと

2009-01-16 09:31:02 | Weblog

明日で、あれから14年になる。
阪神淡路大震災。

けさの朝日新聞で知ったことだが、11、12日、西宮市の関西学院大学で「災害復興制度研究所フォーラム」が開かれた。
大規模災害が世界各地で頻発する中、国家や民族の壁を越え、どのように国際支援に取り組んだらいいのか、熱くディスカッションされた、と報じている。
姜尚中氏が特別講演をし、シンポでは、海外支援の現場で活動するNGOスタッフや研究者らが 体験や意見を述べあった、とある。
このフォーラムのプレセッションをつとめたのは、村井雅清さん、58歳。
村井さんの顔写真と略歴と、プレセッションのやり取りのエッセンスが、紹介されていた。
ぐっと 懐かしさがこみ上げてきた。


あの大震災からまもなく、神戸市兵庫区にある須佐野公園に、「ちびくろ救援ぐるうぷ」という ボランティアグループができた。
須佐野公園の横にある「ちびくろ保育園」の園長先生たちが、須佐野公園に寄り集まった 行き場を失った人たちを、見るに見かねて自発的に立ち上げたグループだと、ずっとあとになって聞いた覚えがある。
村井雅清さんは、当初 このグループの立ち上げに参加され、保育園へ全国から続々と届く支援物資と駆けつけるボランティアの人たちの調整役をされていたそうだが、わたしが JRと阪急電車を乗り継ぎ乗り継ぎして須佐野公園にたどり着いたときには、彼は 仮設住宅支援連絡会の代表として、神戸のあちこちの被災地区を駆け回っていた。

わたしが「ちびくろ救援ぐるうぷ」のリーダーから指示された仕事は、地元の関学や遠くは青森の弘前大学から来たボランティア女子学生さんたちとペアーを組んで、他の数組のペア一とともに ひとり暮らし老人リストを見ながら区域ごとに順番にお年寄りを訪問し、足湯をしてあげることであった。
お年寄りの安否を尋ねる、という役割もあったと思う。
わたしは、仕事の都合もあって 毎週土日しか手伝うことができなかったが、ペアの相手は 必ず若い女子学生さんで、それは お年寄りを怯えさせない配慮だった。
このとき わたしが身にしみて学んだのは、ひとり暮らしのお年寄りたちが望むのは、足湯という行為もうれしいが 親身になって自分の話しに耳を傾けてくれる相手の存在だ、ということだった。
あんなにごった返す被災地に出向く若者、それも女性は 本質的に聞き上手な人たちばかりで、ペアを組んだ学生さんは みな、お年寄りたちの心を ほんとに柔らかくとらえていたように思う。
わたしは 運転手するのが精一杯だったが、それでも つとめてお年寄りに話しかけるようにして、5回目の訪問のとき 足湯をしてあげているお年寄りが わたしの頭の上で やっと聞き取れるような声で「アリガト」と言ってくれたのが、うまく表現できないんだけれど、ぎゅーっと目頭が熱くなるように うれしかった。

村井さんは、ときどき須佐野公園内に設けられた「ちびくろ救援ぐるうぷ」の詰め所に立ち寄って、リーダーたちと 支援の状況や今後のやり方なんかを 相談しているようだった。
あれは、暑い陽射しを頭のてっぺんにジーンと感じていたから、初夏のころだったと思う。
村井さんが、男手が十数人必要と 召集をかけた。
アルジェリアから援助として届いた軍用テントを、山手のほうの学校(場所はうっすらとしか覚えていない)の運動場に張る作業の手伝いだった。
村井さんが運転する 8人乗りのボックスカーに、男(ほとんどが学生さんだった)が11人乗って、現地へ向かった。
20帖以上もある、大きなテントだった。
あちこちの支援グループから集まった男たちで この大きなテントを張り上げるのだが、これが けっこうむずかしい作業だった。
床は 地面からの湿気を遮断する工夫がほどこされていて、内装もしっかりしたテントだったが、夏の盛りは 暑さでたいへんだろうなぁと、缶入りコカコーラを飲みながら 一緒に行った若者と 流れる汗を拭き拭き 話したのを覚えている。

テントを張り終えたのは、もう夕方になっていた。
帰る途中で 村井さんは、同乗のみんなを 銭湯(クアハウス?)に連れて行ってくれた。
ゆったりした湯船に みんなでつかりながら、村井さんは ぼつりぼつりと被災時のことを話してくれた。
彼は、これは ずっと後で知ったことだが、神戸港の港湾作業員やケミカルシューズ会社の営業マンを経て、地震までは、小児まひなどで足に障害がある人へのオーダーメードの革靴をつくるお店の 職人兼経営者だった。
地震当日は、仕事で東京にいた。
さいわい 山手にある自宅は 被害は軽ったが、彼の仕事場も「靴の街・長田」も 壊滅的打撃を受けた。
湯船に首まで深くつかって 大きな両手で湯を顔にゆっくり掛けながら、彼が語ってくれたつぎのひと言は、いまでも わたしの心に響いている。
「死んだ人たちは苦しかったやろなぁ。生き残ったもんも、苦しゅうてしょうがないわ」
JR宝塚線の惨事のときも、生き残った人たちの苦しみは、直接関係していなかったものには とうてい想像がつかないものだったろう。
村井さんも、あのとき ぶっ倒れるくらい支援活動に奔走されたのは、それと同じような やり場のない感情からもあったのでは なかっただろうか。


アルジェリアテント張りの日から わたしが村井さんにお会いしたのは、須佐野公園の詰め所で2回ほど ひとことふたこと声を交わしたくらいで、夏が終わる頃には、仕事に追われだしたわたしは もう須佐野公園を尋ねることはしなくなった。
だから、村井さんのその後も 知らなかったし、正直 忘れていた。

けさの新聞に書かれた彼の経歴は、
「阪神大震災後から救援活動に取り組む。被災地NGO協働センター代表や神戸学院大学客員教授なども勤める」
とある。
あの震災は、村井雅清さんにとって、わたしごときには計り知れない 深い人生の転機であったのだろう。
村井さんのご活躍を、尊敬をもって お祈りしたい。

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定額給付金なるもの

2009-01-14 13:20:30 | Weblog
小泉純一郎元首相が「自民党をぶっつぶす!」と叫んで 日本中が小泉節に酔ったのは、もう8年前になる。
「郵政解散」と命名し 衆議院の解散選挙で自民党議席を圧倒的に増やしたのは、まだ4年前にもならない。
あのときの世論は、いま冷静に考えれば、情緒的「気分」の要素が強かったように思う。

『輿論と世論』を著した 佐藤卓巳京大准教授は、先日 新聞紙上で、“民意”というテーマに関連して、次のように語っていた。

「・・・つまり、世論調査を通じて表れる民意とは、「意見」というより、その時々の情緒的参加による「気分」(空気)に近い。
意見と気分。人の内面で区別しにくいものではあるが、最大の違いは「時間」にある。意見は、自分で考え、他人と議論を重ねてじっくり作り上げられるものだ。だからある程度の時間に耐えられる。政治の領域で言えば、外交はまさにそうあるべきだ。意見に比べて熱しやすく冷めやすい気分に左右されると、ブッシュ政権の対テロ対策のように行き詰まってしまう。・・・」

いま国会では、第二次補正予算案をめぐって 定額給付金が焦点になっている。
この定額給付金のことだが、言葉尻をとらえるわけではないが、「給付」ではなく「還付」と言うべきではないのか。
まあ それはともかく、わたしも もちろん たとえ1万2千円でも 欲しい。
しかし いったん国庫へ納めた税金を、莫大な費用と労力をかけて「給付」していただくよりは、もっと有効な個所に賢明な方法で使ってもらった方が良い、と いまこの時点では思う。
なるべく偏りなく無作為に抽出聴き取り調査した中から2000人を これもランダムに選んではじき出した「世論調査」で、その7割近くが わたしと同じ思いである、という結果が出ている。
この調査結果は、あの小泉劇場で酔いしれた挙句の「世論」とは 明らかに異質のものである。
世論調査結果とは言え、これは 佐藤准教授の言う「輿論」あるいは「意見」に近いものだと思う。

なぜ、二次補正案を定額給付金から切り離して考えないのか。
民主党もそれなら賛成するといっているのだから、ほんとうに「民意」を重んじる内閣なら、定額給付金以外の急務な二次補正案の最速通過に 全力を投入すべきだ。
こんなこと、政治のど素人でも 判る話しではないのか。
麻生太郎氏は、プライドの履き違えをしているとしか思えない。
麻生さんのごく近くに、普通の日本人の感覚を持った“影響人”がいてくれればいいのになぁ。

定額給付金なるものに、素朴に感じる いまの気持ちです。


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いまどきの内閣総理大臣

2009-01-13 14:51:07 | Weblog
「楽は下にあり」とは 言い古された言葉だが、上に立つ者の苦労は 小さな企業体やNPOであっても 筆舌に尽くしがたいものがある。
ましてや 一国の総理大臣となれば、その気苦労や体の酷使は、常人の想像を絶するに違いない。

筑紫哲也が闘病生活を綴った「残日録」を読むと、福田前首相に宛てた手紙で 福田氏への親近感を込めて、こう記している。
『・・・これから長丁場ですから、老婆心ながら、ニ、三申し上げますと・・・怒ってはいけません。「韓信の股くぐり」をやっているだけに、そして本来は気短かだという見方もあるだけに、いつキレるのか手ぐすね引いて待っているような空気があります。怒気を外に出したら大人には見えないのですが、歴代の総理を拝見していますと、この人がと思う人でも、うっ積がたまって行くものです。それをあまり我慢するのも、身体によくありません。
秘訣は、本当に怒らないことです。
口さがない批判、非難の大部分は、それを口にする者の身の丈、思考の水準に見合ったものでしかない。そんなものに自分がとらわれてたまるか、と思えばそう腹も立たないでしょう。総理大臣というお仕事は、それより遥かに次元がちがうのですから。・・・』

筑紫さんらしい 心のこもった文章で、これを受取った福田前首相は どれほど慰め励まされたことであろう。
そんな筑紫さんも、福田政権のわかりづらさが露呈しだした07年末の、深刻な病状をひた隠して出演した 福田首相との特別対談収録直後の残日録では、
『・・・ヌカにクギというか、ノレンに腕押しか。「何をやりたいのか見えない」「何を人々が求めているのか、わかっていないのでは」という世間の疑念は拡がるだろう・・・』
と書き綴っている。

筑紫さんの心配通り、福田前首相は、本人は「私は冷静にものごとを判断できるんです」と切り口上したが、誰がみても“キレて”、その地位を捨てた。
あれは、無責任といわれても 仕方なかろう。

麻生太郎現総理大臣に、わたくし的には好感を持っていた。
筑紫さんのように 深い思慮と密接な情報で判断できるはずもないが、麻生首相は 平時の総理としては適材であろうが、いまどきの総理としての頭脳は もちあわせていないのでは、と いまは考えざるを得ない。
彼を真剣に支える優秀な頭脳も、周りに見当たらない。
この日本を まっとうな方向へと大きく導く気迫も、いまの彼に感じられない。

麻生内閣も自民党執行部も、渡部嘉美氏の行動を 思慮のない取るに足らない異分子行動と非難している。
ほんとうに そうなんだろうか。
渡辺氏の考えをしっかり知りたくて、文芸春秋の最新号で 彼の言いたいことを自分なりに理解した。
「百年に一度の非常時には百年に一度の政策を」
「官僚内閣制から真の議院内閣制へ」
「官僚主導から政治主導へ」
「中央集権から地方主権へ」
彼の考えは、彼自身も記しているように、これらに尽きる。
わたしは、渡辺氏の考えに 理不尽なものを感じない。
いや もっと積極的に、漠然と考えていた私自身の思いと一致する。
とりわけ、渡辺氏の次の危惧は、まったく同感である。
「・・・頻発する身勝手極まりない殺人事件の報に接するたび、その不気味な兆候を感じずにはいられない。また、『田母神論文』への一部賛美に象徴されるような社会の右傾化もその一つの顕われかもしれない。」

渡辺氏の行動が、いまこの時点で適切なものかどうか、それは分からない。
ただ、ここ数ケ月のうちに間違いなく実施される衆議院総選挙で、彼の考え方は 自分が誰にどの党に投票するかを判断する一つの指針になる、と わたしは思っている。

我が国の選挙制度は、総理大臣を直接選ぶものではない。
しかし、渡辺氏のいう“真の議院内閣制”であるならば、自分が選んだ国会議員を通して この国を本当に背負ってくれる“いまどきの内閣総理大臣”を生むことができる、と信じたい。
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普通のラブ・ソング

2009-01-12 12:58:00 | Weblog
暮れのNHK紅白歌合戦で、水谷豊が歌った「カリフォルニア・コネクション」を聞きながら、ふっと30年前にタイムスリップしていました。
テレビドラマ「熱中時代・刑事編」「同・教師編」、そして「あんちゃん」。
「あんちゃん」は、たしか 今の奥さん伊藤蘭が、妹役で出演していましたよね。
「カリフォルニア・コネクション」もいい曲ですが、わたしは「あんちゃん」の主題歌「普通のラブ・ソング」に のめり込んでいました。

  ガラスの橋が 町の外れにあるよ
  やさしさのない人は砕け落ちる
  人生という河の激しい流れ
  足もとをさらうから気をつけなよ
  
  泣きながら恋人が ほら遠くで呼んでいる
  
  俺は普通の男 普通に生き
  そして普通の靴で時を渡り ah
  何故か普通の女愛してるよ
  そんな人たちだけが今日も
  幸福って橋を渡るよ

  ガラスの橋は とてもひび割れやすく
  裸足では哀しみの棘がささる
  愛情という細い糸を握って
  危なげに揺れながら歩くだけさ
  
  ありふれた真実が 今一番見えない
  
  君は普通の女 取得もなく
  そして普通の風に吹かれながら ah
  何故か普通の俺の影を追うよ
  それでいいよ つまづきながら
  幸福って橋を渡るよ

普通ってこと、むずかしいんです。
それが一番しあわせなことだと、なかなか気づけないんですよね。
とんがったり へこんだり、あっちでゴツン こっちでガツンしながら、ああそうだったのかって 気づくんです。
30年経って やっと、「普通のラブ・ソング」を まっとうに歌えるようになりました。

 

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ニューイヤー・コンサート

2009-01-11 22:23:25 | Weblog
娘がクリスマスプレゼントにくれた、ニューイヤー・コンサートのチケット2枚。
きのう、当日まで どういうコンサートなのかも知らないまま、大阪福島のザ・シンフォニーホールへ行ってきました。
ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団、ウィンナワルツやポルカを 最上級に聴かせてくれるオーケストラなんだそうです。
毎年 お正月に、サントリーホールをはじめ 日本各地でウィーンの薫りを届けてくれる、日本人にはおなじみの楽団、それを知らないまま のこのこ出かけて行ったのは、わたしたち夫婦ぐらいなものだったでしょう。

出かける前の予想とは違って、コンサートの苦手なわたしも リラックスして聴いていられる、めっちゃ楽しい楽団で、こんなんやったら また来たいなぁ思いました。
指揮者ルドルフ・ビーブルは、もう80歳をこえるはずですが、とってもチャーミングで お茶目で 観客へのサービス精神旺盛で、なによりも 楽団員ひとりひとりへの思いやりが じわーっと伝わってきます。
楽団員も みんなニコニコしていて、演奏しながらコーラスなんかもやったり 素敵に独奏した楽員へウォーっと喚声あげたり・・・
オペレッタのさわりも 味わえました。
ソプラノのナターリア・ウシャコーワ、テノールのメルツァード・モンタゼーリが加わって、オペレッタ『こうもり』や『メリー・ウィドウ』などを 表情豊かに歌い演じてくれました。

いちばん幸運だったのは、隣の席に座った このとき限りの「お仲間」です。
70歳くらいの ちょっと小粋な 薄茶色のトンボメガネをかけた“おじさま”で、演奏の最初から最後まで 身を乗り出して、音楽にあわせて体を動かせ 拍手と「ブラボー」のタイミングが絶妙で、心底コンサートを楽しんでいるのです。
礼儀正しく、にこにこしながら わたしたちに うちとけて話しかけてくれます。
良い演奏会というのは 奏者と会場がすばらしいだけではダメで、観客や聴衆の質に拠るところのほうが大きい、と 何かの本で読みましたが、ほんとにそうだと思いました。
トンボメガネのおじさまのおかげで、わたしたちも 最高に心地よい聴衆でいられました。

にわかクラシックファンになったつもりで えらそうなこと言いますが、モーツアルトもいいけど、ヨハン・シュトラウスも すばらしい。
「エジプト行進曲」って はじめて聴いたんですが、お気に入りに入れたいです。
「美しく青きドナウ」では、目を閉じて 聴きました。

心が洗われるというのは こういうのだろうなぁ、そんな心地のとき、ふっと先日みた 山田太一のテレビドラマ「ありふれた奇跡」の一シーンが思い出されました。
駅のホームに立っている、陣内孝則演ずる中年男の 底なしに寂しい姿です。
ドラマでは、自殺しかけの彼を危うく助けるのは 仲間由紀恵と加瀬亮の 互いに見知らぬ若い男女でしたが、あの中年男が あの瞬間 この「美しく青きドナウ」を聴いたら、どうなっていただろう、そんな どないでもええことを思っていたのです。

森山直太郎が歌う『生きてることが辛いなら』の歌詞のように、人はみんな 一度や二度は“小さく死んで”いるのです。
迷惑のかからないように 小さく死ねるのは、こんなに心洗われる「美しく青きドナウ」のような 人間の人間のための遺産があるからかもしれません。
そんな遺産を享受できる機会に恵まれたことに 感謝しながら、夕暮れ迫る西梅田のビルの谷間を 家内と歩いて、梅田駅に向かいました。







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