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つれづれ

思いつくままに

牛の鈴音

2010-01-26 00:23:42 | Weblog
・・・ドキュメンタリー嫌いの人にも お勧めします。
淡々とした 押しつけがましい所のない 本当に良心的な映画です。・・・
これは、写真家・ホンマタカシ氏の、映画『牛の鈴音』へのコメントです。
ホンマタカシの撮った波の写真は、淡々とした 押しつけがましい所のない 本当に良心的な映像なので、このコメントは ぼくには効きました。
映画『牛の鈴音』を 観にいってきました。

ぼくは 最近、「生き甲斐」って言葉が 空しく響くようになっていますが、この映画を観て、生き甲斐なんてクソ食らえという思いが、腹のそこから湧き上がってきました。

40年間 足の悪い主人の手足となって働き続けてきた老いぼれ牛の 悲しげな目にじっと見つめられて、暗い映画館の中は ぼくとこの老牛だけの世界になっていました。
ただただ生きるだけの この老いた牛に、その生きざまに、深く深く心を奪われていたのです。

老牛が動くたびに鳴る鈴の音は、生きていることの ささやかな証しです。
頭痛で倒れたお爺さんが 牛の鈴音に はっと目で気配を追う場面で、生きるってことは このささやかな鈴の音なんだと 気付きました。

『八月のクリスマス』以来 韓国映画に親しみを感じてきましたが、『牛の鈴音』を観て、その思いは 揺るぎないものになりました。
『牛の鈴音』は、西洋人には作れない作品だと思います。
極東アジアの民族にしか判らない悲しみを、韓国映画が見事に映像化してくれました。

最後の力を振り絞って 老牛が運んでくれた薪の山を見て、目がしらから温いものがあふれてきました。
チェ爺さんがあんなに気にかけていた鈴の音が、映画館が照明で明るくなってからも、耳の奥底でチリンチリンと鳴っているようでした。
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ぼくの愛する数式

2010-01-22 13:40:59 | Weblog
もう5年ほど前になるが、小川洋子著の「博士が愛した数式」という小説がヒットし、寺尾聰主演で映画にもなった。
その数式は、次のようなものであった。
     e(πi) + 1 = 0
この数式は、ぼくには ちんぷんかんぷんである。
ただ なんとなく、きれいな数式やなぁ、とは感ずる。
e や i や累乗の意味が、ぼんやりながら 理解できるからかも知れない。

ぼくは、理系の頭を持っていないことを、自覚している。
でも これまで、無理やりにでも、理系らしい道を歩んできたことに、今では感謝している。
なぜなら、人間の感情や行動、この世の目に見えない不思議な現象、さらには 宇宙のことについて、何かわけの分からないものを知りたいという 自分には大切だけれども茫漠とした目的を 手探りするのに、理系の手法が とても役立つように思えるからである。
その手法の象徴的表現が、すっきりとした物理の数式なのだ。

高校で学んだ物理で 最も輝いていたのは、ニュートンの運動方程式だった。
     F = ma
つまり、力=質量×加速度 ということなのだが、力も質量も その正確な意味を理解するのに 一苦労だったし、ましてや 加速度という概念は、なかなか理解できなかった。
でも、この数式を まがりなりにも理解できたとき、大袈裟な言いかただけれど、この世の森羅万象がすっきりと説明できるような錯覚を 覚えたものだ。

アインシュタインの“悪魔の方程式”というのがある。
     E = mc(2)
エネルギーは 物質の質量と光速の二乗の積に 等しい、つまり、エネルギーと物質は等価であるという、超有名な数式である。
いま ぼくは、宇宙創生に 興味が向いている。
宇宙創生を空想するとき、なけなしの自分の頭脳で なんとか理解できる手がかりが、この アインシュタインの“悪魔の方程式”である。
悪魔、とは よく言ったものだと思う。
古典力学の 絶対空間・時間に慣らされた頭に、目に見えないエネルギーと 目に見える物質とが変幻等価などという発想は、まさしく“悪魔のささやき”であった。
この発想は、ぼくのような素人が、宇宙創生ビッグバンを 漠然とでも理解するのに、大きな助けになる。

同時に このアインシュタインの数式には、限りある命に 復活という快感の諦めを 想起させる力がある。
土葬だったころ、夭逝の墓に植えられた桜が 強い樹勢を示すのに暗示されるように、肉体という物質は 魂というエネルギーに姿を変えて 存在し続けるのかもしれない、そんな 美しい諦めの想いを引き出してくれるのだ。

ユダヤ系ドイツ人だったアインシュタインは、ヒットラーに嫌われ アメリカに亡命した。
そして、核分裂が軍事的に利用される危険性を 世界に訴えつづけた。
同じドイツの物理学者である ハイゼンベルクは、アインシュタインに優るとも劣らない頭脳と発想力を持ちながら、アインシュタインほど人気はない。
ナチスに組して、ドイツの原子爆弾研究を指導したからだろう。
このハイゼンベルクが確立した 有名な量子力学の原理に、不確定性理論というのがある。
     ⊿x・⊿Px ≧ h/2 (h は、プランク定数を2πで割ったもの)
一個の粒子の位置xと その運動量Pxを同時に測定した場合、測定値には必ず或る不確定さ⊿x, ⊿Pxが伴い、その間に 上の数式で示される関係が成立する、というものだ。
この不確定性理論は、観察しようとする行為そのものが 観察の対象を変化させてしまう、という ジレンマを表現している。

ぼくには このハイゼンベルクの数式をほんとうに理解する力はないが、文学的には納得できる。
この世の中は 割り切れぬことばかりだし、ぼくのまわりの ごく些細なことがらでも、甲乙すっきり説明できるなんてことは ありえない。
この数式を つらつら眺めていると、割り切れぬままに ありえないとの思いのままに、現実を しゃーないなぁと、受け止めることができそうに思えてくるのだ。

今のぼくにとって、アインシュタインの悪魔の方程式も ハイゼンベルクの不確定性理論式も、混沌の世を だましだまし生き抜くための、“ぼくの愛する数式”でなのである。

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不便

2010-01-18 11:31:05 | Weblog
不便、ほとんどの人が「ふべん」と読む。
便利でないこと、と解釈する。
でも、「ふびん」と読んで「不憫」の意が、本来の用法らしい。

「ふべん」と読むとき、無理やり便利にしようという ニュアンスがにおう。
人間の傲慢さが漂う。
「ふびん」と読むとき、そこには 人と人との繋がりがある。
小さくて 弱々しくて 美しいものに対する、いとおしさに満ちている。
自分の無力を自覚した人間の、それでも手を差し伸べずにいられない、愛すべき本能を感ずる。

言葉の遊びのようだが、「不便」の本来の用法を知って、日頃 何気なく「ふべん」と解釈している自分自身に、いやーぁな自分を見たような思いがした。


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人を動かしたのは、カネではなかった。

2010-01-12 10:21:41 | Weblog
あれから、もうすぐ15年になる。
阪神淡路大震災。
あのとき 人の心に、何かが 確かに変わった。

去年の暮れ、久しぶりに 神戸を訪ねた。
六甲アイランドにある小磯美術館へ、「宮本三郎展」を見るのが目的だった。
ほんとうは、同時開催の小磯良平作品選Ⅳの特別展示『美智子妃スケッチ』を見たかったのだ。
JRで住吉へ。
尼崎からの景色を 車窓から眺めながら、15年前を思い出していた。

あのとき、交通機関は 住吉駅までしか開通していなかった。
兵庫区にある須佐野公園からの帰り、徒歩でたどり着いた住吉駅から、須佐野公園の同じボランティアセンターで活動されていた ノートルダム女学院のシスターと ご一緒になった。
窓側に向かい合わせに座った彼女は、若い人たちの心にキリストがいるのを はっきり見ました、と話した。
須佐野公園でも、関学や 遠くは青森から駆けつけた学生さんたちが 大勢、ボランティア活動していたのだ。
車窓を流れる 多くの家々の屋根には ブルーシートが被せられ、それらのシートに溜まった水が 夕陽にキラキラ輝いていたのを、鮮明に覚えている。

震災の日が近づくと それに関連した新聞記事が目立つが、1月12日付けの朝日新聞に NPO法人「神戸の冬を支える会」の事務局長をされている 青木茂幸さんの記事を見た。
震災前 彼は、京都・二条城近くで 小さなパン工房を営んでいた。
震災4日目の夜 たどり着いた被災地の光景が忘れらなかった彼は、毎週末 土曜の閉店後に被災地に入り、日曜の夜に京都に戻る生活を始めた。
そして、震災後 初めて迎える冬を乗り切ろうと作られた「神戸の冬を支える会」に加わり、その三年後 ついに店をたたんで、専従職員になるため 神戸に移った。
あのときの思いを、彼は こう語っている。
・・・バブル経済の余韻が残るあの頃、“カネがすべて”の風潮に疑問を感じていた。被災地で人びとを動かしていたのは、カネではなかった。市民が助け合う姿を見て、「この国は変わるかも」と思った・・・

人間が傲慢になりすぎたとき、神は、天災という 天からの警告を発する。
そして 人の心に、人と人とが損得抜きで助け合うことの尊さを 思い出させるのだ。

あれから15年。
決して忘れてはならない、決して忘れることのできない、天災である。

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ブラボー!ヨハン・シュトラウス

2010-01-11 10:31:59 | Weblog
去年の暮、クリスマスプレゼントに 何がいい?と 娘が聞くもんだから、遠慮なく「去年と同じ、ニューイヤーコンサートのチケットがいい」と答えました。
ところが、交響楽団の名前が 出てきません。
たしか、あのときの感動を ブログに記していたなぁ と気づいて、1年前の自分のブログから、“ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団”の名前を思い出すことができました。

1月9日、家内と 大阪・福島のザ・シンフォニーホールへ。
急にリクエストしたものだから、座席は三階の袖席、それも一番うしろでした。
でも ザ・シンフォニーホールは良くできていて、そんな席からでも舞台のオーケストラ全員を見渡せることができ、わたしなどのクラシック素人には もったいないくらい迫力のある音響です。
去年 同席した“ブラボーおじさま”のような素敵な方は 周りにはいなかったものの、どんな格好で聴いていても平気な座席で、わたしたちには最適でした。

音楽音痴のわたしでも、素晴らしい音楽には 身震いします。
いや どんなすばらしい音楽でも、それを聴く者の そのときの心理状況によって、感動の度合いは違うのでしょう。
21年前 高校生になったばかりの娘が 同じようにプレゼントしてくれた、「加藤登紀子リサイタル」を思い出します。
京都会館の二階最後列から、あのときわたしは、恥ずかしげもなく嗚咽しながら、『百万本のバラ』、そして『この空を飛べたら』を聴いていました。
今回は、あんな感傷は薄いですが、腹の奥底から湧き上がる愉悦に 身震いが起きました。

『ウィーンの森の物語』、高原のそよ風に頬をなでられるように こんなに心をうきうきさせてくれる曲だったんですね。
ドボルザークの『スラブ舞曲』第2集の第2番(ホ短調)、初めて聴きました。
いい曲です。
もし1本だけ映画を作ることが許されるなら、このスラブ舞曲をBGにして撮ってみたい、そんな夢想を起こさせる 哀愁に満ちたメロディーです。
わたしの大好きな ブラームスの『ハンガリー舞曲』も、第1番だけでしたが、こんな素敵な生オーケストラで聴くことができました。
なんといっても、『美しく青きドナウ』です。
この、邪念多きわが心を いっとき明鏡止水の心境にしてくれる曲を、今回も ラスト曲で聴くことがきました。

指揮を執ったのは、オーラ・ルードナーさん。
フィルハーモニア・ウィーンを設立された方だそうで、自らもヴァイオリン演奏される客演指揮者です。
この指揮者の、体中から音楽のオーラが放射されているような ユーモアのある表情豊かな指揮振りに、まず うれしくなります。
ソプラノのナターリア・ウシャコーワさんと、テノールのメルツァード・モンタゼーリさん。
オペラやオペレッタなどには とてもじゃないが行けない わたしたちに、その触りを楽しませてくれました。
コンサートマスターは、若くてスタイルのすばらしい 女性ヴァイオリニスト。
体全体で演奏する姿に、見惚れてしまいました。
ピアノのない弦楽器中心のこのオーケストラのひとりひとり、音楽の素養に乏しいわたしには確とはわかりませんが、誇りをもって楽しんで演奏している 素晴らしい演奏家たちだと思います。
ぜんぜん、音が違うんです。
ヨハン・シュトラウスが 素晴らしいんです。

あぁ 音楽っていいなぁ。
ブラボー!ヨハン・シュトラウス。
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スイセンの甘い香り

2010-01-03 13:11:58 | Weblog
義母のささやかな拝壇に、家内が スイセンの切り花を お正月用に活けてくれました。
小さな仏間に、スイセンの甘い香りが漂っています。
スイセンは、義母が大好きな花でした。
スイセンの香りを嗅ぐと、義母と家内の三人で 越前を旅したことを思い出します。

僕のブログに 香りの話が多いのは、自分に残された嗅覚の力に どうも原因があるようです。

視力は 極端に落ちています。
味覚は もともと味音痴です。
聴覚は 遠い音にはまだまだ敏感ですが、近い音がうっとうしくなってきました。
よく物を落とすようになったのは、触覚が衰えだした証拠かなぁ。
でも 嗅覚は、嗅覚だけは健在です。
むしろ、他の五感が衰微した分、嗅覚は冴えてきたように感じます。

記憶の中で、匂いは大きな役割を果たしています。
ひょっとすると 匂いが、もっとも強烈な記憶の要素なのかもしれません。
少なくとも 僕の頭は、匂いが記憶の誘導管です。

遠い遠い記憶は、ほとんどが匂いが主役です。
井戸の中に放り込まれたような人混みで 迷子になるまいと 必死で母の着物の袖を握りしめている自分、そこで頼りになるのは、母の匂いしかありませんでした。
ほんとうに迷子になった 進駐軍の駐屯地でも、はっきり覚えているのは、僕を抱いてくれた黒人兵の 不思議な匂いでした。
畑地で遊んでいて落ちた肥溜めは、意外に悪臭でなかったことを、大きな発見のように記憶しています。
幼い日々の記憶は、匂いで満ち満ちています。
昭和20年代は 街中、生活臭や体臭など いろんな匂いが入り混じっていたのです。
そして、匂いで危険を察知するという、人間本来の本能が生きていました。

いま 人々は、とり憑かれたように、生活から匂いを消そうと 躍起になっています。
とりわけ 体臭には、過剰反応を示します。
加齢臭は、悪の権化みたいです。
匂いの希薄な生活を、僕は味気なく感じます。
不潔な体臭はいただけないけれど、石鹸の香りに混じった自然な体臭は その人の個性で、僕は嫌ではありません。
後ろから近づいてくる人が誰だか その人特有の香りで知るなんて、素敵じゃないですか。

スイセンの甘い香りも、ときが経てば にがくなっていきます。
それはそれで、僕は好ましく思います。
いつまでも 部屋中スイセンの甘い香りが漂っているのは、興ざめです。
いま この一瞬に感じるスイセンの香りに、懐かしい想い出を寄り添わせればいいのです。

スイセンの甘い香りに呼び起こされて、生物本能の嗅覚に 生きる喜びと自信をみいだしたみたいな、なぜかうれしい正月でした。

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