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つれづれ

思いつくままに

体として人間らしく生きたい

2008-09-25 09:49:57 | Weblog
入れ歯を毎日ちゃんとしていないと、舌が奥に引っ込んでしまって、死に顔がうまく化粧できない。
敬老の日のラジオ特番で、そんな話を耳にしました。
柔らかい体でないと 棺桶の狭い空間に 上手に収まらない、とも聞きました。
柔らかい体、それは柔らかい関節をもった体、ということらしいです。
「体として 人間らしく生きたい」、これが その特番の締めくくりでした。
この、「体として 人間らしく生きたい」という感覚は、ついこの間 感じた感覚でした。

こんな話に ついつい耳を傾けたのも、その直前に 映画 『おくりびと』 を観たからだと思います。


モントリオール世界映画祭は マイナーな映画のなかから 優れた作品を発掘する というイメージを、いつの頃からか 持つようになりました。
映画 『おくりびと』 が その32回グランプリ賞を受賞したというので、題材に少々抵抗はあったのですが、観にいきました。
“笑って、泣けて、深く心を打つ”、実にいい映画でした。

人間 いつかは必ず棺桶に入るのですが、あの狭そうな筺体のなか、そこにある最後の自分の姿を いままで想像したことはありませんでした。
わたしは この映画を観ている間、「おくりびと」よりも「おくられびと」に 気持ちが移入している自分に、あとで気づきました。
かなり変ですが、死体が 気になったのです。

映画の中の(生きている)登場人物も、またそれを観ている観客も、「おくりびと」の所作が気になりながら、彼のいわば作品である 綺麗な「おくられびと」に吸い寄せられます。
そして、「おくられびと」の在りし日の姿を想い 涙します。
それは 生きている側の感情であって、そのときは 崩れんばかりに嘆き悲しんでいても、1年経ち 2年経ち 10年も経てば おそらくあの時は悲しかったなあ などと回顧する程度にちがいありません。
死んでいる「おくられびと」は、当たり前ながら 何の感情もないはず。
ご臨終ですの宣告から 火葬場で炉のボタンが押されるまでの 時間にして50時間あるかなしかの短い間の、物体としての肉体は存在するが 感情のない ひととき。
この、感情のない 感情の変化・起伏のない 肉体だけのひとときが、実は ほんとうのその人なのではないか。
この「死体」があるからこそ際立つ、「生体」の証しではないか。
そんな、おかしな考えを 抱いたのです。

人間(正確には自分)の感情というものの不確かさ 脆さ 身勝手さに、愛想が尽きたというか 嫌気がさしたというか。
確かなのは、いつかは死ぬことが決まっている この肉体だけ、という思い。

「おくりびと」に最後の姿を“化粧”してもらう 数々の「おくられびと」として、映画の中では 腐乱死体の独居老人から ヤンキーの女子高生、幼い娘を残して亡くなった母親、たくさんのキスマークで送り出される大往生のおじいちゃんなど、さまざまな死体が登場します。
トップシーンとラストの字幕シーンに登場する死体、美人だと思ったらニューハーフだった青年の「おくられびと」は、パンフレットによると、“絶対に動かない遺体”役のオーディションで 200人の中から選ばれた白井小百合さんという 美しい女性だそうですが、妙な言い方ですが、まことに綺麗な死体でした。
死んだらどうでもいいはずなのに、やはり 綺麗な「おくられびと」でありたい。
あんな若くて綺麗な死体には もちろんなり得ませんが、願わくば 穏やかないい顔をした 柔らかな死体でありたい。
そのためには、生きている間に 関節を柔らかく保っておかないといけない。
結局、生きている間は「体として 人間らしく生きたい」、そういうことに行き着くのです。

ご臨終ですの宣告から 火葬場で炉のボタンが押されるまでの短い間の 綺麗な死に姿のために ちゃんと生きなきゃならんのだ なんて、バカみたいな考えですが、一理あると思うんです。

禅の言葉に、<人間本来無一物>とあります。
棺桶にいかほど高価な遺品を入れようが、「おくられびと」は何の関心もありはしない。
生まれたときと同じ、<本来無一物>の姿、その人そのものなのです。


映画 『おくりびと』 には、“食”に関わる場面が 多く出てきます。
それも、フグの卵巣の白子や ぶつぶつある鳥肌丸出しのチキンみたいな、生をまざまざと意識させるような食い物を、むさぼるように食うシーンです。
主人公の新米納棺師・大悟(本木雅弘)に向かって、彼の勤め先である「NKエージェント」つまり 納棺会社の社長・佐々木(山崎努)が、「生き物が生き物を食って生きている」と語る場面。
それは まさに、<生きるという行為は、それ自体、他者の生をふみにじらずにはありえない>ことを 語っているようです。
死のアンチテーゼとして生きるのではなく、死があるからこそ 他者の死に支えられているからこそ、しっかり食って ちゃんと生きなあかんのです。

佐々木と大悟が フグの白子を旨そうに食っているシーンで、ふっと 親鸞の教え<悪人正機説>を 思い出しました。


映画 『おくりびと』 は、いろんなことを考えさせてくれました。
そして、なぜか無性に 「体として 人間らしく生きたい」と思いました。
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メインテナンスの時代

2008-09-20 11:21:01 | Weblog

去年の夏に起きた 米ミネソタ州ミネアポリスの橋梁崩落事故を、覚えてられるでしょうか。
カナダに近い ミシシッピ川上流に架けられた、40年の高齢化した橋の 大事故でした。
喉元過ぎればなんとやら で、当時 急に盛り上がった 老朽化しつつあるインフラに対するメインテナンス気運は、いつのまにか 忘れ去られようとしています。

どんなものにも 必ず寿命があり、形あるものは いつかは必ず壊れます。
それは 紛れもない自然界の鉄則であり、わたしたち人間が作り出すものも 遅かれ早かれ 必ず壊れるものなのです。

人類は、これまで 数知れない失敗から多くのものを学びつつ、こんにちの機械文明を築いてきました。
例えば、あの悲惨な 豪華客船タイタニック号の沈没事故から 低温脆性という「脆性破壊」原因を突き止め、この教訓を ものづくりの教科書として、その後の脆性破壊事故を 激減させました。

機械工学に携わってきた 一介のものづくり屋であるわたしも、もろもろの優れた先例から 多くのことを学び、失敗しては反省し改良して より良い製品を作ってきましたが、行き着くところは、どんなに費用をかけて作っても どんなに時間をかけて作っても 人間の作ったものは「いつかは壊れる」という前提に立たなければならない、ということでした。

人のやることには、必ず落ち度があります。
それは、技術の落ち度というだけでなく、予測の限界という意味も含んでいます。

冒頭に述べた 米ミネソタ州ミネアポリスの橋梁も、当初は100年は大丈夫という設計で建設されたものでしょうが、強度的には正しかったかもしれない当初設計も、例えば、気象的な条件、それも気温や湿度といった自然現象に対しては 考慮がなされていたにしても、橋の上の凍結を防ぐために 冬季に大量の塩が撒かれるという想定は、おそらく していなかったでしょう。
この橋梁事故の一つの原因が 撒かれた塩による腐食にあったかどうかは 最終的に確認していませんが、この世の中には 人間の英知をもってしても 予測不可能なことが あまたあることは事実です。

新幹線こだま号の開通は、日本列島に多くの恩恵をもたらしました。
こだま号に続いて、ひかり号、のぞみ号 そして近い将来 リニアモータカーと、時間短縮における人間の欲望は 終わりを知りません。
その欲望が高まるほど、時間短縮で得られる恩恵に比べ それがもたらすマイナスエネルギーが増大し、果たして人間の幸せに ほんとうに貢献するのか疑問です。
こんにちのインフラのような巨大設備では、先に述べたような「失敗に学ぶ」には あまりにもその被害が大きすぎますし、たとえ失敗に学ぶとしても、原因究明、改善計画、そのテストと、一定の長さの時間を要します。
失敗を生かすにも、「時間」という肥やしが、どうしても必要なのです。

コンピュータ社会である現在、まじかに知る由もありませんが、セイフティーネットは縦横に張り巡らされているに相違ありません。
それでも、わたしは 恐怖を覚えます。
ひとつ間違えれば どえらいことになるんじゃないか と、無知のなせる とり越し苦労をしてしまいます。

巨大インフラの“守り”を、真剣に考えるべきときです。
米ミネソタ州ミネアポリスの橋梁崩落事故は、その警鐘でした。
こんな大切なことを、風化させてはなりません。

もう 新たなインフラ建設はほどほどにして、既設のインフラのメインテナンス体制を 国家レベルで真剣に取り組まないと、どえらいことになります。

いま、メインテナンスの時代との認識が、慎重にしかも早急に 求められているのです。

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河野洋平衆議院議長の引退を惜しむ

2008-09-18 11:15:20 | Weblog
9月17日の夕刊に、「河野衆議院議長 引退へ」の記事が流れた。
ああ またひとり 良識ある政治家かいなくなる、そんな思いで 記事を読んだ。

わたしは、どちらかというと 政治音痴である。
一個人の選挙候補者を応援する とか、どこかの政党に強く肩入れする とか、そう意味では 全くのノンポリだ。
ただ、好き嫌いが激しい性格なので、政治家も 直感的に判断してしまうところがある。
ほんとうは、もっとじっくり その政治家に関する調査をせねばならないことは承知しているが、その政治家のホームページや著書などを読んでも ほんとうのところが読めない という、落胆に近い諦めが 先行してしまう。
結局、自分の直感に頼るのが いちばん自分にも正直なことで、たぶんそれで間違いないだろう、などと一人合点することになる。

そんなわけで、西郷隆盛を髣髴とさせる顔立ちの 河野洋平という政治家を、新自由クラブの頃から応援(と言っても 国政選挙のときに一票を投じるだけだが)してきた。

余計なことだが、わたしの好きな政治家は、以前この欄でも採りあげたことのある 宮澤喜一、それに 河野洋平の師とも言うべき 後藤田正晴である。
後藤田正晴については、機会があれば わたしの彼への思い入れを語ってみたい。

ところで、河野洋平が次の選挙に出馬しない つまり事実上 引退すると表明したことは、残念には違いないが 正しい判断だろうと思う。
近々の総選挙では、自民党は 壊滅とまではいかなくても、何らかの形で 大きく変わらざるを得ないだろう。
72歳の河野洋平に この混乱の舵取りを望むのは、酷である。
政治も やはり若さが必要だし、自民党にも民主党にも 若い有能な政治家が育っていると信じたい。

『政府がまず何よりも先に考えるべきことは、まっとうな努力をしている企業や商店を潰さないこと。これが政府の役割だ。』
『国際紛争は武力で解決しない---これが日本の基本的スタンス。』
『日本人が戦争を簡単にみているようではいけない。戦争がどんなに多くの被害を出すか、考えないといけない。あの大戦で、日本国民が受けた大変悲惨な状況を我々は少し忘れかけている。戦いがいかに悲惨で、立ち直るのにどれだけの苦労と努力が必要だったか。戦争は絶対にやるべきではない、という強い主張があっていい。』

河野洋平が 機会あるごとに主張し綴ってきた これらの思いを、有能な若い政治家に 是非継いでもらいたい。

NHK大河ドラマ 『篤姫』 で、島津久光が幕府改革を力で推し進めようとすることに疑問をもつ小松帯刀の「どうしたら幕府を正しい方向に導けるでしょう」との迷いに、勝麟太郎が「それは心です」と答える場面が、放映された。
理想主義と笑われるかもしれないが、いまの政治も、力ではなく 心で この迷える日本を導いてもらいたいものである。

それにしても、河野洋平は わたしの理想の政治家の一人ではあった。
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スローモーション

2008-09-17 10:03:23 | Weblog
例えば、右腕を前に突き出す という動作。
普通にやれば、なんでもない動きである。
ところが、これを思いっきり スローモーションで動かしてみる。
どうだろう。
なにか 感じないだろうか。
少なくとも、意識が 自分の右腕に集中するはずである。
腕を前に伸ばすという ごく単純な動作であっても、関節、筋肉、骨、血流・・・もろもろの要素が 総動員されていることが 想像できるであろう。

これは わたしの独断だが、いま わたしが親しんでいる太極拳の 言わんとするところは、煎じ詰めれば こういうことなのではなかろうか。

日頃 なんとも思わずに過ごしていた身体の 一つ一つの動作にも、こんなに びっくりするような多くの隠れた“役者”に支えられている、という感覚。
人間の体の不思議に対する畏敬と言ってもいい。
もっと広く、生きとしいけるもの いや 満月や石ころや 枝を渡る風にも、すべてのものに感ずる不思議な気持ち、そして その背後に密かにあると感ずる摂理のようなもの。

長い間に亘って優れた賢者たちが編み出した太極拳ニ十四式定型の動作を、繰り返し繰り返し ゆっくりとゆっくりと 練習することによって、おのれの体の神秘を知り、おののき、ついには この身体がいとおしくなる。
スローモーションな動作を通じて、いろんなことが見えてくる。

スローモーション。
いま あらゆる意味で、必要とされている動きではなかろうか。

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鶴林寺のアイタタ観音

2008-09-16 09:07:58 | Weblog
白鳳仏という、仏教彫刻群がある。
美術史的には、大化改新の行われた645年から奈良に都が遷った710年までの 約60年ほどの間に造られた仏像を指す。
白鳳時代は、日本の仏教美術の黎明期である飛鳥時代から その最盛期の天平時代への 橋渡しの時代であった。
白鳳仏の特徴を顕著に持つ作品の代表例が、以前 この欄に投稿して紹介した 『山田寺の仏頭』 であり、そして今回紹介する 『鶴林寺のアイタタ観音』 である。

学生時代 わたしは、「美研」(美術研究会の略)というサークルに所属していた。
このサークルは、美術 特に古代建築や仏教彫刻に興味を持つ仲間が集まって 鑑賞の旅をしたり 学術的に美術作品を究めて学園祭の場で発表したり といった活動をしていたが、実際のところは サークル顧問の上野照夫教授の 学識と人格を慕って集まった仲間の感が強かった。
上野先生は、インド古美術の権威者であるが 優れた教育者でもあり、美術を愛するわれわれ学生を 暖かく導いてくださった。
先生のお話には インド美術にまつわるエロティック漂う上品な挿話が必ず聴けるというので、講義はいつも満員であった。

美研の一年先輩で、加古川出身の女性がいた。
彼女からよく聞かされていたのが、鶴林寺のアイタタ観音である。
「加古川にも とっても愛らしい仏像があるのよ」と、彼女は ちょっぴり自慢げに言っていた。
時間がたっぷりあったはずの学生時代にも またその後も 残念ながら、『鶴林寺のアイタタ観音』 を拝する機会はなかった。

西国三十三箇所巡礼満願のお礼に 発起寺である書写山円教寺を再訪し、この機に 帰路にある鶴林寺を訪ねた。
目当ての 『アイタタ観音』 は、想像していた等身大の観音像よりはるかに小さな 像高80cmちょっとの、美研先輩の彼女が言っていた通り、まことに初々しく愛らしいお姿である。

切れ長の わずかに上のほうを夢見ているような目、片方の下唇をちょっと攣らせて 笑いを堪えたような口、赤いほっぺを彷彿とさせる頬、山田寺の仏頭と同じように 眉から突き抜けるような凛々しい鼻。
腰をちょっとひねって立つ細身の体躯は、童顔のお顔に よく似合うと思われる。
質素な宝物殿の中央に ガラス張りで安置されたお姿は、どの位置からも間近に拝することができ、わたしは 像の右斜め前から拝するお顔に 強く惹かれた。
それは、親しい幼子のいちばん綺麗な顔であり 人間のぬくもりそのものである。
こんなに身近に感ずる仏像を、いままで見たことがない。

伝説に、この像を盗んで溶かそうとした賊が 腰を槌でたたくと「あいたた」という声が聞こえたため 賊は驚き 改心して像を返した、とある。
アイタタ観音の名は この伝説から由来するが、たたかれた腰は 曲がったままということになっている。

幼児は、人を救おうなどと思って 微笑んでいるわけではない。
しかし 幼児の無心な微笑みに接するとき、人は 安らかな気持ちになる。こっちも楽しくなる。
アイタタ観音の微笑みも、そういう幼児の微笑みに近い。
この微笑に接すれば、悩みを打ち明け語りかける前に 心が和んでしまいそう。
そんな悩みなんか 吹っ飛んでしまいそう。

朝鮮半島の優れた仏師の手になる飛鳥仏から その技法を学んだ日本人の手になる天平仏へと移り変わる過渡期に、親しみのあるお顔と 古拙な香りを残すお体を一体に持つ この聖観世音菩薩・アイタタ観音は、畏仰と愛慕の交錯する見事な調和の白鳳仏として 生まれたものであろう。

加古川の先輩ならずとも、このアイタタ観音は、日本人の誇れる宝物に間違いない。




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この体しか生きる道具はない

2008-09-09 14:47:38 | Weblog
<人間は自然の中の弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である。>
パスカルのパンセに書かれた 有名な言葉です。

若い頃、その意味を十分理解もせずに この言葉が好きでした。
自分という この弱い 『個』 を 目に見えない偉い人に認めてもらっているような、そんな気分に酔えたからでしょう。
個性を磨けるのは その 『個』 が“考える葦”だからだ と、一人合点したのです。
個性的な人間になりたい、その思いは、平凡という言葉への憧れと矛盾しながらも、若い肉体を持つ時代の 主題でした。
今から思えば、頭でっかちの 不恰好な考える葦でした。

若い肉体の時代は、自分の肉体を 個性発揮の格好の手段とは考えても、自分の本質だという思いには 到底 至りませんでした。
肉体は、傷めつける対象ではあっても、“考える葦”のような崇高な対象には なり得なかったのです。

時が経て、崇高と思い続けた 頭でっかちの考える葦が 次第に胡散臭くなり、その隷属者としての重みしかなかった肉体が 悲鳴をあげだすようになって 初めて、己の肉体の神秘に愕然とします。
ほんとうは この驚愕も、“考える葦”だからこそ 得られる「生きる喜び」の一つと考えるべきなのでしょう。
自分という存在は 自分の肉体を抜きにしては語れないし、この肉体こそが 自分の本質ではないのか、そう思い至ったのです。

自分の肉体からは どう足掻いても、生きている限り、逃げることはできない。
「私」という 『個』 は、個性うんぬんより先に、人間という種族の動物であり、他の多くの「他人」と同じような器官をもった生命体であること、そのことを、蔑ろにし続けられた己の肉体の悲鳴で 思い知らされました。

この思いは、気功太極拳と出会うことによって 一層強まります。
老若男女に関わらず、耳は二つに目も二つ、口の上に鼻があって 腐ったものを食べる直前に察知でき、呼吸で大気から酸素を体内へ取り入れて 体内の養分をエネルギーと炭酸ガスに分解して 炭酸ガスを体外へ放出して・・・
考えれば考えるほど 神秘に満ちた、この「私」という身体。
同時に、わたしと同じような身体をもつ「他人」。

誤解の“考える葦”に現を抜かしていたときは にっくき奴と思っていた「他人」も 実は自分とおんなじ身体を持った『個』であることを覚って得る、同朋的感情。
それは、赤子の尻に同じ蒙古斑をもつモンゴロイドの人々に 親しみを覚えるのに似ており、これも 考えれば考えるほど 神秘に満ちています。
気功太極拳は、わたしがこれらの神秘を納得する 助けとなっています。

そんな折、定期購読している雑誌の ある記事の見出しに、ふと目が行きました。
<この体しか生きる道具はない>
これは、きくち体操を創始された 菊地和子さんが、その著書で語られている言葉です。
気功太極拳と出会う前に もしこの言葉を聞いたら、「老化を免れた残りの機能を大切にして生きるしかない」といった 消極的な受け取り方をしたと思いますが、今はちょっと違います。
この体の肉も骨も血も 自分固有のものであり、これこそ わたしの個性そのもの。
この体しか生きる道具はない というのは、まさしく わたしの個性を貫いて生きることに他ならないのです。

<この体しか生きる道具はない>
含蓄に富む 深い言葉です。

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息子を愛した日

2008-09-08 16:00:31 | Weblog
当たり前なことで 遠く忘れ去っていることだが、かって 自分も息子であった。
父親に対する感情は 名状しがたく、澱のように意識の底にあり、忘れ去っているはずが 蘇り媒体に触れると、この歳になっても 苦く意識に浮上してくる。
自分の息子も、わたしの繰り返しに違いない。

父親に愛されたという感情は、わたしの場合 父の死後に生じたもので、生前にも その気になれば きっと見いだせただろうに、そういう感情を抱く余裕はなかった。
自分の息子も わたしと同じに違いないし、現に 自分の息子を真剣に愛したという記憶は、悲しいことに ほんのわずかしかない。


あれは、息子が高校2年のときだった。
暑い日だった。
めったに子どもの学校行事に参加したことがなかったわたしは、そのときめずらしく 進路指導と称する三者面談の保護者会に出席した。

小学校5年までは 天童とあだ名された息子であったが、小学6年になって 急激に勉強しなくなった。
中高一貫の学校に入って なんとか面目を保ったが、高校2年ころから 再び勉強嫌いになり、大学希望校の選定になって やっと本人も慌てだした。
しかし、この時点で、希望する大学は すべてむずかしい状態にあった。

三者面談の際、担任の教師から「絶望的です」と切り捨てるように言われた息子を 傍で見ていて、息子に対してでなく 担任の教師に対して、むらむらと怒りの感情が吹き出て、それをなんとか堪えるのが つらかった。

その帰路、阪急西院駅で降りて 息子が自転車を預けているモータサイクルセンターの前で、息子が出てくるのを待った。
そのセンターの横にクリーニング屋があり、そこのおやじさんが 上半身はだかで 汗だくになってアイロンを使っている姿が、開け放たれた窓から 丸見えであった。
そのとき わたしは、あのおやじさんに負けないくらい 一生けんめい働いて 息子にあんな屈辱的な目には絶対にあわせないぞ と、ちょっと的外れに いきがっていた。

嵐電の線路沿いの道を、自転車を押しながら歩く息子に添って ふたりで黙って歩いた。
いつもなら長く感じる踏み切り待ちが、そのときは ちょうど良い長さに思われ、チンチンチンと鳴る警報に消されそうになりながら 独り言のように 息子にこう話したのが、ついこの間のことのように蘇る。
「慌てることはないぞ。先は長いんや。」
息子が それを聴き取ったかどうか。

あのとき わたしは、間違いなく 自分の息子を愛していた。

ほんのわずかしかない 息子を愛した記憶の、ある夏の日のことである。










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夜長 本読む

2008-09-05 11:29:30 | Weblog

釣瓶落しとまでは いかなくても、日の暮れるのが めっぽう速く感じるようになりました。
9月は、長月。

「夜長 本読む」
これは、森岡峻山先生に習字を習いだした頃、お手本に書いてもらった字です。
この字を 何べんも何べんも書いて、初めて龍門社書展に出しました。
50年以上も前のことです。
京都美術館に 自分が書いた字を展示してもらえるのがうれしくて、一生けんめい練習しました。
安表装の自分の字の前に佇んでいた その後から、峻山先生が掛けてくださった言葉が、大げさな言い方ですが、その後の自分の生き方を 大きく左右しました。
「なかなか 良う書けてる」
習い事の続かないことで 家族の間では有名だったわたしが、社会人になる24歳まで 習字を続けられたのも、本を読むのが大好きになったのも、峻山先生の あのひと言のおかげです。

就職が決まってからも、最後のお稽古に室町六角の教室に 何回か通いました。
暮れも押し迫った頃だと 記憶しています。教室の大きなガラス障子から見える 見慣れた広いお庭が、うっすら雪で覆われていました。
「篆書まで行かんのに名前をあげるのは、あんたが はじめてや」
そう言って、わたしに 『秀山』 という名前をくださいました。
就職祝いの意味もあったのでしょうが、長いあいだ習いつづけたことの ご褒美だったと思います。
楷書、行書、草書、隷書まで峻山先生に教えていただいたのに、先生の書の真髄である篆書を 習わず仕舞になったことが、悔やまれます。

その後、本格的に書道に親しむことは ありませんでした。

「夜長 本読む」
秋が肌に感じる頃になると、この字を思い出します。




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