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つれづれ

思いつくままに

一命

2011-10-31 19:16:59 | Weblog
奈良東大寺法華堂(三月堂)が、奈良時代の建築や仏像彫刻の基準点であることが、このたびの八角須弥壇の修理で確認された。
木材の高度な年輪調査技術によって、須弥壇部材の一本が 729年伐採のものと判明したからである。
仏教に深く帰依した聖武天皇と光明皇后が、皇太子(基王(もといおう))を幼くして失くした翌年である。

今朝の朝日新聞に、仏像を取り除いた この八角須弥壇修理の様子が、詳しく掲載されていた。
修理前にこの須弥壇に安置されていた仏像は、本尊の不空羂索観音、脇侍の日光・月光菩薩、そして北面に厨子内安置の秘仏・執金剛神であった。
ところが創建当時には これらに加えて、戒壇院にある天平彫刻の傑作、四天王像もこの壇に載っていた、というニュースである。
まして、北面に厨子内安置されていた秘仏・執金剛神は、厨子なしであったというではないか。
仏像ファンにとって、まさに垂涎の共演である。

ところで この執金剛神像は、毎年12月16日の開山忌にのみ開扉される秘仏である。
ぼくは、一度もこの霊像を拝したことがない。
たぶん今年も、修理のために、良弁僧正開山忌にも拝せないであろう。

この執金剛神は、写真で見る限り、戒壇院四天王像の増長天に似ている。
しかしもっと怒っている。
悲しい怒りである。
全身で泣いている。


この忿怒の相を、映画「一命」の中の、市川海老蔵演じる廃藩浪人・津雲半四郎に見た。
悲しい怒りを、見事に演じている。
まるで、三月堂の執金剛神の怒りを見るようであった。

原作のしっかりした映画には、スキがない。
脚本、監督、そして演じる役者たちの、映画をつらぬく筋の通った一本の強い思いは、観るものに身震いを伴う感動を与えるものである。
時代劇という手段を使って、現代の闇に対する忿怒を訴えている。
狂言切腹という、現代社会ではあり得ない事態を題材にして、現代の闇に切りつけている。

瑛太もいい。
瑛太演じる千々岩求女の、5分に及ぶ壮絶な竹光切腹シーンは、むごたらしさを通り越して 求女の無念が、自分のことのように胸を刺した。
満島ひかりの時代劇姿に ちょっと心配していたが、ぜんぜん違和感はなかった。
ただただ 愛する者に縋って信じて‘いま’を生きるしかない美穂の役を、期待通りの いや期待以上に演じてくれていた。
津雲半四郎や千々岩求女と対峙する、井伊家家老・斎藤勘解由役の、役所広司。
たぶん関ヶ原合戦での深傷が原因であろう跛をひいて、ほとんど坐り芝居で、‘許せぬ’正論をつらぬく役どころを 人間的に演じていた。
移りゆく時代を武士道の一念で負う 権力の象徴としての斎藤勘解由を、どうしても徹底的に憎むことができない。
そう思わせる正論者を、実にうまく表現している。
役所広司ならではの、斎藤勘解由である。

映画ファンにとって、まさに垂涎の共演であった。


いま、不思議な感覚に浸っている。
執金剛神の忿怒の相が、津雲半四郎の忿怒の相が、たまらなく懐かしいのである。
20歳代はじめ、ぼくたちは いつも怒っていたように思う。
理不尽な権力に向かって、激しく叫んでいたように思う。

それがいつしか、おとなしい日本人になってしまった。
ことに 若い人たちが、公憤している場面に出くわさなくなった。
一命を賭して 憤っている姿を見なくなって、久しい。
いい世の中になったから、だろうか。

真剣勝負の刃を交わしたことのない 太平の世の侍たちが居並ぶ白洲で、津雲半四郎は、絞り出すように こう叫ぶ。
「そこもとたちも ちょっとした運命の差で、千々岩求女と同じ境遇になっていたやも知れぬ。そのことに思いをいたす御仁が、ここにはひと方も おいでではなかったのか」

ズタズタに切りつけられた津雲半四郎が 薄れゆく意識の中で思い出す場面は、求女や美穂とともに 初孫の誕生を祝った頃であった。
あたりまえの、ささやかな幸せであった。

忘れられないシーンがある。

廃寺の我が家にムクロとなって担ぎ込まれた求女の 血だらけの手のひらから、美穂は、竹光の大きなとげを 一本一本抜き取ってゆく。
求女の懐から取り出した包みの中の菓子を、求女が死を賭して妻子のために懐に入れた菓子を、美穂は、亡骸となった我が子の口に含ませたあと、無理にも食べ干す。
それが、夫への せめてもの礼であった。
そして、求女の血糊の付いた竹光、折れて鋭利な刃先となった切腹竹光で、美穂は、自害する。
幼いわが子の亡骸を挟んで、ムクロの夫と川の字になって。

ぼくは、不謹慎にも美しいと思った。
とてもか弱い人間が、ただひたすら家族を信じて、愛して、そのことだけを考えて生き通した。
憐れではあるが、安らぎを感じた。
憐れの極致に咲いた、一輪のコスモスのように思えた。

忿怒は、要らないのかも知れない。
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碌山美術館

2011-10-28 19:17:27 | Weblog
長野県安曇野に、もう一度尋ねてみたい場所がある。
碌山美術館。
明治時代の彫刻家・荻原守衛の、愛と美に生きた 短い生涯をしのぶ空間である。

美術館をめぐるのは、とても楽しい。
ことに、その地に生まれ その地の人々から愛されている人間にちなんだ美術館には、なんとも言えない ぬくもりと安らぎが感じられる。
碌山美術館は、そういう場所である。

碌山館扉の内側に、「この美術館は29万9千余人の力で生まれたりき」と記されている。
県下の小中学生の寄付金を含め、多くの地元民の熱意によって誕生した美術館である。
地元学校の生徒さんや先生が、広い館内敷地に 四季折々の草花を植え、それを管理しているという。
廃材の枕木を使って建てられた 校倉造りのショップハウスは、地元のボランティアの人たちの手になるものである。

かように、安曇野に生まれた彫刻家・荻原守衛は、地元の人々の誇りなのだ。



裸婦像に接するとき、こそばいような気恥しさが伴う。
人目が気になって、じっと眺めていられないのが常である。
それが、碌山館にある裸婦像「女」の前では 釘付けにあったように長い間、突っ立ったままであった。
碌山こと荻原守衛の、30年の短い生涯の 最後の作品である。

近代日本の彫刻に造詣のきわめて浅いぼくにとって、明治の世に こんなに秀でた彫刻家がいたことは 大きな驚きであり、ワクワクするほどうれしい出あいであった。

裸婦像「女」から受けた衝撃を、うまく言葉に表せない。
同館の解説書に書かれた表現が、かろうじてこの衝撃を言い表しているように思えるので、紹介したい。

---両手を後ろで結んでひざまずき、顔は上に向けられて目を閉じ、唇はゆるく開かれています。
自然な姿としては、これ以上は無理といっていい苦しいポーズです。
苦しいけれど安定し、すっきりしています。
両ひざが たがいにくいこむような足もとから、ラセン状の動きが上へと続き、天井へ突きぬけています。
そして人体のもつふくらみとすぼまり、光と影の繰り返しが 作品にリズムを与えています。
そういう仕組みが 作品を生き生きと感じさせるのです。
 それにしても、この「女」の姿は なんとけなげで美しいことでしょう。
あの「絶望」にうちひしがれて倒れふした女は、苦しみ、歎き、悲しみながら、ついに起きあがったのです。
希望を求め、自分のこだわりをのり越えようと 精いっぱい体を起こしたとき、苦悩は喜びに変わり、「女」は輝いたのです。
この輝きこそ、解き放たれた自由な精神の姿であり、ほんものの美しさというものなのです。
この美しさが人びとに感動を与える時、美は愛となり、命もまた よみがえるのです。---

この解説には、少し注釈が必要である。

「絶望」とあるのは、作品「女」を完成する1年前の、つまり亡くなる前年の明治42年に、文展に出品して落選した「デスペア」と題した裸体像である。
裸の女性が髪を振り乱して伏せたポーズが 不謹慎という理由から、落選となったそうである。
当時の日本では、完全な裸体像の展覧会への出品は、まだ認められる時代ではなかったのである。

「デスペア」も、この「女」も、その姿かたちは、守衛が心から愛したひと、郷里の先輩である 新宿中村屋の創業者・相馬愛蔵の妻、相馬良(通称、黒光)を模したものであろう。
ともに女性の姿であるにもかかわらず、これらの肉体の迫力は、やはり 碌山の絶望と希望そのものが生み出した 迫力であった。

さらに注記しなければならないことは、先輩の妻を愛したといっても、その愛は「博愛」に近い愛であったろう。
その証拠に、守衛は誰からも慕われ愛されていた。
守衛自身が、誰をも敬い愛したからに他ならない。

荻原守衛という、明治の世に懸命に生きた薄命の芸術家の人となりを見聞するにつけ、裸婦像「女」に込められた守衛の愛を、ひしひしと感じるのである。
それは、碌山館正面砂岩に刻まれた言葉『LOVE IS ART, STRUGGLE IS BEAUTY』そのものである。
「愛は芸術なり、相克は美なり」。
生きる意味を、生きる目的を見いだすべく、美を追い求め、その最終到達点が愛であることに気づいた守衛を、人々はいまも慕い、ことに地元の人たちは彼を心から愛し、そしてぼくも強く惹かれる。

碌山館は、小さな教会風の建物である。
守衛の精神にみられる西洋のキリスト教への関心を生かしたものである。
尖塔内には碌山の鐘があり、いまでも時を告げている。
その先には、鋭い姿の不死鳥が飛んでいるはずだ。

もう一度、碌山美術館を尋ねてみたい。
そして、あの「女」に会ってみたい。


安曇野は もう、深い深い秋であろう。

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CADに思う、その2

2011-10-02 21:53:36 | Weblog
コンビニで‘おにぎり’を買って それを頬ばる前に、いつも感心させられることがあります。
この包装、うまいことできてるなぁって。
手にご飯粒はつかないし、パリッとした海苔で上手に巻けるし、よう考えてあるなぁって。
こんなアイデアは 絶対にCADでは生まれへん、そう確信できます。


もう今や 機械設計は、CADなしでは 前に進みません。
いかに適切に 過去のデータを引き出してきて、いかにうまく それらをきったりはつったりして、所要の機能を満足する形にするか、機械設計者がいまやっているのは、 そんなことです。

よく考えてみると、おもろない仕事です。
真の創造というものが、欠落している。
コンビニおにぎりの包装は、こんな設計からは 生まれるはずがない。

むかしやっていたドラフターだったら、独創的な設計ができるのか と言うと、そうとも言い切れません。
でも CAD設計よりは、コンビニおにぎりの生まれる確率は 高そうです。
過去のデータは、目の前に広げられた図面か もしくは自分の頭の中か、いずれにしても 図面に描かれる前に、いったんイメージング過程が入ります。
その過程で、設計者のオリジナルな発想が入り込むチャンスが、いやでも存在するのです。

じゃあ ドラフター設計に戻ればいいやん ということには、もうなれない。
だいいち ドラフターなるものが、設計室から消えてなくなっている。
あったとしても、使い手がない。
使い手がいたとしても、スピードを重要視する現代設計には、とても追いついていけそうもない。

では、独創的な設計は どうすればできるのか、ということになります。
それは、ポンチ絵(マンガ)しかない、ぼくは そう思います。
うまいマンガでなくても いいのです。
自分の頭の中で描いた像を、自分にも そして他人にも、理解できる‘絵’にできる能力。
欲しいですね、そんな能力が。

もちろん、頭の中の像を いきなりCAD上に表す手も、ないではありません。
しかし、イメージングという過程は、頭の中と手先のエンピツの動きと 行ったり来たりしながら、膨らんでくるものでしょう。
いきなり CAD上では、ぼくは無理です。


説得力のあるポンチ絵と習熟したCAD、この組み合わせが、これからの機械設計者には 必須となる。
コンビニおにぎりを頬ばりながら、そんなことを考えていました。
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