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つれづれ

思いつくままに

日はまた昇る

2010-11-25 22:13:36 | Weblog
「日はまた昇る」、文豪ヘミングウェイの代表作ですね。
恥ずかしながら、ぼくは まだ読んでいません。
読んでないけれど、この「日はまた昇る」という題名に、とても心地よい響きを感じるのです。

この題名「日はまた昇る」は、復活をかけるという意味ではなく、むしろ 変わらぬ生活に対するやるせなさを、表しているのだそうです。
それでも ぼくは、「日はまた昇る」というフレーズから、なにか ほっとする安らぎをもらえるような気が、ことに今、しています。


山本有三著「心に太陽を持て」を読んだのは、ずいぶん昔です。
古い本棚から、日本少國民文庫版(新潮社 昭和23年刊)の、赤茶けた絵入り本を見つけ出しました。
長いときを隔てて いま、「心に太陽を持て」というフレーズが、これまで ぼくの体内に大きな位置を占めていたことに気付きました。
ですが、いま読み返して、それほど感動する文章でないのが不思議です。
巻頭に載っているのは、ツェーザル・フライシュレン作・山本有三訳の詩、「心に太陽を持て」です。

   心に太陽を持て
   あらしが吹こうが、雪がふろうが
   天には雲、
   地には争いが絶えなかろうが!
   心に太陽を持て
   そうすりゃ、何がこようと平気じゃないか!
   どんな暗い日だって
   それが明るくしてくれる!

   くちびるに歌を持て
   ほがらかな調子で。
   毎日の苦労に
   よし心配が絶えなくとも!
   くちびるに歌を持て
   そうすりゃ、何がこようと平気じゃないか!
   どんなさびしい日だって
   それが元気にしてくれる!

   他人のためにも、ことばを持て
   なやみ、苦しんでいる他人のためにも。
   そうして、なんでこんなにほがらかでいられるのか、
   それをこう話してやるのだ!
   くちびるに歌を持て。
   勇気を失うな。
   心に太陽を持て。
   そうすりゃ、なんだってふっ飛んでしまう!
  
この詩に出会ったときの感動が、いま、蘇えりません。
それよりも、「心に太陽を持て」というフレーズに、だいぶ疲れました。
もうええやん、そんな気分なのです。


晩秋の朝、いま、東南東の空から、太陽が昇り始めました。
自然に合掌します。
そして、「日はまた昇る」と唱えます。
いまのぼくには、「心に太陽を持て」よりも、「日はまた昇る」なのです。

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五百羅漢寺

2010-11-16 18:04:32 | Weblog
羅漢寺といえば、たいていの人は 大分県耶馬渓の羅漢寺を思い起こします。
でも 羅漢寺と名のつく寺は、全国あちこちにあります。
ただ 彦根にある羅漢寺(正式には天寧寺(てんねいじ))は、あまり知られていません。

会社の林君が「彦根の五百羅漢さん、知ったはりますか」と、ぼくが寺巡りを楽しみにしているのを知っていて、そう問いかけてくれました。
彦根の営業先様から こんないいところがあるよ、と 教えてもらったのだそうです。
ラーメンのうまいところがあるよ と同じ感覚で、さっそく彦根へ出かけました。

彦根の五百羅漢寺、天寧寺は、城下町を一望できる丘の上にある、曹洞宗のお寺でした。
簡単に手に入る彦根のパンフレットには、案内がありません。
天寧寺は 井伊家ゆかりの檀家寺であり、たぶん 拝観料云々を問題としないからでしょう。

五百羅漢・天寧寺は、建てられてまだ200年も経たないお寺ですが、その建立発願の心に惹かれます。

幕末、彦根藩に、大椿事が起こりました。
男子禁制の槻御殿で、奥勤めの腰元・若竹が、お子を宿しているらしい という風評が広まります。
それが、藩主・井伊直中の耳にも届きます。
大奥の取締まりのためにも 若竹を詰問しますが、口を固く閉ざして 相手の名を明かしません。
ついには、不義はお家のご法度との理由で、若竹はお手打ちとなります。
後になって、若竹の相手が、藩主の長男・直清であることが あきらかになります。
藩主・直中公は、不知とはいえ、けなげな若竹と腹の子すなわち初孫を 葬ったことになったのです。

直中公の心痛、計り知れません。
直中公は、若竹と初孫の菩提を弔うため、この天寧寺を建立します。
京都の大仏師・駒井朝運に命じて 五百羅漢を彫らせ、仏殿(羅漢堂)に安置しました。

ちなみに 直中公は、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の父です。
井伊直弼公も、この天寧寺をこよなく愛し、ここから見る彦根城下を いとおしんだと聞きます。

広いお堂三面に、びっしりと並ぶ羅漢さんたち。
どのお顔も 表情豊かでおもしろく、ぼくは時間の経つのを忘れて、ひとつひとつのお顔を辿っていました。

境内は きわめて静かで、丘を覆う木々は、はや紅葉の終わりを告げていました。
こういう情景に出くわすと、きまって思い出す句があります。
良寛さんの、辞世の句とも思える、つぎのような句です。

   うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ

彦根の五百羅漢寺での、秋を惜しむ 安寧なひとときでした。

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火の鳥ニッポン

2010-11-16 11:25:41 | Weblog
かって東洋の魔女と呼ばれ、日本女子の粘り強さを世界に知らしめたバレーボールに、不死鳥の確かな予感が芽生えました。
女子バレー世界選手権、銅メダル。
ほんとによく頑張りました。

ハイライトは、ブラジル戦第二セットでした。
第一セットを25対22で取り、世界ランク一位のブラジルを動揺させました。
そして、第二セット。
女子バレーは、ラリーが続くからシビレます。
ジュースに次ぐジュース、ついに35対33で ブラジルからこのセットをもぎ取ったのです。
結果的には フルセットで敗れたものの、この第二セットを取ったことは、日本チームにどれほど自信をつけたことか。

バレーボールは 背の高い選手が絶対に有利だ、9人制のバレーボールしか知らない私も、上背の差を嫌というほど味わいました。
真鍋新監督は、「日本は身長が低いから、世界の最先端をいかなければ勝てない」ことを百も承知です。
体格の劣勢は、頭脳と練習と気力でカバーするしかありません。

移動攻撃の名手だった大友選手が 一児の母の山本選手として復帰しましたが、彼女が「選手全員がパソコンを持ち歩いているのにびっくりしました」とコメントしていたのが、印象的です。
データバレーが浸透したのです。
緻密なバレーは、スタッフを含めたチーム全体が一つにならなければ、達成できません。
極言すれば、ラッキーガールは歓迎だけれど スーパー選手は要らないのです。

ブロック、レシーブアンドパス、トスそしてアタック、これらの一連の動作で 上背で差がつくのは、ブロックとアタックです。

まず、不利なブロック対策。
人をマークして 最初からヤマを張って先に飛ぶコミットブロック一点張りから、トスを上げたのを見て反応して飛ぶリードブロックを、随所に取り入れていました。
スカッとしたブロックポイントはあげられなくても、ネット近くの強打を防ぐことができるのです。
「相手の高さには届かなくても、コートの真ん中だけには打たせたくなかった」と語っていた センター井上選手の言葉が、その効果を十分に証明しています。

次に、もうひとつ不利なアタック対策。
その最たるものが、バックアタックです。
速いバックアタックを使って、相手のブロックが揃う前に打つ。

もちろん、対策したブロックもアタックも、相手の攻撃の傾向や守備の弱点をつかむための 徹底したデータ分析が、その根底にあります。

アタッカーを経験された方なら合点していただけると思いますが、いいトスがあがれば、アタッカーはどれほど気持ちよく打てるか。
セッター竹下選手のトスは、絶品です。
芸術作品です。
いちど、竹下選手があげてくれたトスでアタックしてみたい、そんな夢想を抱きます。

この大会の個人表彰で、リベロの最優秀選手に アメリカのシコラ選手が選ばれましたが、私が選考委員なら 絶対に佐野選手を選びます。
佐野選手の成長には、目を見張ります。
男子バレー選手のアタックを、何度も何度も受けて練習したと聞きます。
あの小さい体で、2メートル近いアタッカーのスパイクを受ける姿を見ていると、身震いするくらい感動します。

日本のリベロとトッサーは、世界一です。
ロンドン五輪が楽しみです。
日本チームの愛称“火の鳥ニッポン”、いいネーミングですね。
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コスト高

2010-11-15 13:53:00 | Weblog
ものづくり日本の最大の悩みは、コスト高ではないでしょうか。

ファッションの世界ですら、高いブランドものを敬遠する風潮です。
メイドインジャパンというブランドは、まずコストで ふるい落とされるケースが多いと聞きます。
日本のものづくりの高い技術力が、メイドインジャパンというブランドを生みだしましたが、その技術力そのものも、近頃ではコモディティ化されて、安価な近隣外国製品でも 粗悪品とは言えなくなってきているからです。

いいものを安くつくる、言うは易く・・・です。

普通のサラリーマンが、家庭をもち 子供を育て、人並みな生活レベルを保とうとすれば、乱暴に言って 月30万円は要るでしょう。
安定した大手企業のサラリーマンはいざ知らず、現実として月30万円を稼ぐのは、並大抵の労力ではありません。
ローンを組むにしても、ボーナス払い組込みローンは、確実なボーナス額が読めないのですから、危なくて組めないのが現状です。
とはいうものの、世間並みのつきあいをし、常識人として日本でまともに生活するには、ボーナスなしでも月30万円なければやっていけない国に、いまや日本という国は なってしまったのです。

そんな日本人で稼働している メイドインジャパンの工場では、製造コストに占める人件費の割合が、近隣他国に比べて格段に高くならざるを得ません。
コスト高を克服しようと努力する 日本企業の経営者も勤労者も共に、いまの日本は、きわめて悩ましい状態と言わざるを得ません。

昨日放映された NHKスペシャル「灼熱アジア第4回 日韓中緑色戦争」を、見られた方は多いと思います。
この中で、中国の環境ビジネスに打って出た日本の中小企業、排水処理装置を売り込む大和化学工業が紹介されていました。
大和化学工業の土井社長は、自社の絶対的な技術力を確信しながらも、コスト高が大きな悩みです。
「低炭素・緑色成長」を国策に掲げて 官民一体で攻めまくる韓国企業に太刀打つには、決死のビジネスモデル大転換が必要でした。
それは、自前での生産をあきらめ、装置技術を中国企業に開示して生産を委託する、という選択でした。
自社技術の流出も、覚悟の上です。

土井社長の歯がゆさが、ひしひしと伝わってきます。
日本政府後押しの不甲斐なさ、無償で自社技術が奪われていく危うさ、日本でものが作れない悔しさ・・・
一にも二にも コストを下げるため、歯を食いしばらねばならない試練です。

土井社長の決断が 吉と出るか凶と出るか、その検証は まだまだ先のことになるでしょう。
でも 身近な地元中小企業の先例でも、中国での成功は 容易なことではなさそうです。

中国市場を狙う場合だけではありません。
いま日本は、コスト高の悩みが、企業が生き延びていくうえでの、致命的な問題になってしまいました。

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いいちこのコマーシャルソング

2010-11-12 04:46:14 | Weblog
ついこの間まで いいちこのテレビコマーシャルで流れていた、ビリーバンバンの<また君に恋してる>、このごろ聞かなくなりましたね。
こう話して、多くの人たちが きっと「そう言えばそうだね」と答えてくれそうな気がします。
<また君に恋してる>という曲そのものも、もちろん大好きです。
でも、こんなやり取りが 見知らない人とも交わせることが、とてもうれしいのです。

毎夏 若狭和田へ海水浴に行っていた頃、浜茶屋のスピーカから 海風に強弱されながら砂浜を流れていた歌、倍賞千恵子の<下町の太陽>を、あのころの若者なら たぶん誰もが知っていたでしょう。
ピンクレディの<UFO>を、好むと好まざるにかかわらず、小さな子からお年寄りまで、知らない人はいませんでした。

そんな“みんなの歌”は、ウォークマンが世に出だしたころから、しだいにプライベートな曲に変わって行ったような気がします。
地下鉄で見かける青年の、装着しているかいないかわからないような イヤホーンから、かすかに漏れ聞こえる旋律、たぶん知らない曲だろうけれど、一緒に聞かせてほしいなぁ と思うことがあります。
間違いなく、聞かせてもらっても、チンプンカンプンでしょうけれど。

映画 『天国はまだ遠く』 のエンディングに流れていた、熊木杏里の<~こと~>という曲、いいよね って言っても、「さぁどんな歌かなぁ」と返されそうです。
以前なら、映画音楽といえば、ほとんどの人が知っていてくれたのに。
でも、いいちこのテレビコマーシャルソングに使われてた あの曲なんだけどねって言ったら、あぁあの曲ねって答えてくれますよね。
ひと昔前の“みんなの歌”の役目をしてるのは、いまは テレビコマーシャルソングなのかも知れません。

そんなことを あれこれ考えながら いま、眠れぬ夜長に シングルCDで ビリーバンバンの<また君に恋してる>を、くり返しくり返し 聞いています。
  若かっただけで 許された罪
  残った傷にも 陽が滲む
  幸せの意味に 戸惑うときも
  ふたりは気持ちを つないでた
  いつか雨に 失くした空も
  涙ふけば 虹も架かるよ
  また君に恋してる
  いままでよりも深く
  まだ君を好きになれる
  心から

きっとこの二人、高校時代から同棲してたんだね、ちょっと長過ぎた同棲で倦怠期に来てるんだね、でもまだ愛し合ってるんだ・・・
そんな 余計なお世話な話にでも、きっと「そうかもね」とか「そんなことないよ」とか答えてくれそう。
それが、うれしいんです。
    
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ウォシュレット

2010-11-11 17:57:55 | Weblog

物騒な今の世情に、のんきな内容のブログばかり書いていて、申し訳ない気持ちです。
映画紹介も だから、どうしてもだれかに聞いてほしい と、強く思ったときだけにします。
荻上直子監督の映画 『トイレット』 は、その どうしても聞いてほしい作品です。

タイトルからして、普段着以上の親しみを感じませんか。
なんだかんだ言っても、ふだんの関心事は「おいしいもん食べたいなぁ」とか、「うんこの出がわるいねん」とか・・・ですよね。
映画 『トイレット』は、そういう路線の欲求も 満たしてくれます。
『かもめ食堂』 そして 『めがね』 で、今までの日本映画にない なにかを予感していました。
最新作 『トイレット』 で、そのなにかを 発見できたような気がします。
その なにかとは・・・

ところで、最近トイレにいる時間が、長くなりました。
年齢のせいばかりでは なさそうです。
ひと昔前に比べれば、格段にトイレの居心地が良くなったことが、大きいと思います。
居心地の良い最大の功績は、ウォシュレット。
確かに ウォシュレットは、日本の偉大なテクノロジーと 日本人の高品位なデリカシーの結晶ですね。
映画 『トイレット』 をみて、日本のウォシュレットの偉大さを、改めて思い知らされました。

それは さておき。
ネットで拝見するだけですが、荻上直子監督って、ほんとにキュートな方ですね。
さて、この映画で発見した“なにか”を くどくど説明するのは、よします。
映画 『トイレット』公式サイト(http://www.cinemacafe.net/official/toilet-movie)を覗かれたら、わくわくしながら その“なにか”が見つかりますから。

まだ どこかの映画館で、上映しているはずです。
お薦めします、ぜひぜひ ご覧になってください。
よけいな おせっかいですが、ご覧になって 十分楽しまれた方は、「ほぼ日刊イトイ新聞-荻上直子さんと、『トイレット』のごはん」(http://www.1101.com/iijima_shokudo/ogigami/2010-08-23.html)にアクセスされたら、もっと楽しくなりますよ。

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高橋まゆみ人形館

2010-11-06 11:53:56 | Weblog
高橋まゆみさんの人形に出会いたくて、奥信濃・飯山へ出かけました。

今年の春、高橋まゆみさんの嫁ぎ地・長野県飯山市に、彼女の作品を常設する 市営の人形館が完成しました。
いちど訪ねてみたい、と思っていました。
全国各地で展示会が催されていたようですが、見る機会がなかったのです。

朝9時開館に合わせて 到着すると、すでに かなりの拝観者で混雑していました。
館を出る頃には、入館待ちの列ができていたほどです。
彼女の人形に惹かれる人が こんなに多くいることに、なにかうれしい気持でした。

山口県萩市在住の元教師・陽(みなみ)信孝氏の著書『八重子のハミング』に載せられた短歌に感動して、高橋まゆみさんは、愛せずにはいられない老夫婦の「こころの叫び」を、 何点もの人形の姿に 表現されています。
陽信孝氏は、自身もいくつもの癌と闘いながら、アルツハイマーに侵された奥様との葛藤の日々を、『八重子のハミング』に綴られました。

人形<雪の中>という作品の前で、わたしは目頭が熱くなりました。
雪の中、おじいさんの帰りを待つ痴呆のおばあさんの後ろから、ぎゅーっと抱きしめるおじいさん。
  幾たびも われの帰りを 立たずみて 待つ妻の背に 雪は積もれり (短歌 陽信孝作)

年をとるということは、悲しいことです。
でも 年を重ねて 初めて、どうしようもない愛、人間の美しさが理解できるように思います。
高橋まゆみさんの言葉をお借りして言うなら、その愛は、傷つけ愛、なぐさめ愛、許し愛、ぶつかり愛、助け愛、みとめ愛・・・

彼女の人形には、限りない人間賛歌が埋め込まれています。
彼女のファンは、その賛歌を聞きたいばかりに、この人形館にやってくるのでしょう。
わたしも、そのひとりです。

奥信濃は いま、かすかに冬の気配が漂っていました。

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立松和平

2010-11-01 09:16:32 | Weblog
作家・立松和平が、今年の2月に亡くなりました。
多臓器不全という病名の死でした。
享年62歳、ぼくの二つ年下です。

波長の合う 同世代の作家というものは、そう ざらに見つかるものではありません。
大ファンでした。
ぼくのできないことを いとも自然にこなし、ぼくの行けない場所に 精力的に飛び回っていた。
元気いっぱいだったという印象が強すぎて、彼の死は 少なからずショックでした。

立松和平の絶筆となった作品『はじめての老い さいごの老い』(主婦の友社刊)のなかで、彼が父上の告別式で挨拶する場面が描かれています。
「父は愚直でした---」という出だしで始まる挨拶です。
  「---父は正直者で、名もなく、実直な働き者でした。
  父は同世代の人たちと同様 戦争でたいへんに苦労しましたが、幸いに命ながらえて 故郷の帰ってきて、ここでも実直に働き、私たち家族を支えてくれました。
  この国は、父のような無数の大衆がつくり上げた国なのだということを、今、棺を蓋うにあたって、私は考えました。
  父は功名心があるわけでもなく、大衆の一人として黙って生き、黙って死んでいきました。
  そんな父を、私は誇りに思っています」

先日、息子と昼食をともにしているとき、話題が葬式のはなしになって、ぼくの葬式をやってくれるんなら なるべく地味にしてくれよな、と言いますと、息子は笑いながらそっぽっを向いてしまいました。
ぼくは、言うならいましかない と、立松和平の父上の告別式での挨拶を口真似して、こう続けました。
「お前がおれの告別式に挨拶をするときは、立松和平のように言ってくれよな」
息子は、ますます横を向いてしまいました。
そばから 家内が、
「そんなことは、本人が言うことじゃぁないでしょ!」
と、ぼくを諭しました。
もっともです。

誰だって、若いときがありました。
そして 若さは、誰もが最初で最後の経験です。
同様に、誰だって老いるときは 初めての経験です。
そして 老いも、一度きりの経験です。
ぼくには、ひやひやものです。

立松和平も、死にいたる病の期間が短かったにしても、苦しかっただろう、怖かっただろう。
でも 傍目には、理想のフェイドアウトの姿でした。

立松和平は、最後まで ぼくの理想の姿で、人生を駆け抜けて 逝ってしまいました。

    
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