恥ずかしながら、ぼくは まだ読んでいません。
読んでないけれど、この「日はまた昇る」という題名に、とても心地よい響きを感じるのです。
この題名「日はまた昇る」は、復活をかけるという意味ではなく、むしろ 変わらぬ生活に対するやるせなさを、表しているのだそうです。
それでも ぼくは、「日はまた昇る」というフレーズから、なにか ほっとする安らぎをもらえるような気が、ことに今、しています。
山本有三著「心に太陽を持て」を読んだのは、ずいぶん昔です。
古い本棚から、日本少國民文庫版(新潮社 昭和23年刊)の、赤茶けた絵入り本を見つけ出しました。
長いときを隔てて いま、「心に太陽を持て」というフレーズが、これまで ぼくの体内に大きな位置を占めていたことに気付きました。
ですが、いま読み返して、それほど感動する文章でないのが不思議です。
巻頭に載っているのは、ツェーザル・フライシュレン作・山本有三訳の詩、「心に太陽を持て」です。
心に太陽を持て
あらしが吹こうが、雪がふろうが
天には雲、
地には争いが絶えなかろうが!
心に太陽を持て
そうすりゃ、何がこようと平気じゃないか!
どんな暗い日だって
それが明るくしてくれる!
くちびるに歌を持て
ほがらかな調子で。
毎日の苦労に
よし心配が絶えなくとも!
くちびるに歌を持て
そうすりゃ、何がこようと平気じゃないか!
どんなさびしい日だって
それが元気にしてくれる!
他人のためにも、ことばを持て
なやみ、苦しんでいる他人のためにも。
そうして、なんでこんなにほがらかでいられるのか、
それをこう話してやるのだ!
くちびるに歌を持て。
勇気を失うな。
心に太陽を持て。
そうすりゃ、なんだってふっ飛んでしまう!
この詩に出会ったときの感動が、いま、蘇えりません。
それよりも、「心に太陽を持て」というフレーズに、だいぶ疲れました。
もうええやん、そんな気分なのです。
晩秋の朝、いま、東南東の空から、太陽が昇り始めました。
自然に合掌します。
そして、「日はまた昇る」と唱えます。
いまのぼくには、「心に太陽を持て」よりも、「日はまた昇る」なのです。






