成毛眞『日本人の9割に英語はいらない』(祥伝社、2011年)
<日本人の9割は、実は英語なんて必要ないのです>。私もそう思うって、書いたところで、だれも注目しないだろうけど、元マイクロソフト日本法人社長という肩書きのこの人がどういう意図でこんな本を書いたのか、私には分からないし、またしらなくてもいいが、その肩書の人がこんな主張をしているということで、世の中の人はみんな注目するだろう。
今や小学校から英語教育が始まり、英語が出来なきゃ人間じゃないみたいな風潮になっている。その前にきちんとした日本語を話したり書いたりする能力をつけることが大事だろうというような主張は、もちろん出ているが、大方無視されている。
なぜこんなにも英語教育がオーパーヒートするのか? 中学高校と3年間英語を勉強したのにちっとも喋れない、海外展開をしているのに、外国のビジネスマンと英語で営業ができない、そういうシーンがよく出てくるのを見せつけられて、英語でビジネスができるようにする教育が必要なんじゃないかという発想なのだろう。
そもそもどうして日本人が英語を中学高校と勉強しなければならないのか?こんなことを問題にしてみる必要のほうが大きいのに、英語を喋れないといけないということが前提に話が進んでいる。
英語は必要だ。必要なところには必要だ。だが日本人が日本人として幸せに暮らすためには必要ではない。これから観光立国をして海外からたくさんの観光客が来るようになったとしても、また海外展開する企業が多少増えたとしても、これは変わらない。
実際にビジネスで海外とのフロントラインにたって英語で営業をする必要がある人というのはこの著者が言うように日本人の1割にも満たない。1割って1千万人でっせ。東京の人口全員が英語ペラペラってことですよ。こんなに英語ペラペラのビジネスマンはいらないだろう。逆に言えば、それだけいれば十分でしょう。ところがもう日本人みんな英語がペラペラにならなければ人間じゃないみたいな風潮になっていることに、この人は警鐘を鳴らしている。当然のことだ。
よく海外に派遣されて英語が話せなくて苦労するという話がある。そういう話を聞くたびに私は思う。どうして英語の出来る人を出さないのだろうか?そもそも海外展開をするような会社なのに英語ができるかどうかで採用を決めるということがほとんどない。世の中とくに女性で英語が出来る人はごまんといるのに、そういう女性たちを採用しないで、ろくに能力もない男ばかり採用している会社がどれだけ多いことか。最初から英語のできる女性を採用して、海外に派遣すれば、海外からも日本人は英語ができないと馬鹿にされることもないだろうに。
英語が必要なところはなくならないだろうが、だからといって日本人全員が英語を喋れるようにならなければならないという論理はありえない。だから英語を喋れるようになりたい人だけが自分のお金で勉強すればいいのだ。とうぜん英語の喋れる人はそれだけの努力をしてきたのだし、喋れない人よりも優遇されるべきだろう。あるいはそういう人達を国として養成するべきという考えがあってもいいかもしれない。しかしいずれにしても、ごく一部に英語の堪能な人たちがいればいいことだろう。これはもちろん他の外国語すべてに言えることだ。
もちろん高校で教養として外国語を勉強するというのはまた別の話である。高校くらいになれば、そういうことをしてもいいだろう。そこではもちろん英語だけではなくて、アジア近隣の言語を中心として、好きな外国語を勉強する機会が与えられるべきだろう。
ほんと、英語業界と文部科学省に騙されてはいけないよ。推理小説の殺人の真犯人を推理する場面ではないが、これでいったい誰が得するのかよく考えてご覧なさい。そいつらがこの風潮の真犯人。
日本人の9割に英語はいらない | |
成毛眞 | |
祥伝社 |
今や小学校から英語教育が始まり、英語が出来なきゃ人間じゃないみたいな風潮になっている。その前にきちんとした日本語を話したり書いたりする能力をつけることが大事だろうというような主張は、もちろん出ているが、大方無視されている。
なぜこんなにも英語教育がオーパーヒートするのか? 中学高校と3年間英語を勉強したのにちっとも喋れない、海外展開をしているのに、外国のビジネスマンと英語で営業ができない、そういうシーンがよく出てくるのを見せつけられて、英語でビジネスができるようにする教育が必要なんじゃないかという発想なのだろう。
そもそもどうして日本人が英語を中学高校と勉強しなければならないのか?こんなことを問題にしてみる必要のほうが大きいのに、英語を喋れないといけないということが前提に話が進んでいる。
英語は必要だ。必要なところには必要だ。だが日本人が日本人として幸せに暮らすためには必要ではない。これから観光立国をして海外からたくさんの観光客が来るようになったとしても、また海外展開する企業が多少増えたとしても、これは変わらない。
実際にビジネスで海外とのフロントラインにたって英語で営業をする必要がある人というのはこの著者が言うように日本人の1割にも満たない。1割って1千万人でっせ。東京の人口全員が英語ペラペラってことですよ。こんなに英語ペラペラのビジネスマンはいらないだろう。逆に言えば、それだけいれば十分でしょう。ところがもう日本人みんな英語がペラペラにならなければ人間じゃないみたいな風潮になっていることに、この人は警鐘を鳴らしている。当然のことだ。
よく海外に派遣されて英語が話せなくて苦労するという話がある。そういう話を聞くたびに私は思う。どうして英語の出来る人を出さないのだろうか?そもそも海外展開をするような会社なのに英語ができるかどうかで採用を決めるということがほとんどない。世の中とくに女性で英語が出来る人はごまんといるのに、そういう女性たちを採用しないで、ろくに能力もない男ばかり採用している会社がどれだけ多いことか。最初から英語のできる女性を採用して、海外に派遣すれば、海外からも日本人は英語ができないと馬鹿にされることもないだろうに。
英語が必要なところはなくならないだろうが、だからといって日本人全員が英語を喋れるようにならなければならないという論理はありえない。だから英語を喋れるようになりたい人だけが自分のお金で勉強すればいいのだ。とうぜん英語の喋れる人はそれだけの努力をしてきたのだし、喋れない人よりも優遇されるべきだろう。あるいはそういう人達を国として養成するべきという考えがあってもいいかもしれない。しかしいずれにしても、ごく一部に英語の堪能な人たちがいればいいことだろう。これはもちろん他の外国語すべてに言えることだ。
もちろん高校で教養として外国語を勉強するというのはまた別の話である。高校くらいになれば、そういうことをしてもいいだろう。そこではもちろん英語だけではなくて、アジア近隣の言語を中心として、好きな外国語を勉強する機会が与えられるべきだろう。
ほんと、英語業界と文部科学省に騙されてはいけないよ。推理小説の殺人の真犯人を推理する場面ではないが、これでいったい誰が得するのかよく考えてご覧なさい。そいつらがこの風潮の真犯人。