読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「知の編集術」

2007年12月27日 | 人文科学系
松岡正剛『知の編集術』(講談社現代新書、2000年)

いわずと知れた書評サイト「千夜千冊」で超有名な人であり、現代の知の巨人のようにも言われている人だから、私でも知っている。Wikipediaで経歴を読んでみると、なかなかすごい。やっぱり猛烈に仕事をしている人って、高校生の頃からすでに頭角を現していることが多いようだ。笠井潔だとか立花隆だとか、みんな高校生の頃からすごい読書量だっただけでなく、自分の言葉でいろいろな発言もしてきている。自分で語る(文章でも口頭でも)のがすごい。

この人の特徴は、この本の中でも回想として触れていたが、学問の垣根をとっぱらった横断的な思考にあるように見受けた。どうも湯川秀樹が晩年に自分の自然観を語るのに日本古来の思想の概念を用いているのをみて、自分もやってみようと思ったらしい。私などはそうした学際的、横断的な思考が苦手なので、こういう人は敬意を抱いてしまう。たしかにいっけん関係ないように見える二つの点と点を結ぶ線が見えてくると、点がおおきな広がりをもって重要なものとして認識される。それはちょうど脳内のニューロンの動きと同じで、こうした思考ができる人というのはニューロンの活動がものすごく活発で盛んにニューロンが足をあちこちに伸ばして、いろんな方向につながりを作っているのだろうなと感心するのだ。

またこの人は目次読みというのをやるそうな。目次をじっくり読んで、本文に何がかいてあるか予想するらしい。そうすることで読みが深くなるとのこと。これって私が少し前に読んだ斉藤英治『ホワイトハウスの記憶速読術』に似たようなことが書いてあった。やっぱり思考によってなにかを生み出すような人たちには共通の手法というものがあるのだろうな。

「千夜千冊」は全8冊の「松岡正剛 千夜千冊」として2006年に出版されたが、一万円近い(たぶん消費税を入れると一万円を超える)という高額なのに初版一千部を完売したというからすごい。他人の思考を読んで何が面白いのかと思うのだが。それにこのような仕事はこうした学際的・横断的思考そのものが面白いのであって、その結果を読んでもどこが面白いのだか私には分からない。私には一種の知的スポーツのようにしか見えない。

たしかにこの人はすごいのだが、「知の編集術」のなかで「もともと各民族の言語には「発話のための言葉」と「記述のための言葉」があった。フランス言語学ではこれをパロールとラングという。おおむねは口語体と文語体にあたる」と書いているのをみて、私はなんだこの程度の知識でものを言っているのかとちょっとがっかりきた。この人は早稲田の仏文を中退しているのだ。それなのにラングとパロールの区別も知らないで、というか、まちがった知識でものを言っているのかと思うと、一事が万事、この調子じゃ、ちょっと当てにならないなと、がっかりきたというわけ。ラングというのはある国語の規範であり、パロールは口語であれ文語であれ、実際に運用されたものなんだけどね。

でもまぁ、すごい人には違いない。

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