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古地図展

2009年03月20日 | 日々の雑感
古地図展

昨日は神戸市立博物館に「古地図に描かれた世界 アジアと日本」という特別展示を見に行った。16世紀から18世紀にヨーロッパでつくられた世界地図に日本がどんなふうに描かれているかを年代順に並べて分るようにしてある。(左の地図は、1570年の東インド諸島図)

16世紀にはただの台形でしかなかったものが18世紀になると、日本列島を素描したような形になってくる。どうも日本で作られた地図がオランダ経由で流出して、それをもとに描かれたので、そのようになったという解説であった。だから北海道はまったく描かれていないか、完全に違う形でえぞと記されている程度である。日本人の認識がその程度だったということだろう。

アジアの地図で興味深いのは、インドネシア、フィリピンあたりはかなり以前から詳細に描かれているのにたいして、朝鮮半島はまったく描かれていないか、いまのサハリンのように中国大陸から分離した形で描かれることが多いということだ。東インド会社はインドネシアを根城にして交易を行っていたので、フィリピンやインドネシアの大きな島なんかには相当行き来があったのだろう。当時の地図は実際の交通量が正確さに反映するので、朝鮮半島が無視されているということは朝鮮半島とはほとんど交易がなかったということなのだろう。

日本は黄金の国としてヨーロッパに紹介されたのはだれでも知っていることだが、朝鮮はどのように紹介されていたのだろうか。ヨーロッパ人の目的は金とか銀とかで、日本がオランダあたりと交易を始めた当初も銀が大量に流出してしまったということはどこかで読んだような気がする。朝鮮にはそういった資源が発見されておらず、ヨーロッパ人から見て魅力に乏しかったということなのかもしれない。

もう一つ企画展があった。吉宗の時代に西洋画を書いていた日本人がいたのだが、その人に照明を当てた企画である。博物館の解説をそのままここに引用する。

「石川大浪(いしかわたいろう、1762~1817)は旗本の家に生まれ、江戸城の警護などにあたる大番(おおばん)を勤める一方、洋風画家として活躍しました。8代将軍吉宗の命により舶載(はくさい)された油彩画を模写したことや、杉田玄白(すぎたげんぱく)の肖像画(重要文化財)はよく知られています。また、当代一流の知識人であった大槻玄沢(おおつきげんたく)、木村蒹葭堂(けんかどう)、谷文晁(たにぶんちょう)などとも親しく交遊しました。
 親交のあった大田南畝(なんぼ)は、随筆『一話一言』で大浪が書画の類をかなり所蔵していたことを伝えます。蔵書の全体像は不明ですが、フランス語版『イソップ物語』や最新の海外情報であったニューホフ著『東西海陸紀行』などを所蔵していたことがわかっています。
 その挿絵が、歌川国芳(うたがわくによし、1797~1861)による「忠臣蔵十一段目夜討之図(ちゅうしんぐらじゅういちだんめようちのず)」「近江の国の勇婦於兼(ゆうふおかね)」「二十四孝童子鑑(にじゅうしこうどうじかがみ)」シリーズなど、洋風浮世絵版画の源泉として活用されています。国芳は、幕末期に浮世絵のあらゆるジャンルにおいて、個性あふれる才能を発揮した人気の浮世絵師です。
 蘭学に深く関わった旗本画家と江戸っ子気質そのままの幕末の浮世絵師。大浪と国芳を繋ぐ蘭書(らんしょ)を手掛かりに二人の画業をたどります。」

石川大浪という人は、上記のように、吉宗が取り寄せさせた西洋書のイラストなどを模写することで西洋画に熟達し、杉田玄白などが医学書の解剖イラストを載せるときにその模写を手伝ったりしている。西洋書の翻訳出版などではイラスト書きとして重宝がられたようだ。もちろん彼の書いた西洋画が日本絵画の必然的発展として成り立ったものではなく、たんなる物まねに過ぎないとみなすこともできるだろうけど、原本と模写、原本とそれを参考にして書き換えられた作品とが並べて展示してあるものもあり、とくに歌川国芳の場合はプロの画家でもあり、こうした西洋画の模写が日本の浮世絵などにどのような影響があったか・なかったかを調べるのも興味深い研究になるのではないかと、ひとごとながら思う。

神戸市立博物館ってけっこうおもしろいものを収蔵しているようなので、日本国内の古地図展やヨーロッパの大都市の古地図展などもやってほしいね。

神戸市立博物館のホームページ
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