読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

桜と菜の花

2007年04月05日 | 日々の雑感
桜と菜の花

数年前になるが、桜の白色と菜の花の黄色のコントラストの鮮やかさを見たくて、上さんと春休みに宮崎の知り合いのところへ出かけたことがある。桜にはまだ早すぎたが、菜の花の黄色は堪能できた。

ところが宮崎まで出かけていかなくても、うちの近所にいま桜の白色と菜の花の黄色の鮮やかなコントラストを見ることができるところを見つけた。

今年は暖冬暖冬と言われて、例年よりも早く桜が開花して散ってしまうのではないかと思われていたが、3月の終わりになって冬に戻ったかのような寒の戻りがあり、結局は例年よりも遅いくらいの開花となった。それだけでなく、いまだにけっこう冷えるので桜の花びらのもちもよく、満開で豪華に咲き誇っている。まさに咲き誇るという言葉がふさわしいほどの豪華さだ。

いつも思うのだが、桜というのも不思議な木だ。普段は枯れ木のようになっているが、春になると突然自分の存在を誇示するかのように遠くからでも目立つ白さで周囲の常緑樹や枯草のなかに白く浮き立って見える。

とくに東北地方に見られるコントラストが美しい。桜の白、田植えの緑、そして遠景にいまだに残る残雪の白をいただいた山々の深緑。残念ながら私の田舎は雪が多いとはいえ、大山以外には4月でも残雪をいただくような山はないので、こうした遠景を見ることはなかったが、東北地方のこうした春の遠景を写真なんかで見ると、東北に住むのもいいなと思う。

大阪近辺では6月くらいにならないと田植えをしないが、寒い地方は早くから田植えをしないとたぶん日照時間が十分にならないのだろう。だから桜の季節と田植えの時期が重なるのだ。

菜の花の黄色は私の原風景のひとつでもある。家の近くには田圃ばかりだが、その一角に菜の花が植えてあるところがある。狭くて上下のある道を歩いていくとぱーっと菜の花畑が広がる。その黄色が今でも目に浮かぶ。その道のわきの田圃にはかえるの卵がいつもたくさんあった。おたまじゃくしも孵る。梅雨から夏にかけては、かえるの合唱がバックミュージックのようなものだった。

コンピュータの便利さとこうした世界とは相容れないのだろうか?
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