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『麦とクシャミ』

2019年10月19日 | 舞台芸術
劇団大阪第85回本公演『麦とクシャミ』(作:山田百次、演出:小原延之)

今年も劇団大阪の秋公演を見てきた。今年は『麦とクシャミ』という変わったタイトルの芝居だ。

昭和新山が初めて噴火したとき、つまり1943年から1946年までの有珠山の麓の村の人々の様子を描いた芝居である。

昭和新山のことは、私も小学校のときに国語の教科書に出ていたので知っている。それを詳細に記録した郵便局長がいたということは、教科書では、その人の記録をもとにできていたはずなのに、知らなかった。

おりしも第二次大戦の終盤。郵便局に出入りする村の人たちは、食べる米を供出させられ、満足に白い米を食べることもできない。原田の奥さんが大日本婦人会の炊き出し作業のときに握り飯を一つちょろまかしたと鳥谷の奥さんが不動寺の奥さんにチクる。鷹揚な不動寺の奥さんは取り合わないが、別の日に三つも握り飯をちょろまかして二人の奥さんに分け与えて、二人を驚かす。岩村さんの爺さんは人の土地の野草を勝手に取ると言って陰口を言われる。戦争と火山噴火のダブルパンチで村民はみんな困窮しているのだ。

郵便局で働いている柏は、配達助手をする原田さんの奥さんに、自分が炭鉱から逃げてきたと打ち明け、黙っていてくれと頼んでいたのに、原田さんの奥さんは不動寺の奥さんに言ってしまう。しかし不動寺の奥さんもじつは女郎だったのだと打ち明け、ここにいるものはみんな辛い過去を持っているんだと、慰めるように言う。

満州で耳を負傷し、耳が聞こえなくなったために本土に送還され、この地の連隊にいる山本は郵便局に来て、有珠山の噴火のことを村民が家族に手紙で知らせることがないように、局長に命令する。噴火口の近くに行く局長に同行した山本は満州で負傷したときのことを思い出し、激高する。(溶岩弾で死ぬという設定?)

戦争が終わり、原田さんの夫は帰還するが、島谷さんの夫は千島にいたためどうなったのか分からない。

最後は、戦争も終わり、噴火も一段落して、みんなが郵便局長さんが持ってきてくれた三ツ矢サイダーを飲んでほっと一息つくところで終わる。

何が描きたいのだろうと思う。それが本当のサイダーの味を知っている不動寺の奥さんが、サイダーを飲みながら言う「なんか違う」という言葉を聴きながら、私も思ったことだ。

火山噴火のような自然災害は、そこに生きる人々に戦争と同じような災害を与え、同じようにつらい思いをさせる。しかししかし戦争は自分たち人間が起こした悲惨な出来事として、自然災害とは違う。この芝居はこの二つをあたかも同じ次元のものであるかのように扱うという点で、「なんか違う」と私は感じたのだろうか。

演出はきめ細かくなされていて、役者たちのやり取りの微妙な間が的確に表現されていたし、場面転換に時間をかけないように、舞台の上に椅子や机を釣り上げるという奇抜な演出もなされており、ストレスなく見ることができた。

タイトルの『麦とクシャミ』ってなんだろう。『麦と兵隊』のもじり?クシャミって?麦って?

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