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『カストルとポリュックス』

2012年12月30日 | 舞台芸術
ラモー『カストルとポリュックス』(ネーデルランド=オペラ、2008年)

Rameau - Castor et Pollux - Christophe - Les Talents Lyriques

合唱・オーケストラ/Les Talents Lyriques
指揮/Christophe Rousset
カストル/Finnur Bjarnason
ポリュックス/Henk Neven
テライール/Anna Maria Panzarella
フェベ/Veronique Gens
ジュピテル/Nicolas Teste

双子のカストルとポリュックスはどちらもテライールを愛しているのだが、ポリュックスを愛するフュゼが嫉妬して、反乱を起こさせると、その反乱軍と戦ったカストルが戦死してしまう。カストルを愛していたテライールの悲痛な姿を見て、ポリュックスは冥界に降りて、カストルを生き返らせるように頼もうとする。しかし父ジュピテルが降りてきて、そのためにはポリュックスが身代わりに死ぬことになると知らせる。それを受けてポリュックスは冥界下りをする。兄弟愛からカストルは一目テライールに会ったら冥界に戻ってくるという約束をする。テライールとの再会と別れに嘆き悲しむ二人を見て、運命が書き換えられることになる、というような内容である。

ラモーの音楽悲劇第二作で初演は1737年だが、大幅に書きなおされて、1754年に再演されたほうが使われている。台本はヴォルテールからジャンティ・ベルナール(つまり優しいベルナール)とあだ名を付けられたジョゼフ・ピエール・ベルナール。もともとはプロの詩人ではなかった。ラモーはデビュー作の『イポリトとアリシ』は別として、第二作になるはずだったヴォルテール作詩『サムソン』のときに、大詩人ヴォルテールが大幅に譲歩したのに味をしめたのか、詩人にたいしてあれこれ書き直しさせることで有名になった。そのため、1730年代から40年代にかけてラモーのために詩を書いた人はプロの詩人ではないことが多かった。

この『カストルとポリュックス』は、詩の意味するところが非常に抽象的で、言い換えると紋切り型のセリフが多い。たいていの悲劇は神話をモデルにしつつも、本来詩人が目の前に具体的な情景を作り出しながら、詩を書いていなければならない。しかしそうなっていない。

この演出は、舞台美術を抽象的なものにしており、それに合わせて衣装も、古代風でも現代風でもない抽象的な衣装になっている。役者の動きは非常に緩慢で、全体を貫く雰囲気は重々しい葬儀のそれである。グルックの『アルセスト』のそれに似ている。

ラモーのオペラで重要なダンスは、18世紀のダンスを捨てて、現代風になっている、というか一種の創作ダンスのようなもの。ラモーはディヴェルティスマンのダンスによって雰囲気を暗鬱から陽気に、活気から悲痛にテンポよくコントラストよく進めようと配慮しているのだが、この演出はそれをまったく無視している。本来、ダンスにもテンポや曲想によって、雰囲気を提示する役目があるはずだが、この演出によるダンスはまったく意味をなしていない。確かに現代風なダンスにすること自体には問題はないが、意味が分からないようでは。



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