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読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『日当たりのよい人たち』

2010年04月14日 | 現代フランス小説
ジョエル・エグロフ『日当たりのよい人たち』(ロシェ書店、2000年)
Joel Egloff, Les Ensoleilles, Editions de Rocher, 2000 (Folio 3651)

1999年8月11日の昼の12時17分から32分にかけて起きた皆既日食を観ようと右往左往する10数人のフランス人たちの様子をブラックユーモアをきかせて書いた小説。

ヴァカンスで海辺に来ているが、ずっと雨で、ヴァカンスどころか日食も観ることができなかったのに、親戚への絵葉書には、ヴァカンスを楽しんでいるとか、日食を観たとか書いたことで妻と言い争いになる男性。

マンションから出るたびに、家の中のあらゆる道具や電化製品の電源がきってあるか、すべての窓の戸締りができているかを確かめてからでないと出かけられない強迫観念症の男性が、日食を観るためにすべての戸締りを確認してやっとマンションの外に出たところで、自分のマンションから煙が出ていることに気づくというブラックコメディー。

どこかのビーチに日焼けをしにやってきた水着姿の若い女性が、たぶん日食中だということもしらずに無頓着に振舞っている姿。

ロジェさんと呼ばれて、海辺の小さな町のカフェで、知り合いたちに人生のアドバイスをしたり、馬券のアドバイスをしたりして尊敬を得ている退職後の男が、一人の見知らぬ男の登場でその権威が失墜してしまう様子。

12時といっても夜の12時と勘違いしてしまう男もいれば、怪我をしたら危ないからと長い間外出させてもらえなかった老婆が日食を観たくて、腰も曲がっているのに杖を突きながら公園にやっとたどりついたけど、腰が曲がっていて見上げることができなかったとか。

恋人のエステルと公園の噴水の傍で待ち合わせしていたポールはずっと前から日食を観ながらエステルにプロポーズしようと決めていた。ところが時間になってもエステルが来ない。携帯をもっていないので連絡のとりようがなく、どこかで事故に遭ったのではないかと気になって、警察や病院に電話をしてみるが埒が明かない。友人のマルシアルのところに行けば助けてくれるだろうと思い、行ってみると、マルシアルのワイシャツをきてしどけない姿をしたエステルが彼のマンションにいたという、これも笑えない話。

最後は、いつも寝起きしている公園のベンチで寝ていると回りに大勢の人がやってきて日食を観ているので、それにならってグラスなしで日食をみて目をつぶしてしまった浮浪者の話でオチがついている。

このときの皆既日食はおそらくその情報がいきわたっていたこともあって、人類史上最も多数の人が観たのではないかといわれている。

つぎにヨーロッパとくにフランスで観察できる皆既日食は2081年で、そのとき自分はどうなっているだろうと死後の自分と死後の世界に思いをはせる女性の話もある。

「ずいぶん前から予想されているこのお祭り、でも私は招待されていないこのお祭りのことを考えると、私は絶望的になる。でも私がいなくてもみんなうまくやるのだろう。それがまた私を苦しめるものなのだ。私は自分自身にしか必要とされない。地球は回り続けるだろうし、月もおなじだ。太陽は光り輝いて、同じ場所で待っていればいいのだ。すべてが予想されたとおりになるだろう。私がいなくても。」(p.142)

なんだか私がいつも思う私の死後の世界と同じことが書いてあるのでびっくりした。そんな風に自分がいなくても世界が続くと考えることは辛いものだ。

タイトルはフランス語をそのまま訳したのだけど、なんか違うような気がする。

『教室へ』

2010年03月24日 | 現代フランス小説
フランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、2008年)

図書館には魔物が住んでいるので、あまり長居はしないことにしているのだが、このあいだは予約本もないし、とくにあらかじめ決めた本もなかったので、うろうろしているとこれが見つかった。こういう場合に意外と掘り出しものに出会ったりするものだ。

パリの19区といえば隣の18区とならんで、アラブ系やアフリカ系の移民が多数住んでいる地区で、この19区のコレージュ(中学校)で国語(フランス語)を教える「私」が語り手としての感想や意見をさしはさまないで、淡々と学校での同僚たちのストレスのたまった様子や授業の様子を記述するという体裁をとった小説である。

この小説で見える部分というのは、どうもみんな教員にやる気がないということ。たぶん移民が多くて家庭環境だって学習を促すような家庭ではなく、学力的にも落ちこぼれている子ばかりということを知っているためか。

授業の様子は「私」の教える三年一組(日本で言う中学三年生)の国語の授業だけなのだが、私の感じている授業の様子からすると、何が問題かといえば、子どもたちよりも教師の権威主義的で管理主義的な対応や、まったく工夫というものが見られない行き当たりばったりの教え方のほうにあるようにしか見えない。

たとえば手を上げて指名されてから出なければ発言してはいけないだとか、勝手に机から離れてはいけないだとか、教師の言うことを聞かないと反省文を書かされ、書かないと教室に入れてもらえないとか、とにかく管理主義的。フランスの教育ってこんなの?と疑問に感じるほど。

しかも、作者が意図的にそういう書き方をしていると私は好意的に解釈しているのだが、子どもたちが反発するようなことを平気で子どもに向かって発言している上に、それに反発した子どもをすぐに馬鹿にしたようなことを言って怒らせ、子どもが反抗的な態度を取るとすぐに校長室に連れて行ってしまう。どう見ても、子どもの気持ちになって教えようとか、子どもが理解できるようにするにはどうしたらいいかというような発想はまったく見られない。10の説明をすれば、10のことを理解してくれるということを前提に教えていて、5のことしか理解できない子どもの理解を進めるための努力などまったく念頭にないようにしか見えないのだが、どうなのだろうか?

それとやはりフランス固有の統合方式も教育を荒廃させる原因なのかなと気がする。母親が違法滞在ということで中国に強制送還されることになったミンという子の話がでてくる。おそらく数年前に中国から違法入国してきた家族の子でフランス語もほとんど話せなかったのだろうが、ミンがかなり一生懸命に勉強してそれなりにフランス語の文章も書けるようになってきた(もちろん翻訳なのでどの程度ということは分からないが、翻訳もへんな日本語を書いてその雰囲気を出そうと努力しているようだ)ことから、ミンがこのままフランスで教育を受けられるように裁判所に嘆願書を出そうということになり、その中でミンの例を「移民統合プロセス」の「模範例」と述べている。

フランスの移民政策の一つは移民も普通のフランス人と同じようにフランス語を話しフランスの国家精神を理解するというようにして、フランス人に融合することを目指しているのだが、ついこの間までまったくフランスと無縁のモラルや生活習慣や言語のなかにいた人々にそういうものを受け容れなければ、フランス人として認めないという政策は、無理があるように思う。その無理さ加減が教育に荒廃として現れているのではないだろうか。

これを読む限りでは、子どもたちは勉強なんか分からなくてもいいなんて思っている子はほとんどいない(中には例外的にいるのだろうけど)ように見受けられるのに、学力が付いていかない、それを教師がフォローしてやろうという気がまったくないようにしか見えない。学期が進むにつれて子どもたちがだんだんと荒れてくるのもうなずける。

子どもを威圧し脅し押さえつければだんだんと従順になっていくという発想そのものが、フランスの教育をダメにしているように思う。ルソーの教育論なんかまったく活かされていないようだ。

作者自身が教師役として主演した映画にもなって、2008年のカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞したらしい。(→映画のポスター。6月には岩波ホールで、夏には大阪のテアトル梅田で上演されるとのこと。映画のサイトはこちら

フィリップ・クローデル来日

2009年12月07日 | 現代フランス小説
フィリップ・クローデル来日

小説家のフィリップ・クローデルが来日したらしい。しかし今回の来日は小説家としてではなくて、現在東京のほうで上映中の映画『ずっとあなたを愛している』の監督としてということらしい。最近、いくつかの新聞でこの映画のことを中心にして、もちろん彼の小説も含めて、インタビュー記事が載っていたので、来日していることを知った。

『リンおじさんの孫娘』(邦訳では『リンさんの小さな子』となっているが、私は私のタイトルのほうが正しいし、いいと思っている。それはこの小説についてかいた7月6日のブログのほうをみていただきたい)について書いたところで、この作者はベトナムなんかにはまったく関係ない人のようなのに、なぜこんなにベトナム人の心情を思いやった小説がかけたのだろうかと不思議がっていた。

しかし、これらのインタビューを読むと、奥さんと東南アジアについてけっこう入れ込んでいた時期があったらしい。その結果、生後三ヶ月のリズ・セギュール(上の写真の少女)という女の子を養子として引き取り、育ててきて、この少女を今回の映画にもベトナム人の養子の役として出演させている。

たぶんちょうどこの少女を養子にしてベトナムから連れ帰ってきたころに、ベトナムから少女を連れてフランスに渡り、誰も知り合いのいない異国の地で暮らすことになるリンおじさんの話が小説になったのではないかと思う。

また11年間刑務所で教師として働いた経験が、「刑務所の中にいる者も外にいる者も紙一重だ」「善と悪は一面的なものではない」という人間観のもとになり、村の人々に売られるようにしてナチスの強制収容所に入れられて、なんとか生き延びて村に帰ってきたブロデックがその生き延びるにあたって、けっして自慢できないようなことをしたことを回想させることで、人間はつねに二面性をもっている(収容所でユダヤ人を非人間的な扱いをした男が、家庭に帰ると良き夫、良き父親となるように)ということを描いた『ブロデックの報告書』のもとになっているということのようだ。

私がこの小説を読んで感じた違和感は、きっとここにあったのだ。フィリップ・クローデルは歴史家の語るものと小説家の語るものは違って当然だという前提で話をしているからこういう視点もありということなのだだが、私は、人間の二面性をただ描くことが小説の役目だとは思わない。たとえば収容所でユダヤ人を非人間的な扱いをした男が、家庭に帰ると良き夫、良き父親となるということが事実だとしても、なぜそういうことになったのかを小説は描いてほしいと思う。それにブロデックが強制収用所で生き延びるためにしたことと(他の収容者を売ったとかいうのではなく、卑屈になったということなのだから)、ドイツ人が収容所でしたことを同じ次元で描いてもいいのものなのか疑問でもある。

『リアーヌの体』

2009年11月21日 | 現代フランス小説
Cypora Petitjean-Cerf, Le Corps de Liane, Editions Stock, 2007.
シポラ・プティジャン=セール『リアーヌの体』(ストック書店、2007年)

前回読んだサミラ・ベリルの自伝のすざまじく荒れた生活とはうって変わって、ほとんどたいした変化もないように見える同じ12才前後の少女とその家庭や友だちといった狭い生活圏での日常を描いた小説なのだが、なんだかクスッと笑える場面が満載で、面白かった。

一応主人公はリアーヌという少女。パリに住んでいて、小説の冒頭では小学校のCM1、つまり日本で言う小学4年生にあたる。ただしフランスの小学校は5年生まで。彼女は授業中に内容がわかっていてもなかなか発言する勇気がなくて、面談の結果、CM1を留年してしまう。フランスの小学校・中学校には成績が悪いと留年の制度がある。五年生になったクラスでロズリンというブロンドの美人の女の子と友達になる。リアーヌの胸はぺちゃんこなのに、この子の胸は大人のように大きかったからだ。(ずっと後になって、そのことをリアーヌがロズリンに言うのだが、ロズリンはそれを聞いてがっかりする。)

リアーヌの親は母親のクリティーヌだけ。父親はまだ赤ちゃんの頃に蒸発した。母子家庭だ。ロズリンも母子家庭だが、最近母親が男を作り、二人の間に赤ちゃんができる。クリスタルという女の子。ロズリンは中学生になってジャン=リュックというサン・ドニに住んでいるボーイフレンドができる。17歳でケーキ屋で修行中の身だが、彼の修行が終わったら、ロズリンも中学三年生に進級しないで学校を辞めて、結婚するつもりだという。フランスの中学は4年制。15歳までが義務教育で、学力的に進級が無理な場合は、その時点で学校を辞める子も多い。

リアーヌのクラスにはアシュラフという真面目な男の子がいる。彼の家は中学の正門のすぐ向かいで、ハッサンというお父さんが食料品店をやっている。お母さんはガニアで、何もしないお母さんだ。お父さんは店の中から、いつも学校の前を見張っている。息子は学校が終わるとまっすぐ家に帰る。どうもお母さんの血をひいたようで、真面目なわりには勉強ができない。真面目に宿題をしているのだが、何を勉強しているのかよく分かっていないのだ。

リアーヌにはユゲットというブルターニュ住んでいるおばあちゃんがいる。毎年夏のバカンスにはカンペールの近くのおばあちゃんの家で過ごす。このユゲットも子どもができたら男に捨てられたくちで、二代続いて子どもができたら男に捨てられた。

リアーヌが中学2年生になった年、突然母のクリティーヌが寝込んでしまう。仕事にも行かない、家事もしない、食事もしないという状態になってしまう。しかたがないのでエヴァという家政婦を雇うことになる。彼女にはアルメルという女の子がいるのだが、この子がまた悪い。エヴァは家政婦と言ってもまともな家政婦ではなく、掃除をさせれば、飾ってある花瓶を割るし、ホコリは残ったままだしで、家政婦を雇ったわりには家は片付かない。

埒が明かないので、ついにブルターニュからユゲットが上京してきて家の世話をすることになる。すこし経つとパリでの生活にもなれてきて、いつもバスに乗って行っているリュクサンブール公園に車で行きたいと思うようになり、自動車学校に通いだす。ちょうどジャン=リュックがもっている白いルノー5を売りたいと思っていたので、免許を取ったら、ユゲットがそれを買うことに。

ロズリンはちょっと蓮っ葉な感じの子なのだが、何もしない母親の代わりに家事をしたり夜鳴きをする妹の世話をしたりする子で、人の気持ちが分かる優しい子なのだ。勉強はできないのだが。

リアーヌの14才の誕生日パーティに呼ばれてすごく喜んでいたが、すこし前に死産したアシュラフの叔母さんのラミアは来なかったほうがいいかも、ロズリンが妹を連れてきていたので、赤ちゃんを見て泣いていたからだと言う。そんな優しい子だ。

1985年6月ロズリンは職業リセに進学し、リアーヌは中学3年生(中学は4年生まである)に進級する。ロズリンの妹(まだ赤ちゃん)は母親が育児放棄をしていたので、ユゲットが面倒を見ていたのだが、ロズリンのママが世話をしたいと言い出し、ユゲットの元を離れることになる。ユゲットはその日から泣き続け、何もしなくなる。代わりにクリスティーヌがおきだして、家事をするようになった。「今からでも子どもを作るのは遅すぎるかしら」と尋ねる。

パリ生活も6ヶ月になるころ、ユゲットはそろそろブルターニュに帰りたくなる。バカンスを機会に、ジャン=リュックから買い受けたルノー5に乗って、ブルターニュに帰る。

この小説を読むと、人生は分からない、なにかあらかじめ決められた方向性や意味があるわけでもなくて、何がどうなるのか分からないものだ、でも(だからではなく)、生きていれば楽しいのじゃないかな、と思わせてくれる。けっして誰一人として幸せではない。リアーヌは毎日吐き気に悩まされ、いつ公衆の面前で吐いてしまうかと怖れているし、ロズリンは何もしない母親の代わりに家政婦みたいなことをしている。

でも人生はこうでなければならないとか、自己実現だとか、そういう肩肘をはらないで生きていけたらいいじゃないと思わせてくれるところがこの小説にはある。なぜか女ばかりの小説だけど、それも意図してのことだろう。

説明文と会話文とが交互にできくるが、どの会話もちょっと可笑しくて面白い。
トローヌの市でジャン=リュックと知り合ったというロズリンが彼の住んでいるサン・ドニまで行くから一緒に行こうと誘われる。リアーヌは母のクリスティーヌに言ってもいいかと確認する。
「ママ、土曜日の3時にボーイフレンドに会いに行くロズリンについて行ってもいい?」「ボーイフレンドですって?どんな?」
「ジャン=リュックよ」とリアーヌは絶望的になってため息をついた。「17歳。ケーキ屋。行ってもいい?」
「ええ」
「いいの?でもジャンティイまでなのよ!」
クリスティーヌは肩をすくめた。
「それで?」
リアーヌは足を引きずりながらリビングを出た。(p.45-46)

もうブルターニュに帰るとユゲットお祖母ちゃんが言い出したころ。その頃、ロズリンは母親が家事と育児を放棄していたので、リアーヌの家に寝泊りしていた。
「お祖母ちゃんが私に何をくれたと思う?」とリアーヌは灯りを消すまえにたずねた。
「プレゼント?」
「ちがう。お金よ。私に200フランくれたの。」
「まぁ!たくさんじゃない!あんたお金持ちね!」とロズリンは叫んで、足をばたばたさせた。
「待ってよ。それで全部じゃないの。こう言ったの。ロズリンと分けなさいねって。」
「うそでしょ?ロズリンと分けなさいってそう言ったの?」
「ええ。うそじゃないわ。これはあなたたち二人のものだから、セフォラに行って欲しいものを買いなさいって。」
「おお、ちくしょう!」
「なによ?」
「なんでもないわ、ちくしょう!」
「なによ、ちくしょうって?」
「ユゲットお祖母ちゃんって私の妹のほうがかわいいはずよ。でもお母さんが妹を取っちゃたし、反対に私を選んでくれても何も難しいことはないのよね。お祖母ちゃんって私を養子にしたいのかしら?」
「できないわ。あなた孤児じゃないもの。」
「ちぇ、そうね。運がないわ」(p.140-141)

作者のシポラ・プティジャン=セールについては1974年生まれということ以外には何も分からない。

『輪姦地獄のなかで』

2009年11月16日 | 現代フランス小説
Samira Bellil, Dans l'enfer des tournantes, Editions Denoel, 2003.
サミラ・ベリル『輪姦地獄のなかで』(ドノエル書店、2003年)

14才のときに集団による暴力、レイプ、輪姦に三度もあい、その精神的後遺症に苦しみ続け、やっと25才でこの本を書くことでそれから自分の解放することができた女性のドキュメントである。

サミラが13才のときに19才のジャイドという不良グループのボスに目をつけられたのは、芸術に関心をもち、地区の女の子とは違って中流っぽい雰囲気を持っていたからであった。しかし実際には、家庭内での抑圧の気晴らしをするかのようにユーロマルシェというスーパーなどに行って万引きをする常習者であった。

彼女はジャイドが好きになり、彼に強要されて彼の好きなところで好きなときにセックスをするようになり、大人たちにとっては「手のつけられない子ども」になっていた。ある日、ジャイドとセックスをした後に彼の子分たちに集団暴行を受け、そこへKがやってきて、さらに激しい暴力をふるい、無理やりあるマンションに連れ込むとポルノビデオを見せられて同じことをするように強要される。信じられないような行為をされたあと、知らぬ若者が二人入れ替わりに入ってきて、レイプされる。

家に帰っても自分が経験したことは口にできず、その夏は家に閉じこもりきりになった。しばらくしてRERに乗っているときに、またKに遭遇し、再びレイプされる。そのときも周りの乗客に助けてくれるように訴えたが、だれも手を差しのべてくれるものがいなかった。

そもそもサミラの生活そのものが二つの世界に分裂していたといっていい。彼女の両親はアルジェリア移民で、サミラがまだ生まれた直後に父親が投獄され、サミラの母は一人で獄中の夫の支援と幼子の養育を両立することが不可能で、ベルギーの子どものいない家庭に預けられていた。彼女はそこで、両親に心から愛され、自主性を尊重した人間関係を築く経験をしてきたのに、5才のときに自分の両親に引き取られて見出したのは、独裁的な父親による暴力と強圧の息苦しい家庭だった。一般にイスラム系の家庭では女性は男性に絶対服従することを掟とされ、いわゆる家庭内暴力は当たり前になっている。

次の年の9月から職業リセに入って通うようになった。芸術家の卵たちは礼儀正しくて、毎日心を入れ替えて通った。11月にソフィアという女性がKにレイプ未遂にあったポリーヌとクラリスという女性を連れてきて警察に一緒に訴えに行こうという。結局、そのためにレイプされたことを家族に知られてしまうことになった。訴えに行くが、警察での対応は、彼女を酷く苦しめることにしかならなかった。帰宅しても両親は何も言わず、理解しようともしない。家のまわりには得体の知れない男たちが徘徊しているし、強迫の電話もかかってくる。

唯一の慰めはリセに通うことで、そこでマチユーという学生と知り合う。ヴェトナムとアルジェリアの混血で、二人は離れなくなって、知り合いの家で同棲するようになる。空き家に入って強盗しては盗んだものをうりさばいて金をつくり、南仏に逃げようと話していたが、彼の父親が探しに来て、引き離されることになる。

家族の中でも孤立し、次の年の1月に父親から出て行けと言われ、母が見つけた施設に入る。6ヶ月そこにいて、その年の夏に父親抜きで母親と妹たちとアルジェリアにバカンスに出かけたが、そこで、夜に外で煙草を吸っているときに、地元の若者たちから集団レイプにあう。現地の警察に訴えたが、取り上げてもらえなかった。苦しみを理解してもらえない苦しみ、苦しみの連鎖が頻繁な心の叫びとなって、発作のような爆発を起こすようになる。母親の睡眠薬を大量に飲んで、死にそうになり、病院に運び込まれる事件も起こす。

1991年2月21日にKに8年の懲役刑の判決がくだる。じつは女弁護士がサミラに証人としての出廷の連絡をしなかったために、一番酷いことをされたサミラの証言がなかったための8年の刑で、もしサミラが証言していたらもっと重い刑になっていたのにと検事から言われ、苦しみが募る。

その後、旅行の企画会社の研修員として芝居、デッサン、外国語を学ぶ活動を行い、研修員としてキプロスに派遣されるが、そこで知り合った同じ研修員が盗んだカードで彼女に高級な服を贈っていたことが発覚し、解雇されてしまう。大麻煙草の吸いすぎで身体も心もぼろぼろになっており、発作も頻繁に起こる。

ダンサーとして生きていこうとしてダンサー養成のための入学コンクールを受けるが、そこで知り合ったダンサーに才能はあるのだから心と身体を治しておいでと言われ、その決意をする。ファニーという精神科医のもとに通うようになって、落ち着きを取り戻すようになる。その頃、自分の経験を本にしてみようという考えがうかぶ。

この時期にはサミラの家庭も変化していた。母親は離婚し、家の中も明るくなっていた。「かつて家を支配していた重苦しい雰囲気は、母が心に隠していた太陽にとってかわった。」母はバカンスで出かけたキプロスで知り合ったパリの弁護士に頼んで、レイプ事件を控訴審にかけるように働きかけ、彼のおかげで、ヴェルサイユ控訴審で勝利を勝ち取る。それをきっかけとして、ついに本を書くことに取り組み、精神科医のファニーが紹介してくれたジョゼの支えのもとに一年という年月をかけて、この本を書き上げることができた。

この出来事はパリの北部での話である。本当にあのあたりは治安が悪いといわれるが、信じられないような事件が本当に起こっていたわけだ。そんなことなどあり得ないような日本でさえも酔っ払って抵抗できなくなった女子学生を輪姦したなんて事件が東京や京都であったわけで、怖ろしい話だと思う。

そしてこの本は、そういう被害を受けた女性が立ち直ることがいかに困難な道であるのかを示している。日本ではそんな話自体が表に出てくることがないから、毎日泣いて暮らしていてもだれもケアする人がいないという現実があるのかもしれない。

とにかく衝撃的な本であった。

インターネットで作者のことを調べていたら、2004年9月6日に33才で癌のために亡くなったという記事にいきついた。そこにある作者の写真を見ると、このフォリオ版の表紙に使われている写真も作者のものらしいということが分かる。作者とは関係のないモデルさんを使ったのかと思ったら、そうではなかったようだ。

せっかく本を書くことでずっと背負ってきた苦しみというリュックを下ろすことができた矢先のことだろう。たしかにこれから新しい人生を歩もうとしていたに違いないが、でも心を解放したあとでよかったと思う。ご冥福をお祈りする。


『ナンバーシックス』

2009年11月06日 | 現代フランス小説
Veronique Olmi, Numero Six, Actes Sud, 2002.
ヴェロニック・オルミ『ナンバーシックス』(アクト・シュッド書店、2002年)

医者の家長(という言い方がまさにまだフランスで活きていた時代の話なので)を中心とした大人数家族の末っ子のファニーの視点から見た父ルイ・デルヴァスや母親、兄弟姉妹の旧弊な世界を描いたもの。

六人兄弟姉妹の末っ子であるファニーは父親が50歳のとき、母親もそろそろ閉経を迎えようかというころに生まれた。長兄から20歳も年が離れているだけでなく、すぐ上の兄からも10才離れている。つまり予期せぬときに生まれてきた末っ子ということになる。日本だと(もちろん人によっても違うだろうが)、とくにそれが女の子だったりすると、溺愛されるパターンが多いが、ファニーはどちらかというとネグレクトされた。それがかえって父にたいするファニーの(一種近親相愛的な、もちろんファニーの側からの一方的なものだが)愛情となって、この物語を書かせることになった。だから、この小説は一人称はファニーだが、つねに二人称は父親に向けられている。

時間系列を完全に無視して、2ページから3ページにわたるひとまとまりの話・エピソードが、断片風に語られるという形式をとっているために、話が分かりにくい。一応、ざっとまとめてみると、父は第一次世界大戦に医療担当者として従軍し、弟のエミールを自分のすぐ近くで死なせてしまったことで悪夢を見るようになる。

戦争中の彼の唯一の慰めは、テノールの綺麗な声を持っていたので、教会でテノールを歌うのが好きで、結婚式や聖体拝領式などに呼ばれて歌うことを喜びとしていた。

昨年2月に100歳の誕生日を祝った。20人の孫と58人のひ孫がいる。

ファニーの兄弟姉妹はクリストフ、パトリス、ジャック、ルイーズ、マリーの5人だが、どういう順番なのかは私には分からなかった。パトリスは実業家で、結婚もしているし家庭ももっている。クリストフは18歳のときに親友のポールの母親エリザベトと相愛の仲になってしまう。エリザベトの夫には愛人がいて、ほとんど家にいなかった。二人はそれぞれに本当の性愛というものを知ってしまう。エリザベトが妊娠したために安ホテルで中絶しようとしたが、失敗し、そこからクリストフが家に電話いてきて、駆けつけた父がすぐに病院に送ったが数時間後に死んだ。その後父はクリストフを家から追い出した。

デスバス家では性の話はタブーで、三人の娘たちを処女のままに結婚させるというのが教育の目的だと考えられていた。だからクリストフによって家庭が「汚された」と両親は思っていたという。

ファニー以外の兄弟姉妹はみんな結婚して独立したが、ファニー一人だけがリウマチを患ったことなどもあって、一人残って、いわば一人っ子になった。自分の立ち位置をナンバーシックスだと気に入っていた。

ファニーが大学生だった頃に起こった68年の5月革命にファニーも運動に立ち上がり、成長したという。

上にも書いたように、エピソードの積み重ねという手法がとられていて、明確な像を結ぶことが難しいが(たぶん伝統的な手法で描いたら、それこそ数巻にもおよぶ大小説になっただろう)、まさにアニー・エルノーの私小説にも匹敵するような、伝統的なフランス人の姿が、ぼんやりとではあるが、浮かび上がってくるようになっている。そういう意味で、ちょっと毛色の変わった私小説風な小説と言っていいだろう。

『フィリップ』

2009年10月31日 | 現代フランス小説
Camille Laurens, Philippe, POL, 1995.
カミーユ・ロラン『フィリップ』(POL書店、1995年)

産院での医療過誤から誕生後数時間(実際は出産時に死亡していた)しか生きられなかったわが子フィリップの出産をめぐる数日そして出産前後の数時間のことを体験記風に綴った小説。

「私」はモロッコのマラケシュで出産の準備をしていたが、出産直前になって胎児に異常がみつかり、急遽パリの産院Xで出産をすることになる。何も問題なく出産できるはずだったのに、出産直前に胎児の心拍数が異常に高くなり、助産婦が担当医Lにそのことを知らせるが、Lは特別な処置をとることなく、また心拍数が安定したので、放っておかれ、出産したときには、男児は泣き声をあげることもなく仮死状態だった。すぐに処置が再生処置がとられたが、生き返ることはなかった。

医者からは特殊な溶連菌に感染していたことが原因だと説明されるが、助産婦はそんなことはいつもあることだとも言われる。心拍数の異常な亢進のときに、なんらかの手を打っていたら男児―フィリップ―は助かっていたかもしれないのに、帝王切開をすることもなく、かん止を使って胎児を早期に出すという手を打つこともなかった。

「小児科医が立ち去ったあと、Lはあれこれ新しい理屈を述べたが、それはどれも矛盾していた。帝王切開をしても子どもを救うには十分ではなかったでしょうね、結局は。(試してみる価値もなかったと私は理解しなければならないのだろうか?) いずれにしても、と彼は続けて言った、自分は「産科医であって、外科医ではない」からね。(彼は帝王切開の仕方を知らないと理解しなければならないのだろうか?) それに帝王切開は「女性にも危険が伴わないわけではない」ですよ。閉経後に出血する場合がありますよ。(子どもを持たないほうが、子どもが20歳になるころに親である自分が死ぬ危険にあうよりもいいと理解しなければならないのだろうか?)」(p.60-61)

さらに辛いのは、一緒につれて帰れるはずであった子どものいない生活が続くということである。だが、その死を書くというのは、いったいなぜなのだろうか? 別に医療過誤を告発したいわけではない。小児癌で亡くなった娘のことを書いたフィリップ・フォレスティエにしても、このカミーユ・ロランにしても、書くことは、不幸にして亡くなった子どもを人々の心に刻みたいからだろう。生きていれば、勉強をしたり、恋をしたり、冒険をしたりして、自らの力で人々の心に自分の存在を刻めるのだが、それができないから、せめても親である作家が小説という形でそれをしてやる。たぶん親としてはそんなことしかできないし、小説という形でなくても、なんらかの形でそういうことをしてやらなければ、親としての精神のバランスが取れないということだ。

「いかなる現実も作り出すことができないこと、それを作り出すことが言葉には可能だ。フィリップは亡くなった。泣いてください、これを読んでいるあなた、どうか泣いてください。あなたの涙が彼を虚無から引き出してくれますように。」(p.81)

最近は、ローランス・レヴィの『たいしたことは何もない』にしても、この前読んだばかりのヴェロニック・オルミの『かくも美しき未来』にしても、女性作家による一人称の告白的小説が増えている。たぶんこれまで言葉を奪われてきた女性たちが、言葉を奪われてきたこと、社会的な抑圧を受けてきたことへの反動として、自らを語るという方法で、言説の世界に参入してきているということなのだと思う。自らを一人称で語るというのは、もっとも手っ取り早い自己表現であるにちがいないが、いわゆる私小説風の手法はこれまでフランスでは存在しなかったわけで、しばらくはこうした傾向が続くのだろうと思う。

『かくも美しき未来』

2009年10月29日 | 現代フランス小説
Veronique Olmi, Un si bel avenir, Actes Sud, 2004.
ヴェロニック・オルミ『かくも美しき未来』(アクト・シュッド書店、2004年)

女優をしているエリザベトとラジオ・フランスのパーソナリティーをしているクララという二人の女性の、それぞれの夫パスカルと愛人のボリスとのかかわりをとうして、フランス人女性の不幸なありようを描いた小説。

エリザベトには演出家をしているパスカルとのあいだに5歳と7歳の二人の女の子がいる。家事・育児にふりまわされて、女優としての仕事に身が入らないし、思うような仕事ができないでいらいらしている。ブノワ・フルニエという映画監督から『パリ-カーサ』という映画の仕事の依頼がくるのだが、読むのにも身が入らない。

「シナリオや戯曲を読むことは、とても内的な行為なので、そばに誰かがいると気が散る。」(p.60)

演出家をしているパスカルがフランス・メイナールという、役を取るためには演出家と寝るくらいのことは平気ですると言われている女優とできていることを知って、愕然とする。

「彼女が生きてきた全てがウソだった。夫婦で生きてきたと信じていたが、無言、虚偽、ごまかしのなかで孤立して生きてきたのだった。」(p.66)

エリザベトは二人の子どもを早退させて連れ出し、ラジオ・フランスで働いているクララのところへ行き、泊めてくれるように頼む。全てを察したクララは「あなた、自分のしたことが分かっているの?」と言いつつも受け容れてくれた。

エリザベトは弁護士をやとって、離婚調停を進めることになる。パスカルは離婚を拒否する。愛人がいたことも否定し、娘たちの親権を要求してきた。

「夫がそう言ったとき、信じられなかった。どうして子どもたちを欲しがるの?どうして?一度も世話なんかしたことがないのに、おもちゃやアクセサリーくらいにしか考えていなかったのよ。娘たちが朝何を食べるのか、何時に起きるのかも知らないわ。どうして世話ができるっていえるの?」(p.105)

結局、エリザベトは調停に勝利して、娘の親権も住んでいるマンションも自分のものにすることができた。

他方、クララは愛人のボリスとの関係も冷めている。クララが二人の関係を見直したいと言うと、ボリスはクララの子どもが欲しいと言い出し、クララはうろたえる。ボリスは幼少のころに父親に捨てられており、その父親が死の間際であることを知らせる手紙が入院先の病院から来たことでそれを知る。知らぬ他人を装って見舞った時にはすでに亡っていた。ペール・ラシェーズに埋葬される日時を知らせられたが、そこには行かなかった。

「ボリスは埋葬には行かなかった。自分を捨てた男に哀悼の言葉が向けられるのを聞きたくなかったし、棺の前で見知らぬ人々が涙を流すのを見たくもなかったからだ。」(p.87)
実はクララも母親が父親に暴力を振るわれたことで早くから家を出てしまい、祖母に育てられたのだが、その祖母が彼女の生理が始まった日に人間の性の醜い姿を描き出して教えたことから、父親を憎悪するようになり、何十年間も家に寄り付かなかったのだが、母親の居所を知りたくて、戻ったとき、瀕死の父親の姿をみて、結局は自分も父親とおなじ虚偽の生活をしてきたのだということに気づき、発狂してしまう。

エリザベトの手助けでパリから25kmくらいのところにある静かで空気のよい精神科クリニック《私の休息》に入院する。

作者のヴェロニック・オルミという人は、1962年ニース生まれの劇作家。元農業大臣のフィリップ・オルミの孫娘だという。2001年に出版した処女作『海辺』でアラン・フルニエ賞を取り、第二作の『ナンバーシックス』につづく第三作がこの作品になる。

『愛の夢』

2009年10月15日 | 現代フランス小説
Laurence Tardieu, Reve d'amour, Editions Stock, 2008
ローランス・タルディユー『愛の夢』(ストック社、2008年)

幼かった頃に母親を亡くし、その理由だけでなく、なぜかしら母親の顔も写真も姿もすべて思い出をなくしてしまった女性が、父親の死の直前にその母親が別の男を愛していたことを知らされ、その男に会いに出かけ、画家だった母親の形見の絵をもらいうけるという話を一人称で綴った物語。

「今日は2006年7月21日。
夜の八時。私はアリス・グランジェという名前だ。30歳。
ジェラール・ウリーが昨日死んだ。
これらのことは全て確かだ。確かめもできる。
現実。私は会ったこともない男のところへ歩いている。これもまた現実だ。
この男は私の母を愛していた。私の母もこの男を愛していた。
私はもうすでに確信がもてなくなっている。
この男は私に母のことを話してくれるだろうか、分からない。
母のことを何か新たに見出せるだろうか、分からない。
最も重要なのは、人が知っていることだろうか、それとも捜し求めていることだろうか?私はアリス・グランジェ、30歳。母を捜している。」

ペーパーバックス版の裏表紙に書かれた作品の一部だが、30歳にもなって、母親探し?って思うかもしれないが、どうやら母親が不倫をしていたことを知っていた父親が、彼女の死後に形見のもの、彼女の思い出を全て家の中から取り去ってしまったことから、母親の思い出がほとんどないという不幸な経験をしたことが、一人称でたんたんと語られていく。

最初は、彼女の思いばかりが綴られて、彼女の人間関係などはごくわずかしか触れられないので、狭い世界をぐるぐるまわっているような―これはまさに彼女の想念がそうで、自分の母親はいったいどんな人だったのだろうという思いの周りをぐるぐるまわってばかりいると言っていい―感情にとらわれる。

結局、母親が不倫していた男性エマニュエルと会って、彼が保管していた形見の二枚の絵のうち一枚を譲り受けることになるのだが、アリスの母親はアリスによく似ていたということが分かるだけで、どんな女性だったのかほとんど語られることはなく終わってしまう。

狭い世界だけを描いているというだけでなく、本当に初級文法を終えたくらい(条件法、接続法までさーっと終えたくらい)で読めるし、使われている単語もごく限られたものなので、初めてフランス語で小説を読んでみようという人にはうってつけの作品といえる。しかもけっしてリライトしたものではなくて、書き下ろした小説なのだから。

逆に言えば、そういう限られた語彙で現代のパリジェンヌの内面を描けるということ、ちょっとした不幸を抱えたパリジェンヌの日記を読んでいるようなものともいえる。

ローランス・レヴィの『たいしたことは何もない』もそうだったが、自分の中に向かって沈潜していく現代人の一人称による小説世界がこれからは増えていくのではないだろうか。

彼女の作品は『すべては消えゆくのだから』 Puisque rien ne dureが早川書房から翻訳されている。

『ブロデックの報告書』

2009年09月15日 | 現代フランス小説
フィリップ・クローデル『ブロデックの報告書』(みすず書房、2009年)

ロレーヌ地方のある山岳地帯の村幼少の頃に母親と移り住んできたブロデックが、ユダヤ人狩りにやってきたナチスの軍隊におびえた村人たちから「生贄」にされ、強制収容所送りにされてしまう。だが生き延びるために「犬」にまでなったブロデックはそこから生き延びてもどってきた。戦争も終わり村もやっと落ち着いた頃にやってきた一人の男、何をしに、どこからやってきたのかも、いったい何者なのかも分からない一人の男のために、疑心暗鬼になった村人たちは、この男がブロデックを収容所送りにして、逃げてきた三人の女性を殺したことを告発しにきたと思い込み、彼を惨殺してしまう。その顛末を報告書に書くことになったブロデックの回想の物語が、これである。

自分が助かるために人を犠牲にする。それが一人ならそうやって生き延びた一人の人間だけが心の中に罪の意識をずっと持ち続けることになるだろう。だが国のため、村のため、みんなのためという集団の意識にすり替わると、罪の意識もなくなってしまうのかもしれない。それはエスカレートして、ホロコーストする側になると、自分の良心などを押し殺してしまわなければ、自分が殺される、まさに自分が助かるためには人を犠牲にするという円環構造が形作られる。そうなりやすい民族というものがあるのか、どんな民族でも陥る普遍的なものなのか、私には分からない。

ヨーロッパの、とくにフランスの宗教戦争がそうだったように、あるいはヨーロッパ人による新大陸アメリカ原住民への殺戮がそうだったように、文字に残っていないだけで、歴史上あらゆる時代にあった普遍的なものなのかどうか、これも私には分からない。

そして未だに核によるホロコーストという恐怖から逃れられないでいる現代社会。

なんか私には重過ぎるテーマで、いったい何を書いていいのか分からない。

フィリップ・クローデルについてはこちら

フランスの読者の感想を書き込むサイトを見ると次のようなものが載っている。

「言いたいことがたくさんあるので、何から書いたらいいのか分からない。どんなことを言っても読後の思いを言い尽くせないだろう。」

「バカンスの気晴らしに読むような本ではない。あまり軽い内容の本ではないが、よい本だ。戦中から戦後のある村の歴史を通して、クローデルは人間の本性がもつ陰惨なものを提示している。」

「非人間性の教訓。第二次大戦後のドイツとの国境線にある村。どんな村にも名士(村長、教員など)がいるものだが、最も尊敬されるべき人々がつねに思っているような人とは限らない。」

「フィリップ・クローデルを読むということは、人間が歴史と策謀によって罠にかけられた時間、日々をまるまる生きなおそうとすることだ。だれもそれから逃れることはできない。そういう日々が私に取り付き、強迫観念となる。」

2007年度の高校生読者大賞を受賞している。