ジョエル・エグロフ『日当たりのよい人たち』(ロシェ書店、2000年)
Joel Egloff, Les Ensoleilles, Editions de Rocher, 2000 (Folio 3651)
1999年8月11日の昼の12時17分から32分にかけて起きた皆既日食を観ようと右往左往する10数人のフランス人たちの様子をブラックユーモアをきかせて書いた小説。
ヴァカンスで海辺に来ているが、ずっと雨で、ヴァカンスどころか日食も観ることができなかったのに、親戚への絵葉書には、ヴァカンスを楽しんでいるとか、日食を観たとか書いたことで妻と言い争いになる男性。
マンションから出るたびに、家の中のあらゆる道具や電化製品の電源がきってあるか、すべての窓の戸締りができているかを確かめてからでないと出かけられない強迫観念症の男性が、日食を観るためにすべての戸締りを確認してやっとマンションの外に出たところで、自分のマンションから煙が出ていることに気づくというブラックコメディー。
どこかのビーチに日焼けをしにやってきた水着姿の若い女性が、たぶん日食中だということもしらずに無頓着に振舞っている姿。
ロジェさんと呼ばれて、海辺の小さな町のカフェで、知り合いたちに人生のアドバイスをしたり、馬券のアドバイスをしたりして尊敬を得ている退職後の男が、一人の見知らぬ男の登場でその権威が失墜してしまう様子。
12時といっても夜の12時と勘違いしてしまう男もいれば、怪我をしたら危ないからと長い間外出させてもらえなかった老婆が日食を観たくて、腰も曲がっているのに杖を突きながら公園にやっとたどりついたけど、腰が曲がっていて見上げることができなかったとか。
恋人のエステルと公園の噴水の傍で待ち合わせしていたポールはずっと前から日食を観ながらエステルにプロポーズしようと決めていた。ところが時間になってもエステルが来ない。携帯をもっていないので連絡のとりようがなく、どこかで事故に遭ったのではないかと気になって、警察や病院に電話をしてみるが埒が明かない。友人のマルシアルのところに行けば助けてくれるだろうと思い、行ってみると、マルシアルのワイシャツをきてしどけない姿をしたエステルが彼のマンションにいたという、これも笑えない話。
最後は、いつも寝起きしている公園のベンチで寝ていると回りに大勢の人がやってきて日食を観ているので、それにならってグラスなしで日食をみて目をつぶしてしまった浮浪者の話でオチがついている。
このときの皆既日食はおそらくその情報がいきわたっていたこともあって、人類史上最も多数の人が観たのではないかといわれている。
つぎにヨーロッパとくにフランスで観察できる皆既日食は2081年で、そのとき自分はどうなっているだろうと死後の自分と死後の世界に思いをはせる女性の話もある。
「ずいぶん前から予想されているこのお祭り、でも私は招待されていないこのお祭りのことを考えると、私は絶望的になる。でも私がいなくてもみんなうまくやるのだろう。それがまた私を苦しめるものなのだ。私は自分自身にしか必要とされない。地球は回り続けるだろうし、月もおなじだ。太陽は光り輝いて、同じ場所で待っていればいいのだ。すべてが予想されたとおりになるだろう。私がいなくても。」(p.142)
なんだか私がいつも思う私の死後の世界と同じことが書いてあるのでびっくりした。そんな風に自分がいなくても世界が続くと考えることは辛いものだ。
タイトルはフランス語をそのまま訳したのだけど、なんか違うような気がする。
Joel Egloff, Les Ensoleilles, Editions de Rocher, 2000 (Folio 3651)

ヴァカンスで海辺に来ているが、ずっと雨で、ヴァカンスどころか日食も観ることができなかったのに、親戚への絵葉書には、ヴァカンスを楽しんでいるとか、日食を観たとか書いたことで妻と言い争いになる男性。
マンションから出るたびに、家の中のあらゆる道具や電化製品の電源がきってあるか、すべての窓の戸締りができているかを確かめてからでないと出かけられない強迫観念症の男性が、日食を観るためにすべての戸締りを確認してやっとマンションの外に出たところで、自分のマンションから煙が出ていることに気づくというブラックコメディー。
どこかのビーチに日焼けをしにやってきた水着姿の若い女性が、たぶん日食中だということもしらずに無頓着に振舞っている姿。
ロジェさんと呼ばれて、海辺の小さな町のカフェで、知り合いたちに人生のアドバイスをしたり、馬券のアドバイスをしたりして尊敬を得ている退職後の男が、一人の見知らぬ男の登場でその権威が失墜してしまう様子。
12時といっても夜の12時と勘違いしてしまう男もいれば、怪我をしたら危ないからと長い間外出させてもらえなかった老婆が日食を観たくて、腰も曲がっているのに杖を突きながら公園にやっとたどりついたけど、腰が曲がっていて見上げることができなかったとか。
恋人のエステルと公園の噴水の傍で待ち合わせしていたポールはずっと前から日食を観ながらエステルにプロポーズしようと決めていた。ところが時間になってもエステルが来ない。携帯をもっていないので連絡のとりようがなく、どこかで事故に遭ったのではないかと気になって、警察や病院に電話をしてみるが埒が明かない。友人のマルシアルのところに行けば助けてくれるだろうと思い、行ってみると、マルシアルのワイシャツをきてしどけない姿をしたエステルが彼のマンションにいたという、これも笑えない話。
最後は、いつも寝起きしている公園のベンチで寝ていると回りに大勢の人がやってきて日食を観ているので、それにならってグラスなしで日食をみて目をつぶしてしまった浮浪者の話でオチがついている。
このときの皆既日食はおそらくその情報がいきわたっていたこともあって、人類史上最も多数の人が観たのではないかといわれている。
つぎにヨーロッパとくにフランスで観察できる皆既日食は2081年で、そのとき自分はどうなっているだろうと死後の自分と死後の世界に思いをはせる女性の話もある。
「ずいぶん前から予想されているこのお祭り、でも私は招待されていないこのお祭りのことを考えると、私は絶望的になる。でも私がいなくてもみんなうまくやるのだろう。それがまた私を苦しめるものなのだ。私は自分自身にしか必要とされない。地球は回り続けるだろうし、月もおなじだ。太陽は光り輝いて、同じ場所で待っていればいいのだ。すべてが予想されたとおりになるだろう。私がいなくても。」(p.142)
なんだか私がいつも思う私の死後の世界と同じことが書いてあるのでびっくりした。そんな風に自分がいなくても世界が続くと考えることは辛いものだ。
タイトルはフランス語をそのまま訳したのだけど、なんか違うような気がする。