仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

江戸時代は老人が多かった。

2023年02月23日 | 日記

『江戸病草紙―近世の病気と医療』(立川昭二著)に江戸時代の諸々が記されています。江戸時代は老人が尊敬されたのは、儒教の影響もあるが、老人そのものが少なかったからではないかという疑問を持ち、この本を入手しました。

結論から言えば「江戸時代の平均寿命は30歳」なのは、乳幼児の死亡率が非常に高かったからです。そして結構、年寄りも多かったよいうことです。

 

 

11代将軍家斉(いえなり)には、55人の子女があったが、この55人中2人が流・死産、二歳未満の死亡は二十一人。十五歳以上まで生きだのが二十一人、それも四十を越えた者は、12代将軍家慶を含めてわすか七人。五十二人の平均死亡年齢は、なんと十四歳であった。

将軍・大名の子女ですら、平均死亡年齢はこのように低かった。

 

 

 一方、江戸時代の戸籍といえば人別帳がある。速水融は信州諏訪地方の宗門改めの人別帳をもとに、二歳児の平均余命をもとめている。それによると、

寛文11(1671)年から享保10(1725)年のそれは男36.8才、女29.0才、享保11(1726)年から安永4(1775)年になると、男42.7才、女44.0才である。

 

 

 しかし、さきにみたように、乳幼児死亡を除外すると、江戸時代の人びとも六十歳をこえるいのちを享受できた。江戸時代の六十歳の平均余命がほぼ十四歳という推計値は、今日とあまりひらきはない。しかも、江戸時代は、八十歳・九十歳の高齢者の出現率が、今日より高かった。飛騨の往還寺の過去帳にも、百二歳を最高として、八十・九十歳代の高齢者が江戸時代のどの年度においてもかなり見られる。

 西鶴・芭蕉はいずれも「人生五十」であったが、『養生訓』の貝原益軒は八十五識、『蘭学事始』の杉田玄白も八十五歳、『八犬伝』の滝沢馬琴は八十二歳、『富嶽三十六景』の葛飾北斎は九十歳、彼らはいずれもその歳まで、いのちを燃やし続けることができた。(以上)

 

 

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刷り込み

2023年02月22日 | 日記

『ニュートン新書 基礎からわかる 動物行動学』(2022/5/18・トリストラム・D・ワイアット著)

 

 

刷り込み

 動物行動学者のコンーフート・ローレンツの後ろをついて回るハイイロガンの雛の群れの写真は、動物の行動に関する最も有名な画像として知られている。孵化直後の感受期に初めて見た大きな動くものがローレンツだったハイイロガンの雛は、彼を親と認識し、愛着をもつようになった。刷り込みと呼ばれるこの行動は、多くの哺乳類や鳥類の初期の発達段階に見られる学習の一種だ。野生のガンの場合、雛が最初に目にする動くものは、コンラート・ローレンツではなく、母烏である。このような「親子間の刷り込み」機能の目的は、生後問もない動物が他の成体ではなく自身の親の後ろをついて回れるように、確実に親を認識することだろう。それは親子間の強い社会的絆につながる。

 生後間もない個体は、この感受期に学習する傾向があり、特に自身と生物学的に関わりのある音や物体などの刺激を受け入れる。家禽のヒヨコやアヒルの雛にとって、母鳥が発する種特有の鳴音声は、動く物体をついて回り、それを刷り込むきっかけとなる。マガモの雛の毋烏の鳴き声に対する感受性は、孵化する直前の卵のなかで、他の胚の雛が発した鳴き声に応える母烏の声を聴くことによって決まる。哺乳類(おそらく鳥類も)の場合には、個々の親のにおいも学習することができる。

 

刷り込みには、特には「家族間の刷り込み」と呼ぶべきものもあり、生後まもない動物がそのきょうだいの詳細な特徴(個々の外見、におい、音など)を学習して、後年、配偶相手として選択するのを回避するというものだ。これは、同じ種の別の家族と互いの子どもを里子に出し合うことによって実証することができる。たとえば、マウスは身近なきょうだいとの交配を避けるが、生まれてから別の家族と一緒に育てられた場合、里親側のきょうだいは避けるが、以前に会ったことのない遺伝的なきょうだいとは交配する。

 刷り込みは、特に子育て期には、成体でも見られることがある。母ヒツジは出産後の最初の数時間で、子ヒツジとの開に持続的な絆を築く。子ヒツジを産むときに母ヒツジの膣が伸びると、神経インパルスが脳に送られ、神経やホルモンによるメカニズムのカスケード(反応の連鎖)が始まる。その結果、毋ヒツジが子ヒツジについて学ぶ感受期が形成される。オキシトシンが放出されて母親としての行動をうながし、羊水に対する母ヒツジの反応を回避から誘引に変える。すると、毋ヒツジは生まれたばかりの子ヒツジから羊水をなめとろうとし、なめている間に母ビツジの脳は子ヒツジのにおいを覚えるようにつながされる。これは、群れの他の子ヒツジから自分の子ヒヒツだけを区別して授乳するための重要な学習である。(以上)

 

「そうなんだ」という記事でした。

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旃陀羅表記②

2023年02月21日 | 現代の病理

旃陀羅、変成男子のついて、『宗報』(2019.7月号)で、岩本先生の娘さん岩本智依氏が「経典から差別の現実を学ぶということ」を執筆されておられます。

 

https://www.hongwanji.or.jp/news/upload_img/jinken_shuhou_1907.pdf

 

「おわりに」の部分だけ転載します。 

 

親鸞聖人は阿闍世や韋提希など『観無量寿経』の登場人物について、その社会で差別をし、差別をされるという苦しみの中で生き、み教えに差別・陂差別から解放され救われていった存在だと見ておられます。そのため経典の中には「栴陀羅」に関わる身分差別や「女人往生」という性差別、さらには『無量寿経』第四一願に関わるようないわゆる「根欠」といわれた障害者差別など、赤裸々な差別の現実が説かれています。しかし決してそれは差別を肯定するものではなく、すべての人を平等に救うという差別を否定する仏意を私たちに伝えてくださるものです。親鸞聖人は経典に説かれる阿闍世や韋提希に、また被差別民である「旃陀羅」に、自分自身と重ね、そして彼らの差別・被差別の現実を自らの問題として怒り、そして差別を克服する様子を通して、ご自分の生き方を問われました。

この経典に述べられている差別は、部落差別や性差別、また社会モデルや合理的配慮といった新たな課題を含めた障害差別など、現代社会においてもなお差別の現実として私たちが直面している問題です。

 しかしこれらの親鸞聖人の経典と向き合われた姿勢を忘れた時に、私たちは経典の中に記されている差別語や差別表現を、単に「言葉」として読み、自らの差別の正当性に利用したりしてしまいます。本来は差別の現実の中に生きる私たちの生き方を問うているはずの経典を、差別を温存助長し差別に利用する「差別経典」にしてしまう、まさに親鸞聖人が経典と向き合われた「随順仏語」「順彼仏願」とは真逆の僧侶の姿であることを忘れてはいけません。(以上)

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旃陀羅表記①

2023年02月20日 | 現代の病理

2月8.9日の鹿児島の連区の布教団研修会、旃陀羅について、同朋会研修会講師岩本孝樹氏の講義もありました。「旃陀羅や変成男子」の事についての講義がありました。「水平社宣言」のなかにも「エタ」という背別用語もある。差別用語の言葉があるからと言って、ただちにそれは「差別表現」だとするものではない。とこ事でした。以下参考になるので、別資料ですがアプしておきます。

 

真宗教団連合公開講座 テーマ「是栴陀羅と差別問題について」 | 文化時報プレミアム (bunkajiho.co.jp)

 

真宗教団連合公開講座 テーマ「是栴陀羅と差別問題について」

真宗教団連合公開講座

 

 

『観無量寿経』にある「是旃陀羅」は、王舎城の悲劇を扱った部分で、父を殺した阿闍世王が母をも殺そうとした時、「母を殺せば、旃陀羅と同じだ」と大臣がいさめた事柄として載っているが、その文脈を満井氏は改めて紹介。「旃陀羅が阿闍世に対して抑止効果を持ったということに大きな意味があり、その意味を問わなければならない。そこには釈尊の言説ではなく、当時のインド社会の哲学を集めた『毘陀論経』を説いていさめている。そのことも経典の中で出てくるが、『毘陀論経』の説は仏説からは異なっているということをどこかで明示しなければならない」と課題を示した。

また親鸞聖人の和讃に「是旃陀羅とはぢしめて」とある点をどう理解するのかに関し、満井氏は「『教行信証』の『信文類』に『涅槃経』の長文の引用があり、救いようのない極悪人の阿闍世が他力回向の信によって救いを得たことを自身に重ね合わせた言葉で、他者を差別する意図はなかった」との解釈も披歴した。

講義後、質問者からの「和讃で聖人が自身の問題として受け止めたという理解は難しい」との意見に、満井氏は「『唯信鈔文意』の中に“いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり”とある通り、当時の弱い立場の人たちを我らと受け止めており、また『涅槃経』の長文の引用からも、阿闍世に投げかけられた言葉を自身に投げかけられた言葉と受け止められたと想像する」と説明。

しかし質問者は、「『唯信鈔文意』に親鸞聖人の最晩年の心境を読み取ることはできるが、和讃を書いた時に果たしてその心境に立っていたかは疑問。二つの間には時間差があり、満井さんも変成男子の理解では、聖人が法華経にミスリードされたとも語っている。親鸞聖人は優れた方で、大変立派な布教者だったが、同時に道を求める求道者であった。苦悩の途中で語られた言葉を、全面的に肯定するような論理はいかがなものか」と指摘した。

満井氏は「和讃は77歳のころ、唯信鈔文意は79歳のころの著述。その2年の間に何もなかったとは言えないが、私はその2年間で何かあったとは思い及ばない。『教行信証』を書かれた50代、60代で教学体系が出来上がっているという思いがある」と答えた。

さらに被差別部落に生まれ、解放運動に取り組んでいる別の質問者は、「旃陀羅は文脈上から見ても明確に差別用語。その差別の強烈さは母親殺しを止めさせるほど。そして問題はインドの旃陀羅に対して、七高祖の一人である善導大師が禽獣のようなものだと言われ、多くの日本の高僧も『これは日本で言えば、えたやひにんのようなものだ』と言っていた事実を無視してはいけない。にもかかわらず、満井さんは『順彼仏願』や文脈を紹介して、親鸞聖人は差別するつもりはなかったと言い、最終的には必要な言葉だと結論付けているようにしか聞こえない」と不満を表し、満井氏は「指摘の通りで、善導大師でさえ歴史的制約とは全く無縁ではなかった。それは大きなことで、そこに私たちは向き合わなければならない。この論理によって是旃陀羅という言葉を放置しておいていいという考えは毛頭ない」との見解を示した。(以上)

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世界で一番古い企業

2023年02月19日 | 日記

『謙虚で美しい日本語のヒミツ』からの転載です。

 

 東京商エリサーチが世界41力国で行った調査によれば、世界には200年以上の歴史をもつ企業が5586件あるそうです。そのうち、なんと6割近くの3146社が日本企業です。また、日本には企業から1000年以上経っている企業が7社もあります。その筆頭が、いまから1400年以上前、聖徳太子の時代に創業された「世界で一番古い企業」といわれる、大工集団・金剛組です。

 では、歴史や伝統を大切にしている印象の強いヨーロッパを見てみましょう、最も老舗が多いドイツでは、200年以上の歴史をもつ企業が837社あるそうです。続くオランダには196社あります。一方、建国から250年ほどしか経っていないアメリカでは14社。そして、歴史と伝統を重んじる印象の中国では9社しかないのだそうです。

 

 では、韓国はどうでしょうか。実は韓国には、200年以上の歴史をもつ企業が1社もありません。本当にゼロ、なのです。(以上)

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